All You Need Is Love.[rayearth OVA]


 転びそうになったついでに、鞄からバサバサッと本とノートが散乱する。
 獅堂光は、落ち損なった鞄を膝の上で抑えて溜息をついた。
「あ〜あ。」
 自分でもどうかと思う状況に、少し途方にくれてみる。
でも、のんびりしている時間は無い。そう、時間が無いのだ。
 講義が始まる時間までに、なんとか滑り込まないと出席カードが貰えない。
気を取り直して、鞄を膝に乗せてしゃがみ込む。少し短めのスカートを後ろ手で引っ張りながら、ルーズリーフから散らばった紙を一枚々集めていると、と呆れたような声が振ってきた。同時に目の前に本を差し出される。
「何やってるのよ。光。」
 顔を上げると、綺麗な親友の顔が笑っている。
「ありがとう。海ちゃん。」
 彼女は、腰まである長い髪を揺らして立ち上がり床についたスカートの汚れを払った。光もそれにならって立ち上がる。
「講義に遅れそうなんだ。それで…。」
「休講よ。」
「え?」
「掲示板見なかったの?教授が急な出張でお休みよ。レポートを提出すれば出席にしてくれるってあったわ。」
 光はその紅く大きな瞳を益々大きくして海の言葉を聞いていた。
クスリと海が笑う。
「光らしいわね。入口のところにあんなに大きな掲示板がついているのに、見てないなんて。」
「私、遅れそうだったから夢中で…。気付かなかった…。」
「ほんと、光らしいわ。」
 そう言うと、海は自分の鞄で口元を隠しながらくすくすと笑いだした。
「海ちゃん笑いすぎ。」
 少しだけ頬を膨らませて自分を見つめた光に海はペロッと舌を出した。
「ごめん、ごめん。お詫びに何か奢るわよ。」
「え?いいの?海ちゃん授業ないの?」
「ええ、今日は届け物があって来ただけだもの。それももう済んじゃったし、平気。光か風に会えたらお茶したいなぁって思ってたし。」
 意味深に微笑む海に光も笑う。
 彼女が、自分達だけに話したいという事。この世界で三人しか知らない出来事に関してである事は光にもよくわかっていた。
セフィーロの事もしくは… 「クレフの事話たいんだね。海ちゃん」
 海は両手で頬を挟むと、ほうと溜息を付く。
 そうして瞳を閉じているのを見ると、海の長い睫が綺麗で光はいいなぁなんて思ってしまう。
 昔から綺麗だった海は、この頃もっと綺麗になっている。
「好きな人が異世界の魔導師だなんて、おちおち惚気話も出来ないわ。」
やっぱり…と今度は光がくすくすと笑い出す。海はそれを眺めながら芝居がかった顔で光を睨んだ。
「笑ったわね。たっぷり聞いてもらうわよ。光。」
「わかったってば〜。じゃあビュッフェでも行こう。」
そうして少女達は笑いさざめきながら歩き出した。



