※一応レイアース。

下界が滅びたら我々は楽園を築こう


「…で、いるって事か。」
 買い物袋を両手に下げて、腕には少女ふたりをぶら下げた百目鬼は縁側に向かい顎で示した。
 此処では見ない奇妙な衣装の少年がぼんやりと庭を眺めている。
同じ様で視線を送ってから、四月一日はこくりと頷いた。
「此処は願いを叶える館。アイツが入れたって事は、本当は何かあるんだろうが、どうも俺には見えない。」
「お前でも見えない、か。」
 興味なさげに目を反らし、百目鬼は袋を四月一日に示した。
ご飯、ご飯とはしゃぐ少女達を押しのけて、中を確認していた四月一日は大きく眉を歪める。

「酒がない」
 
 上げた顔には、不満の表情が乗っていた。

「一番大事な酒が、ない。」
「…。」
「酒が、…成る程、そういう事か。」
 普段抜け目無い百目鬼が、うっかり(一番必要な酒)だけを買い忘れるはずがない。其処にある意図が感じられた。
 誰かが、この屋敷から外へ出る必要があるのだろう。それは、屋敷から出られない自分ではなく、一度は外にいて、帰って来た百目鬼でもない。

 おい、居候。

「酒買って来い。」
 振り返った顔に告げれば、一瞬眉間に皺を寄せた。
嫌だと言うのだろうと思った四月一日は、返された言葉に拍子抜けする。

「貨幣が無い。」

 途端、百目鬼が預かっていた財布をフェリオに向かって放った。
「きっちり残っているはずだ。」
 百目鬼とて、四月一日から電話で指示された商品を確認して買って来たはずだった。なのに、それだけが無い。残されたメモを垣間見ても、確かにそれは記されていて。見落としたと言えばそれまでだけれど、今まで見てきたモノや事を思えば、偶然などは有り得ないだろう。
「…わかった。」
 取り立てて反抗する事もなく、けれど積極性も見せずにフェリオは立ち上がる。ゆっくりとした足取りで向かうのは、百目鬼のいる場所。
 けれど、彼に用事がある訳ではなく、百目鬼が来た方向へ行けば屋敷から出られるのだろうという考えだった。
 横を通り過ぎようとして、襟首を掴まれ、留められる。
「…何?」
「そのままで出るつもりか?」
 何が悪いのかと問うフェリオの表情に、百目鬼はムッとしたまま立ち上がった。襟首を掴んだまま、隣りの襖を開ける。
「お前の服を借りるぞ。」
「どうぞ。」
 キセルをポンと叩いて灰を落とし、再び締められた襖を見遣った。必要もないのに、捨てなかった服は…四月一日は、キセルに詰めようと煙草を指で弄り唇に弧を写す。

 侑子さん。

 こうして、何事が起きる度、自分は彼女の面影を見る。彼女の影をひとつひとつ追い続ければ、自分は追いつく事が出来るのだろうか?
 全てと言っても過言ではない、先を見越していた彼女は、本当ならば自分の願いや想い宛のメッセージが残されても可笑しくはないだろうけれど、見つける事は出来ていなかった。

 何も見つける事が出来ず、動けないのだとフェリオは言った。

 此処で(侑子さん)を待つ事が、果たして彼女の望みなのだろうか? 本当は、自分に別の道を選んで欲しかったのだろうか?
 堂々巡りの問いに答えるものなどいない。答えは、己が見つめて望む。希望はその時始めて生まれるものだ。
 ◆ ◆ ◆

 貨幣と地図を持たされ追い出された街は、人々が行き交う豊かな場所だった。
石で作られた高層の街は煌びやかな灯りに包まれている。構造はオートザムの街に似たものがあった。
 けれど、圧倒的に違うのは空がある事だ。
 在りし日のセフィーロほど美しいものでは無かったが、青い空と輝く太陽はフェリオの目を引いた。オートザムに移ってのち、空など見たことが無い。大気が汚染され、密閉された都市もまた、死に向かって進んでいるような仄暗さを感じるところだった。
 
 その光の中で、人々が笑いながら、フェリオの横を過ぎていく。様々な衣装を身に纏った女達は街に花を添えているようだ。
よく見れば、(魔法騎士)達が着ていたものと良く似た服装の者達もいた。防具や剣は携えないのだと告げていた事を思い返し、確かに似ていると感じる。
 眩しいものでも見るように、フェリオは瞳を細めた。そうして、意図もせず、視線が彷徨うのに気付き、苦笑する。
 
 どの女も、全て彼女の面影を持っている。いないのは、彼女自身。

 馬鹿馬鹿しいと我ながら一蹴した。
 だからこそ、求めて一時の快楽を貪った事もあったし、戯れに身を任せた事もあった。岩の模様にさえ、面影を求めるほど人は人を欲しがる。
 傷を舐め逢うような哀れな関係だったのだと今では思えた。無償に、生きた人間−他人の-温もりを求めていた事だけだ。
 けれど、結局は何一つ変わらない。
間違っていると感じる空虚さを埋めるものなど、手に入る事は無かった。

「えっと、酒だったな…。」
 ふいに思い出し、取り敢えずはお使いをするかとフェリオはポケットから地図を取り出した。
どうせ字など読めはしないのだ。雰囲気で道路と絵を当てはめて見る。何となくこっちだろうかと、見当をつけて再び歩き出した。 
 遅いとキーキー叫ぶ少年の姿が想い浮かんだけれど、不慣れな俺なんかを出すからだと舌を出す。
 そして、もう一度周囲を見回し、フェリオは息を飲んだ。
 屋根がつくる影の中に白い後ろ姿が揺れていた。ふらふらとおぼつかない様子が見知った背中によく似ている。

 けれど、そこには二重の疑問が湧く。彼だとしたら、何故こんな場所に、そしてどうしてそんな姿に…。

 早くもない速度で遠ざかっていく相手をただ見送り、ハッと我に還る。いつの間にか消えてしまった小さな背中を追った。


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