※一応レイアース。

下界が滅びたら我々は楽園を築こう


 敢えて言うのなら、最初から四月一日には予感があった。

「うわ、其処等中水浸しじゃねぇか…。」

 これでは部屋中の家具やら襖やらを拭き取っていかなければ、湿気が酷過ぎる。放置すれば、カビが蔓延ってしまうだろう。幾ら風通しの良い日本家屋だとて放置するのは不味い。
 不作法な客は、戸を閉めるという事すらしなかったようだと、深く後悔の息を吐く。
 雨戸と縁側がしみる程に濡れ、着物の裾からはみ出た四月一日の素足に震えがくるほど冷え込んでいた。
 草木も朝露を纏い、風景は白い霞の先だ。
 遠くの高層ビルに並んだ窓が眩しく反射し、暖かな空気を運んでくるするまでにはもう暫くの時間が必要だろう。
 そうして四月一日は、視線を室内へ戻す。開け放たれた室内に人気は無い。土足で上がり込んでいた男はいつの間にか消えていた。

 現れた時から、予感はあったのだ。
 
 戸惑いや困惑を多く混ぜ込んだフェリオの瞳、その意味を知ることも無かった。進んで何かを指し示した覚えもなく、対価を貰うこともなかった。
 彼はただこの屋敷に来て、去って行った。ただ、すれ違うだけの出会い。
 因縁に絡め取られたような毎日の中で、ある意味新鮮な出会いだったのかもしれないと四月一日は思う。
 理由を知る事もなく、屋敷を通り過ぎた人間がいたのだと告げれば、もう一人に自分なら、何と応じてくれるのだろうか。興味が湧いたと言えば、そんなところだった。
 四月一日が、己が選んだ道しか歩く事が出来ないように、もう一人に自分が全く違う選択をしたように、フェリオは彼の前にある道を進んで行くしかないのだろう。
 何らかの結論が現れる時まで、ただ進むのだと、それを運命と呼ぶような気がした。
 出あうというだけの関わりしか持たなかった自分が出来うる事は、彼が結論にたどり着くか、自らの望みに気付けば良いなと、願う事だけだった。

 ◆ ◆ ◆

 泣き疲れた。

 フウを失い、大地が崩壊した時ですら出なかった涙は、身体の中に溜まっていたらしかった。中から全ての水分を絞り出していく仕草は、思っていた以上に重労働で。フェリオは身体を畳に横に倒して、膨張しているのではないかと思えるほど熱い目と、ヒリヒリと痛む喉を持て余していた。
 どれほどに出しても終わらない。
 辟易するほどに泣きつくし、 そうして幼い頃はよく泣いていたと思い出した。
 柱に選ばれる程に心が強くしっかりした姉が常に側にいてくれたせいか、両親が良く自分を見ていてくれたのか、不安を感じると自然に涙が溢れていた。
 無防備に胸の中に溜まった何かを全て吐き出す事が出来てきっと俺は楽になっていたのだ。
いつも、周囲の人に助けられ、俺は生きてきた。
 失っていく人々がいて、敬愛する姉と愛おしい女すら失って、何故俺は生きているのだろうか。
 取り留めのない想いに囚われそうになった時、ヒタヒタと足音が聞こえた。
足音というには軽やかで、飛び跳ねつつ近づいてくるという表現が相応しい。それでも、確実に近づいてくるのが感じられた。
 危機感のようなものはなく、ただぼんやりと迎える。
 夜の闇に溶ける小さな生き物。キラキラと輝いて見えるのは、耳に付けられている装飾品だろうか、霞んだ目には輪郭線すら怪しい。
 けれど、認識出来た途端目を見開いた。

「モコナ…?!」

 丸い胴体に申し訳程度の手足、なのに耳だけは不似合に長い。愛嬌のある造作を持った顔は、創造主として対峙した時と違い、瞼が閉じられていた。
 咄嗟に思い出したのは、クレフの言葉だ。
「俺はお前に伝えたい事…!」
 そこで、ゆるく動き出していた思考が疑問符を伝えてくる。
モコナの体毛は白ではなかったか?それに、心なしか小ぶりになっているような…。