「ここのケーキ甘すぎなくて美味しいのよね。」
 一口頬張っててから言った海の言葉に光は頷く。
「そうだね。でもこのガトーショコラも美味しいよ。大好きなんだ。あれから、クレフ来てくれたの?」
「一度だけね。」
 海が首を傾げると、長い髪が揺れて、彼女の表情も揺れているように見えた。
「それも、忙しそうでさっさと帰っちゃた。」
「そっか…。」
「真面目なのよね。まあそこがいいんだけど。」
 やっぱり惚気?と光が笑うと、羨ましいと海は呟いた。
「フェリオのね。マメさ加減が少し羨ましいとか、思ったりしてるとこ。」
「しょっちゅう来てるもんね。練習室覗いたらいたりするし…。」
「でも、前はフェリオがベタ惚れで、風に会いに来てるんだと思っていたんだけど、今は違うの。」
 光は紅く大きな瞳をいっそう見開いた。くるくるとよく動く瞳は子猫を思わせる。
「フェリオが風を好きであるって事に異論は無いわよ。勿論風もね。
でも、こっちから電話する事だって出来ないし、会いに行く事も出来ない相手よ。寂しいに決まってるわ。特に風は人に気を使う娘だから、相手の負担になるなんて思ったら、フェリオに会いたいなんて絶対言わないわよね。」
 海は、紅茶のカップを両手で包むようにして瞳を閉じた。ふうと溜息をつく。
「だから、フェリオが風に会いにくるんだなぁってそう思ったの。風が言葉に出さない事をわかってて、自分の方が動いてるんだって。そういうの、羨ましいと思うでしょ?」
 こくんと光も頷く。
 周りから見ていても、二人が好きあっていて仲良しなのはよくわかる。
 何よりも相手を想って、そして想われる相手に自分はいつか巡り会えるのだろうか。光はふとそう思った。
「でも、私は違うわよ!」
 海の手にしていたカップに力が籠もる。パッと顔を上げて挑むように言葉を続けた。
「会いたいって言うし、大好きって言うし、もっと来てって絶対言うわよ!」
「う、海ちゃん…。落ち着いて…。」
 握り拳を手に立ち上がった海を、光は慌てて止めた。海がなまじ美人なだけにその言動は人の注目を集めるのだ。ビュッフェの人々の視線をひととおり浴びて、海は席につく。
 目をぱちくりしてから光は笑った。
「海ちゃんて情熱的なんだね。」
「光は、好きな人いないの?」
 海の問い掛けに、光はえええと声を上げる。 「私、私は別に…。」
 あまり長いともいえない人生の中で心惹かれた人といえば今のところは一人だけしかいない。それも、もう既に亡くなってしまった人だ。
 あの出来事が衝撃的すぎて、生半可な事では心が動かなくなってしまったのだろうかとも思う。
黒髪の異世界の剣士。
 澄んだ泉のような碧眼が、今でも胸の中に残っている。
 彼のような強さを未だに自分は見つけられない。
 だから、唯の思い出として彼の面影を手放してしまう事が出来ないのだ。
 閉じていた瞳を開けて海を見ると、光ははっきりと口にする。
「まだ、いないんだ。」

 真っ直ぐに自分を見つめて、心の中を言葉にする光に海は微笑んだ。なんて、光らしい言い方だろう…と。  彼女の中には、偽りや飾りを見つけられない。
「そうね。急ぐことないわ。…心は誰にも変えられないものね。」
「うん。」
 にっこりと笑った光に海が微笑み返す。
 少女達のお喋りはまだ続きそうだったが、それを遮るように何もない空間に人影が現れた。
 自分の背丈よりも頭ひとつ分長い杖を持ち、額に大きなオーブを抱いた飾りをつけた異世界の魔導師の姿が海の瞳に映る。
 海が勢いよく立ち上がったせいで、彼女の座っていた椅子が派手な音をたてて床に倒れた。光は、その音と彼女の行動に驚き、そして振り返って見えた、魔導師の姿に驚いた。 「どうしたの?クレフ。」
 自分に会いに来てくれたのかと、一瞬海は思ったが、何も言わずたちつくしているクレフの表情を見てそれが間違いである事を感じた。
 元々、男にしては白いと感じる顔色は完全に青ざめている。頬のあたりの肉も落ちていて、憔悴した印象を受けた。
 眉間に皺を寄せ、長い睫毛に縁取られた瞳も細められ、目のしたには隈が見てとれる。
 何日も眠っていない…そんな風にも感じられた。心なしか呼吸すらはやい。
「何か…あったの?」
 ただならぬクレフの様子に、海の声も緊張する。
 クレフは、ゆっくりと二人の少女に近づくと低くこう問いただした。
「フウは何処にいる?」
「風?どうして?」
 怪訝な顔でクレフを見返した海にクレフは再度問いかけを重ねる。搾り出すような声が、クレフの切迫した雰囲気を使えていた。
「フウと話がしたい。」
「待って、風ちゃん呼んでみるよ。」
 光は、鞄の中から携帯を取り出すと風の番号を呼び出した。しかし、そこからは、今電話に出られない事を告げる風の声が返ってくる。
「駄目だ。携帯つながらないよ。…家にいるのかな?」
 思案顔で自分を見た光に、海はしばらく考えていたがあっと声を上げる。
「風なら、この時間は練習室にいるのかも…。そうよね。光。」
 光も気付いたように頷いた。
「こっちよ。案内するわ。」
 そう言うと海は、廊下を駆け出した。



