いちばん近くに(終章)ver ferio


 レイアースに降り立った姿が目に入った途端に、風の瞳から涙が溢れた。

 滑らかな頬をつたい零れ落ちていく水粒は綺麗な光景ではあったけれど、お前は彼女を泣かせてばかりいるのではないか、フェリオの耳元で誰がそう告げた気がした。

 ◆ ◆ ◆

「姉上もフウに勝るとも劣らない美人でさ。」
 
 セフィーロ城の最上に近い一室。
 庶民では滅多とお目に掛かるものではない家具に囲まれた書斎。机に向き合って置かれた椅子に腰掛けていたフェリオは、徐に立ち上がる。
 両手を机の上に置き、上半身を相手に傾けた。
 しかし、問いかけられた相手(導師クレフ)は、非常に不機嫌そうな表情でフェリオの顔を一瞥するや、一日机に座っていても捌ききれないだろうと思わせる書類に視線を戻した。
「まさに美人姉妹って言うんだろうなぁ、そうだよなクレフ。」
 それに自下ることなく、(というべきか相手の態度に関心を寄せていないと言うべきか)フェリオは言葉を続ける。
「きっと、子供が出来ても可愛いだろうなぁ…「…フェリオ!!」」
 ドオンと鈍い音を立てて床に杖を叩き付けたクレフは、普段は余り見せることのない苛立った顔で目の前の男を睨み付けた。
「確かにレイアースとの逢瀬は報告しろと言った。それがエメロード姫の命であり、魔法の師としての私の役目だと思ったからだ。
 だが、惚気を聞かせろと言った覚えはない。報告だけすませて、さっさと仕事に戻れ!」
「…だって、これが報告内容だぜ?」
「ならもういい。帰れ!」
 本気で魔法を唱えてやろうかと企むクレフに、フェリオはぽつりと呟いた。
「そうそう、ウミ達も、一緒だったんだ。」
 ピクリとクレフの手が強張る。書類を掴んでいた指先に力が入り、くしゃりと紙が潰れた。
「…皆元気だったか。」
「ヒカルは元気だった。ウミは少し風邪を引いていたと言ってたかな?」
 意地の悪い奴だ。クレフは腹の中でそう呟くと、そうかとだけ答える。小首を傾げるフェリオが、自分からの言葉を待っているのだとわかる。
 しかし、クレフはそれ以上は口を閉ざした。
 
『ウミはアンタを待っている。』

 フェリオは一度だけそう口にした。彼がレイアースから戻り、謹慎する前の事だ。
 どちらかと言えば直情的な部分があるフェリオは、セフィーロの重鎮達からは快く思われてはいない。彼の価値は『魔力しかない』と口汚く罵る者もいるほどだ。
 しかし、クレフにはわかっている。彼はただ真っ直ぐなだけだ。
 己の望みや願いに、恐れることなく向かっていける。いつだっただろう、運命など信じないと、フェリオは言ってのけたのだ。
 そんな彼が、クレフは少しだけ羨ましく、そして疎ましい。
 友人であるから尚のこと、そう出来ない自分自身が責められているような気さえした。彼が自由奔放である分、こうして理にしがみついている自分が酷く卑屈に思える時すらある。
 レイアースに降り立った時もそうだ。住民を時の狭間に封印などせず、正面から立ち向かえば良かったのではないか。ランティスのように、そしてその意志を次いだフェリオのように。
 まず自分の限界を考えて行動してしまった事に、クレフは今でも後悔しているのだ。狭間で消えてしまった、そして救う事の出来なかった民の命を思うと、すべてに二の足を踏みそうになる。
 だからこそ、目の前の男が小憎らしく思えるのだろう。こちらの心配や都合など考えもせず、己の思い通りに動き、結局望み通りの未来を手に入れたこの男が。

 思考に沈んでしまいクレフはふっと、現実に戻る。
しつこく話し掛けてくるかと思っていたフェリオもまた、眉の間に僅かな皺を寄せて黙り込んでいた。意図もせず、耳のリングに指先を伸ばし弄るのは、最近は彼のくせになりつつある。
 フウという名の少女の気配が、フェリオを包んでいるような錯覚を抱かせ、クレフは面影を浮かべる。レイアースで出逢った三人の少女。
 そして、心が向かうのは蒼い瞳が美しい少女だ。凛とした表情が崩れると、眉を歪ませ瞳が潤む。

