※一応レイアース。

下界が滅びたら我々は楽園を築こう


 薄暗い筒状の空間が続いている。
 先に見える灯を指針にフェリオは歩き続けた。
生温かい空気の流れが、執拗に身体にまとわりつく感覚はどうにも薄気味の悪いものでもあり、足を進める早さは心なしか早さを増す。
 それでも、何処へ繋がっているのか(次元の魔女とやらいう人物がいる場所なのだろうが)見当もつない。それに加えて、目に見える出口への距離が歩く距離と同じとは感じられなかった。
 足を踏み入れた当初は、そのうち着くだろうという気持ちもあり、取り留めもない事を考えながらただ足を前に出していた。
 けれど、ふと気付いたのだ。出口が一向に自分に近付いて来ない事に。疲労ではなく、憔悴に似た気持ちが沸き上がり流れ落ちない汗を拭くように、顔を手で撫でてみる。
 己の形が危ういとでも思ってるのか、確かな手触りに安堵した。

「…どういう事だ、…やはり…。」

 強い魔法を持つ者でないと無理なのではないか。強く感じた危惧と共に振り返る。
自分にはやはり無理なのだ。もっと魔力の強い…ランティスに。

「…っ!?」

 けれど、そこに広がっていたのは本物の闇だった。
 踵、そして背中のすぐ後ろには闇しかなかった。自分が進んできた方向など全くわからない。闇雲に戻れば、この場所から出る事は己の死を持っても叶わないと思わせる深淵に見えた。
「行くしかないって事かよ…。」
 そう呟いて前を見据える。たどり着いた後どうするのか、という考えは取り敢えず封印した。今考えても仕方ない。
 兎に角此処を出て(次元の魔女)に逢わない事にはどうにもなりそうにない。…早く、逢うんだ。
 強く願った途端、周囲を取り巻いていた壁は消えていた。

「…え…?」

 頭上には青空が広がっている。
足元は綺麗に均された砂…砂利か。見回せば、全ての景色は変わっていて要するに別世界になっていた。目の前には、見慣れない建築物。強いて言えばファーレンのモノに類似しているだろうか。大きく開いた扉に人影はない。
 ボリボリと後頭部を掻いて、フェリオは溜息をひとつ。
「考えてもしゃあないな。」
 誰に咎められる事もなく屋根を潜り、一段高くなった床板に脚を乗せる。ミシッと音が響いたが、やはり誰か出てくる様子は無かった。
「邪魔するぞ。」
 そのまま、気配を探って奥へと進む。クッションのような弾力を持った床板が左右に広げて開ける扉で括られていた。調度品もない空間だけれど不思議と閑散とはしていない。
 何処か独特な文化に見えた。
そうしていれば、人の気配を感じて、ままそちらへと進むと、外に面した床板の上で横になって外を眺めている人物を見つけた。     
 一枚の布を身体に巻き付けた様な服装で寝そべって、煙草を吹かしている。
胸元を見るとぺったんこではあるが、他に気配はないのだから、あれなんだろうか?
 近付くと上げた顔立ちは線が細い黒髪の人間だ。
 女だと言われればそれなりに納得がいく。胸が豊ではない女性もそれはいるだろうと結論づけた。
 フウがつけていた(眼鏡)とやらを顔にしているから、目が悪いということなのだろう。
 ギョッとした顔をした相手に問いかける。

「あんたが次元の魔女…?」
「は?」
 真ん丸だった瞳が、半月に変わり、ついでに形相も変化する。
「俺が女に見えるのか!!!!」
 そう怒鳴りつけられたフェリオだったが、見えない事もないなぁと密やかに返事をしておいた。


