これが恋  ver ferio


※同時間軸です


 ゆらゆらと、水面に浮かぶ感覚。
上下左右がはっきりしない、そんな様子だ。

 絶え間ない水音は、深い森の中にいるかのように錯覚させる。

 レイアースにだって、森はあること位知ってはいたが、最後の記憶はコンクリートに囲まれた建物の中だったはず。其処で意識は喪失したものの、此処の人間に見つかってどこかに運び出されたのか…?
 それにしたって、この『呼吸をするように』流れていく水の音色はおかしいだろう?

 フェリオは、そこまで考えてやっと己の思考を掴まえた。
 ゆっくりと開いた目には大きなパイプが写り、最後にみた景色と何ら変わるところはないと認識出来た。
 ズキズキと痛む額を片手で抑えて、上体を起こす。
変わらずに温かい。何日眠っていたのか認識出来ないが、お陰で風邪ひとつ引いていないようだった。ただ、固い床の上に倒れ込むように眠っていたせいか、身体が痛む。軽い筋肉痛。
 背中を壁に預けて、足を抱え込むと、溜息が出た。そうして、空腹を覚える。

 少々、悲観的な『物思い』に耽ってみようかなどと考えていた脳味噌は、現実的な思想に切り替わる。目が覚める程度には、魔力は回復していたが、セフィーロに帰還するには、遙かに及ばない。
 元より帰れる訳もない。
 セフィーロを支えるに足る魔力を保持している以上、処刑される事はないだろうが、良くて一定期間投獄、悪ければ一生幽閉の身の上だ。

「いや、その方が未練がましくなれない分、いいのかもな…。」

 ポツリと呟くと苦笑が浮かんだ。
どんな記憶も上書きをされていない状態では、風の泣き顔は鮮明に思い出せる。もう、来ないでと告げられた今でさえ、彼女を恨む気持ちも罵倒する憤りも浮かんでは来ない。
 ただ、愛おしい。泣かせてしまってすまないと思う気持ちはあるのに、会いたい。抱き締めたい。

「馬鹿…だな。」

 けれど、これが恋だ。わかっている。
理屈で抑えられるものならば、俺はレイアースに飛んだりはしない。

 こぽり。

 背を預けている壁から、水音がした。
フェリオは、さっき夢の中で出てきた音だと気付き、今度は意図的に壁に耳を寄せる。今度は確かに、聞き慣れた樹木が水を吸い上げるのと同じ鼓動を感じた。
 こんな、壁だらけの建物の中でどうしてそんな音が聞こえてくるのか?
本来彼が持ち合わせている好奇心がむくりと目覚める。空腹を紛らわす為にもいいんじゃないかと理性が後押しして、フェリオは立ち上がると壁に添って歩き始めた。



 窓のない壁が、周りを覆っていた。
人気がない廊下を音だけを頼りに歩く。どう聞いても、大樹の鼓動にしか聞こえない。どうにも不思議だと思いながら、フェリオは見つけた扉の前に立った。音もなく開いた部屋を覗き込んで、フェリオは息を飲む。

