友達と恋人の境界線


※これはDayの後お付き合いをしていない二人のお話です。


「ちょっと風!」
 ランチの席に座った風の顔面に海の顔が迫る。
「な、なんでしょうか?海さん。」
 迫力に押されて、驚いた表情のまま瞬きした風に光も困った顔で話しかけた。
「…あのね、かなり噂になってるみたいだよ。フェリオの事。」
 それを聞くと、頬に手をやり風も溜息をついた。「そうですか。」


友達と恋人の境界線


 それはほんの偶然。
 街で会っていた風とフェリオは、まるで一昔前の小説のように柄の悪い男達とそれに絡まれた女の子達という場面に出くわしてしまう。
フェリオには正義の味方を気取るつもりはまるでなかったのだが、男達は勢いにのって風に手を出そうとしてしまったのだ。刃物まで持っていた男達は、優男に見えるフェリオを完全に舐めていた。
 しかし、フェリオは正に実戦派。平和な東京のチンピラではまるで歯が立たなかった。 全員を完膚なきまでに叩きのめして、彼らはその場を離れる事になる。

 問題はここからだった。
 実は、絡まれていた女の子達は同じ大学の後輩。
あの膨大な学生の中から風のことを探し出し、フェリオの事を聞きたがった。
もちろん最初に聞いたのは、フェリオと風の関係。

「大切なお友達ですわ。」

控えめな風の答えは彼女達の熱を悪化させる要因になってしまったのだ。

「私は風の答え方も悪いと思うのよね。」
 海は、何かの敵のようにストローでアイスコーヒーをかき混ぜながら風を見る。
「私が…ですか?」
「そうよ。わざわざ異世界から来てくれる男を捕まえて、お友達はないでしょ?」
 風は、瞬きをしてからふと目を伏せる。
「でも、私達はお付き合いをしているわけではありませんし、大切な方である事は本当ですし…。」
「もう!フェリオは何も言ってこないの?好きだとか嫌いだとか!愛してるとか!」
業を煮やしたようにそう叫んだ海の声に反応したのは別の声だった。
「フェリオって言った!?」
 そう言って振り返ったのは、後輩の女の子だった。
「あ、風先輩。彼が来てるんですか?」
「いいえ、私にもあの方がいついらっしゃるかわからないんです。」
「そうですよね。お付き合いなさってるわけじゃないんですから、わかりませんよね。失礼します。」
 可愛らしい女の子はペコリとお辞儀をして、友達と立ち去っていく。
「何よ〜あの言い方〜。」
 きーっと声を荒げた海を光がまあまあと押し留めた。
「実は私と同じゼミの子もいたみたいで、ファンクラブつくるって勢いみたい。私も色々聞かれちゃった。」
「私もよ。煩いったらないわね。」
 本気でご機嫌斜めの海は、ずるずると行儀も悪くアイスコーヒーを飲む。
「答えずらいのに申し訳ありません。」
「風…。」
 海は、くるりと風を見る。「謝る部分が違ってるわ。」
「『フェリオが異世界の人間だから答えにくいから』じゃなくて、『自分の彼氏のことなのに』って言うべきなのよ。」
「う、海さん、それは…。」
「何?」
 海の目は完全に座っていて反論は許さないと言っていた。風は頬を赤くしたまま再度頭を下げる。
「あの、申し訳ありませんでした。」


 二人と別れ、新譜に書き込みをしようと、大学の植物園にしつらえられた椅子に座ってはみたものの、風の作業は一向に進まなかった。
 鉛筆で少しだけ書き込むと、途端考え事をしてしまう。

『彼を連れて歩かなければ良かったのだろうか?』
 ふいにそんな思いが浮かんだ。
そうすれば、彼を誰にも見られる事はなかったのに…。

 風は、はっと気付いて頭をふるっと振った。かぁっと頬が熱くなる。
間違いなく自分は海の言葉に感化されている。それから、考えてしまう。

『私はフェリオの事が好きなのだろうか?』

 嫌いではない。話をしていると楽しいし、会える事は待ち遠しいと思う。
でも、だから好きなのだろうか?
 会いたいと思っていたのは、再会する前からだったではないか。
 特に話をする事も無く、突然出会い、戦い、唐突に別れた事を残念に思い、もっと話しをしたかったと感じていたあの頃も会いたいとは思っていたではないか。
 確実に彼の訪れを感じる事が出来る今と気持ちは違っているのだろうか?

 全ては堂々巡りで、答えなど出ない。

 そして、フェリオの気持ちはどうなのだろう?

