なんて無謀な恋をする人


「知る、か…。」
 絞り出した声は、実際ただの強がりに聞こえたのかもしれない。表情を写さない銀の瞳に浮かぶのは(物騒な)と感じる影だけだった。
 けれど、フェリオにとってそれは事実を言葉にしたに過ぎない。
 何も知らないのだ。
 魔法という技術が持つ闇も、エメロードが内包していた欲も、そして、己が発動させてしまったモノですら。己のひとりの手に負えないものだけが、差し出されている。

「そうですか、残念ですね。」

 落胆の色を隠さないイーグルの声に、何を勝手にと思うが(残念)なのはフェリオも同じだ。
 けれど、ふたつだけ分かった事があった。
 ひとつはイーグルが(玩具)と呼ぶものが、フウの住まうこの世界にすら仇なす代物であること。荒れ果てた地のみが広がるセフィーロと、住まう人々の苦渋を知っている。イーグルの手に渡ってしまえば、同じ災難がフウにも降りかかるのだろう。

 そして、もうひとつは…。

 フェリオは己を掴み上げているイーグルに指先を伸ばした。喉を圧迫している襟に空気が薄い。意を決して、舌先を上顎に押し当て息を止め、上体をに近づけた。
訝しげに眉を歪める隙があったことに、フェリオは感謝する。
「…研ぎ澄まして刃とする…!」
 呪文を口にするのと同時に、イーグルの右手を中心に赤黒い液体が宙に浮いた。

「…っ…!?」

 幾つもの裂傷で血塗れになった右腕がだらりと下がり、イーグルの表情からは余裕の色は消えていた。掴みかからんとする左手をすり抜け、フェリオは床に落ちたオーブを拾い上げる。ギュッと握りしめ、開け放った扉へと走り込んだ。
 (今ならば、魔法が使える)
 それが、フェリオが気づいたもうひとつの事実だった。
 感覚的にはイーグルの言う(魔法の使える基盤)自体は酷く脆い。それでも、魔獣に対する武器が短剣だけであったとしても、丸腰よりはどれほどにマシだ。
 戸口で待ち構えていた男達は何とか交わし、廊下を走り抜ける。ひとつの階がひとつの部屋という構造上、外界へと続く扉はエレベーターと呼ばれていた移動式の箱は、廊下の一番奥だ。
 
「フェリオ…!」
 視線の端に赤い線が掠めた。
蒔かれた火種が時間に差異なく広がり、爆音と共に炎の柱が幾つも立ち登る。それはすぐさま、床を焼き、壁を焦がして天井を舐める炎の渦となる。 
 咄嗟に飛び込んだ部屋の中でさえ、気道熱傷を起こしそうになって口を袖で覆う。
ジリジリと肌を焼く炎が逃げ場を塞げば、薄笑いを浮かべたイーグルがこちらを向いていた。

 ◆ ◆ ◆

 それは闇に生まれた美しい華のようにも見えた。
天に向かって伸びた幹から赤い枝葉を伸ばし、夜を明るく染め上げている。吹きあがり風に舞う火の粉は、一体どれだけの火種をまこうというのだろうか。
「一体どうなっているのよ!?」
 高速道路と言う名の駐車場に閉じ込められたタクシーから降りた海が、見遣った状況に声を張った。
 同様に閉じ込められた人々も次々と道路に降り立ち、コンクリートで出来た障壁から身を乗り出すようにして街の只中で起こった火災を見物していた。スマホを翳しながら、声を張っている。
「まさに、対岸の火事視ですものね。」
 大規模火災であることは確かでも、此処まで延焼の危険はない。風は苛立つ気持ちを抑え込んで、野次馬の集団をそう評した。
「駄目だ。此処から先は完全に通行止めになってていつ解除されるか未定だって。」
 ランティスと一緒に問い合わせをしていた光の言葉に、クレフは大きく眉を歪めた。
そうして彼の寄越した視線に、風は頷いてみせた。
「私が軟禁されていたのは、あのホテルで間違いありませんわ。」
 火災の中心。必死の消火活動が行われているだろうが、高層階を持つホテルはいまだに延焼とそれに伴う小規模な爆発繰り返す。