 廊下を走りながら、光はキョロキョロと周りを見回す。
「クレフがいるのに、誰も気付かないんだね。」
「私の周りに結界をはらせてもらっている。」
「そうなんだ…。」
 自分の問いに簡素に答えて、それ以上話をしないクレフに、光の胸騒ぎは膨らんでいく。
セフィーロの魔導師が、風に切羽詰まった顔で会いに来る理由は、光にとって(勿論海にとってもだろうが)一つしか浮かばなかった。
 同じ事を考えているのだろう海が、何度か口を開きかけては閉じるている。それを見つめながら、友人を巻き込もうとしている何かを光は強く感じた。それは予感と言うより確信に近い。その重みが、光の口をますます重くしていく。
 三人は結局練習室の前まで言葉を発する事は無かった。

 ズラリと並んだ各練習室は、個人レッスンか、自主練習の学生達で満室だった。その部屋のスケジュールが書き込まれたボードを見て海が二人を呼ぶ。
「やっぱり、此処よ。」
 丁寧に書き込まれた風の名前。それは、彼女の几帳面な性格を感じさせる。
「ホントだ。えっと、この番号はこっちの部屋だね。」
 設備の良いこの学校の練習室は完全防音になっている。中の音は聞こえないが、外からの音も聞く事は出来ない。連絡は、入り口に取り付けてあるインターホンでとるようになっていた。
 海がボタンを押して風を呼び出している間に、光は、その後ろで扉をじっと見つめているクレフに話し掛けた。
「…ねぇクレフ…。フェリオに何かあったの?」
 光の問いにクレフは無言で頷く。
『やっぱり…。』
 光は、しかしそれ以上は聞く事が出来ずに、風を呼び出している海とそれを待つクレフを見つめた。程なく、扉は開き風が姿を見せる。
「海さん、光さんどうなさったんですか?」
 そう言ってから、クレフの姿を見つけるとあっと小さく声を漏らした。
「…クレフさん…。」
 クレフの姿に、風も表情を曇らせた。
「貴方と話がしたいらしいの。」
 海はそう言うと身体を横にずらし、クレフを風の前に通した。
「フウ。落ち着いて聞いて欲しい。そして私達に力を貸してくれないか?」
「それはどういうことでしょうか?」
 風の声は微かに震えていた。嫌な予感はもう彼女の中を支配しているように思える。
 光と海は黙って二人のやりとりを見つめている。
「もしも、お前が少しでもフェリオのことを想っているのなら私と一緒にセフィーロに来て欲しい。」
 クレフの言葉に、風は息を呑んだ。
「フェリオに何かあったのですか?」
「一刻を争うやもしれん。詳しい事はセフィーロで説明するが、フェリオは倒れた。」
 風の身体は、グラリと揺れた。扉に手をつきその身体を支える。
「風ちゃん!」
「風!!」
 慌てて駆け寄った光と海に、大丈夫です。と言うと再度クレフを見る。クレフは苦渋の表情を崩さない。
「我々に思いつく方法がこれしか見つからなかった。危険が無いとは言い難いが…。」
「参ります。」
 クレフの言葉を遮り、風はきっぱりと返事を返した。迷いのない翡翠の瞳に驚いた表情をしたのは寧ろクレフの方だった。
「いいのか?」
 万が一を考えれば、そこに躊躇が生まれてもおかしくは無い。彼女は断るのかもしれない。クレフにはその思いもあったのだ。もちろんその事で彼女を恨むつもりは全くなかったなかったのだが。
「完全に安全だと言う事は出来ないぞ。異世界の人間と共に飛んだことは私も無い。」
 戸惑いの表情が崩れないクレフの手を取り、風は彼を見つめた。
「クレフさんのご様子はあまりにも切羽詰ったように思えますわ。先程も一刻を争うとおっしゃいました。
 迷っている時間はないのではありませんか?私はもう心が決まっております。」
 しっかりとした風の言葉にクレフはただ頷くしかなかった。
「わかった。私につかまってくれ。セフィーロに飛ぶ。…万が一があったら、私はフェリオに恨まれるな。」
 本気とも冗談とも言えるクレフの言葉に風は微かに微笑む。そして頷いた。