「…クレフなら、…なのかな。」
 ボソリと呟く声に、クレフは顔を向けた。
机の上で交差させた両腕に頭を沈めて、フェリオは目だけを彼に向けてくる。
「私がなんだ?」
「…俺がアンタみたいに思慮深い性格とやらだったなら、もっと、……なんてさ。」
 先程まで喜々とした様子だった男は、拗ねた表情に変わっていた。クレフには理由がわからず、ただ溜息を吐く。
「お前は何が言いたい。」
「クレフは狡いよ。」
 フェリオはむすっとした顔でそう呟くと、プイと横を向く。それと共に揺れ、キラリと光った耳のリングに、フウの表情が重なった。

「私の何処が狡い。」
 やれやれと心の中で呟いて、問いかける。
「クレフはセフィーロに降り立つ事もないのに、ウミの心を捕まえてる。
 俺は、アイツの笑顔が見たくて禁忌を破ってセフィーロに行ったのに、いつもフウを泣かせてしまう。」

 …。

 思いがけない内容に、クレフは虚をつかれた。思わず沈黙していれば、フェリオの愚痴はつらつらと続いていく。

「そりゃ、俺はレイアースへ来た侵略者だったし、クレフは最初から彼女達を守っていたから立ち位置に雲泥の差があることだってわかってるよ。
 フウはそんな言い方しないからつい甘えるけど、俺はやっぱり罪人で…けどさ、クレフならレイアースの人間に喜んで迎えてくれるだろうに、行かない。
 なのに、ウミはクレフが好き、狡…いたっ!!」

 クレフはもう一度大きな息を吐くと、容赦なく何度もフェリオの頭に上に杖を落とした。
「なにすんだよ、クレフ…!!」
「それは、こちらの台詞だ!!!!」
 勢いよく怒鳴りつけられ、あまりの剣幕にフェリオが言葉を飲み込む。それを見遣り、クレフは杖を振り上げながら、フェリオを睨みつけた。

「レイアースへの侵攻はやめろ、お前達も結局傷つくだけだと私は言ったはずだ。その後も、彼女に会う為に飛ぶような真似はするなと、止めたはずだ!。
瀕死のお前を見て、私がどれほど心配したと思っている!!!
今度の一件もそうだ!!姫が取りなして下さらなければ、どうなっていたと…!!!!!」
 正真正銘の怒りに、フェリオは息を飲み頭を垂れる。
相手の怒りはもっともだ、でも…。
「でも、俺は…。」
「フウの近くに行きたかったのだろう。だったら、私の何を羨ましがる。お前は、彼女の一番近くにいるのではないのか!?」
 真ん丸の琥珀に、クレフは呆れた表情で眉尻を持ち上げる。
「ココでくだらない惚気を聞かされるのは不愉快だが、うだうだと愚痴を聞かされるのはもっと不愉快だ。仕事の邪魔だ、出て行け!」
「わーかった!退散するって、悪かった。」
 ボリボリと後頭部を掻きながら、不機嫌な表情で退散していくフェリオの耳元のリングがまた、キラリと輝く。
 クレフはわざと寄せていた皺を戻すと、くくっと笑った。

「何だよ?」

 むっとしたまま振り返るフェリオに教えてやる義理もないと、クレフは無造作に掌で追い払う仕草を重ねる。すごすごと言った風情で部屋を出ていくフェリオの背中を眺めつつ、本当は大笑いをしたい気持ちを辛うじて堪えた。
 
 彼の耳元でリングが光る度、その瞬間に(すみません)と、少女が控えめに謝った気がしたのだ。そうして怒りに移行しつつあった気持ちは、クレフの中で苦笑へと変わっていた。
 寄り添っている少女を容易に感じる事が出来るほど、彼女はフェリオに心を寄せているのだろう。涙するのが、正しい事だなどとは思わないが、それでもフェリオを選んだフウは幸せなのだと、告げているようだった。
 これが思いを繋げるというものだろうかと、クレフは思う。
 離れていても、どんなに遠くても想いは風のように、そして映し出す水面のように全てを包むものだろうか。
 
「離れていても、お前は幸せだと言ってくれるだろうか…?」
   
 クレフの問いかけに、少女が笑みを浮かべたような気がしてクレフは慌てて頭を振った。

〜Fin



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