大胆不敵


 滑らかに鍵盤の上を踊っていた指が止まる。
力を入れていた肩から、気を抜いて風は側に立っている教授の方を振り返った。
 初老の男性が壁に背中をもたれるようにして立っている。長い顎髭を湛えた彫りの深い顔立ちで、髪も髭も銀。もう少し体型が豊かならば、サンタクロースを思わせたのかもしれないが、生憎と男性は細身。そして、彼が風担当の教授だった。
曲を弾き終えたのに瞼を閉じたままなのは、何事か考えているらしい。
 見た目の物腰柔らかな風貌と違い、彼のレッスンは厳しい。
いくつものコンクールで受賞歴を持つ彼自身の実績もさることながら、彼が手掛けてきた音楽家は、殆どの者がこの世界で活躍しているという折り紙付きの実力者だった。この大学に入り、彼の元で指導を受けることが決まった時、風は感激のあまり泣き出してしまった位だ。
 実際そのレッスンを受けてみると、前評判通り…いやそれ以上に厳しかった。完璧な操作方、指使いを求められ、曲の持つ意味情緒に至るまで指導の手が及ぶ。
『繊細な技術と大胆な演奏を求める』
と彼に言われた事がある。実のところ風にはその意味はよくわかってはいなかったのだが…。

 暫くすると、目を開けた教授は顎を持って頭を軽く曲げた。
腑に落ちない…そんな様子の彼に風の緊張が高まった。
「鳳凰寺さん。」
それを知ってか知らずか、教授はゆっくりと声を掛けた。
「指使いは完璧でした。」
ホッと胸をなで下ろした風に、教授は何かを問い掛けようとするが辞めてしまう。
風がそれを聞こうとした時に、教授は首を横に振った。

「…まだ、止めておきましょう。」

そう言い残すと、部屋を出て行った。
 驚いて見送ってしまってから、風は慌てて教授の後を追いかけてお礼の言葉を言い頭を下げた。
廊下を歩く教授は、まだ頭を捻っている。不思議な事だと風は思った。
彼をあんなにも悩ませているものはなんなのだろうか?
しかし、時計を見た風は約束を思い出した。
「そろそろ、フェリオさんがいらっしゃる時間ですわ…。」
そう呟くと頬を染めた。
この間の酒盛りの失敗を思い出したのだ。目が覚めたら自分の部屋。彼の背中におぶわれたまま眠り込んでしまうという失態までやってのけた自分に、ある意味感嘆の言葉を贈りたいほどだ。
 その次に訪れた彼にお礼をしたいとお願いして、今日来てくれる事になっていた。
しかし、お礼についてはレッスンの前までずっと悩んでいた。
その為に演奏が疎かになってしまったのではないかと心配になったほどだ。先程の教授の様子が気になったのもその為。
 約束の場所へ向かおうと廊下歩いていると、何人もの学生とすれ違う。見つめてふと思い立つ。
「…長袖の何かがよろしいでしょうか?」
ぽそりと呟いた。
そろそろ肌寒い季節になっている。自分も半袖の上に薄物のカーディガンを羽織っていた。品物を贈るのなら着る物にしよう。そう決める。
何がいいだろう、ジャケット、カーディガン、それともコートの類がいいだろうか?細身の彼は、きっと何を着ても似合うだろう。そんな事を考えて、そしてそれがとても楽しいと感じた。
その事に気付き、また頬が赤くなる。
両手で頬を覆って目を閉じた。『全く』と自分を叱咤してみる。

小さな子供でもありはしないのに、私は何をこんなにはしゃいでいるのだろう。恥ずかしい。

「今日はきちんとお礼をしなければいけませんわね。」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、風は早足で歩き出した。



