なんて無謀な恋をする人


そうして俯いたままの風の肩にそっと手を置いたのはクレフだった。男性とは思えない細い指先は柔らかく触れて、彼の心遣いを感じさせた。
 ランティスが次ぎの言葉を告げてこないのもクレフが彼の言葉を制したからに違いなく、顔を上げた風の視線には笑みを浮かべたクレフが写る。
「阿奴の言う事も気にしなくてもいい。
 お前は確かに巻き込まれただけだ。フェリオの事は我々が決着をつけねばならない事柄に違いない。」
「違いますわ、私は…。」

 望んで巻き込まれた。言わなければならない言葉は、再び喉に留まる。
 
 フェリオが話さなければならないよう誘導したのは自分だった。彼が自分を頼るようし向けたのだと自覚もある。
 ワクワクしていた。
 だからこそ、自分の手の内に落ちてきたキラキラした非現実を手放したくなかった。そんな自分の我が侭にフェリオを巻き込んだのだ。本当は、自分が足手まといになる可能性もわかっていたというのに。
 自分に注がれる視線を感じながら、風はおもむろに顔を上げる。
クレフを、そしてランティスを見据えて息を吸う。

「私はフェリオの協力者ですわ。関係の無い人間などではあり得ません。」

 真摯な翡翠の眼差しに、ランティスがくつりと喉で笑うのが見えた。
「奴に聞かせてやりたいほどだ。そうすれば、あの意地っ張りの強がりが少しは素直になるやもしれん。」
 まぁと声を上げ、風は口元をおさえてクスリと笑う。
彼等に対して頑なな態度をとったであろうフェリオの気持ちが少しだけわかったような気がした。
 どういった立場なのかはわからないが、彼等との実力差は疑いようもなく年令的差もあるようだ。どうしても、反抗的になってしまうだろう彼の性格も理解出来る。一生懸命やっている分だけ、腹立つ事も多いに違いない。
 そうして、それがただの独りよがりであることも自覚済なのだろう。
 
「そんな事ありませんわ。
 ランティスさんが目線をあわせて差し上げれば、きっと素直になっていただけるはずです。」
 にこりと微笑む風に、ランティスの瞳が僅かに見開くのが見えた。クレフはふるりと首を振る。
「その通りだな。上からではなく、もっとフェリオの話を聞くべきだったのだろう。 彼を意固地にさせてしまったのは、私達の失策だ。
 エメロード姫を盲信させてしまう要因は確かに私にもランティスにもあった。
 今、フェリオが素直に言葉を聞く相手はお前しかいないはずだ、フウ、私達に協力して欲しい。」
「喜んで。」
 大きく頷く。
 
 ここから先は、現実なのだと風は思う。受け入れ、そして抗う覚悟はもう自分の中に確かな形としてつくられていた。

 ◆ ◆ ◆ 

 ちらりと手の中にあるオーブに視線を移ろわせ、フェリオは外界を眺める。
夜の帳が全てを覆い隠し、煌びやかな輝きが隠蔽しているけれどガラスを一枚隔てた先にあるのは、ゴミゴミとした灰色の世界だった。
 今のセフィーロは急速に荒廃してはいたけれど、ほんの数年前。フェリオが幼かった時には、碧と蒼に溢れた自然豊かな世界だった。
 だからこそ、レイアースに落ちた時にも綺麗だと少しも思えなかった。 
 …けれど、この世界に彼女は住まう。

「…フウ…。」

 思わず呼んだ名に、ハッと表情を引き戻しふるりと首を振る。
「何、やってんだ。忘れてくれとか…忘れられないのは」
 ギュッと唇を噛みしめて俯いた。

 俺の方じゃないか…。
 
 指先に力が籠もったのは心臓が酷く痛んだせいだった。オーブから微かな軋み音が聞こえても、籠もった力はなかなか緩みそうもない。
(貴方は姉上の願いを叶える為に此処にいるのではないのか)イーグルの言う事は酌に障るけれど、真実をついていた。
 こんな事をしている場合でも、異世界の女に心惹かれている場合でもないはずだ。
 
 なのに。

 心が向かうのは、緩い巻き毛を肩で揺らして微笑む少女。同じ金色の髪と瞳を持つ女性へと確かに感じていた情が不確かなものへと変わっていた。
 瞳は虚ろに外を見つめ、少女の面影を探す。けれど見えるはずもなく、感じる事もない。
 力が欲しいとただ願った。もう一度彼女に巡り会う為の確かな力…

