※OVA 風ちゃんの一人暮らしにまつわるお話です。


 改札口を通ると同時に構内を抜けていく風に、ワンピースの裾がふわと舞った。
 慌てて抑え込み、ふっと息を吐く。
 駅に居ただろう人々は、乗り込んでしまったのだろう。構内には人影は無いく、都心から少しだけ外れた立地にある駅なので5分と待たずに次の列車は到着しない。
 もう、と頬を膨らませるつもりはなくとも、残念と惜しいと思う気持ちは表情には出ていたらしく、フェリオがくくと笑ったのがわかった。

「送ろうか?」

 空を飛んで、という事なのは風にはよく分かっていた。時折重宝する、フェリオにしか使えない(セフィーロの魔法を使う方々には珍しくも無いのだろうけれど) チート技だ。
けれど、風はふるりと首を横に振る。
「直ぐにはお伺い出来ないと伝えておりますし、実家からの時間や乗り継ぎも体感しておかないと。」
「それは、そうだな。」
「フェリオに…。」
 告げてから、風は少しだけフェリオから顔を背ける。風の仕草に、パチリとフェリオが目を瞬かせた。
「…頼る事ばかり、覚えてしまいますわ。」
 外した視線で、風の表情が伺えなくとも、ほんのりと染まった耳は隠せない。
自然に、口角が緩むのがわかった。

「頼って、欲しいんだけど。」

 琥珀の瞳を細めてフェリオが微笑む。
柔らかな笑みを浮かべているだろう事を承知で風は(ダメです)と繰り返した。

「それは、駄目なんです。」

 肩に掛かるショルダーバッグの紐を右手でギュッと握りしめてから、風は構内の置かれた椅子へと脚を向けた。
 構内を支える白い円柱に挟まれた背中合わせに置かれた三人掛けのベンチの左側に腰かけると、手首に掛けていた掌程の小さな紙袋を自分の右側へ置く。
 フェリオはそれは挟む形で腰を降ろした。
 パタリと変わった掲示板は、到着まで15分と告げる。両手を膝に置いて、反対側のホームをじっと見つめる風の様子を伺いながら、フェリオは言葉を口にする。
「見に行く部屋ってどんなのなんだ?」
 こちらのホームとは違い、もう直ぐ列車が到着するのだろう。
手にしたスマホを見ている人。お喋りを楽しんでいる友人。家族連れ。そして、恋人達。
 様々な人々が集っていた。
 何処から此処に来ているのだろうか? それとも、家に戻る? 彼等との接点は今、ここだけだ。過去も未来もフェリオにはわからない。
 風の心も、理解したような気になる時もあれば、先程のように酷く頑なに感じる時もある。
 彼女の全てを知りたいと願うのが、我儘であることは充分にわかっているのに、願いは止められない。

 風の望む部屋とはどんなものだろうとフェリオは想う。それは、きっと彼女の未来に繋がる願いなのだろう。

「学院の方がお使いになっていたお部屋なのですが、本当に期待してはいなかったんです。」
 彼女も向かいを見ているのだろう。フェリオに視線を移す事なく、風は言葉を続けた。
「お話を伺った時から凄く気になる物件で、ただお住まいの方も気に入っていらっしゃって賃貸契約の終了後も継続する可能性が高いと言うお話でした。
 でも、留学が決まり、更新は断念なさったと。」
「へぇ。運が良かったんだな。」
 ええと風は頷く。
「名だたるコンクールで優勝したことがきっかけだそうですわ。」
 両手で口元を覆って、けれど風が微笑んでいるのがフェリオにはわかった。

 不動産屋さんに内緒ですと教えて頂いたので、フェリオも黙っていてくださいね。
 
 そう前置いて続けられた話に、フェリオはうと息詰める。

「留学のお話は随分前から持ち上がっていたそうなのですが、それに伴って、残していかなければならない大切な方がいらっしゃって、ですので踏ん切りがつかず迷っていらしたそうですわ。」

 どこかで聞いたような話だと思いませんか?

 風の声に苦い笑みになる。

 きっと、ソイツは叱咤されたに違いない。何故夢を追わないのか、遠く離れてしまう自分を信じられないのか。ああ、なんて身に染みる。

「ウジウジと悩む奴は、たいてい怒られる仕様になってるって事か」
 あーあと声を上げて両腕を後頭部に回して、背を反らす。ちらりと風に視線を送れば、風の視線は向かい側から動いてはいなかった。
 ファンという軽やかな音と共に、電車が彼女の視線を遮るように滑り込み、そして停車する。
 窓越しに、人々が乗り込んでいくのが見えた。
先程の恋人達は、こちら側に開く扉に彼女が背を預け、守るように相手が乗客に背を向ける。彼女の表情を見る事が出来ないが、脂下がった相手の顔を直視して、フェリオは何とも居心地の悪い気分を味わった。
 フウを前にしていれば自分も確実に同じ表情だ。
「それで、お部屋なのですが。」
「うん?」
「お借り出来ないかもと思っておりましたので、フェリオには間取りをお見せしていなかったのですが、ふたり暮らしも可能だそうです。」

 へ?

「音大生用の間取りなので、1LKと言ってもリビングは練習室扱いなので、実際は2LKなんです。
 あ、勿論キッチンはありますよ?御家賃は学園から援助を頂いている建物なのでお手頃ですし。それで、完全な寮ではないので入居は賃貸契約者が音大生であること以外に規制はなくて「ちょ、ちょっと待てフウ、ふたり暮らしって…。」」
 慌てて視線を戻したフェリオに、風は僅かに視線を反らした。けれど、揺れる淡い髪は紅潮した頬を彩り、フェリオは言葉を飲み込んだ。
 
 もしも、…なんて、
  
 続ける事の出来なかったフェリオに代わり、風が言葉を続ける。
それはホームに滑り込む列車の音に重なり、明瞭な言葉をフェリオに届ける事は叶わなかった。
 プシュと空気を吐き出す音と共に、車両の扉が開く。フェリオは、立ち上がると風に振り返る。

「行こう。」  

 返事をして立上がった風は、思い直して横に置いた紙袋を手に取った。
 風の願いを聞き、勤務時間外だろう今も内覧に付き合ってくださる不動産屋の方に差し上げるつもりのお土産だ。
「忘れるところでした。」
 先程の話の流れで周りを見失いそうだった。
 唐突過ぎただろうか、ずっと思っていた事だったけれど、今、此処で告げる内容だっただろうかと考えれば、答えは出ない。それが風の行動を迷わせる。
 
「フウ。」
 名と共に、風に手が差し出される。
「それ、持つよ。」
「心配なさらないでも、大丈夫ですわ。」
 忘れそうになった自分を気遣ったのだろうと告げる風の言葉に、フェリオは首を横に振る。
「そうじゃない、フウと手を繋ぎたいから。」
「あの、でも此処では少し人目がありますので、」
 それでも紙袋はヒョイとフェリオの手に移り、とり残された風の指先に手が添えられる。
 無理、と口をへの字に曲げたフェリオが宣言する。
「俺を浮かれさせたフウが悪い。」

 仕方無いですわ。
 風も頬を染めたまま、自分よりも大きな指を包むようにキュっと指先に力を込める。時に願いは人を酷く臆病にしてしまうけれど、想いは届く。

 「私も少し浮かれておりましたから。」

 もしも、家を創る事が出来たら、明確な帰る場所を差し上げられるなんて…ただ縛りつける場所にしかならないのかもしれませんのに。

 幸せだと声を張って告げてしまうような言葉を口にしてしまう程に。 



〜To Be Continued






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