擬態の限界 「おや、フェリオじゃないですか?」 実習をジェオに任せたイーグルが、一休みにと向かった昼寝場所(ランティス愛用の木陰)を陣取っていたのは、フェリオだった。 如何にも機嫌が悪いと書かれた顔に、思わず吹き出したイーグルをフェリオが睨む。 「王子様はご機嫌斜めですね。」 「そんなこと…ないさ。」 頬付えをついたまま、プイと横を向く。外見と相応に見える仕草に、イーグルはクスリと笑った。 フェリオの外見は、その年齢と比例はしない。 心の強い人間が長寿となれる国がセフィーロだ。ランティスの年齢を聞いた時も驚いたが、クレフやフェリオの歳を聞いた時も流石に驚いたものだ。 それにしても、とイーグルは呟くとフェリオの横に腰を降ろした。背中を近づけても振り向こうとさえしないフェリオに、おやおやと声を上げる。 「僕に不満があるとは驚きました。一体なんですか?」 バッと振り返った顔は赤面していて、真ん丸になった琥珀の瞳が面白い。 自分の瞳も同じ様な色だとランティスが言っていたが、どうしてどうして、ここまで表情が豊かではないはずだとイーグルは思う。 勢いで振り返ったものの、続かない言葉に決まりが悪そうな視線は地に落とされた。 しかし、フウと吐息を吐くと上げた表情は笑っていた。 「…まあ、要するにただの嫉妬だ。」 「素直、ですね。」 イーグルの言葉には軽く鼻を指で掻く。 「仕方ないだろ、本当の事なんだからさ。 俺が我が侭ばかり言えば、フウが困るだろ? アイツを困らせるのは、好きじゃない。」 好きじゃないと告げて、しかしフェリオの表情は冴えない。 「でも、此処で拗ねているようなら、フウさんに聞いてみてはどうですか?」 あのな、と告げてからフェリオはイーグルの言葉を否定する。 「フウには聞いた。何とも思っていないと言っていたから、それを信じてる。だから、これは、ただの嫉妬。」 (うん)と頷く様子が普段のフェリオと違う気もしてイーグルは小首を傾げた。それでも、軽く息を吐くとふふと笑う。 「ランティスでしたら、僕の胸ぐらを掴み上げて、(あの兵士は何だ。どうしてヒカルにべったりなんだ)とかなんとか言ってくるでしょうけど?」 笑いが止まらない様子のイーグルに、フェリオは目を瞬かせてから眉を顰める。 「本当に知っていて来たんだな。少し意地が悪いぞイーグル。」 「私も司令官ですのでね、軍の動向位は把握しておきませんと…。でも、此処で貴方にお会いしたのは偶然ですよ。」 どうだか、とフェリオは独り言を零す。 「ランティスが貴方の心配しているらしいのはわかりますが、私もそこまで暇ではないですよ。」 「…昼寝をする暇はあっても、か?」 「これは一本取られましたね、フェリオ。」 明らかな苦笑いをするイーグルを見遣り、フェリオはゆっくりと立ち上がる。視線の先には、魔法騎士三人娘とオートザムの兵士達が見えた。 木漏れ日が降り注ぐ庭。笑い合う少女達の姿は華やかで、若い兵士達の雰囲気も心なしか和んで見える。そして、彼女達は海が作って来たお菓子を皆にお裾分けしているようだった。 赤面しながら受け取っている者。恐縮している者。ついでに自分をアピールしている者。様々な反応をみせている若者達から僅かに外れ、兵士がひとり、ジッと彼女たちを見つめている。 笑みを浮かべ、口元を綻ばせている様子は穏やかだ。時折手にした包みに視線を落として、再び戻す。眼差しは真っ直ぐにフウに向けられていた。 それでも、近付く訳でもなく、彼女と視線があっても笑みを返すだけで特別な行動は見受けられない。 イーグルは暫く眺め、そしてフェリオへと視線を戻す。 彼が何か自分に言いたいのだろうと察して、フェリオはしかし先に口を開いた。 「言い寄ったり、フウの嫌がる事をしている訳じゃないんだ。」 それでもと言葉を続ける。 「…俺は、アイツの目が気に入らない。」 フェリオはきっぱりと告げ、足早に彼女の元へと向かう。一部始終を確認し、イーグルもその鋭い瞳を細めた。 彼がここまで警戒するのは珍しいとさえ言える。 恋仇にもなろうという人物なのだから敵対心があるのは普通だろうが、元々人当たりも良いフェリオにしては少々妙な話だ。 イーグルはくつろいでいる様で背を幹に押し付ける。そうして、目の前の光景を追った。 柔らかな笑みを浮かべ、談笑するフェリオと風。そして、変わらずに見つめる兵士。彼の視線は先程よりも熱を増しているようにも、イーグルには見えた。 しかし、それは酷く不自然に思える。 兵士のパーソナルデータは司令官として把握している。 成績は極めて優秀。訓練にも真面目に取り組む。生真面目過ぎて、少々人付き合いが得意でないらしいが、上層部からも高い評価が加えられていた。 尤も、そんな事が実戦で役に立たないのをイーグルはよく知っている。 愛想がなかろうと、私事に走ろうと…。 「…俺も気にいらんな…。」 思い浮かべた途端に木陰から姿を見せた優秀な友人に、イーグルはニコリと笑顔を浮かべる。しかし、ランティスは不機嫌そうに顔を歪めたまま。 「大事な女の横に邪な視線を送りつける奴がいるとしたら我慢できん。」 ジロリと睨むランティスの視線を受け、イーグルは目を丸くした。そして、腹を抱えて笑い出す。 