 くるりと二人の少女の方に振り返る。クレフと風の会話を黙って見守っていた海が、風の横に駈け寄った。
「風…貴方…。」
 言葉につまり黙り込んだ海に風は微笑む。
「行ってまいりますわね。光さん海さん。」
 風の言葉に再度、口を開こうとした海よりも早く光が声を上げた。
「待って!風ちゃん。」
「光さん?」
「私も行きたい。」
 光は、風とクレフを見つめて言う。
「何を言い出すんだ光。これはお前には…。」
 一度だけ首を横に振ると、光はクレフを見つめる。
「私を連れて飛ぶ事が不可能だというのなら諦める。でも、危険があるというのならなおさら風ちゃんだけを行かせたくない。関係だってあるよ。だって私と風ちゃんは友達だもの。手助けがしたいんだ。」
 風はふるっと首を横に振る。
「お気持ちはとても嬉しいのですが、貴方まで危険だと言われている事に向かう事はありませんわ。それに、私がセフィーロに向かうのは、フェリオの為です。光さんを巻き込むわけにはまいりません。」
 いつもは人と言い争いなどしない風も、きつい口調で光と対峙する。しかし光も自分を譲らなかった。
「私の我が儘で、何度も風ちゃんや海ちゃんに助けてもらったのに、こんな時に助けてあげられないなんて絶対いやだよ。行って何の役に立つのかって言われるとそうかもそれないけど、でも、一緒に行きたいんだ。」
 光は、半ば泣きそうな顔で風とクレフを見つめた。クレフは頷こうとはしない。
 風に助力を頼むことですら、抵抗を感じている彼に決断をすることは出来なかったし、風も自分の身すら危ういと聞かされている場所に親友を呼び込む理由にはいかなかった。
 困ったクレフの顔が海を見る。海は、その瞳を見つめて口を開いた。
「私も行くわ。」
 その言葉に光、風、クレフは一斉に海の方を見る。
「三人で行きましょう。」
「海ちゃん。」
「海さん。」
「風が大変な時に黙っていられるほど、私も光も出来た人間じゃないわよ。それに、クレフの様子だって私は心配だわ。どうなの、クレフ、私達三人を連れてセフィーロに行く事は出来ないの?」
 クレフはふっと溜息をつき、首を横に振った。
「困った者達だな…。」
しかし、クレフは微かに笑みを浮かべた。
「いや、あの危機を絆で乗り切ったお前達ならば、考えられた事だ。」
「じゃあ!」
 光が顔を上げると、クレフが頷く。
「先程も言ったが、人を…それも魔力を持たない異世界の人間を連れて飛んだ事は無い。しかし、その危険度は人数には関係ないだろう。」
「どういう事なの?」
「通常の飛び方はしないという事だ。私やフェリオが使っている方法は、自分を移動させる為だけのものだ。今からセフィーロとレイアースの間に…例えれば、扉のようなものを創って其処を通る。」
 クレフの説明に三人は顔を見合わせてクスリと笑う。
『何処でもドア』
 彼女達の脳裏にそんな言葉が浮かんだからだ。
「大丈夫だよ。クレフ。」
 そう言ったのは光。両手をすっと海や風の前に差し出した。頷いて彼女の手に二人は自分の手を重ねる。
「行きましょう。クレフ」
 綺麗な笑顔をみせたのは海。 「フェリオの為に…行かせて下さい。」  真摯な瞳をクレフに向けたのは風。
 クレフは頷くと、杖を持たない手を三人に差し出した。海と風はそれぞれの手をクレフの手の平に重ねた。
 それを見やって、クレフは杖を翳す。抱かれたオーブの輝きが増していく中、自分達の周りに風にようなもの…が生まれてくるのを光は感じていた。

あの時は、巻き込まれたのだ。
 光は思う。数年前に起こったあの出来事は自分で望んで(親友と別れたく無いという望みはあったとしても…だが。)そこに踏み入れたわけでは無かった。 しかし、今は違う。
 自ら望んで異世界へと向かう。それが、強さを抱いた蒼い瞳と無関係なのかと問われるとそれは違うのだろう。彼の強さが自分に更なるモノを与えてくれる。
そして、自分が向かう先、そこは彼の故郷に間違いないのだろうから。


content/ next