突然の雨  ver ferio


 建物の名も用途も理解出来ないが、雨宿りは出来る。
 突然の雨に、フェリオは立ち並ぶ建物の中から大きくひさしが伸びている場所を選んで逃げ込んだ。余り濡れずに済んだのは幸いで、濡れた衣服に体温が奪われれば同時に体力も持っていかれてしまう事は避けられた。
 大きなビルの玄関に当たる場所は様々な人々が出入りするのが普通のようで、此処と無関係であるはずのフェリオを早急に追い出そうという雰囲気はない。
 取りあえず、暫くの間は居座ろうと腹を括って、フェリオは壁に背をもたれかけさせながら、降り止まぬ雨を眺めていた。

 自分のいるところが、『学園都市』と風が呼んでいた街から離れているのか、まだその中にいるのかフェリオにはわからなかった。
 ただ、学生と呼ばれている同じ服を着た人間が多く存在しているのを見れば(昔出会った時の風と同じものを着ている者達もいた)、その場所から遙かに遠方ということではないようだ。
 かなりの距離を歩き回ったような気がしていたので、迷子になって同じ道をぐるぐると回っているのでなければ、随分と大きな都市なのだろうとフェリオは感心する。
 と同時に、見慣れない景色には安堵した。
 此処ならば、うっかりとフウに再会してしまう…という事態を避ける事は出来るだろう。まだ、こちらの世界にいることがフウにわかってしまったら、彼女はどう思うのだろうが。呆れるか、軽蔑するか。
 いっそ、憎んでくれた方が自分の存在を、彼女の心に深く刻んでくれるだろうかなどと思い立つと、あほらしさに溜息が出る。

 きっとどれもないとわかっているのに。

 彼女は自分の姿を見れば、酷く悲しそうな顔をするに違いない。そして、それは、フェリオ自身がなによりも見たくないものだ。

 魔力があれば、それこそ遠く離れる事も可能だったが、未だに満足な回復は望めていない。何処か、静かなところ場所。宿屋のような場所で数日休息をとることが、もっとも望ましい事柄だったのだけれども、この世界での流通貨幣を持っていないフェリオにとっては、難しい状況だ。
 こうして、人目を避けるように場所を変えて魔力の回復に努める。それが、フェリオが出来る唯一のことなのだ。

 全ての音を吸い込んでいくような雨は、変わらず降りそそいでいる。激しさのない、靜に流れ落ちていく雨粒は、先程想い描いた少女の涙のようで、フェリオの気持ちを捕らえて離さない。
 滑らかな白い頬を流れ落ちていった輝きは、それさえもフェリオを魅了していた。
儚くて、たまらないほどに綺麗だった。もしも、叶う事なら、その肢体を強く抱き締めてやりたいと、衝動はおきる。
『本当に、莫迦な…話だ。』
 自嘲の笑みを浮かべれば、窓に映る自分の顔はまるで蔑むように視線を送って来た。お前が、フウを泣かせたんだろうと、その金の瞳は己を睨み付け、そして嗤う。

 彼女の人生を狂わせる権利があると思っているのか?

「…権利はない、よ…クレフ。」ボソリと呟いた声も、消える。

 でも、これは確かに恋だった。
 たとえ、結ばれる事はなく、永遠の片恋になったとしても、それだけは真実だ。この先に別の誰かを選ばなければならない事態が起こっても、彼女の面影を消すことなど一生叶わない。
 命を賭してもいいと本気で願った『恋』だったのだ。だからこそ、自分は此処にいる。後悔も懺悔もひっくるめた想いに嘘はなかった。


 けれど、もう諦めなければならないのではないのか。

 胸に浮かんだ問いに、反論の言葉は生まれない。
 自分にとってだけだったのかもしれないが、『良かれ』と思って行動していた。一心に願い、努力もした。けれど、それが本当に『良い事』だったと、今のフェリオには言う事が出来なかった。
 大局に臨み、周りを見ることなく、ただ『良い』と感じた事をしていた自分は、己に心酔していただけだったのではないだろうか。
『良かれ』という言葉で、現実を悪化させてきた、それだけの事だったのではないのだろうか。

 風を泣かせ、セフィーロに危機を招き…。

「寒い…。」
 此処へ逃げ込む前に濡れてしまった服が、体温を奪っていたようだった。
ぶるりと身体を震わせて、フェリオは両肩を抱き締める。と、言っても、誰かが迎えに来てくれる事もなければ、帰るべき場所へ帰れる訳でもない。
 寒さに震えて此処で雨が止むのを待つしかない。見知った者達が殆どおらず、なおかつ無力という状況は、戦場で味わう孤独感となんら変わらず、強烈なものだった。
 何処までも自分がちっぽけな存在に思えて、ただ項垂れる。