「モコナモドキ!」

 メキョっという擬音と共に、小ぶりな生き物はフェリオに飛び掛かる。創造主の時も思っていたが、何かとても良く弾む素材で出来ているのだろうか、短い脚に比例しない跳躍力だった。
 奇妙な事しか浮かばなかったのは、危機回避能力が皆無になっていたからだろう。小ぶりだった動物の影は、一気に膨らむ。
 弾む素材ではなく、膨張する素材なのだろうか。
恐らく、それも可笑しな思考の一部だったはずで、避けるなり逃げだすなりするべきだったのだろう。
 意識を失う直前の記憶は、夜の闇よりも遥かに昏い空間が自分を飲み込む光景だった。
 
◆ ◆ ◆

 夢を見た。

 いや、夢だったのだろうか?
そこは見慣れない廊下だった。俺はアスコットとのんびり話をしていて、内容はよく覚えていなかったが、他愛もない日々の出来事だったような気がした。
 差し込む光よりも一瞬廊下が輝くと、自分ああと振り返った。

「こんにちは」
 
 アスコットの弾む声が響く。
ふふっと微笑むウミの姿が見えた。その向こうに、ヒカルとフウの姿もある。
「じゃーん。」と手にした籠を頭上に掲げて、ウミも声を張った。
「ケーキを焼いてきました!」
 満面の笑みを浮かべての高らかな宣言に、アスコットの雰囲気が明らかに高まるのがわかる。
 ああ、アスコットは本当にウミが好きなんだと思う。
ふたりが交わす会話に言葉を挟む。視線は、フウに向けてしまうのはご愛敬だろう。
「ちょうどいい、今日はオートザム、チゼータ、ファーレンの人たちもそろってる。」
 お茶の支度をすると言うウミとアスコットに、フウが(私も)と声を掛けた。
 フウは、召喚された時の服ともファーレンで見た時の恰好とも違う、ふわりとしたワンピースを着ていて、とても可愛らしい。
 ふたりで大丈夫だと言うウミとアスコットは厨房へ、ヒカルは先にイーグルに逢ってくると走り去って行った。

「平和ですね。」

 フウが微笑む。
なんて夢だろうと、頭の片隅で考えているのがわかった。
 ウミもヒカルもいて、アスコットも笑っていた。三国と親しく付き合いながら、イーグルも生きている。

 そして、フウがいた。

「幸せは、誰かひとりで作れるものではありませんわ。」

 そうだ、ひとりで何か出来る。お前がいてくれて、それで俺は幸せになれるのだろう。
 
 俺の幸せはお前が…。

 口にしようとした言葉は、宙に消えた。


「…大丈夫ですか?」

 焦った声に、うっすらと目を開けた。
固くも無く、柔らかくもない床に背に寝転がっているようで、少し身体が痛く感じた。

「な、んだ?」

 咄嗟に記憶を呼び戻す事が出来ず、状況がわからない。
心配そうに眉尻を下げて覗き込んでくる少年の顔に見覚えは無かった。
 薄茶色の髪と瞳。整った顔立ちであるのだろうが、幼い印象が勝つ。それでも、瞳からは強い心を感じる事が出来た。

「フェリオ…さんですよね?」
「ああ、」
 何故に見知らぬ少年が自分の名前を知っているのか、を問いただす気にはならなかった。
 自分の預かり知らぬ世界が確かにある事を再認識させられたからだろう。フェリオは、片手で身体を支えながら身体を起こす。
「此処は、あいつの胃袋か…?」
「胃袋?」
 黒いモコナもどきに飲み込まれた事を思い出してそう尋ねれば、少年はコトンと首を傾げる。そんな仕草もどこか幼さを感じた。
「違うの、…え?」
「え?」
 少年に肩に乗っている白い生物に息を飲んだ。
 長い耳とふわりとした身体から申し訳程度についた手足。赤い宝玉の下にある細い目は閉じられ口元は左右に軽く持ち上がっている。
「モコナ…?」
 フェリオの言葉を聞いた途端、それは高速で耳を振りまわした。

