※OVA 風ちゃんの一人暮らしにまつわるお話です。※今回は海ちゃん視点になります


 龍咲海は、椅子は椅子に座ってカップに半分だけ残っているカフェラテの表面を、スプーンでぐるりとかき回した。
 最初はぐるりだったのだけれど、なんとなくもう一度、もう一度と繰り返した。
意味はない。本当に意味が無い事は海にもわかっていた。
 ただ、なんとかく、ともかく、手持ち無沙汰なのだ。
 平日の16時を少し回った時間帯は、喫茶店は海以外の客はいない。
 通りに向かい開かれた大きな窓が夕暮れを映し出すのは少し先だろう。スプーンを回すのも飽きた海は、長く形の良い脚を組み替えると、カップではなく窓の外に顔を向けた。
 海の腰まである長い髪は少し硬質だったが、彼女の動きにさらりと寄り添う。眉で揃えられた前髪は真っ直ぐで、彼女の凛とした表情に良く似合う。(細面の美人)とは、海を見た人々が口にする評価だ。
 彼女がひとり喫茶店で暇を持て余していると知ったのならば、声でも掛けてみようかと考える者も少なくない。例え、自分の誘いに乗ってくれなくても、自分に視線をむけてくれないかと思わせる魅力も充分にある。

 それがひとり、喫茶店で時間を持て余していた。

 勿論は、今までずっとひとりだった訳ではない。少し前まで、彼女の前には(鳳凰寺風)という中学校以来の親友とその彼氏であるフェリオが座っていた。
 (ご相談があるのですが)と言う風に呼び出され待ち合わせ場所へ来てみれば、ふたりが座っていたのだ。
 失敗した。と海は思った。
 良いわよと返事だけして、相談内容を聞いていない。仲睦まじいのは間違いないが、このふたりの相談は重量級のものも結構ある。
 二度と会えないとか、セフィーロの命運がかかっているとか、浮かんだ記憶に鳩尾のあたりにズンとくる重くなった。
 思考を振り切るように、勢いよく腰掛けてた海に、風が楚々とした笑みを浮かべる。
「わざわざ来て頂いてありがとうございます」
「家でぽやっとしてたから、お礼を言われるような事じゃないわよ。」
「そうでしょうか? 提出されるレポートの大枠が大枠過ぎて、資料が集まらないとおっしゃっていらしたので、少し心配しておりましたが、大丈夫そうですね」
「それはそれ、これはこれよ。溜め込んだ課題は一日にしてならず、気にしても仕方ないじゃない。」
 ふふっと笑う風に、海はやっと懸念を払拭した。
「で、ご両人が私に何の用なの?」
「用はあるのは俺だ」
 海に向かって軽く右手を上げてみせたフェリオは、風に目配せをしてから口を開く。
その仕草だけでふたりの交際が上手くいっているのがわかる。
 ご馳走様、海はひそりと呟く。
「フウが部屋を借りる話を聞いているだろう?
 この間見てきた物件が条件に合うらしくて話を進めたいらしいんだが、クレフがどこから出入りしているのか聞きたかったんだ。「待って、」」
 今度は海がフェリオに向かって手を上げる。
「ちょっと待って、」
「いや、個人的な事だから向こうに戻ってから聞こうかと思ったんだが、フウも参考にしたいって言うから」

 出入り口?

「クレフの事だから、常識的な場所だろうなとは思うんだが」
「そうですわよね?フェリオったら、寝室と繋ぐなんておっしゃるんですから」
「いや、だから、それは冗談って言うか、だからこう、顔を見たいなと思ったらすぐに見られて嬉しいというか」
「昼間は授業でおりませんので残念ですわ、それにいつでもお会いしたいのは私も同じですが、寝室へ直接向かうのは別です」
 海が困惑している間に勝手に痴話げんかを始めた親友達は、クレフがその出入り口とやらを海の部屋へ繋げていると信じているらしい。
「ねぇ、出入り口ってなんなの?」
 海の疑問にフェリオは一瞬ポカンとした表情を見せたものの、ちぇっと舌を打つ。
「あ〜さすがクレフ、固定しなくても迷わないよな。どうせ俺は(魔道士)じゃあないからな」
「へえ、フェリオは良く迷うんだ?」
 自虐を軽く流した海の返事に、うぐぐと声を詰まらせるフェリオに代わって風が(ええ)と頷いた。
「私の気配を頼りに飛んでいらっしゃるのですが、場所と時間に誤差が生ずると申しますか」
「ああ、スマホの位置アプリが数メートルずれて表示されるような感じかしら、ビルの中にいるのに道路に出てるみたいになっちゃって、道案内がずれるの。もの凄く違うんじゃないけれど、困るわよね」
「そうですわね、似てるかもしれません。」
「仕方ないだろ!異世界に飛ぶのだって、こう、色々と難しい高等技術なんだぞ!」
 一生懸命やってるんだ。と口をへの字に曲げるフェリオに海はゴメンと詫びを入れる。風は(わかっておりますわ)となだめにかかった。
 風は、少しばかりの誤差など気にもしていない。
 海はふたりの様子にそう結論づけた。フェリオは自尊心か、風を気遣っているのか、ともかく深刻に考え過ぎているだけなのだろう。どこから彼が来ようと風は微笑んで迎えるだけだ。
 彼女が何を恐れているのかも、海には良くわかっていいる。風が恐れるのは、フェリオが来なくなる事だけ。それは、クレフを迎え入れている自分も同じ事なのだ。
「取りあえず注文させて、話はそれから聞くわ」
 海は、全く忙しなさすぎよ、と言葉を於いて店員を招く。メニューを広げて飲み物を探しながら頭は別の事を考えていた。
 暫く雑談をして、ふたりは雑貨を見に行くのだと喫茶店を後にする。
 異世界から来ているはずのフェリオはすっかりとこちらに馴染んでいた。見送った後ろ姿はただ普通の、とびきり仲の良い恋人同士にしか見えない。
 クレフはそれ程馴染んで見えるのだろうか。
 ふうと海は形の良い唇から息を吐いた。

