お誘い 「折角だから、飲みに行きましょう!フェリオもいいわよね。」 高らかに宣言した海に、何が折角なのだろうかと光と風は苦笑いを浮かべつつ了解する。 しかし、フェリオは大きく目を見開いたままで答えが返ってこない。 「何?意味がわからない?」 異世界の住人である彼に気を使い、海はもう一度すべての言葉を言い直す。 「今から私と、まぁ正確に言うと私達ね。…とお酒を飲みに行きましょうって言ったのよ。分かった?」 「あ、ああ。」 口元を手で覆い頬を紅くしたフェリオの表情に風は疑問を感じた。 「…セフィーロでは、お酒をお飲みにならないのですか?お酒…はありますよね?」 「あるよ。ただ…。」 「ただ?」 今度は光が不思議そうな顔で覗き込むと、彼にしては珍しく目を躍らせる。しかし、興味津々で見つめる光の為に仕方ないといった風に口を開いた。 「…女が男をお酒に誘うのは、セフィーロでは別の意味がある。」 「え?」 意味がよくわからないといった表情をした光以外は、海も風も驚きの表情になる。風などは、顔を真っ赤に染めて両手で顔を覆った。 「どういうこと?別の意味って?」 これ以上、答えを言うべきかとフェリオの瞳が風に助けを求めた瞬間、海が叫んだ。 「馬鹿!!!!!そんなわけないでしょ!!!!」 「う、海さん。」 「海ちゃんなんで怒ってるの?」 「知らないわよ!!!」 事態を理解していない光の台詞は海の逆上に油を注ぐ。 手にした鞄を振り回してきた海に、それを交わしながらフェリオが慌てて声を掛けた。 「ま、待てウミ!俺は別にお前が誘っているなんて思っているわけじゃ…。」 真っ赤になった海が、声を張った。 「当たり前でしょ!!!!」 「全くもう、とんでもないわよ。」 「海ちゃんが企んだりするからだよ。」 困ったように笑う光はいまだに良くは分かっていないらしい。風からも『大人のお付き合いの事ですわ。』とやんわり交わされ、フェリオに至っては同じ布団に寝ることと答えて、海に後頭部を強打されていた。 「なんて言うのか、ほら、男女の仲が進むのはお酒の力って言うじゃない?」 耳年増なのか何なのか、世話好きのおばさん風の台詞を吐く。 「そうなんだ。私よく分からないし、今のままでも風ちゃんもフェリオも充分仲良しだと思うんだけどな。」 そう言うと、少し離れて座っている二人に目をやる。 フェリオが後頭部に手を当ててさすっているのを風が心配そうな顔で見つめていた。 「酷い目にあった。」 「瘤は出来ていないようですわ。良かったですわね。」 そう言ってクスリと笑う風を見て、フェリオは顔を顰めた。 「…俺は嘘は言ってないぞ。」 「正直すぎるのも問題があるとお思いになるでしょう?」 そう言って、風は目の前のカクテルを両手で持つ。細かな気泡が含まれた琥珀色の液が小さく揺れた。 「…お前らは、こんなところによく来るのか?」 薄暗い照明のなかに照らされた彼女の横顔に浮き出る陰影が、感じる以上に女性を意識させてフェリオはそう問う。綺麗すぎて、誰かの目に触れさせることを嫌だと感じた。 「よく…は参りませんわね。自分からは行こうと思いませんので、誘われた時だけ参りますわ。」 「…男…からとか?」 風は吃驚したように目を見開いてフェリオを見た。さっきとはうって変わった真剣な瞳で自分を見つめる彼に風は頬を赤らめた。 「サークルの集まりとかでは参りますが、男の方とこうやってお酒を頂くのは貴方が初めてですわ。」 そう言うと風は片手で口元を隠し、手にしたグラスを傾けた。仰け反る喉元が微かに動いて、白い陰影を形づくる。 フェリオの視線は動かない。風は困ったように微笑んだ。 「…だから、少し緊張致します。特に、そんなに見つめられると…。」 「そ、そうだな。悪い…。」 フェリオは慌てたように視線をテーブルに戻し、自分もグラスの中身をひと口含んだ。そして顔を顰めて呟く。その言葉は風を驚かせ、二人の間の会話が途切れた。 それ以上飲もうともせず、視線も戻さないフェリオの横顔につい、いらない事を聞いてしまったのは、きっとそのせいだと風は思う。 「どなたかに、お酒を誘われた事がおありになりますの?」 自分でそう口に出して、風は内心慌てた。