「あの」
 遠慮がちな声が背後から聞こえて、フェリオはゆっくりと振り向いた。同じ服を来た数人の女性達の中から、フェリオに声をかけたのだろう女性が、ゆっくりと歩み寄って来た。
 妙齢の女性は、きょとんと見返すフェリオを見つめてクスリと笑う。
 フェリオよりも随分と年上に見え、それでも若かった頃は綺麗だったのではないかと思わせる、凛とした美貌が垣間見えた。
「傘、無いの?」
「え」
「だから、傘無いから雨宿りしてるの?」
「あ、はい」
 迫力に押されるように、フェリオは頷いた。やっぱりね。女性は、腰に手をあてて溜息を付いて見せる。それから、ケタケタと笑い出した。
「今時の子は、ホントに何も言わないっていうか。困ってるんなら傘くらい貸してあげるわよ。いつまで待ってても止まなかったら、此処で野宿でもするつもり?」
「いえ、それは流石に…。」
 決まり悪そうに頭を掻いたフェリオに、女性は傘を差しだした。そして、答えなど聞かずに、フェリオの腕に押し付ける。深緑色の傘は、所々すすけて色落ちしている。長く傘立てに放置されていたものらしかった。
「使いなさい。随分と昔に客が忘れてったもんだから、返さなくてもいいわ。」
「あ、でも」
 戸惑いを含んだフェリオの声など、聞く耳持たない状態の女性は、ビニールの袋もフェリオの腕の中にねじ込んだ。
 綺麗に化粧の施された眉を潜めて、フェリオの顔を見る。
「うちの息子もそうだけど、今時の子ってすぐ深刻ぶった顔して。ほら、これもあげるから、お腹が膨れれば、悩みなんて消し飛ぶわよ。」
「え?あの…。」
「おばちゃんは、これからイタリアンだから、気にしない。」
「や、その」
 言いたい事だけ、言ってその女性は同僚達と共に、雨の街い繰り出していった。
呆然と見送って、慌てて我にかえったもののフェリオはどうすることも出来ずに、立ち竦む。
 …なんか、カルディナに似てるような気がする。
見知ったもののいない世界。そうおもった自分をフェリオは恥じた。


 傘を叩く雨粒の、どことなくリズミカルな音を聞きながらフェリオは、ただ道を歩いた。脇に抱えた袋から、思い出したようにおにぎりを取り出し、頬張る。
 女性のくれた袋の中には、彼女のおやつなのか、夜食なのか、大きなおにぎりが入っていたのだ。風が差し入れてくれた事もあったので、フェリオにも馴染みのある料理で、空腹な事もあり遠慮なく頂く事にした。
 小さく指先で千切りながら、口に運べば、塩の加減は舌に馴染んで素直に美味いと感じられた。きっと料理上手に違いない。そんなところも、カルディナに良く似ていた。豪快な彼女の笑顔が、先程の女性に重なる。それだけで、温かな想いが胸に広がった。
 空腹を満たしたというだけではない。温かみ。
 この世界が冷たいだけのものであるはずがない、風の生まれ育った場所なのだから。
 彼女の強さも、優しさも、周囲の温かな想いを一身に受けて、大切に育まれてることによって生み出されたものに違いないのだ。そうして育った綺麗な笑みを、彼女の周りにいる家族や友人達を望み、守っている事だろう。

 それを恋をしたからという理由で、自分は奪い去ろうとした。
いや、実際に奪った。
 努力して、この世界に来るだけの魔力を手に入れた事が、何に対しての免罪符だと、自分は思っていたのだろうか。一方的な思いを押し付ける事は止めようと、そう固く誓ったつもりだったのに…。
 最後の一欠片を口に放り込み、名残おしげに指先を舐めた。

 受け入れなければならないとフェリオは思う。
 突然の雨が、確かに自分を濡らしていたように。けれど、そんな自分に確かに差し伸べられた手はあるように。
 自暴自棄にならず、逃れられない現実を(それ)と認めて、心に折り合いをつけなければならない。

 フウは確かに、もう来ないでくれと泣いた。これは、揺るぎない現実だ。

「…セフィーロに、俺は…。」
 ポツリと呟けば、何故が浮かぶ安堵の気持ちが不思議だった。

 帰ろう。

 それが、風に対する唯一の誠意であるようにも、フェリオには感じられた。


〜Fin



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