※一応レイアース。

下界が滅びたら我々は楽園を築こう


 陽光に照らされた通りに比べて、路地の奥は薄暗い。建物が濃い影を伸ばし、全てを黒く染めていた。それでも、明暗の道を行く小さな人影を見つける。
「アスコット…!おい、アスコット!!」
 フェリオは名を呼んで、脚を早めた。
 なのに、追いつかない。
 人々の喧騒が遠のいていく不可思議な感覚は、けれどフェリオの行動に拍車を掛ける事はあっても、留める要因には成り得なかった。
 走っても、走っても届かない背中に腕を伸ばして叫ぶ。

「待ってくれ、アスコット!!」

 叫んだ声で、息が切れる。
運動不足も甚だしい。前のめりになった状態で両腕を膝につく。ハァハァと忙しい呼吸が耳に五月蠅かった。
 ポタリと拭う汗を手の甲で拭き、顔を上げた。

「アスコット…!!」

 渾身の叫びに、振り返る顔があった。
しかし、フェリオを見遣る怪訝は表情は、アスコットのものでは無い。
「ねぇあの人、誰もいないのに呼んでない?」
「シッ、目を合わせちゃ駄目だって、」
 可愛らしい顔をあからさまに歪め、少女は友人を窘めた。
「ちょっとイケテルのに、残念〜。」
 そそくさと、フェリオの視線から逃げるように彼女達は立ち去って行く。

 此処の住人に、アスコットの姿は見えていないのだ。

 フェリオは思ってもいない事実に始めて気付いた。
幻覚を見ているのだろうか。そう言えば、アスコットと別れてから随分と時間も経っている。幾度か逢う機会もあったのだろうが、敢えて避けて来たような気もした。
 セフィーロの暮らしの中で、アスコットは気の置けない友人のようでもあり、弟のようでもあった。少しばかりの緊張を強いられるランティスや導師とは違い、気安い存在。さして心が強くもない自分は今の状況から逃れたいと、安易な安らぎを求めてしまっているのだろうか?
 だからこそ、他の誰にも見えずに声すら届かない。

「どこまで俺は…。」

 思わず呟いた声に返事など期待してはいなかった。けれど、耳に届く声は懐かしくフェリオの内側に響く。

『フェリオ…?』
 気付くと、アスコットは足元に佇んでいた。そうして、不思議そうに小首を傾げる。
『随分背が伸びたね…夢だからかな?』
「お前が小さくなってんだよ。」
 フェリオが呟く、吐き捨てるような言葉の意味をアスコットは理解していない様子だった。何を言っているのだと告げるように、眉を寄せる。
「わからないのか?」
『何が?』
 畳みかけるフェリオの言葉は、アスコットをただ苛立たせる。
『わけがわからない事を言ってるのは、フェリオの方じゃないか、僕は忙しいんだ。』
 何が忙しいのかと問い掛ける前に、アスコットは呟いた。
 
『ウミがいないんだ。』
 
 フェリオはその瞬間息を飲む。
「ウミはもういない…だろ?」
『そんなはず、ない。ウミは強くて優しいんだ。いなくなんてならない。』
「…。」
 無意識に伸ばしたフェリオの指先は、なんの質量を感じる事なくすり抜ける。
これは魔法の力なのか、強い意志の賜物なのか。
 それとも本当に俺が生みだした幻覚なのか?

 幼いアスコットはウミを捜し歩いている。

 事実としても馬鹿げた話しだけれど、幻覚だとすれば自分は一体何を望んでいるのだろうかと思った。現実を逃れた幻の中でさえ、自分達が失った魔法騎士を捜し求めているなんてあまりにも辛すぎる。
 幻覚ならば、もっと本当に夢のようでありさえすればいいはずだ。

「お前は一体どこにいるんだ…? チゼータで暮らしているんじゃないのか?」
 掛けた声は、きっと縋るような響きを持っていたはずだった。
 彼女達が消えて、少しづつ壊れていた何かが此処数日でいっきに崩れ出したようだ。
 