「クレフさん、ランティスさん、近づく方法は無いのですか?」

 闇に溶け込む黒煙の間から伸びる炎の勢いは衰える事は無い。あそこに、フェリオがいるのだとすれば、無事な保障など何処にも無い。
 風の問い掛けに、ランティスとクレフは目配せをして頷く。
「精獣を呼び出して近づく以外方法はあるまい、が、魔力量としては恐らくギリギリだ。それに、あれだけの炎を掻い潜るのは正直危うい。」
 ランティスの言葉を追うようにクレフは話を続けた。
「私の魔法で援護するが、精獣を呼び出せない分近づく事が難しい。
…機会は一度切りになるだろう。」
 コクリと風は頷く。
「わかっております。」
「ちょっと待ってよ、普通に救出されている可能性だってあるんでしょう?
あんなに消防士の人達だって頑張って消火しているのよ?」
 同じ疑問を持ったのだろう、光がランティスを仰ぎ見る。
「可能性は低い。」
 簡素な返事に憤った海が声を上げる前に、クレフがウミと呼びかける。
「此処の人間に接触するには、イーグルがフェリオを手放さなければならない。
 魔力の変性が中途である以上それは無いだろう。
 可能性があるとすれば、魔法を世界に展開する仕掛けをイーグルが補完済である事が条件だが、その場合フェリオは用済みであり生かしておく道理が無い。」
「そんな…。」
 息を飲んだ海に、風は笑顔を作る。
「海さん、お気遣いありがとうございます。私は「駄目だよ、平気なんて言わないで!」」
光の声に、風も海もハッと顔を見合わせる。
「クレフやランティスだって平気なんて思って無いよ。私も海ちゃんだって、だから、」
「ええ、言い間違いをするところでしたわ。」
 風はいまだに衰えを見せない炎に視線を戻す。

「私は、皆さんの助力を、そしてフェリオを信じております。」
 
 ◆ ◆ ◆

 城の客室よりも広い部屋の中で、調度品や椅子、テーブルが炎に包まれていた。
 床から天井まである窓は、入口と反対側の壁一面に続き、夜の帳が降りたはずの室外に星の輝きに似た光が溢れている。
 そこから外へ出られたらと、手の届く位置にあった椅子を叩きつけけたが、原型を止めぬ状態で飛び散ったのは椅子の方で、頑丈な窓には傷ひとつ付かなった。

「簡単には割れないそうですよ。海外の要人を泊める為の対策だそうです。」

 近距離で聞こえたイーグルの声に、はっと身を翻したが背中は窓に行き着いた。
 間近に見る炎に煽られたイーグルの顔や、ボタボタと火に落ちていく赤い液体が、恐怖を煽る。
「脚の一本か二本、砕いてしまえば大人しくなりますか?」
「…死ぬまで暴れてやる。」
 逃げ場の無い状況で言い放ったフェリオに、イーグルは口角を上げた。

「それは困りましたね。」

 申し訳程度に眉尻を下げ、イーグルは腕を上げた。
 濃縮していく魔力に、全神経を研ぎ澄ませようとした刹那、フェリオの耳にイーグルの名を呼ぶ、甘い語尾を添えた女の声が響く。
 聞き覚えのある声はアルシオーネのもので、高い靴音と共に現れた彼女は、強引にフェリオとイーグルの間に割り込んだ。
 そうして、甲高い悲鳴を上げる。

「あぁ!イーグル様、なんてこと!お怪我をなさっているじゃありませんか!」

 両手を頬に当て、芝居ががった仕草で声を発した彼女に、イーグルが苦笑する。
「アルシオーネ…。」
「こんな裏切り者、私達が相手しますわ。どうか、怪我の手当てをお急ぎください。」
 キッとフェリオを睨み付けてから、後ろに控えていた男達を呼びつけて、指示をし出す。そうしている間に、フェリオの足元にアスコットが近づいていた。

