※OVA 風ちゃんの一人暮らしにまつわるお話です。


 一人暮らしを始める時は、と思っていた事があった。
 それが実行出来る絶好のチャンスなのに、思いもよらなかった反撃に風はホウと小さく溜息をついた。
 
 必要なものだけ、
 全て日常的に必要なものと整理して置いているつもりなのに、気付けばどんどん増えている。
 いらないものなど無かったはずなのに、改めて考えれば小首を傾げる。
 風は頬に指先を滑らせながら、何度目ともしれない溜息を付いた。
「私、こんなに仕舞っていたのですね…。」
 鑑みれば、中学三年の引越で片付けたつもりになっていただけで、ただ家の押入に置いてたのだろう。
 
 小学校の時に集めた押し花、雑誌の付録、友人達と撮ったプリクラ…数え上げればきりがない。

 たわいもない品物達の事などついぞ忘れていたくせに、こうして掌に乗せてみれば甦った思いでが、全てが必要だと囁くのだ。
「どういたしましょうか…。」
 風は、ダンボール箱とゴミ袋を交互に眺め、もう一度深く溜息をついた。

 子供の頃から一人暮らしをする時は、身の回りを清めて家を離れると決めていた。必要なものだけを持って、新しい生活を迎えたい。それは大人しく、行動的ではない自分のちょっとした覚悟に似た決心だったのだ。
 それに加えて、風の一人暮らしと同時に、姉の結婚話も持ち上がり(マスオさんかもしれないが)相手は家族との同居も考えているらしい。
 そうなれば、甥や姪が生まれるだろうから、部屋を空けておいてやりたい。
 部屋数はあるのだから気にするなと、母親も姉も言ってくれるのだけれど、それに甘えたくない気持ちもあって、必要のないものは絶対処分ですわと意気込んだ。
 
 …だが、決心はすぐ鈍る。

「何だそれ?」

 ふいに背中にかけられた声に、風は慌てて振り返った。
 乱雑を通り越して、もはやゴミ溜めのような部屋の中に膝を曲げたフェリオが自分を覗き込んでいた。
 パチパチッと瞬きをして首を傾げている様子に、風の頬は紅潮する。今更何を隠しようもないのに、背後を隠すように両手を広げた。
 引っ越しの手伝いをして下さるとフェリオが申し出てくださっていたことすら、忘れるほどの威力が押入のもの達にはあったのだ。
 そして、彼にこの惨状を見られてしまった。ああ、だらしない人間だと思われてしまっただろうか?
 
「い、いつこちらへ?」
「さっき。」
 姉上にも声を掛けたんだけど…と続けられ、風はふるりと首を横に振った。
「申し訳ありません、全く気づかなくて…。」
「いや、申し訳なくはないけど、何だそれ?」
 指さされた先には、父親に貰ったお菓子の缶の山。
 海外で作られたお洒落な缶達は幼い風のお気に入りだった。姉妹の為に、常にふたつ買い求めてくれる父だったが、好みが被ってしまった時など、姉と滅多にしない喧嘩をしたこともある。
 見ているだけで、懐かしい。
 そして、興味津々で見つめるフェリオの為に、風はひとつを手に取り、蓋を開けて見せた。アルミ特有のパカンという小気味よい音を立てて空いた缶の中には鮮やかな色をした小石が詰まっていた。
「まぁ…これは。」
「石だな?」
 ひとつ手に取り眺めてみるが、何の変哲もない石ころだ。
「懐かしい…。」
 ふっと微笑む風の表情があまりにも柔らかくて、フェリオは問いかける言葉を飲み込んだ。正座をした膝上に置かれた缶を慈しみ守るように両手で包む風もまた、唇を緩く結んだままだ。
 柔らかな雰囲気は、まま楽しい思い出なのだろう。
 彼女を取り巻く空気がほんのりと色づくような暖かさ。それは、とても嬉しい事であるのと同時に、置いてきぼりになる寂しさをフェリオに抱かせた。

 違う世界を生きてきた自分は、彼女の多くを知らない。
 己を見つめ微笑んでくれる風は確かに愛しい彼女なのに、背を向けた途端フェリオの知る彼女ではなくなってしまう。
 それは、寂しさに見せかけた嫉妬心かとも思う。

 手持ち無沙汰で見つめるフェリオを、夢が覚めたように顔を上げた風が気付く。そうして慌てた様子でスミマセンと言葉を発した。
「大事なものなら捨てられないな?」
 コトリと小石を箱に戻せば、風はふふっと笑う。
「遠足で行った河原で、クラス全員で拾ったんですよ。とうの昔に無くしてしまったと思っておりましたのに、こんなところにあったんですね。」
 そして、あっと唇に指を当てた。申し訳なさそうにフェリオを見つめた。
「何だかこんな事ばかりしていて、少しも片づかなくて。貴方にも何をしに来て頂いたのか…。」
「勿論フウに会いに来た。」
 目を眇めて答えられ、風も紅潮と笑顔で返した。そして、立ち上がってスカートを軽く叩くと(お茶を入れてきますわ)と告げた。
「ひと息入れて、私も頑張り直します。そうそう、フェリオの思い出もお伺いしたですし…。」
 さしたる意図があった訳ではないが、フェリオの表情が少しだけ曇る。そうして、鼻の先を指先で弾くようにして掻いた。 
「俺は、こんなちっこい頃から戦ってたからそういう想い出はあんまりなくて、…フウに話してあげられる事なんか…。」
 風の腰当たりを指し示していた、フェリオはふと目を細めた。
「ああ、そう言えばエメロード姫に見いだされて城に仕えた時に宝玉を頂いたんだ。それが俺の宝物だったかな…。」
 
 そうですか…と適当に打てるはずの相槌が出て来なかった。   
 エメロード姫を語る時の柔らかな輝きが、風の息を詰まらせた。
 風は戦場などお話でしか知らない。けれど、過酷で子供が平気でいられるような場所でない事くらいは理解出来る。そこから手を差し伸べてきた相手は、彼にとってどれほとに大切な人だったのだろう。
 
 一緒に過ごしてはいても、どこか彼女に勝てる気がしない。

 これは明らかな嫉妬心なのだろう。風はギュッと胸元で指先を握りしめた。
「あ、これなんだ?見てもいいか?」
 部屋にあるものが珍しい様子のフェリオは、風の返事を聞くでもなく背中を向けて熱心に観察し出す。
 摘んだり開けたりしつつ、首を傾げる様子は子供のようで酷く可愛らしかった。子供の頃から共に生きていれば、こんな憔悴感など味あわなかったのだろうかとも思う。
 こんな気持ちを抱いていることなど、きっとフェリオは知らない。

「すぐに戻りますわね。」

 クスクスッと笑い、軽やかに階段を降りていく足音にフェリオはそっと振り返る。

「…こんな醜い気持ちなんか、知られたくもないか…。」


何も知らない背中


 想っている事は実は同じ。



content/ next