その意味を光とは違い知っているというのに、自分は敢えて何を聞いているのだろうか?知ってどうしようと言うのだろうか? 『もしかして、自分はもう酔っているのだろうか。』 「あ?ああ。そうだな。この間カルディナに誘われた。」 普通に返された答えに、更に慌てる。そして、慌てる自分が滑稽だ。 「…カルディナさん…?。」 「馴染みの酒場の踊り子だ。」 そう言うと、こんな話をしているというのに酷く寂しそうな笑顔を見せた。 「いい女なんだが、好きな男が行方知れずになっていて、寂しかったんだろうな。」 自分で振ってしまった話題に胸の動悸が収まらないまま、風は次の言葉を探した。 そして、何も浮かんではこない。脈絡のない行動は、酷く自分らしさに欠けているように思えた。 「フウ…。」 フェリオがフウの名を呼び、彼女が答えようとした時、扉が開くと数人の青年が入ってきた。 静かだった店内が一気に騒がしくなる。 席を探していたらしいそのうちの一人が、カウンターに座っていた海を見ると手を振って近寄ってきた。 「龍咲。お、なんだ?獅堂もいるのか。」 「あれ?先輩。」 答えを返した二人には手だけ振り返し、きょろきょろと周りを見回す。そして、風の姿を見つけると破顔といってもいい笑顔を見せた。 「風ちゃんも来てたのか。」 『ちゃん』づけの所行に、海や光は困った表情になったが、風は椅子に座ったままで小さくお辞儀を返す。青年の頬が微かに赤らんだ。 しかし、風の横に座っているフェリオの姿をみとめると、訝しげに眉を潜めた。友人達が、彼に耳打ちをする。 『あれが、噂の…。』 そんな言葉がとぎれとぎれの会話から聞こえた。青年が風に好意を持っているのは見え見えではあったし、そこで語られる自分の噂話に善意があるとはフェリオは思っていなかった。それに、風に対して悪意を持っているのならまだしも、自分に向けられた悪意なら簡単に無視出来た。 友人達が先にボックス席に付くと、その青年だけが風の横に近付いてくる。 彼は当然のようにフェリオの事を聞き、風は微笑みながら紹介する。 一言、二言、フェリオと会話を交わすとそのまま風と軽い世間話をしだした。 しかし、青年の視線が殆ど口を付けられていないフェリオのグラスに向けられ、一瞬口角が上がる。 そうして、フェリオに視線を向けた青年は笑いながらこう告げた。 「なぁ、こっちへ来て一緒に飲まないか?」 「やれやれ。風ったら、行かせて良かったの?」 フェリオが先輩方の席に移り、海の隣に座った風に海が言う。 「それは、どういう意味でしょうか?」 「あの先輩、風を狙ってたのよ。気付かなかったの?」 海の台詞に光も目を丸くする。 「海ちゃんって、色々な事を知ってるんだ。凄いね。」 「そうでしたか?よくお会いするな…とは思っておりましたが。」 そういう問題ではないだろう。親友達の天然さに、海は溜息を付いた。 いつも偶然に出会うなんてそんな事があると思っているのだろうか。度重なる偶然は、仕組まれたものと相場が決まっている。 コホンと咳払いをして海は続けた。 「だから絶対意地悪をするつもりね。」 「どうしてですの?」 「結構自尊心が高いのよ、あの先輩。さしずめ、風の目の前でフェリオを酔いつぶれさせて幻滅させようなんて考えているんじゃないの?」 「まぁ。」 風はそう言いながら少し困ったように微笑んだ。 「でも、それは多分無理だと思いますわ。」 「あんた強いんだってな?」 そう聞かれてフェリオは首を横に振った。 「そうでもないさ。あんたの方が強そうだ。」 いかにも体格の良い青年は、自分でも自信があるのだろう。いや〜と照れながら、どこの大会で優勝しただのと話し始めた。友人達もそれに装飾を付けるように会話に加わった。 フェリオには意味のわからない言葉の連発だったが、頷きながら返事を返す。するとますますその青年は饒舌になる。 「…で、あんたは風ちゃんの何なんだ?」 「友達だよ。」 唐突に聞かれ、そう答えた。青年から訝しい目つきで睨まれても、フェリオは涼しい顔。そのまま視線をカウンターの三人写すと、風を見つめた。 つられるように青年の視線もそちらに移った。そして独り語つ。 「風ちゃんはいいよなぁ。綺麗で、優しくて、こうふわっとしててさ。」 「強い…。」 