※今回は続き…になります。 こういう場所は、何度来ても苦手だ…とフェリオは思う。 何を着ても穴が空いてなきゃいいじゃないか…と言う程に興味がないかと言われるとそこまでではないが、何着も試着して服を買う程に洒落気があるわけではない。 店員と話しをしている風を眺めながら、小さく溜息を付いた。 ふいに、風が振り返る。 「どうなさいました?気にいりませんか?」 眉を潜めた彼女の表情に、フェリオは慌てて首を横に振った。 「いいや、どれも良い物だと思う。」 そしてこれが、素直な彼の感想なのだ。 着衣に求めるものは、まず肌触り、次は機能性。その次に装飾がくる。最初の二点については、風や店員が持ってきたどの服も問題は無い。 つまるところ…どれでも良いと思っているのだ。 しかし、風と店員は、あれやれこれやと着せたがる。ひょっとすると、自分は着せ替え人形の類なのかと思うくらいだった。 「何でもお似合いになるので、迷ってしまいますわね。」 微笑みを絶やさない店員の、お世辞とも感じる言葉に苦笑いを浮かべてから、鏡に写る自分の姿を見てみる。 …が、似合っているのかすら、自分では良くわからない。 溜息を付きそうになって、また風に見咎められると不味いと感じ、慌てて彼女の姿を探した。 そして、風の姿が鏡に写っているのに気付く。 風は自分が試着した服を両手にとって、何やら思案しているように見えた。 そろそろ、決めてくれるのだろうか?淡い期待がフェリオの心に浮かんだ。 …が、それもまた唯の希望的観測。 彼女は、まだ決定には至ってはいなかったらしい。すんなりと細い指の上にあると、やたら大きく見える男物の服を再び降ろすと、別のものを手に取った。 それを両手で広げてから、小首を傾げてみせる。幼い子供のような仕草がとても可愛らしく見えた。 思わずフェリオは苦笑いをする。 こんな時間が嫌いなわけじゃない。どちらかと言えば嬉しい。自分の為に、彼女が一生懸命服を選んでくれているし、彼女と過ごす時間に文句は無い。 しかし、自分は未だにこちらの経済流通の仕組みを完全に把握していない上に、文無しだ。何をするにも彼女に頼らざるを得ない居心地の悪さは、なかなか馴れるものでは無かった。 魔法は万能じゃない。 まさか、こんなところで実感するはめになるなんて…とフェリオはうっかりと溜息を付いてしまった。 そして、両手に服を持ったまま自分を覗き込んでいた風と目が会う。はっと口を抑えたが、後の祭りだ。 風の瞳が戸惑うように揺れているのがわかる。 「やっぱり…駄目ですか…?」 そうして悲しそうな表情になる風を見てしまい、なんて間抜けだと自分を罵ってもどうにもならない。 フェリオは白旗を掲げる事に決めた。 風の肩に手を回し、店員に聞こえないように向きを変えさせると、耳元に話しかける。 「…お前に頼ってばかりで申し訳ない…と思っていたところなんだ。また、お金使わせてしまうだろ? あの…だから、どれも良い品だと思うから、手出しの少ない奴で決めてくれていい。俺はお前に負担ばかり掛けている。」 風はフェリオの言葉に吃驚した様に暫く目をパチクリさせていたが、クスクスッと笑った。 「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。」 「…けど。」 歯切れの悪いフェリオに、風は本当に大丈夫です。と言葉を返す。それに…と付け加えた。 「これは、私のお礼なのですから、フェリオさんがお困りになっては、私が困ってしまいますわ。」 「…でも…。」 「それで、どれもよい品なんですね。」 フェリオはコクリと頷いた。 「では、こちらとこちらの両方に致しますわ。何だか、ひとつに決めかねてしまっていたので、やっと決まって良かったですわ。」 両手に持った服に視線を走らせてから、にっこりと微笑んだ風を見てフェリオは慌てた。…が、彼女は踵を返すと店員の方へ行ってしまう。 「お、おい風!?」 彼女が手にしていたのは、最後まで見比べていた品々には違いなかった。しかし、これでは、自分が意図していた事と真逆な方向に進んでいないか!? 試着室から転がる様に飛び出してくるも、風の行動を留める事は出来なかった。 彼女の側に立った時には、洋服は綺麗に畳まれ袋に入れられた所。店員の笑顔と共にそれはフェリオの手に渡される。 条件反射的に受け取ってしまい、戸惑いの表情はそのままに店員と風を見る。 「や、その、これは…。」 「まぁ、フェリオさん。」 彼女の顔を見つめたフェリオに、風はぷっと吹き出した。