 待ち合わせの場所は、大学で管理している植物園の中。
一般開放されていて、学生以外の一般の人々も自由に出入り出来るようになっていた。
大学以外の者とつき合っている人達のデートスポットになっている事は風もよく知っている。学外の人との待ち合わせには最適なのだ。とにかくこの学校は広すぎる。
 植物園にはフェリオの方が先に着いていて、風の姿を見つめると片手を上げて、微笑んだ。
風は軽く一礼してから彼の側に向かう。
半袖の彼はやはり寒そうに感じて、風は先程考えていた事を実行しょうと決めた。
まず、その話をしようと近付いた風は、フェリオの腕にいくつもの傷がある事に気が付いた。
 大怪我という程のものではなく、細長い引っ掻き傷のようなものが何本か付いている状態。殆どのものは、瘡蓋が出来ていて、少し赤みがあるものの乾いていた。
しかし、まだ血を滲ませているものもある。
「そのお怪我は…?」
心配そうに眉を潜めた風に、フェリオは気にするなと笑った。
「ちょっと思うところがあって、剣術を教わってるんだ。」
「剣術…ですか?」
平和な東京暮らしではピンと来ない。
風は小首を傾げた。剣道…のようなものだろうか?
それともフェンシングのようなもの?
しかし、どちらの問いもフェリオには理解出来ないだろう。
フェリオも風の疑問に上手く答えを返す事が出来ず、苦笑いを返す。

(お互いに別の世界に暮らす人間なのだ。)

 こんな時に、酷くそれを感じる。自分の当たり前が、相手には全く通じない。そのもどかしさ。
風はそれ以上追求するのを止めた。元々二人の世界は違うのだ。追求してもどうなるものでもない。
「随分お強いと思いますが、剣…も必要なんですの?」
 一度彼と戦った時も、剣を持っている様子は無かったことを思い出し風はそう聞いた。強くなんかないよ…とうっすら頬を赤くしてフェリオは言葉を続けた。
「魔法を使う為に呪文を唱えたり、魔力を集約する時間が必要だから、その間を凌ぐ程度の体術は身に付けているがどうも不十分だと思ってた。折角強い剣闘師と知り合いになったから、いい機会だと思ってさ。でも相手が強すぎてお話にならない。」
 そう言うと、フェリオは腕を持ち上げ、傷口をペロリと舐める。酷く男っぽい仕草に風の胸がドキリと鳴った。
しかし、ジワリと滲んだ血液が一端は消えたものの再び浮かび上がっている。
「手当をなさった方がいいと思いますわ。こんな傷舐めておけば治るなんておっしゃらずに…。」
風の言葉にフェリオは吃驚した顔をする。
「なんでわかったんだ?」
「今、なさっていたじゃありませんか。」
クスクスと笑いだした風にフェリオは頬を染めた。
「フウにはお見通しだな。」
フェリオはそう言うと鼻の頭を指で掻いた。
「その仕草…。」
風は懐かしそうに目を細めた、そして、不思議そうな顔をしているフェリオに、同じ事をしてみせる。
「…最初に私を助けて下さった時同じ仕草をなさっていましたね。」
「そうか?癖なんて…自分では良くわからない。」
そう言いつつ、また鼻を掻く。
しかし、今度は自分でも気付きバツが悪そうに風を見た。
クスクスと風が笑う。綺麗な笑顔にフェリオも頬を赤くしながら笑みを浮かべた。
「あの際に、セフィーロの方々と分かり会えたような気が致しましたが、実際こうしてまたお会いできて、交友関係を持つ事は本当に嬉しいですわ。あの時信じたものが、確かだったと感じる事が出来ますもの。」
「それだけ…か?」
フェリオはそこで言葉を止めた。
「え…?」
自分を見つめ返した風に、ハッと表情を変えてフェリオは頭を横に振った。
「すまない。何でもないんだ。」
笑え。フェリオは自分にそう命令する。
しかし上手く笑顔が作れたかどうか自信がない。
覚悟していた事だったが、直接言われるとさすがに堪える。

 自分は彼女に恋い焦がれてレイアースに来る事を望んだ。
しかし、彼女は違う。もう一度訪れることがなければ、それはただの想い出として流れ去ってしまう程度のもの。
彼女の笑顔がもう一度見たいと望んだのは自分だ。

「フェリオさん?」
 黙りこんでしまったフェリオに、風は心配そうに声を掛けた。
彼は時々こういう目をする。
寂しそうな、それでいてとても柔らかな深い瞳の色。
見つめていると自分の胸も苦しくなってしまいそうになる、何故と問い掛けてみたい。その瞳の理由を知りたい。
しかし…フェリオは戯けた声色でこう返した。
「で?俺はこれからどうすればいいんだ?」
「ん?」
フェリオはにっこりと風に笑い掛けた。