フェリオは、クスリと笑ってそう付け加えた。それを聞いた途端青年達は笑い出す。 「風ちゃんが強いなんて、やっぱあんた彼女の事をよく知らないんだな。」 「そうか?俺はあいつに負けたんだがな。」 フェリオの言葉も、青年達にとっては冗談にしか聞こえなかったらしい。ひとしきり笑うと、フェリオの事を面白い事を言う男として認識したようだった。 「まあ、飲めよ。」そう言いながら、彼等は次々とフェリオのグラスに酒をついだ。 「俺を酔わせるつもりか?怖いな。」 瞳を細めて不敵に笑うフェリオに、青年は嫌な顔をする。 後輩の女の子達から聞いてはいたが、こうして直接会ってみると、確かに彼は何処か自分達と違っていた。それが何なのかはわからない。 ただ言えることは、彼女らはそれをして目の前の男を『素敵』と言っていた事実だけだ。確かに顔は良い方だろう。喧嘩もどうやら強いらしい。そして、先程にやりとりからも莫迦には思えない。寧ろ、頭は回る方なのだろう。 酌に障る。 彼女の横にいた彼はあまりにも似合っていて、喧嘩では敵わないだろうという事もわかっていたから、せめて彼女−風−の前でその化けの皮を剥いでやりたいと思っていた。それは、恐らく青年のささやかな復讐だったはずなのだ。 「ほらほら、ピッチ早いし…。」 風の肩越しに先輩達を覗いていた海に、風もそのようですわね。と返事を返した。 本当のところ、フェリオが心配ない事はわかっていたが、風は彼から目が離せなかった。 先輩達と一緒にいるフェリオは自分に向けるような表情はしていない。強いて言うなら男っぽい顔立ちなのだろう。 それは、自分が先程の彼の言葉を意識しているせいもある。異世界の酒場で、踊り子と共に過ごす彼が、子供の様に振る舞っているはずが無い…。 女性の細い腕が、彼の首筋に絡まる様が浮かんで、ふるっと首を横に振った。胸の中に浮かんだ靄のような物を打ち消したくて、風はグラスの中身を口する。しかし、甘いカクテルは、妙に舌に残り後味が悪かった。ふいに風の袖が引っ張られる。 幸い中身は少量で零れることは無かったが、驚いた表情で風は引っ張った相手−光を見た。 「光さん、急に引っ張られて驚きましたわ。」 「ねぇ風ちゃん。それ、何杯目?随分赤い顔をしているよ。」 「え?、そうでしょうか?」 慌てて頬に手を当ててみる。海も風の顔を見つめ、あらという表情をした後、悪戯な笑顔を見せた。 「こっちもピッチが早いのね。仲良しさん?。」 「違いますわ。もう、海さんからかわないで下さい。」 「でも、さっきフェリオと二人で何の話しをしていたの?」 「そ、それは…。」 そう言ったまま、風は俯いてしまう。 動揺を隠せない風に、ふ〜んと目を細めた海が、悪戯な笑顔を返した。これ以上問い詰められるのは…そう思った風に、助け船が来た。 「お〜い。ウミ!ヒカル!」 それはボックス席で手招きをするフェリオの姿だった。 「もう、先輩ったら〜だらしないわね。」 酔いつぶれた先輩方を前にしても、海は情け容赦ない。 足元もおぼつかない彼等を立たせると、お店に迷惑だからと言い放ち、戸口へと連れ出していく。 光も困った表情を変えないまま、嘔吐を催しているであろう先輩の背を摩りながらそれに従った。 「喧嘩を売る相手を間違えたわね。」 と言う海の言葉に、苦笑いを浮かべる。 それに対して、フェリオはケロリッとして、カウンターの風の隣に帰ってきた。風は親友と諸先輩方を見つめながら、心配そうな表情を見せた。 「私は、お手伝いしなくてもいいのでしょうか?」 「海が来なくても良いと言っていたぞ。」 それは本当の事だが、最初に風を介護に呼ばなかったのは、彼なりの意地悪だ。 『大事なものは誰にも渡さない』これだけは譲れない。 風は多少は親友達が気になったものの、隣に座るフェリオに顔を戻した。もちろん彼は顔色ひとつかえてはいない。 「そうでしょうね。」と風は頬に手を添えて、独り呟いた。 あの方にお話して差し上げれば良かったですわ。などと親切にも思ってしまう。 フェリオは濃アルコールのカクテルを一口飲んで『薄い』と言った。だから、それ以上口をつけようとしなかったのだ。 最初から、先輩方に勝ち目は無い。 