 自分と同じ気持ちなら、それは確かに好きとは言い難いものではないのだろうか。

「面白いな。」
 ふいに声がして、顔を上げると笑顔が見えた。
 両手をジーンズのポケットに入れて自分を見下ろしている青年の影に、風は驚いて目を見開いた。
「フェリオさん…。」

 ふいに現れるのはいつもの事。

『でも…。今は。』

 戸惑いを隠せない様子の風に、少しだけ頭を傾げてフェリオはこう続けた。
「上を向いたり、下を向いたりしかめっ面をしたり、笑ったり、面白かった。」
 にこにこと琥珀の瞳を細めて笑う青年に風は困った顔を見せる。
「ずっと見ていらっしゃったんですね。意地悪ですわ。」
「いや、可愛いな…と思って。」
 あくまで笑顔で言うフェリオに、風は瞬きを繰り返してから頬を染めた。
「…恥ずかしいですので、早めに声を掛けて下さい。…次からでかまいませんから…。」
『そうか』と答えて、フェリオは風の隣に座る。
それで、彼は何をするでもなくそうして座っている。

いつもなら、それは普通の事。

 フェリオは、まるで気配を感じさせる事も無く、自然に風の用事が終わるのを待っている。
そう…いつもなら、風も早めに済ませるべく集中して用事を済ます。

でも、今は違う。

 風は、自分の横に視線を逸らしてしまう。
 初夏の日差しを受けて、景色を眺めている…整ったと表現しても嘘はない横顔。
左耳につけられているのは自分が贈ったリング。見つめると日が反射して眩しい。
彼が着ているものも、自分と一緒に選んだものだ。
自然にこの世界に溶け込みたいという彼の申し出を受けて二人で選んだもの。
思ったとおり彼によく似合っている。細身のジーンズとシンプルなシャツ。

 斜めに見ていた風の視線と振り返ったフェリオの視線が交差した。「あの…。」
鉛筆を頬に添えたまま動きを止めた風の顔を、同じように見つめていたフェリオの頬がぼっと赤く染まる。
「え…?」
「ごめん。」
 彼が唐突に謝る意味がわからなくて風はフェリオの顔を見つめたまま動かない。
 フェリオは組んでいた足を左右入れ替えて、身体ごと風の方を向くと頭を掻く。
風も姿勢を正して、両手を膝の上に乗せた。
「…また急に来たから驚かせたんだろ?この間あんな事があったから…少し気になって。」
「あんな…喧嘩をなさった事ですか?」
 フェリオは掻いていた頭を同じように膝の上に乗せると、小さく頷いた。
「お前が一緒にいたのに、俺もつい調子に乗ってしまった。適当にあしらって逃げれば良かったと随分あっちで後悔してさ。」
 そうして、ぱっと顔を上げた。真っ直ぐに自分を見つめるフェリオの眼差しが眩しくて風は思わず目を細める。

 男の一人がフェリオの肩を掴んだ。
「おい、お前見てみぬふりかよ。」
 女の子達を囲んでいた男の一人が、そうフェリオに言う。
しかし彼は、肩を振って外しそれを無視しようとした。
「フェ…。」
 風の言葉を遮り、フェリオは風を彼らと反対側に追いやる。そしてそのまま通り過ぎようとした。
「可愛い子つれてるのに…そりゃないんじゃない?」
 男達は三人。ふいに風の手を掴む。小さな悲鳴が上がる。
「こんなツマラナイ奴より俺と遊ぼ…。」
 全ての台詞を言う前に、男の手はその身体ごと道路に弾き飛ばされていた。
放せとも言わなかった。やめろとも口に出さずにフェリオは男達を睨んでいた。

 冷たい空気を纏う彼を確かに風は知っていた。
 自分の目的を果たす為に、戸惑いを捨てる事を知っていた瞳。
少し細められたフェリオに瞳が更に冷たさを増した。
女の子達にかまう事をやめて、フェリオの前に立ち塞がる。
 まるで、テレビドラマの悪役の台詞が男達の口から発せられる。その陳腐な言葉に風は目を見開いた。現実にもこんな事を言うのだ…と。

そして、風は喧嘩と言うものを初めて見た。

 時代劇のように、主人公が戦っている時は他の悪役が待っている事はない。背中を向ければそれを狙い、相手の動きを止める場所を集中的に攻める。喧嘩と格闘は違う…とテレビのコメンテーターが解説していたのを聞いた事があったが、きっとそれはこういう事なのだろう。
卑怯…見た目はそうだ。
 そして、普通なら、三対一の時点で相手側に分があるに違いなく、勿論男達もそれを承知していたのだろう。
 だから、自分達が三人とも地に伏していた時わが身に何が起こったのかわからなかったに違いない。あくまでも冷ややかに見下ろすフェリオに逆上したのもこの後なのだから。