表情豊か…と表現するのだろうか。
さっきまで、あんな大人びた表情をしていたのに、今はまるで子供ようではないか?
『羨ましい』
風はそう思った。自分はいつも同じような表情をしている気がする。それはきっとつまらない事ではないのだろうか?
「フウ?」
「あ、すみません。怪我の手当てをと思ったのですが、そう言えば魔法で治せないものなのかと考えてしまって…。さ、こちらですわ。」
 医務室のある方向に軽く身体を傾けてから、風はゆっくりと歩き出した。フェリオもその後に続く。
医務室へと続く植物園を並んで歩く二人ははたから見れば恋人同士に見えるのかもしれない。ふいに風はそう思う。
此処はそういう間柄の人達がよく通る場所なのだから。
「中途半端が嫌いなんだ。」
「え?」急に声を掛けられ、風は慌ててフェリオの方を向いた。
いらない事を考えてしまったせいで、頬は赤くなっていないだろうか?変に思われはしないだろうか?
フェリオは少しだけ苦笑いをしてからさっきの話と言う。
「治癒と攻撃は正反対の性質があるんだ。両方を共に受け継ごうとすると、どちらの魔法も中途半端なままだ。
それが嫌だったから攻撃系の魔法のみを継ぐ事を望んだ。それが、強くなることだと思っていた。だから、俺は治癒魔法は使えないんだ。」
プラスとマイナスではゼロになる。理屈としては風にも理解出来る。
「まるで、赤魔導士…ですわね。」
風はフェリオに聞き取れない程の小声でそう言うとクスリと笑う。
 昔流行ったゲームのキャラクターで、中盤まで黒魔法と白魔法の両方が使えて便利なのだが、ラスボスと戦うあたりになってくると力不足を感じるキャラクターだった。中途半端とは正にそのことだ。
 しかし、最初から黒・白を選んでしまうと応用力がなさ過ぎて育てるのに苦労する。初めから選ぶ事が可能である条件は、魔力が強力という事ではないだろうか。つまり、それはフェリオにも当てはまる事。
 フウと彼が溜息をつくのが聞こえた。
「…でも、今は間違っていたと思ってる。」
「どうしてですか?」
「…攻撃は最大の防御なんて、穿ったことを思っていたが、実際仲間が傷ついても何も出来なかった。フウとは反対だ。仲間を庇い、ランティスを助けようとしたお前に教えられた。」
真っ直ぐな視線は、遮るものなく自分に注がれる。
「そんな…。当たり前の事をしたまでですわ。」
頬を赤くして俯く風は、うっかり医務室へ向かう道を通り過ぎてしまう。まだ、先なのかと問われて、初めて気付いて慌てた。
「すみません。こちらですわ。」
フェリオは此処の場所もわからないのだから、自分がしっかりしないとそう思った風は無意識のうちにフェリオの手をとって、歩き出した。
「あ…の…。」
ギュッと握られ歩き出されたフェリオの驚きは彼の頬を赤く染めた。振り払う理由もなく、しかし戸惑いは隠せない。
彼女に手をひかれ歩く道は、どんな時間よりも長くそして短くも感じた。
「こちらですわ。」
 医務室というよりは、病院という佇まいの玄関口に着き、中を指し示そうとした風は、自分の手がフェリオのそれを握っているのに気付いた。
気付いた途端動きが止まる。全身の意識がそこへ向いた。
 最初に肌が彼の体温を温いと感じる。
そして視覚が大きいと認識した。けれど男性にしては、細く長い指と綺麗な爪だと感情が告げている。
 手を握って真っ赤になり、俯き動かなくなった風を、フェリオは困った表情のまま見つめていた。勿論、彼の頬も赤い。
手を繋いだまま、まるで時間が止まったように二人は動かない。

「どうしたの?何か用?」
 ふいに医局の事務員の声がして、それが合図のように二人の手が離れる。名残惜しい…彼女の柔らかな手の感覚を喪失して一瞬フェリオはそう思う。
風は、赤くなった顔を隠すように俯いたまま頭を下げた。
「…あの、はい。部外者の方ですけれど構わないでしょうか?」
 事務員の視線が、フェリオに向くが風の方に向き直りくすくすと笑った。
「私には貴方が部外者かどうかだってわからないわ。此処は桁はずれの学生数なんだから、構わないわよ。」
彼女は笑顔で二人を中へ手招きした。
「真面目ね貴方は。」
廊下で先導しながら、事務員は風を振り返りそう言う。
「あのね。学生の中には恋人同士で、医務室のベッドを使いにくる人達がいるのよ。だから、カップルで来た人達にはあまり使わせないのだけれど、貴方達は大丈夫そうね。」