「次元の魔女…侑子さんはいない。」

 少年−四月一日君尋−の答えに、フェリオは絶句した。
畳の上に横たわったまま、優雅にキセルで煙をくゆらせる四月一日の仕草は堕情的ではあるが、不真面目というのではないのだろう。
 斜めに向ける瞳は強さを秘めて見えた。
 正面に座り胡座をかいているフェリオの口から疑問が落ちる。
「なら、対価を払えば願いが叶うって事は…。」
 ふるりと首を横に振られてしまえば、続ける言葉もなかった。
何の為に此処まで来たというのだろう。そして、導師クレフが(次元の魔女)がいないという事実を本当に知らなかったのだろうか?
 次々と沸き上がる疑問に、答えを貰う術もなくフェリオは完全に沈黙する。
 その横顔を覗きながら、四月一日はふっとキセルから煙りを登らせる。自分が此処の主人となってから様々な人間が訪れたけれど、積極的に願いを叶えてやった覚えなど無かった。
 それでも、倉にある代物やアヤカシ達が絡み決着がつくことがある。何もかも見通していた侑子と自分は違うが、そんな折には四月一日は彼女の言葉を思うのだ。

『この世に偶然なんかない、あるのは必然だけ。』

 つまり、目の前に異世界からフェリオが現れたという事は、此処に何らかの必然が存在するのではないだろうか。
「…兎に角、お前の願い事を教えろ。」
 黙りを決め込み、動こうともしないフェリオに、四月一日は仕方なくそう声を掛けた。畳に胡座をかいてそっぽを向いたフェリオは、愛想の欠片もない。
「…叶わないんなら、言うだけ無駄だ。」
 拗ねた表情のフェリオに、幾らか落ち着きという所作を身に付けてきたはずの四月一日にも、怒りマークが浮き上がってくる。
「ああ、そうだけどな。お前はずっと、そうしているつもりなのか?」 
「…やりたいことも無い。」
 畳みの上だけに、畳みかけるように可愛くない。
 人の事を女呼ばわりしたが、お前だって顔の傷さえなければ充分女に見える容姿だ、などと意味不明の罵倒を脳内で展開してから、四月一日は同じ問いかけを繰り返した。
 渋々という態度を変える事なく、それでもフェリオは(俺には願い事など無い)と告げる。
 やっと答えらしい言葉を聞いて、四月一日はパサリと長い袖と丈の洋服を肩に掛け、上目使いにフェリオを見つめた。
 漆黒の瞳は底のない深淵にも感じられ、フェリオの心が少しだけざわつく。崩壊から動こうとしない己の心が、僅かだが揺らいだ気がした。
 
「俺は導師に伝言を頼まれて来ただけだ。」

 コンとキセルを木箱に叩き付けてから、四月一日はふうんと声を漏らした。
「…じゃあ、その願いを叶える対価を、アンタはどうするつもりだったんだ?」
 問われて初めて疑問を抱く。
 クレフの願いを伝えるのは良い。けれど(対価)の具体的な話など聞いてはいなかった。(存在しない次元の魔女)(払いようのない対価)(最初から叶わない願い)。どれをとっても、思慮深い導師の所作とは思えない。
 それとも、彼は此処まで意識を混濁していたというのだろうか。聞きたくても、オートザムに戻る術もない自分ではどうしようもない。
 今此処にあり、自分の自由になるものとしたら、ひとつしか思い浮かばない。
「…俺の命、は対価に値するものか?」
 酷く、自嘲を帯びた声に聞こえて、フェリオは薄く笑う。
そんな価値などあるものか、と自分の中では答えが出ていた。彼女達を救うどころか、二度に渡って責任の全てを押し付けた己に何の価値があるのだろうと。
「どうだろうな。」
 老獪な表情を綺麗な顔に浮かべ、四月一日は告げた。
「代価は与えすぎてもいけない、奪いすぎてもいけない。過不足なく対等に均等に。
 でないとキズがつく 現世のに 星世の運に 天世の魂にってね。」
 答えのようで、答えにならない言葉に、フェリオは思う。

では、命を掛けた願いとは何だ?

命を掛けてセフィーロを守ろうとした姉。
命を掛けて姉を守ろうとしたザガード。
その悲劇を繰り返さない為に、命を掛けて柱を潰そうとしたイーグルとランティス。
そして願いを胸に、命を奪われた魔法騎士達。

支払った代価に見合った結末を彼等は手に入れたのだろうか?
全ては酷く虚しい出来事に思えてくる。
ああ、彼女は最後に泣いていたのだろうか、それとも悔やんでいたのだろうか…。

「俺には願いもなく、どこへも行けない。」
 
 倦怠感は全身を犯す。フェリオは、そのまま沈黙した。


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