「フェリオ、法具を発動させちゃったの?」

 深く被った帽子の隙間から大きな瞳がフェリオを凝視する。コクリと頷くと、可愛らしいアスコットの表情が歪んだ。

「なのに逆らうの? エメロード姫の願いを捨てるんだ。」

 イーグルの願いを聞くこと自体が姫の願いに背くのだと、洗脳されたふたりに訴えても理解されないのだろう。
 その上、姫自身がこの世界やセフィーロですら貶める行為をしていたなどと告げて信じてくれようもないはずだ。
 それでも、共に姫の願いを叶えようと誓った仲間に対して動かない心はフェリオの中には無い。
 きっと今もイーグルの術で信じ続けさせられている相手なのに、とそう思うのに唇は動いた。
 だから、これは誰に告げる事もない懺悔だとフェリオは思う。
 
「発動したのは偶然で…魔力が禁断の力で世界を滅ぼすというのなら、俺はこれ以上姫に従えない。」

 ポツリと呟いたフェリオにアスコットは、ふうんと鼻を鳴らした。そうして、アルシオーネに向き直る。
「だってさ、アルシオーネ。」
「え…?」
 顔を上げると、腰に手を添え振り返るアルシオーネが妖艶な笑みを浮かべていた。

 だと思ったわ。

 彼女がそう呟くのと、イーグルがまさかと言い放ったのは同時だった。
 瞬間イーグルから放たれ飛び散る火種は、彼女の氷結魔法で相殺され、アスコットの足元から広がる水の結界が三人を包む。
 床一面に敷かれた絨毯が火種を受けて燻っていた。

「馬鹿ね、魔力が戻った時点で疑いなさい。」
 アルシオーネはその美貌に妖艶な笑みを浮かべてイーグルを一瞥してから、フェリオへと視線を戻す。
「お前等、洗脳は…。」
「だから、力を取り戻せば消えちゃうだろ?」
 馬鹿なの?と言いたげに、アスコットは小首を傾げた。小生意気な態度が嬉しいなど、フェリオには初めての経験だ。
 アルシオーネはふたりの会話を聞いて後、イーグルへと向き直った。
 釣られて視線をイーグルに戻したフェリオは、グッと息を飲んだ。あの、先程まで無駄に余裕を見せていた男が苛ついた表情を隠そうともせずにこちらを見つめている。
 今にも癇癪を起して喚き出しそうな様子は、本当の子供であるアスコットよりも冷静さを欠いて見えた。
「私達は姫の願い通りに、大いなる力を求めてきただけ。貴方の玩具になるつもりはさらさらないわ。
 それに私は知っているのよ、姫に魔法の力を増やすように焚きつけていたのがイーグル、貴方だって事。」
「そうでしたか。」
 すっと、イーグルの顔から表情が消えた。
 ぞくと背筋に走った悪寒に、フェリオは拳を握り込む。魔法の力は感じていても、それ自体は雲散している。けれど、それがイーグルを中心に確かに、濃縮されていく。先程よりも、確実に大きく。
 強い魔力は、そこから生まれる技そのものだ。

「さっさと殺してしまえば良かったですね。」

 笑みさえ浮かべず、高らかに吠えもせず、イーグルは言い放つ。コイツは、本気だ。

 同じ危機を感じているだろうアルシオーネとアスコットは、目配せをした後フェリオを振り返る。
 向けられた瞳はただ優しい。
「どういう理由かわからないけれど、私達が頂いた法具は発動しなかった。でも、貴方は違うわ、フェリオ。貴方がやらかした責任を負いなさい。」
「全く面倒だよね、フェリオは一緒にいてやらないと本当に駄目なんだから。」
 両肩と脚を挟んでアスコットとアルシオーネそれぞれがフェリオを窓に固定する。台詞は辛辣で的確な駄目出しだった。
「お、前ら?」
 彼等が収束した魔力が窓ガラスを細かく振動させる。
「…行きなさい。」
 アルシオーネの艶やかな唇がそう告げた途端、彼等の魔法がその両手へと放たれる。

「駄目だ、!アルシオーネ!アスコット!」

 粉々に砕けたガラスは、悲鳴のように声を上げたフェリオと共に、室外へと落下していく。
 数秒の間があっただろうか、空気すら震わせる低い爆音と共に、フェリオを空中に投げ出したフロアの窓全てから炎が噴き出した。



〜To Be Continued



content/