 ズボンから取り出した刃物。風には、なんだかわからなかったのだが、テレビで若者達が好んで持つとニュースで報道していたものをフェリオに向け、女の子の悲鳴が上がる。
『フェリオ!』
 風も自分が悲鳴を上げたと思った。…が実際はそれは声にならず、刃物を持った男達が彼に近付くよりも、フェリオが彼らに向かって低く飛び込んだ方が遥かに早かった。
そして地に伏した男達のうめき声、野次馬達の歓声が辺りを包む。

 場面を思い出していた風は、クスリと笑った。
「確かに少し怖かったですが、格好よかったですわ。」
じっと風の顔を見つめていたフェリオの表情も柔らかくなる。そして、でもと風は続けた。
「貴方がお強い事はわかっていますが、心配してしまいますので控えて下さいね。」
「わかった。いつでも風の忠告は正しいからな。」
そう言うとフェリオはにっこりと笑った。
 女の子の笑顔を花のようだ。と表現する。

風はまた眩しそうに目を細めた。

 では、彼の笑顔はなんと表現すればいいのだろうか。
眩しくて、見ていられないなんてまるで太陽のようではないか…。

「どうした?フウ」  ドクンと波打った心臓は、急には元に戻らなくて。 「何でもありませんわ。あの…すみませんもう少し掛かりそうですが。」 「待ってる。」  事も無げに言うと、フェリオはまた景色に視線を戻した。
 風は鉛筆を握りなおして、口元にもってくると深呼吸をする。そうして、楽譜に視線を戻した。最初は気になっていたものの、夢中になってくると消えていた。
音譜を読みながら曲を感じていく。

 彼女の視線が楽譜から動かなくなると、フェリオはこそりと視線を彼女に戻す。
そして微笑んだ。



 夢中になると時は忘れる。
 顔を上げると、日の位置が変わっていた。風はびっくりして横の青年を見る。
フェリオは腕を組んで目を閉じていた。
「まぁ…。」
居眠りをしている。
『お疲れなんですね。』
 そう言えば、こんなに短期間の間にこちらを彼が訪れたのは初めてではないのだろうか。  異世界で、彼がどんな事をしているかわからないがいつでものんびり昼寝をしているわけではないだろう。
それでも自分を心配して来てくれた事に嬉しさを感じる。
「風先輩。」
顔を上げると、先程の女の子。少しだけ拗ねた顔をしていた。
「貴方は…。」
「こんなのズルイですよ。先輩。お付き合いしているのならそう言ってくれればいいじゃないですか。」
「え、あの…。」
答えに詰まった風の横から声がした。はっきりとした答えが返る。
「俺とフウは付き合ってなんかいない。」
一瞬、風の中で時間が止まった。

海や光には、自分が言っていた言葉ではあったが、彼の口から発せられたそれはまるで違って聞こえた。

身体が強ばる。

風は、フェリオがどんな表情でその言葉を口にだしたのか見たかったが、勇気はでなかった。再度あった女の子の目が、揶揄するように自分を見た気がして、俯く。

「…お前らは?」
少し低めの声。訝しいような響きがある。
「忘れちゃったんですか?この間男の人たちからまれてた時に…。」
「ああ…。」
特に感心を示すでもなくかえす返事に、風は何処か安堵する自分を感じた。それでも顔は上げられない。
「風先輩が恋人じゃないんでしたら、私が立候補してもいいんですか?お付き合いしていただける…とか!?」
 弾むような少女の声が聞こえて、瞬間心臓が鳴る。
 少し離れた場所にいるらしい彼女の友人達が黄色い悲鳴を上げるのが聞こえた。
「つき合っている奴はいないが、好きな女はいる。それ位わかるだろ?」
 飄々と答えるフェリオに彼女達が圧倒される気配がした。それでも、拗ねたような甘ったるい声が続く。
「その人が自分を好きになってくれないかもしれなし、とりあえず自分の事好きになってくれる人とくっついた方が楽じゃないですか?」
「……楽で、人を好きになるのか?」
呆れたような声。
「そんな方と一緒にいてもつまらないと思いますわ。」
 風は口をついて出た台詞に唇を覆った。
「フウ?」驚いたような声。
急いで顔を上げると大きく目を見開いた表情がすぐ側にあった。