 黙々と自分の腕に薬を塗ってくれている風から、少しだけ視線を逸らすとベッドが見えた。
 ぎょっとして慌てて視線を天井に戻す。
どうせなら、あんな事を告げないで欲しかった。…とフェリオは天を仰ぎつつ思う。
 こうしていると嫌でも目線のなかに入ってくるそれを、妙に意識してしまい二人の間には気まずい雰囲気が流れていた。
『カップルでベッドを使う』=『昼寝?』と答えるほどにお互い子供でもないのだ。

「すみません。少し腕を上げて頂けますか?」
「こう、か?」
 二の腕の方にテープを巻こうとしていた風に、そう声を掛けられ彼女の持ち上げる手に合わせて、腕に力を入れた。
片手を添えて、テープを巻いていた風の動きが突然止まる。頬を染めて、両手を放した。
片手だけ、万歳手前まで上げた腕はどうしていいかわからず、テープだけが所作なくぶら下がっているのを手に取る。
「フウ?」
「すみません。テープが足りないようですの持って参りますわ。ガーゼが落ちるのでこのままでお願い致します。」
 自分の顔を見ようとしないのは意識している証拠なのだろう。
風が立ち上がり、そそくさと自分の元を離れるを見ながら、フェリオはコソリと息を吐く。
 自分が行こうと言ったわけではないのだから、彼女に嫌われたわけではないだろうが、こういうのは勘弁してくれよ。とフェリオは切に思った。
こういう場所で、それを望んでしまう男だと見られてしまうのも心外なのだ。

 風はこちらの人間が見たら、ウルトラマンがスペシウム光線を出すような格好のままのフェリオに背を向けて、薬棚に右手を伸ばした。左手はギュッと心臓の前に握られている。

吃驚したのだ。

 細身だと思っていた彼の腕にきちんと筋肉がついていた事に。
ただでさえ、先程の事務員の言葉が頭から離れないのに、温かく広かった背中や、繋いだ手の感覚がすべて蘇ってくる。
胸が高鳴るのを押さえられない。
 なんとか動揺を抑えて、棚に置いてあったテープを手に取り、戻ろうとした風の耳に甘ったるい声が聞こえてきた。