下を指差す。 「靴…試着用のままですわ。羽織っていらっしゃる服も…。」 「え?ああ。」 下を向き、彼女の言葉を確認して試着室に戻り、羽織っていた商品を返して自分の靴を履く。全てが終わった時には、風はもちろん精算を済ませて、扉のところで微笑んでいた。 「ありがとう。」 お礼の言葉は口にしたものの、浮かない表情のフェリオに風は微笑む。 「どういたしまして。」 「なぁ、風やっぱり、俺…。」 「気になさらないで、と申しましたわ。」 クスクスツと笑って風は微笑む。「私、今はちょっとだけお金持ちなんですよ。」 きょとんとした顔で自分を見たフェリオに、風は笑みを増した。 「バイトしたんですよ。」 「バイト?」 「お父様のお友達から、助手を頼まれてお手伝いを。それで、お金を頂いたんです。」 ちょっとですけれど。そう言って風は笑う。 『それがバイト…。』フェリオはそう呟いてからこう聞く。 「何をしたんだ?」 「ピアノ教室のお手伝いです。小さな子供さん達にピアノの弾き方をお教えするんです。」 フェリオに問われて、その事を思い出したのか、風の表情がいっそう優しくなる。 いつにもまして柔らかな風の笑顔にフェリオの目は惹きつけられる。 「皆さんピアノがお好きだとおっしゃって、一生懸命弾いているのを見ていたら、なんだか嬉しくなってしまいました。その方がおっしゃるには、私なかなか上手だったそうですわ。」 両手に唇を当ててふふっと微笑む。とても楽しい体験だったのだろう、風の笑顔がそう告げている。ふっとフェリオの目が愛おしく細められる。 「今の風、良いな。」 「え?」 「ピアニストになるのが、風の夢なんだろう?でも、今子供達に教えて嬉しいって言った時の風はとても優しい顔だった。」 今度は風がきょとんとフェリオを見つめる。その顔は、何故と問う。フェリオ少しだけ困った顔で風に言う。 「上手くは言えないんだが、夢を語る時のお前は、とても決意を秘めていて強い。でも、表情は硬かった。それは大事な事だと思けれど、今子供達との係わりを話していた風はとても優しくて、自然で、同じピアノという夢があっても、お前の表情は違うんだな…と思ったんだ。」 風は驚いた顔で、フェリオを見つめた。 なるべく不快な表情を浮かべないよう気を使っている分、表情豊かだと告げられた事は無い。夢を話す時と、そうでは無い時の表情が違うなど思った事も無かった。 「そうですか。そんな事おっしゃって下さった方はおりませんしたわ。」 「そうか?」 今度は、フェリオが不思議そうに首を傾げた。あんなに違うのにと笑う。そして、手に持った包みを顔の横へ持ち上げるとペコリと頭を下げた。 「じゃあ、ありがたく貰っていくよ。」 「はい。」 風も同じように会釈をする。 「また、来る。」 そう言うとフェリオは一目を避けるように、路地に曲がる。その後を追っていっても、彼の姿がそこにはない事を風は知っていた。 「また…ですね。」 呟いた風は、寂しそうな笑みを浮かべた。 普段なら、すぐに隠す異世界のものをそのままにしていたのはやはり疲れていたせいだ。この頃頻繁に異世界と行き来したのが原因だろうとは思い当たる。 最初に比べると、魔力の消費は減ってきていて、要領を得つつあるのは感じていた。行き初めの頃にこんなに往来を繰り返していたら、あっという間に限界だっただろう。 それでも、疲労という形でそれは自分に無理を告げる。 怠い身体を起こして、整理をはじめたフェリオの目に、風が巻いてくれた包帯が写る。 「ああ、これも…。」 解いておかなければ、異世界の気配などクレフに簡単に気付かれてしまう。 最初に、倒れてしまった自分に二度と異世界へ赴くなと釘を刺した相手だ、見つかったら今度こそただでは済まないろう。 わかっていても、それは解きがたかった。 それを見つめていたフェリオの耳に、ノックの音が聞こえた。 「はい?」 考え無しに返事をすると、直ぐに扉が開いた。 はっと表情を変えたフェリオを見て、不思議な顔をしたのはラファーガだった。 「入ってはいけなかったか?」 そう問われ、フェリオは首を横に振る。 「買い物に行ってたんで、ちょっと整理をしていただけだ。」 苦笑いをしたフェリオに、ラファーガは首を傾げた。 「…今日は一日部屋で、休養をしているはずだと門番には聞いたんだが…?」 フェリオは言葉に詰まる。上手い言い訳が浮かばず、そうなんだけどね。とだけ答えた。 「…ラファーガはどうして此処に?今日は、稽古をしてくれる日ではなかった…よな?」 