彼の吐息を意識してしまう程に。

 熱は一気に顔に集まる。
 両手で顔を覆っていないと、その熱が判断という冷静さを全て蒸発させてしまうような気がした。慌てて立ち上がる。
「な、なんでもありません。お気になさらないで下さい。あの、ちょっと席を外させていただきますわね。」
「おい、フウ!?」
彼の声も、後ろのざわめきもその場に残して、風は走った。



 逃げ込むように化粧室に飛び込むと、幸いな事に人はいない。
改めて鏡に写った顔を見ると、頬に絵の具をおとしたように赤くなっている。赤面などど生やさしいものではなく…。
「茹でダコですわ。」
 自分が自分でないような、行動や想いに風は戸惑う。
 眼鏡を外して、蛇口の下に手を翳すと勢いよく水が吹きだした。
冷たい感触に、多少の冷静さは帰ってきたように思う。
両手ですくい顔を洗う。

 色々考えていても、動かない体が嫌だった。
 人の気持ちがわかってしまって(配慮と言えば聞こえがいいが)自分の考えを貫けない自分が情けなかった。

 では、今、自分のどこから湧いて出たのかわからない感情に振り回されてしまう行為はどうなのだろうか?。
 それは「嫌」というより、戸惑うという言い方が正しい。慣れない。自分の想いも、彼に対する感情も。
手放したいと思わないけれど、いずれ煩わしいと感じる心も生まれてくるだろう。

『お前は逃げた。目の前の恐怖から』

 ふいに思い出した彼の言葉に、風は顔を上げた。
 眼鏡を外して、少しぼけて見える自分の顔は、まるで自分の心のように思えた。友人として振る舞いながら、自分だけを見てくれる事を期待している。曖昧な自分。
真っ直ぐに見つめてくる彼の瞳は、あの時から−冷酷さと暖かさと言う相反する色を湛えてはいるけれど−少しも変わってなどいないのに。


 風が植物園に戻ってみると、後輩達の姿はない。
そして聞こえてくる声。
 風はそっと壁から覗き込む。海がフェリオに食って掛かっているのを光が止めていた。
「そりゃ、好きな女って言ったのは認めるけどね!それを風の前で言わなくてもいいでしょ!あの子絶対ショックを受けたわよ。」
海の声に押されたように、フェリオの声がした。
「しかし、目の前で嘘を付かれるのは嫌だろう?」
「そりゃそうだけど!」
「もう、良いじゃない海ちゃん。結局フェリオの説明で引き下がってくれたんだから。」
 光の困った声がする。
「だいだい、もうとっくに行くとこまで行ってるかと…違うわよ!風が自分を見てくれるまで待つなんて、そんな事を言ってる間に、誰かにとられちゃったらどうするつもりよ。俺が攫って行く位言えないの!?」。
「あのぁ。ウミ…。俺がフウを攫っていこうと思えばすぐ出来るんだぜ?。」
 フェリオは頭を掻きながら呆れたように溜息を付く。
「あいつをセフィーロに連れて帰っちまえば済む事だ。」
「あ…そうか。」
 良い考えよね。なんて呑気に答える海にフェリオは更に溜息をついた。
「推奨かよ。お前は…。」
「だって、風ったらいっつも一人でずっと考えてて、なかなか結論に辿り着かないんだもん。見てるとまどろっこしいって思う時…あるわよ。」


 海は、フェリオの顔面を指さすとこう続ける。
「私なら好きになったら即言うわ。相手も好きって言ってくれたらお付き合い!嫌いなら、私の魅力のわからない男はお断りよ。」
 その途端光とフェリオは顔を見合わせて笑いだした。
「も〜海ちゃんらしすぎ!」
「いい性格してるよな〜。」
 フェリオも光も止まらない笑いでお腹を抱える。
「それが、お前なら、即決できないのがあいつだろ?」 フェリオはそう言うと笑いすぎて、目尻に浮かべた涙をふきながらそう答えた。
「そのかわり、こうと決めたら絶対に譲らないし、逃げない。迷う時間が、あいつにとって必要だというのなら俺は待つよ。前のように、駆り立てて答えを急がせるような事はしたくないんだ。」

やっぱりそう。

友達と恋人の境界線にいると思っていたのは自分だけ。

彼はとっくに、『友達と恋人の境界線』は越えていた。
きっと彼は軽やかにそれを越えていったに違いない。

 でも私は、階段を一段一段踏むしめるように、自分の想いと手を携えてそれを越えていきたいと願う。



「フウ」
自分に気付いた彼が振り返って微笑んだ。鮮やかな笑顔に、自然と笑顔になる。

上がって行きたい。

『お日様のように笑う彼の笑顔を目指して。』


〜fin



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