『チゼータ?』
 けれど、アスコットの声が怪訝そのもので、一体何を言っているのだとその目が語る。
「アスコット…。」
 フェリオは道路に膝を落とす。
 彼に(それが本当にアスコットだとするのなら)抱きつきたかった。
 そうだよな。と同意したかったのだ。
 セフィーロは消えてなどなくて、魔法騎士達は亡くなってなどいないんだ。そうだな、一体どこへ行ったんだろうなと笑ってやりたかった。
 幻ならば、それが出来るのではないかと思ってみたものの、それほど器用な人間ではないのだとわかる。いや、寧ろ、言い過ぎてきたのだろうか。だからこそ、もう言葉を取り繕う事も出来なくなってしまったのだろうか。
 崩壊を始めてから、何の保障も無いくせに、大丈夫だとセフィーロの民に告げて来たのは、紛れもない自分自身ではないか。現実から目を背け続けた自分に、これ以上何が残っている。

『フェリオ、本当にどうしたの?』
「…どうしたんだろな…?」
 力なく笑みを浮かべて、フェリオはもう一度アスコットに手を伸ばした。
何かを期待してというよりは、無意識に伸びていたものだったけれど先程とは違い、掌に触れる。
「え…?」
 ふわりとしたアスコットの髪。
懐かしい感覚に意識がぶれた瞬間、目の前の景色は一変していた。

 見たこともない景色。
砂色を多く使用した壁や扉の色にも係わらず、目に飛び込んでくる衣装は酷く鮮やかな色彩だった。艶めかしい肢体を露出させて、誰かが視界に降りてくる。
「なんで、なんで目覚まさへんのや。」
 ホゥと溜息と共に吐き出される声に聞き覚えがある。奇妙なイントネーションといい間違いないのだろうが、どういう事か視線が固定されていて動かす事が出来ないのだ。
「なんでや…。」
 弱々しい声色が、常に陽気で明るさが取り柄だったはずの彼女とは思えない。小さな水音が続き、声を噛み殺している嗚咽が聞こえる。
 けれど、ふいに何かが倒れる様な乱暴な音が響いた。
カツカツという靴音も苛立ちを含んで荒れているようで、酷く耳障りな音だった。軽やかな、まさしく踊る様な仕草は微塵も感じられない。

「待ちや!何処行くつもりや、ラファーガ!!」
「修行だ。」
「修行、修行って、一文の徳にもならへんこと…!」
 勢いのままに出た言葉を、カルディナが一瞬飲み込む。それでも、怒りは納まってはいないようだった。
「アンタは病気のアスコットを放りだして、行方不明になるつもりか!」
「手は尽くしたのだろう。それこそ、私が付いていようと一文の徳にもならないはずだ。」
 低く抑揚のない声に感情は見えない。それとは対称的に、カルディナの苛立ちは聞こえるはずもないのにしっかりと伝わってくる。
「それに、私は元々こんな事しか出来ない男だ。お前のように商売の才が有るわけでも、愛想が良い訳でもない。私がお前達にしてやれるのはこんな事しかない。」
「っ…アンタ逃げてるだけやないの!そないな言い訳もういらへん!」
 
 一瞬の沈黙。続いたのはラファーガの声だった。
「…では見捨ててくれ。」
 罵声と喧騒がいつまでも続く。

 もう、止めてくれ…!

 両手でもって耳を押さえ、フェリオは頭を振り払う。
幻覚のような景色も、生々しい声も消えてなくなったのは幸いだった。ずっとあんな諍いを聞かされていたら…。
 唇を噛みしめ、アスコットを見る。彼は幼い姿のまキョトンとフェリオを見返していた。掛ける言葉を失い、フェリオはもう一度唇を噛みしめる。
 