 大樹。

 赤い果実をたわわに実らせた樹が、石で固められた床の間から生えていた。そんな馬鹿な。樹々は根がなければ生きていけないだろうと思い直し、近付いてみる。
 樹を囲っていた塀のようなものがあると思っていたが、そうではなかった。
境目から下は巨大な水槽になっていて、大樹はその幹を支えるのに相応しい根を水の中に漂わせていた。
「…んだ。これ…。」
 驚きと共に吐き出された疑問に、答える人間などいないと思っていたが、そのだだっ広い部屋に反響するほどの、大きな声が返ってきた。
「林檎の樹ですよ。」
 作業服に身を包んだ青年が、片手にバケツをもう一方に機械を抱えて近寄ってくる。困ったように笑う表情を、フェリオは不思議に思う。
「あ、俺…その。」
「迷子でしょう?すみません。」
 へ?と目を見開いたのはフェリオの方だった。青年は、手に持った品々を床に降ろすと、二の腕まである手袋をはめながら、なおも困った顔をする。
「一般に開放している農園と繋がってるんで、よく道に迷った方が来られるもんで。」
 そうでしょう?と目で問われ、フェリオは取り敢えず頷いておく。
「やっぱり。きちんと道順を書いたものを貼っておけって、事務には言ってあるんですけどねぇ。すみません。作業が終わったら外までご案内しますから。
あ、遠慮はしないで下さいね。此処の学校は本当に広くて、ひとりだとまた迷子になってしまいますから。」
「はぁ…。」
 曖昧な返事をかえして、フェリオは目の前の樹を見つめた。
青年はせっせと手を動かしてバケツを水槽に放り込み、すくった水に機械を浸す。そして、フェリオの視線が、樹に釘付けになっているのを見ると笑った。
「こんな大きな樹、不思議ですか? ああでも、特別なものじゃありませんよ。一般の農家で普通に栽培している普通の品種です。」
「…へぇ…。」
「でも、普通に育ててもこんなにはなりません。
 少しばかり育て方を変えてやるんですよ。そうすると、こうして無限に大きくなり、無限に実をつけ、病気や老いを寄せ付けなくなります。」
 
 そして、複雑な表情で青年は笑う。

「自分で作っておいて、何なのですが、それって、何処か不自然ですよね。」

 
「…不自然…ですか?」
 青年の意図するところが良くわからずに、フェリオは言葉を濁した。
 無限に大きくなり、無限に実をつけ、病気や老いを寄せ付けない。ある意味、究極の存在だろう。人の理想の存在と言ってもいい。
 フェリオ自身は、それを良しとする気持ちは持ち合わせてはいなかったのだが。

「自然のあるがままの姿を曲げて、こうして形づくられたものは異質ですよ。」
 ああ、研究者が告げるような事ではありませんね。そう言って青年は苦笑した。
どうか、他言無用に願います。困った表情で、フェリオにそう付け加えた。
「理論上は、少しも間違っているところなどありはしません。だからこそ、目の前に確かなものとして存在もしている。」
「それで、何処が不自然だと思うんですか?」
 小首を傾げるフェリオを見て、青年は笑った。
「もしも、貴方が肥沃な大地に根を張った大樹を目にしたらどう感じるのか…を考えていただけるといいんじゃないでしょうか?」

 フェリオの脳裏には、セフィーロが浮かぶ。
肥沃ではないが、樹齢など考えもつかない木々達は存在している。その存在を前にしえて思う事は、崇拝に近い感情だろう。青年の言う違和感などない、それはわかる。
 ならば、何故この建物の中になる立派な樹にそれを感じないのか。
大きさでいうならば、セフィーロの大地に根ざすものたちと大差ない。寧ろ、建物に遮られ、守られているこの大樹の方が体裁としは、遙かに美しい。
 長い年月に晒された木々はやはり、汚れたり、その幹を浸食されたりしているものだ。
 
「…人工的過ぎて…なんだろう。心がついていかない感じ…?」

 自分でもよくわからない言葉を無理に繋げてみる。確かな存在があって触れる事も出来るのに。そして、有機物なのに、酷く無機質。

「そうですね。自然ではない。自然の中ではこんな姿は有り得ない。目の前にあっても、人の心はついていくことが出来ないんですよ。」
「…単純なんだ。」
 フェリオがそう告げると、青年はにこりと笑った。
「単純です。これが、科学者の好奇心て奴も単純なので、こんな有り得ない者をつくってみたくなるんですけどね。
 そうそう。こうやって、不老不死みたいなものを造る事が出来るのは、元々我々の中にそういう機能がついているって事なんですが、実際、私達はその機能の使う訳でもなく病にかかり、死んでいく。此処が、学者としてどうしても解せない。
 いいですか、そもそも…。」
「はぁ…。」
 フェリオが関心を示したのを良いことに、青年の主張はどんどんとパワーアップしていった。こういう人間は、自分の理論を聞いて貰うことを至上の喜びとするタイプが多いのだから、うっかり聞き入ってしまったフェリオの痛恨のミスだ。
 怠い身体を支えながら、ああとかううとか適当に相槌をかえしていく。
 ちょっと、座ってもいいかなぁとプールの淵に目をやると、こぽりと気泡が根から沸き上がっていくのが見えた。いくつもの細かなそれは、水面で消えていく。
 これはこれで、随分と神秘的な情景だ。そう思うと、別に此処が嫌いではない事にも気付いた。