 頻繁にセフィーロと地球を行き来するには、やはり扉のような目印があるのが便利だとフェリオは教えてくれた。
少々魔力が多くても、魔道士ではない自分ではともかく効率が悪いというのが彼の言い分だった。
 パワーはあっても技術が伴わない、クレフはどちらも充分なのだから必要ないのかもなと告げた。そうして「女性の自室に直接乗り込むなど言語道断」なんて、考えてたりしてと笑った。
 “冗談じゃない"
 海は心の中で繰り返す。ああ、本当に、冗談ではない。
 海とクレフが互いに想いを寄せているのは本当で、恋人同士であることも事実なのだが、生真面目を絵に描いたようなセフィーロの魔道士は、海を丁寧に、まるで大切な宝物のように扱ってくれている。
 レイアースに訪れるのも、海の負担にならないようにと心を尽くしてくれていた。だからクレフ自身が政に忙しいのも手伝って、会えない期間は割と長い。
 海だとて、遠い異世界の住人に頻繁に会えるとは思ってはいないが、ふとした時不安になる。
 “逢いたいと思っているのは、こんなに恋焦がれているのは自分だけではないのだろうか"

「あ〜もう駄目ね、これは駄目。」

 メンタルが凹んでいる。少しだけ、仲良しなふたりに当てられちゃったのかもね。
うん、と声を出して海は気分を切り替える事にする。
 前から欲しいと思っていたコスメを買おう。確かカットフルーツの盛り合わせが売っている店が近くにあったはず。
体重の事なんてアッサリと忘れてお腹いっぱい食べるのも良いし、たっぷりとお湯を張ったお風呂にとっておきの入浴剤を入れてノンビリするのも良い。
 こんなところで、グズグズと考えこんでいるより絶対マシね。ヨ〜シと声を上げて、海は行動を開始した。

 ■

 部屋の前に人影を見つけ、海は目を瞬かせる。
 細身で小柄なのに、弱々しいところなど全く無いピンと伸びた背。レイアースの衣装を着ていてさえ、セフィーロの式服を纏っているようだ。
 美しい人だと、つくづく思う。姿も心根も本当に綺麗だ。 
「クレフ、」
 両腕に下げた紙袋をガサガサと揺らす海に、クレフは少し驚いた顔をする。途端、湧き上がった不安に綻びかけた表情が固まった。
「急にどうしたの? 何か、あっ、光になにかあったんじゃ…」
 困ったように眉を寄せたクレフに、海は小首を傾げた。
「今日は予定は入れない、一日家にいる。溜め込んでいる課題もあるからやらなきゃいけないの」
「ええ、そう。あの、よく覚えてるのね。
 うん、出掛ける予定は無かったんだけど、風から連絡があって。相談事があるからって、それで外出した次いでに色々と、でもクレフが来てくれているなら直ぐに帰ってきたのにって、そうじゃないわ、
 だから、何かあったの?」
 クレフはコホンと咳払いをして、意を決したように口を開く。
「お前に会いに来たのだ。」
「ああ、そう良かった。私に逢いに…え?」
 真摯に受け止めるつもりで、クレフを見つめていた海は繰り返した言葉の意味は一度では理解出来ずに繰り返した。
「ええっと、逢いに、来てくれたの?」
「そう、言っている。私は、「待って、」」
 生真面目で、仕事を差し置いて行動を起こすことなど滅多とないクレフが自分に逢いに来てくれた?
ぶわっと湧き上がった感情は、顔を紅潮させるだけでは飽き足らず、海から語彙すら奪いとる。
 適切な文章など、もう浮かばない。
「クレフが私に逢いたいって思って行動してくれた事がすごく嬉しいの。
 嬉しいって言うか胸がいっぱいになってしまいそうで、ドキドキしているっていうか。でも正直すごく吃驚しちゃってる」
 海は気持ちを落ち着かせる為に、両手を左胸に置いて何度か深呼吸する。
「どうしよう、」
「いや、そこまで言われると、私の気持ちがお前にわかってもらえていないのかと不安になるが、」
「わかってる、わかってるわ!」
 ここは譲れないとばかりに、海は声を上げた。近所中に響き渡ってしまったのかもしれないが、建物の防音を信じるしかないだろう。
「そうじゃないの、あのね、クレフ。今日フェリオが言っていたんだけど、」
 海は、慌てて部屋の鍵を開けてクレフを招き入れながら、今日の出来事を話し始める。そうして、部屋へと向かう道をクレフにも作ってもらうのだ。不安と恋しさがない交ぜになったこの想いを受け入れ、そして受け止めてもらうために。
 
「私はお前に焦がれ、此処に立っている。」
 全ての話を聞き終わったクレフは、そう告げて微笑んだ。



〜To Be Continued






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