『そうか、僕は…。』
 ポツリと呟く声に、フェリオは眉を寄せる。

『ウミを探してこんな所まで来ちゃったのか。』

 スゥとアスコットの身体は幼子のものから青年へと姿を変えた。フェリオの姿を認めると微かに笑みを浮かべる。
「わかるのか…?その、俺や、此処がどこなのか、を。」
『うん。』
 そうして、アスコットは悲しそうに唇を持ち上げる。 
『ウミに逢いたいなぁ…。』
 
『一緒に果実をとったんだよ。友達と一緒にさ、確かフェリオも見てたよね。
ウミは果物が大好きって言ってたんだけど、僕は大好きって言葉にどきどきしちゃって、すごく困って嬉しかったんだ。』

『どうして、こんなことになっちゃったのかな?』

『僕、何か悪い事したのかな?…確かに、悪いこといっぱいしたよな…。』

「アスコット…!」

 細く響く言葉を遮るように、フェリオは声を上げた。
振り返ったアスコットの顔を見たところで、声の掛けようもなかったが、引き留めたいと願った。

「俺じゃ駄目か? 
 俺なら一緒にいてやるから…代わりなんて誰にもなれはしないが、それでもひとりよりましだろ、な?」
 フェリオの言葉に、アスコットはくしゃりと顔を歪める。

『相変わらず、フェリオは優しいね。』
 唇を軽く歯で潰すようにして口端を上げた。
『自分だってフウの事を凄く気に病んでいたくせに、僕達の事ばっかり気にしてさ。』
 クスクスッと笑う声に力はない。俯いた顔に置いた掌は目尻に浮かんだ涙を拭いていた。それでも、上げる顔は笑みを浮かべる。
『でも戻れないんだ。ちょっと、遠くに来すぎた。』

『離れすぎたみたい。』

『ごめんね。』
 見慣れた優しい笑顔を残して、アスコットの影は消えていた。

 ◆ ◆ ◆
 
 夕餉の時刻など、とっくに過ぎていたはずだ。
何処をどう歩いたものか、気付けば屋敷に辿りついていた。馬鹿でかい建物の間に巡らされた壁は、フェリオを内部へと放り込む。
 おぼつかない庭を横切り、縁側に倒れ込めばゆらりと紫煙が宙に散った。

「…知って、いたのか…?」

 キセルの煙を燻らす四月一日は、首を横に振った。
 全ての出来事は必然でも、全ての事柄を知っている訳ではない。ただ、繋がっているだけなのだ。始まりと結果はぐるぐるといつまでも回っている。

「なんで、こんな…俺は、どうすればいいんだよ…。」
 吐き出す言葉がいちいち喉に詰まった。
だから何なのだ。こんな場所でアスコットに逢ったから何なのだ。クレフに託された願いが何だというのだ。セフィーロが消えた事。魔法騎士がいなくなった事。
 それが、一体なんだというのだ。
俺は何を望まれ、何をすればいいというのだ。
 見知った者が消え、愛しい者がいなくなる。胸を剔る痛みさえ、どこから来ているかすらわからないのに。
 
「好きにすればいい…此処は、」

 願いを叶える店

 ポツリと呟く四月一日の言葉に応えるように、涙がこぼれ落ちる。喉まで出かかった嗚咽は、何とかこらえた。
 ぐっと唇を噛みしめながら、ただ涙を零す。
 悲しみだの、苦しみだのと言葉を並べてみたところで、行きつくものは何もない。明確ではなく、明確である必要すらなくただ泣いた。

 願いなどなかった。
 姉や、ザガートの様に確かなものなど持ってはいない。それは、イーグルや、ランティスの様にと言い換える事も出来て、全ては心の弱さなのだと思っていた。
 だが、そんな事にすら意味がないのだとしたら、生きるという事自体に意味がないものだとしても、それでも存在している己はなんなのだろうか。
 願いもなく、望みもなくそれでも此処にいるのは自分だ。
ボタボタと醜く跡を残す涙は、確かな証。
 決して美しくもなく、畳みに黒く沁みていく液体の材料は定かですらないのに、それは眼から落ちるのだ。
 何度も何度も、息が詰まり。頭の芯が痺れた。


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