 ああ、と、唐突にフェリオは思う。
 科学的な根拠などまるでないお話だったのだが。

「ねぇ、俺は思うんだけどさ…。」
 フェリオの声に青年は、論述を途切れさせる。
「持ってるのに、使わない機能っていうのは、俺達がいうところの(未来の可能性)って奴じゃないのかな。」
「…君は、結構ロマンチックな事をいう人間なんだね。」
 感心したように頷かれ、却ってフェリオは自分の台詞に赤面した。

 
青年が案内してくれたのは、何度か風と訪れた事のある温室と向き合う扉だった。
『Visit road』と書かれた看板が大きく開かれた扉の上に掲げてある。
 日本語では、『ご自由に見学してください』と書かれていたのだが、生憎とフェリオには読む事ができなかった。
 会話をする分には、何故か不自由なく通じるのだが、どうしても読む事は出来ない。漢字は随分と難しいでしょうからという風の提案で、フェリオは、彼女に『英語』の読み書きを教わっていた。
 熱心に、そして根気よく教えてくれた彼女の横顔が浮かび、フェリオは痛みを感じる。やさしかった風を泣かせてしまったのは、己だ。
 
「すみませんでした。」

 ふいに差しだされたカップに、フェリオは驚いて首を振った。なみなみと入った薄黄色の液体からは甘い匂いがする。途端に空腹を鳴りそうになるお腹をなんとか押さえた。
「いや、あの、俺が勝手に迷い込んでしまったのに、こんな事をしてもらう覚えは…。」
「いいんですよ。面白い話を聞かせて貰ったし、迷子にさせたのはこちらの責任ですからね。」
 はい。と掌にのせられると、ひんやりとしたカップが手に心地良かった。誘われるように一口含めば、もう止められない。一息に飲み干して、思わず赤面した。
「美味しいでしょう? これさっき見ていた樹の実のジュースなんですよ。」
「へえ。」
 フェリオは空っぽのコップに目をやり、そして自分が出てきた建物に視線を移す。
 こうして見ていると建物は他のものと変わりなく、あんな不思議な樹があるようには思えない。夢をでも見ていたのではないかと疑いたくなる。
「美味しいです。とても不思議な気持ちがしますけど、美味しいですよ。」
「嬉しいなぁ。」
 青年は、そう告げてからジュースを口に含んだ。ゴクリと飲み干して、フェリオに手を差しだした。
「それ捨てておきますから。」
 フェリオは感謝の言葉を共に空になったコップを青年に渡す。青年は自分のものと重ねて、ぐしゃりと潰した。
「さっきのね、話しなんですけど。」
「はい?」
 困ったような表情で、青年はフェリオを見つめる。
「持ってるのに使わない機能というのは、確かに可能性かもしれないんですが、ひょっとしたら出してはいけない、使ってはいけないもの…という考え方も出来るんですよ。」
 フェリオは、青年の告げる言葉に何処か後ろめたいものを感じて黙り込む。
そう、俺はそのことをわかっていたのかもしれない。
 なのに…。
「使ってしまったものに、貴方は不自然だと言った。まぁ、そういう事ですね。すみません、お引き留めしてしまって。」
 会釈をして再び建物に戻っていく青年を見送って、フェリオは小さな溜息を付いた。
 
 それは自分の事かもしれない。それは、自分の恋ではないだろうか。

 不自然に歪んだ互いの思いを生んだ原因は、可能性だの希望だのと、都合のいい解釈をつけて、本来は出してはいけないものだったのに、無理を通そうとしたせいなのだろうか。

 ただ彼女を困らせるだけ、セフィーロを蔑ろにするだけ。これが、自分にとっての恋なのだろうか…。

 どんな恋でも…と言い続ける傲慢さは、ただの歪んだ欲望なのかもしれない。

〜Fin



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