「モコナモドキ…!!!!!」
 
 どこかで聞いた言葉を繰り返し、それは少年の肩からフェリオに飛び移る。
「うわぁあ!!!!」
 また飲み込まれるかと両手で身体をガードしたフェリオの頭に着地すると、その
生物は胸を張った。
「でも、モコナなの…!」
「なの??」
「貴方はモコナを知っているんですね。」
 少年は、ふっと息を吐くと躊躇い勝ちに笑みを浮かべる。
「ああ、多分これ…ではないと思うが…。」
 自分の知っているモコナは創造主であり、正体を現すまで(ぷうぷう)と鳴いていた。流暢に言語を操るのは、あの審判の時だけだ。

「此処がどこかわかりますか?」

 少年の問い掛けに、フェリオは首を横に振る。
「願いを叶える店、という場所にいたはずだったのが、気付くと此処にいた。お前達は?」
 少年の後ろにふたり、人の姿がある。片方は金色の髪の優男、もう一人は黒髪の男で剣呑な気配は言葉を交わさないフェリオにも容易く感じる事が出来た。
 へらへらと笑う男も瞳は強い。

「俺達は次元を旅していて、此処は次元の狭間だと思います。
 おれも一度だけ、来た事があります。」
 少年は言葉を途切れさせ、瞳を揺らす。
何か大切な思い出がある場所なのだろうかとフェリオは思う。次を急かさず、彼の言葉を待っていれば、背後にいた男が(おい)と唸り声を上げた。

「なんで此処にいるんだ。」

 男の問い掛けが理解出来ずに、フェリオは目を瞬かせる。
「すまん。俺はお前の言っていることがわからない。」
 フェリオの言葉に、男は苛立ちを募らせたのがわかる。そうして、横にいた優男が男の頭をスリスリとあやすように撫でる。
「黒たん、彼は違う(フェリオくん)だよ?」
「わかってる…。」
 むっとした表情を崩さず、彼は唸り声を上げた。
 ふっと表情を崩した少年が困ったような笑みを浮かべてから、フェリオに向き直った。
  
「僕たちは次元を旅していて、その、別の貴方がいた国にも寄ったんですが…戦死して逢えなかったので…。」
「別の世界の俺?」
「店に行ったんですよね? 説明はなかったのですか? 次元の魔女はいなくても、彼がいたと思うのですが…。」
「いや、俺はどうも、イレギュラーらしい、。」
 フェリオの答えも歯切れの悪いものになる。何を望んであの場に向かった訳ではない。多分、情報が不足しているはずだ。

 少年は(小狼)と名乗り、背後の男達も含めて軽い紹介をしてから、自分達の知識をフェリオに語ってくれた。

 世界は、東京とセフィーロだけではなく、それを含めて存在し、そこには自分と同じ姿形を持った人が暮らしているそうだ。ただ、それは別の存在であり直接の繋がりは無く、次元を渡らなければ出会う事も無い。
 フォレストという国で逢った(自分)はその国の王女と結婚し、戦役で命を落としたそうだ。女王となった女性の悲嘆に、黒鋼が怒りを覚えてると教えて貰った。
 自分には預かり知らぬ事だったが、確かに(大切な人を守る為)自分を軽々しく扱う傾向はあると自覚はあった。残された者の辛さを鑑みないのは(姉)も同じだったのかもしれないけれど、そんな思慮深さではないだろう。守りたいという衝動のまま行動したのだ。

 ただ、愛する人を残し自分が先に逝く可能性に、初めて気付いた。
〜To Be Continued



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