お気の毒ですわ…などと風が思っていると、スッとフェリオの手が風の頬に触れた。彼は、驚いたような顔をして彼女を見ていた。 「……かなり飲んだのか?」 いつもなら恥ずかしそう目を反らす風は、そのままフェリオを見つめている。彼女の頬の熱さとその視線に、フェリオの方が手を放し、視線を反らしてしまった。 その様子に、不思議そうに小首を傾げて、頬の辺りだけ桜色に染めた風は、眼鏡を外すと、手で自分の顔を扇いだ。 「そう見えます?今光さんにもそう言われてしまって、少し酔ったみたいですね。でも、此処も暑くないですか?。」 そう言うと、今度はきっちりと止まっていた首の釦を外す。少しだけ広げた白い襟の隙間から、ほんの僅かだが彼女の細い鎖骨が見えた。 みるみるうちに、フェリオの頬が赤く染まる。 どんな酒にも、顔色を変える事のなかった彼の、それは初めての変化。 風もそれに気が付いた。 「フェリオさんもお酒がだいぶお入りになったんですね。顔が赤いですわ。」 「いや…これは…。お前はもうやめとけ。」 フェリオは、彼女の手からグラスを取り上げると、残っていた琥珀色の液体を一気に飲み干した。そして独り語つ。 「お前らしくもない…。」 そうだとは風も思ってはいたのだ。 フェリオと再会してからはそう感じる事が多い。今までの自分と確かに『何か』が違う。そして、それはフェリオに関する事ばかり。 しかし、『らしくない』という言葉が妙に癇に障った。 きっと、少しばかり多めに摂取したアルコールが心の抑えを緩めている。 「私らしいってどういうことですの?」 聞こえていたのか…とでも言うような、吃驚した顔のフェリオを見据えて、風は言葉を続けた。 「確かに、この頃私らしくないと感じる事も多々ありますが、カルディナさんという方と一夜を共にお過ごしになる貴方が、貴方らしいとおっしゃるんですか?」 風の台詞が終わるか終わらないかのうちに、フェリオは耳まで真っ赤になった。 「そ、それは、違う!お前に誘われた相手を聞かれたから答えただけで、彼女とは何も無い。」 「何も?とは。何がおありになるというんです?」 「だから、何も無い。もう、勘弁してくれ。」 風の勢いにフェリオは既にしどろもどろ。額に手を当てて空を仰いだ。心なしか目尻も赤い。 「俺は…。」 「俺は?」 眼鏡を外している風は、焦点の定まらない瞳を凝らすようにして見つめ返し、フェリオの言葉を復唱する。 フェリオは片目を手で覆いもう一つの目は閉じて、観念したようにこう呟いた。 「…俺は、愛しいと思う女しか欲しくない…。」 風はジッと見つめていたが、無言。 取りあえずこれで終わったかと胸をなで下ろしたフェリオは次に繰り出された問いに完全に固まった。 「……わかりました。それは、一体どなたなのですか?」 フェリオは沈黙するしかない。 「…だから…それは…。」 なんとか言葉を絞り出したフェリオだが、それ以上は言わないし、言えない。 困り果てた様子のフェリオに、風は勢いを止めた。やっと、思考が行動に追いついてきたそんな感じだった。 「あ、あの、私…変な事を申し上げてますわ。どうしてでしょう。」 「やっぱり、風ちゃん飲み過ぎだよ。」 ふいにした光の声に、フェリオと風が振り返る。 見ると海も側に立っていた。 いつの間にか先輩方の始末は終わっていたようで、どこから聞かれていたのかと、フェリオの困った表情は崩れない。 海はクスリと笑いながら風に告げる。「ねえ、風ちょっと立ってみて。」 「はい?」 不思議そう顔で椅子から立ち上がるが、足に力が入らない。蹌踉ける風を慌ててフェリオが支えた。 すみませんと言いながらも彼女は自分の状況がよくわからないらしい。不思議そうに自分の足を見つめている。 「なんだか…足に力が入りませんわ…変ですわね。」 その言葉にフェリオは大きく溜息を付いた。 「風って本当に飲んだ事なかったのね。」 感心したように海が言う。その言葉に風は恥ずかしそうに顔を隠して頬を染めた。 「海ちゃんは、場数を踏んでる感じがする…。」 自分を尊敬の眼差しで見上げた光に、ほほほと笑って見せた。 「まかせなさい!いい仕事するわよ!」 「海ちゃん綺麗だから、お誘いも多いものね。」 頷き合う二人に、フェリオが口を挟む。 