「大丈夫よ。誰もいなかったじゃない。」
 そして、扉から姿を見せたのはフェリオとつき合いたいと言っていたあの後輩の姿。学生らしい青年と腕を組んでいた。
彼女の目が風を見つけると、一瞬驚いたように見開かれそして笑みを浮かべた。
「なあんだ。風先輩も使用中…ですか?」
 風は、彼女の言う事は理解出来たが、答えにつまり返事をしない。
「なあんて事ないですよね。」
 その様子にクスクスっと嗤うと、少女は連れから腕を外し、フェリオの側に近付いた。媚びるような笑顔が少女の顔に溢れている。
「こんにちわ。また会っちゃいましたね。」
「……ああ。」
 たっぷりと時間をおいて返事を返したフェリオの表情は嬉しくもなさそうで、訝しげに片目を細めている。
「怪我してるんですか?かわいそう〜〜。痛くないです〜〜?」
 彼女の手がフェリオの腕に触れる。
 指先で傷口を撫でる仕草が妙に淫猥で不愉快だ。嫌そうな表情にはなったが、彼女を振り払わないフェリオの様子もまた、風の気持ちに不快な感情を生む。
「ほら〜、此処にも傷〜〜。」
 無邪気さを装った仕草で、フェリオの腕に自分の手を絡めていく。それでも、フェリオは動かない。…しかし。
「……触るなよ。ガーゼが落ちる。」
 フェリオはそう言うと風の方に視線を向けた。
 そして風は気が付いた。
 フェリオは彼女の事など、相手にしていないという事を。
ただ、自分が動かないで欲しいと言ったから、彼は動かないだけなのだ。
『フェリオさんはお困りのご様子です。躊躇する理由はありませんわ。』
 風は大きく、しかしこっそりと息を吸い込み、吐き出すと共に一歩を踏み出した。
「すみません。」
そして、後輩の後ろから声を掛け、にっこりと微笑んでみせた。
「申し訳ありませんが、治療の妨げになりますので退いていただけますか?」
 しぶしぶという風に少女が離れると、風は医薬品を横に置きフェリオの横に座った。
「遅くなってすみません。」
そう言ってフェリオの顔を見ると、安堵したような表情を見せた。口元に笑みが浮かぶ。
「もう、腕を動かしてもいいか?」
コクリと頷くと、自分の目の前まで腕を降ろした。
無条件の信頼が嬉しい。風は胸の中でそう思う。
「何やってんだよ〜。」
少女の連れが間延びした声で彼女を呼んだ。
「も〜話してるんだから、待っててよ。空気読めないの!」
手前勝手な理屈で青年を静止してから、彼女は再度風の方を向いた。
「ねぇ、風先輩、ここの噂知ってるんですか?」
 瞳に揶揄するような光を宿した少女は、風に尋ねた。
「存じていますわ。」
 手を動かしながら、抑揚のない声でそう答えた風を、フェリオは見つめる。視線を下げている彼女の表情は見えず、内心焦りを感じる。
 怒っているのか…、呆れているのか…。
 どちらにしたところで、それを増長させかねない『一番持っていきたくない話題』なのだ。
 おまけに、自らが青年を連れてきている少女が風に対して言おうとしている言葉も察する事が出来た。
止めるすべもなく、その言葉は少女の唇から発せられる。
「それが、わかっててフェリオさんを連れて来ちゃうなんて、風先輩って結構大胆なんですね。それとも無神経だったりして…あ、ごめんなさい。」
クスクスと嗤う少女の言葉は明らかに悪意を含んでいた。
「そういうの、相手の人がこまっちゃいますよね〜。」
 チラリと自分を見た視線に、フェリオの方が怒りを覚えた。
「おま…。」
 思わず抗議しようとしたフェリオに向かって風が顔を上げた。  その表情にフェリオは言葉をとぎらせる。
 自分を見つめる翡翠の瞳は、余りにも穏やかで怒りや苛立ちを欠片も感じさせない。

 こんな悪意など、風の心に傷ひとつ付ける事など叶わないのだ。彼女の強い心の前では…。

 風は軽く首を横に振って、フェリオに静止の意志を伝えた。そして、少女に話し掛ける。
「お喋りも結構ですけれど、お待ちになっていらっしゃいますわよ。貴方の事をお好きになって下さる『楽』な方…でしたかしら?」
「なっ…。」
 少女が息を飲むのがわかる。大人しい風から、反撃が来るとは思ってもみなかったのだろう。
「私達は、治療が終わりましたら出ていきますので、邪魔はいたしませんが、こちらの事務員の方が見にいらっしゃるかもしれませんわね。
 カップルでこちらをお使いになる方がいて困っているとおっしゃっていらっしゃいましたから…。」
そう言い風は微笑んだ。
「それから、フェリオは私の大切なお友達だと申しましたわ。この方を困らせる振る舞いは止めていただけますか?。
 フェリオは、『楽』な方ではありません。」



『楽ってなんだよ〜!』そう彼女に問い掛ける青年を引きずるようにして、少女は医務室を出ていった。
ムッとした表情のままの彼女は、可愛げを装う事も忘れてしまったようだった。
 風はそれを見送るでもなく治療を続ける。寧ろ、フェリオの方があっけにとられて、見送ってしまった程だ。

 そうして、フェリオの腕が包帯だらけになってから、やっと風は手を止めた。
「なんだか…大袈裟でしたでしょうか?」
 それを見つめて、小首を傾げた風は、いつもと変わらない。
フェリオは問い掛けずにはいられなかった。
「フウ。さっきのは…一体…。」
どんな答えが返ってくるのか、フェリオには検討もつかない。

「攻撃は最大の防御なり…そうおっしゃいましたわ。」
風はそう言って鮮やかに微笑んだ。
その綺麗な笑顔に、フェリオは息を飲む。

『大胆不敵』 

そしてこっそりとその言葉を飲み込む。
やはり彼女には敵わない。



〜fin



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