最後は探るように語尾が上がったのを聞いて、ラファーガは笑った。 「お前は約束を破るような事はしていない。これを持ってきただけだ。」 ラファーガはそう言うと、フェリオに剣を手渡した。 「これ…?」 「プレセアに頼んで創って貰った。練習用の剣だ。」 思いがけない贈り物に、フェリオの顔が輝いた。 「いいのか?」 「…精獣使い殿に先だってのお詫び…ということにしておいてくれ。」 ラファーガは笑いながらそう告げる。 フェリオは、右手で鞘を持ち柄に手を掛けると、僅かばかり剣鞘から抜き出した。そして、その剣光に目を奪われる。 訓練用とはいえ、流石にセフィーロで最高位の創師と呼ばれる人の手になるもの。世間にごろごろしている廉価品とは訳が違う。鞘にも律儀に装飾が施されていた。 感嘆の溜息を付いて静かに刃を剣室に戻すと、フェリオはラファーガを仰ぎ見た。 そして笑う。 「剣闘士ラファーガ殿に剣を指南する機会を得た事に詫びはいらないんだが…でも感謝する。」 「フェリオ。前にも言ったと思うが、お前は剣士では無いし本格的に剣技を磨くというよりは、身を守る方に徹した訓練をした方がいいと思う。剣もそれ向きなものを頼んでおいた。」 そして『しかし』と言葉を続けて、クスリと笑う。 「それはどなたに治療して頂いたものだ?まるで、蒸しものをつくるように巻いてあるが…。」 「…あ、ああ、これは…。」 自分の腕に巻かれた包帯の事を言われているのだと知って、フェリオは頬を紅くし返事に詰まる。 その様子でラファーガはひとつの結論に辿り着いた。それならば、休養をしていたはずの青年が出掛けていたとしても納得がいった。 「…女のとこころへ行っておられたか…。」 そういえば、カルディナが彼は届かぬ恋をしていると言っていたと、ラファーガは思い出した。 「…他言無用をお願いして構わないか?」 後ろ頭を掻きつつ目を閉じる。フェリオの頬の赤みはすぐにひくことは無い。ラファーガは笑みを浮かべた。 「当たり前だ。私は其処まで野暮では無い。しかし、これほど丁寧に手当をしてくれる女がお前に気がないとは思えないが。」 フェリオは暫くの間黙っていたが、瞼が上がる。何処か遠くを見据えるような目をしてゆっくりと口を開いた。 「彼女は、俺が迷惑を掛けても許してくれるような優しい女だ。 そして、それすら気にするなと言ってくれる。…けど、それは恋ではないよな…。」 ふうと溜息を付くと顔を上げた。 ラファーガに向けられた瞳は、強い光を帯びて彼を見据えた。少しだけ目を細めて笑う。 「でも俺はあいつが欲しい。諦めるなんて出来ない。」 それは、この青年の心の強さなのだろう。どんな困難も障壁も、フェリオの想いを留めることは敵わないように感じた。 ラファーガも笑う。 「心のままに、いかれるのがよかろう。」 にかっと笑ったフェリオが、何か思い付いたように顔を顰めてラファーガにこう尋ねた。 「恥かきついでに聞くんだが、ラファーガは今カルディナに世話になっているんだよな?」 ラファーガはフェリオの問いの意味が理解出来ず黙ったまま、フェリオの次の言葉を待っている。 「え…とその、金銭的に、彼女の世話になっていて…その…。」 「紐…という事か?」 サラリと返され、フェリオは勢いよく首を左右に振った。 「そんな失礼な事は言わないが…そういう状態は気にならないものかと思ったんだ。 何か買ってやることは出来ないだろ?俺も、惚れた女に世話を掛けているから、どうしているのか気になって…。」 ラファーガは顎に手を当てて暫く考え込んでいたがこう答えた。 「そうだな、私は彼女が一番欲しがっているものを返している。」 それはなんだとのフェリオが聞くと「愛だ。」と返事が来た。 愛!? 顔色ひとつ変えずに、正面を向いてそう返され、フェリオは言葉も無い。 目の前の男はそういう恋愛沙汰とは無縁に見えるから、驚きも倍増。 生真面目そうな男に何があったのかと考えるより、寧ろ、カルディナの教育の賜物と言うべきだろう。人目も憚らずに熱風を吹かせまくるカルディナを何度も目撃しているフェリオはそう結論づけた。人間馴れとは怖いものだ。 そして、その(お返し)が自分には当てはまりそうにないことも認識する。 「…それは、今の俺には使えない技だ…。」 充分時間を置いてから、フェリオはポツリとそう呟く。 『そうか?』と答えたラファーガに色々な意味で、自分は修行不足であると再認識したフェリオだった。 〜fin
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