ランティスがフェリオを気に掛けていたのは知っていたけれど、管理不行届以外の火の粉が飛んでくるとは思っていなかったのだ。 ランティスはヒカルが自分も一緒に結婚したいと告げた事に、今でも相当拘っているようだ。そして、自分達と彼等を重ねて腹を立てている。 気付いたイーグルは笑いが止まらなくなっていた。 「結婚のお相手に選んで頂き光栄ですが、ヒカルは僕にとっての恩人です。恋愛感覚で計って頂いても困りますよ。」 涙目でランティスを見上げ、さも可笑しいと言わんばかりに笑う。ランティスの三白眼と眉間に刻まれた皺はすごみを増していく。 「ですから、僕はヒカルを邪な目でなんて見ているはずがないでしょう?敬愛に満ちた澄み切った瞳で彼女を見ているはずですよ。」 さあ、確かめて下さいと笑顔を近づけてやれば、そっぽを向いた。 「…そういう事ではない。」 しかしイーグルは首を横に振ると、幹に寄りかかる姿勢へと戻した。 「ランティス。貴方の言いたい事はわかりますが、恋愛は個人の自由ですからね。」 「そうか。」 互いを親友と呼び合う相手。イーグルもまた一度言い出せば引かない性格なのは周知の上だ。ランティスは息をひとつ吐くと、纏を翻す。 向かう方向は華やかな集団だ。 調度、風がティーポットを手に城へと戻って行くところだった。ランティスは、場に残っているフェリオを追い越すように集団を抜けて、城内へと向かっていく。 それを見送り、イーグルは再度兵士の視線を追ってから目を閉じた。 …俺は、アイツの目が気に入らない。 フェリオの台詞は、あからさまに不愉快だと言っている。胸中に生まれた疑問が、イーグルの独り言となった。 「傍観を決め込む訳にもいかないようですね。」 ◆ ◆ ◆ 「魔法騎士」 そう告げられ、風は周囲を見回した。 深い声はランティスのものだ。彼は(ヒカル)という名前こそ直ぐに覚えてしまったものの、風と海に関してはどうにも覚え辛いらしく(海に言わせると『覚える気がないのよ!』だそうだが)、呼び名はいつも(魔法騎士)だ。 周囲に海の姿がないのだから、此処は自分を呼んでいるのだろうと風は微笑みながら振り返る。案の定、無表情なランティスが立っていた。 「私は鳳凰寺風ですわ。風と呼んで下さい。」 そう告げると、すまないと小声で呟いた。そんなところは、とても正直な方だと風は思う。海の言うような(意地悪)ではなく、彼にとって本当に難しい名前なのかもしれない。 「私に何か御用でしょうか?光さんはまだ、あちらに残っていらしゃいますけれど。」 風はランティスが一番良くする質問を想定して、庭園を指さした。 彼女達は兵士達と談笑をしていて、お茶のお代わりをする為にこうして城内へ戻って来たのだ。 けれど、ランティスは首を横に振った。 「お前に聞きたい事がある。」 (どんな事でしょうか?)と返す前に、(お前は王子をどう想っている)と続き、風は正直、面食らう。率直と言えば聞こえがいいけれど、あまりにも直球すぎる質問だ。 キョトンとしてしまい、けれどクスリと微笑む。 「フェリオはとても大切な方ですわ。」 ニコニコと微笑む風とランティスの見つめ合いは暫く続き、そうしてポツリと声が漏れる。 「…ならいい。」 「はい。ご心配をお掛けして申し訳ありません。」 軽く一礼して顔を上げれば、ついぞ見せない笑みなどという代物を顔に浮かべたランティスと目が合った。 「フウか、呼び捨てにしたら王子が怒るか。」 「そんなことありません。 クレフさんも、イーグルさんも皆さん呼んでくださいますもの。ランティスさんも、お気軽に呼んで下さいね。」 ふふっと笑う風に、ランティスも笑み返す。 けれど、和やかな雰囲気は陶器を床に叩き付ける音で一変する。見れば、先程庭園にいたはずの兵士が身体を震わせている。床に散らばった、欠片は庭園でのお茶会で使用していたカップや皿のようだった。 片付けるつもりで、此処まで運んで来たのだろう。 「な、何をしてるんだ!!」 温厚な様子で佇んでいた兵士が、怒りを露わにしてランティスと風の間に割って入る。自分よりも遥に上背のある相手に対して、けれど怯もうとはしなかった。 ランティスを睨み上げ、風を背に庇う。 「彼女に近付くな!」 「待ってください!」 好戦的な兵士に、風が慌てて声を掛ける。憤りを隠そうともせず、兵士は風を振り返った。ランティスは怪訝な表情で目を眇めたけれど、組んだままの腕を解こうと市内様子に、風は安堵の息を吐く。 その様子に、兵士は再び息を上げた。 「大丈夫ですか?」 「貴方は何か勘違いをなさっていらっしゃいますわ。ランティスと私はただお話をしていただけです。」 え?と一瞬だけ眉を顰めたものの、兵士は再びランティスに向き直る。何を言葉にする訳では無かったけれど怒りの表情を崩さない兵士に、風は異常を感じた。 「何もありませんわ。貴方は…。」 流石に注意しなければと口を開いた風を押し留め、兵士は真剣な眼差しを彼女に向ける。 「貴方は僕が守ります。ですが、軽率に言葉を交わしてはいけませんよ。」 「一体貴方は何を仰っているのですか?」 言動のおかしい兵士に、風は声を荒くする。しかし、彼は風の両肩に手を置いた。指先にかかる力の強さに風は眉をしかめる。彼女の携えていたポットもまた床に落ちて、大きな音を立てた。 content/ next |