「…で俺は、このままフウを送っていけばいいんだな。」 「ええ。自力で立てないんだから仕方が無いわよね。風。」 「でも…。」 フェリオの背中におんぶされている風は困った表情で親友の顔を見た。歩けないのは確かだったが、ただひたすらに恥ずかしい。 「もう、諦めなさい。どうしても気になるようだったら、フェリオに結界はってもらえば他の人からは見えないわよ。」 そうするか?と聞かれ、風は素直に頷いた。 姿を消す前、海がフェリオの耳元に唇をよせる。小声で一言。 「送り狼完了よ!」 フェリオはVサインを送る海にガクリと頭を垂れた。どうして彼女はこんなに傍若無人なのだろうか…。 「じゃあ風ちゃんを頼むね。じゃあまた。」 光は笑いながら手を振った。フェリオも手を振り挨拶を返した。 「じゃあな。」 店からどれくらい歩いただろうか、風が何度目かの謝罪の言葉を口にした。フェリオがクスクスと笑う。 「今日は謝ってばっかりだな。」 「そうですわね。なんだか未経験の事ばかりで…自分でも驚いております。」 「そっか。俺も初めてみるフウばかりで面白かった。」 「もう、フェリオさんたら…。でも、重くないですか?」 フェリオは風の言葉に驚いた顔をしてから返事をかえす。 「軽い、羽根みたいだ。う〜ん。ちょっと背中がごつごつするくらいかな?」 ムッと頬を膨らませて、風はフェリオの肩を軽く叩く。手を突っ張るようにして、フェリオの背中から降りようとした。 「こら暴れるな。嘘だ。嘘!」 「だって、失礼ですわ。」 「いや…あのさ…?これは、カルディナが言ってたんだけどな。人間の重さって心地いいんだってさ。 好きな男を抱き締めて、抱き締められてそうすると相手の重さが自分にも係ってくるだろ?そうすると、何よりも心地いいんだって言ってた。だから、風は軽すぎるよ。少しばかりは重い方がいいんじゃないかなって…。」 フェリオの肩に手を置いて、黙って話しを聞いているうちに、その温かい背中と規則正しい彼の鼓動が心地よくて、いつしか風の瞼は閉じていた。 「家の前まででいいか?」 そう問い掛けた言葉に返事がない。 「え…?」 フェリオの耳元には、規則正しい寝息が聞こえてくる。 首筋にかかる甘い吐息と、柔らかな彼女の香りに目眩がした。 実のところ話しを続けていたのは密着した彼女の肢体に意識を向けないようにしていたからだ。なのにこの上…。 健全な青年男子としてのなけなしの理性を総動員して、フェリオは風の顔から自分の顔を引き剥がした。 このままでは、間違いなく自分は彼女を連れて帰りたくなってしまう。彼女の了解を得ていない行為に及ぶ事も考えられた。 どれもこれも、このままでは時間の問題。 「仕方ない。」 フェリオは、小さくそう呟くと風の部屋へと意識を集中した。 「……お邪魔します。」 誰が返事をするでもないのに何故が言ってしまう言葉。 フェリオは、なんとなく周りをみまわした。部屋の中は綺麗に整頓され、いかにも彼女らしい。ところどころ置いてあるぬいぐるみや小物が女性の部屋という感じがする。 フェリオは風を腕からベッドへと降ろしたが、彼女は目覚めない。寝顔を見つめたまま、フェリオは動けなくなった。 「頼むから、こんなところを他の男に見せてくれるなよ。」 溜息まじりの台詞は、紛れもない彼の本音。 彼女を傷つけたくないと思うからこそ、我慢するのであって、据え膳喰わぬは…と思う輩は数多い。今日だって、その一角に出会っている。 「ん…。」 ふいに開いた薄淡い唇に、誘われるように自分のそれを重ねかけて、ぐっと留まる。 顔を上部にずらし、額に口付けを落とした。 何故にここまで心惹かれるのか、自分でもわからなかった。どうしてこんなに愛しいと感じるのか…も。 理由など最初から無かったのかもしれないけれど。 「おやすみ、フウ。」 言葉だけを残してフェリオの姿は消えていた。 「…フェリオ…さん…。」 追うように、風の唇から洩れた言葉は彼の名前。 それを聞く事なく、立ち去ることが出来た彼はある意味幸運だったのかもしれない。 我慢には限界というものが存在するのだから。 〜fin
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