 魔法が

 唐突に指の間から光りが溢れ始める。
暗闇の中で頬を照らす灯りに、フェリオは視線を向ける。オーブを握り込んだ指から光が線となって壁を照らしていた。

「…!?」
 
 指先が緩めば、一筋だった光は四方へと散る。輝きを増していく中心に、そのオーブがあった。
 状況を掴む事が出来ずただ立ち尽くすフェリオは、クスリと嗤う男の声に視線を上げた。
「成る程、こういう事でしたか…。」
 オーブを握るフェリオの腕ごと引き寄せると、光を増大させていくそれに、瞳を細めた。
「…なんの、事だ…。」
「感じませんか?」
 ニコリと微笑む青年の意図など知るものかと、怒鳴るかわりに覚えるのある確かな感覚が体内にあり、フェリオはギクリと動きを留める。
 ドクリ、と動く心臓に同調するように増していく力、それはセフィーロでは使い慣れた力だった。

 ◆ ◆ ◆ 

 場所は風の屋敷、そのリビングへと移っていた。
 話しを聞いてみれば、海は有名な貿易商の娘、光も剣道で名の通った流派の家元。
 二人の自宅もそれなりに広い家を持っていたけれど、家族不在という都合の良さで、風の家に勝る場所は無かった。
 四人を迎え入れ、改めてPCを立ち上げて情報収集を開始しようとしていた矢先、クレフとランティスが険しい表情で顔を見合わせる。
「どうしたの?クレフ。」
 怪訝な表情で尋ねる海に、クレフの表情は暗い。
テーブルの中心に置かれたPCを操作しながら、風は会話に耳を傾ける。
「お前達には感じられないか…。」
「何か起こっているの?」
 コクリと頷く海を見遣って、クレフは深く眉間に皺を寄せた。
顎に指先をあて、悩ましい表情で言葉を紡ぐ。
「こんなものがレイアースを覆ってしまっては、世界の価値観が変わってしまうぞ…。」
 ランティスも何が見えるのか、窓の外を凝視したまま動こうとしない。恐ろしい程の緊張感が漲っているのだけは、感じられた。
「…。」 
「風ちゃん、何かニュースとか緊急速報とか入っているの?」
「いいえ、一通り検索を掛けておりますが特にこれといったものは…。」
 画面に眼を走らせながら答えた風に、クレフは(当たり前だ)と言葉を続ける。それを肯定するように、ランティスは剣を取り出して庭を指し示す。
「雷衝撃射」
 言葉を放った途端、庭園を照らしていた街灯に、まるでそれが雷針だったかのように雷が落ちた。
 外は晴天。雷雲のひとつも見えてなどいない。なのに、何故?
眼を丸くしてこの光景を見つめる光に答えるようにランティスはぼそりと呟く。
「これは、魔法を感じる事が出来る者にしか感じられないものだ。」
 
 そうして、空を見上げた。

「気が満ちはじめている。遅かったか…。」
 歯噛みするようなクレフの声に、風は顔を上げた。
上げただけでは納まらず、思わず立ち上がって声を張る。
「それはどういう意味ですか!? 」

まさか、フェリオが…。

 呼び掛けは最後までなれなくても、クレフはその意を汲み取ったのだろう。険しい表情のままバサリとコートの裾をはためかせた。
 両手に掲げられる杖に、光が宿る。

「行くぞ、止めねばならん!」

 ◆ ◆ ◆ 

 ぐいと手首を捻り上げられれば、手にしていたオーブは呆気なく床へと落下した。
思わず手を伸ばしたフェリオの身体は、イーグルの手で簡単に窓へと叩きつけられる。
 高層の建物である部屋に取り付けられた窓は、人間一人の重みを受けてさえ、簡単に割れはしなかったけれど、衝撃は全てぶつけられた側へと返される。
 脇を抑えてうめくフェリオを横眼に、イーグルはうっとりとした笑みを浮かべてオーブを拾い上げた。

「私が欲しかったのは、これなんです。」

 未だに光り続けるオーブと、広がっていくモノ。フェリオはぐっと唇を噛みしめて、片手で身体を起こした。
「これっ…て、何だよ。」
 両手でオーブを掲げて見せたイーグルは、床に転がるフェリオに笑顔を浮かべる。
「ねぇ、フェリオ。知っていますか? セフィーロの世界を危機に陥れようとしているのは、この魔法という力とエメロードである事を。」
「馬、鹿なこと…。」
 戯言を聞く気はないと睨み付けても、イーグルはただ笑う。
「そうでしょう? 地を裂き、空を轟かせるモノなんてどうして操れると思っているんですか?
 小道具程度ならいざ知らず、魔法の力だって無限な訳じゃないんですよ。では何を糧にしていると思いますか?」
 目を見開くフェリオの様子が楽しくて仕方ないのだろう。説明を乞われている訳でもないのに、弾むような声で言葉を続けた。
「本物の世界が持っている全ての力を糧として、魔法が使える世界をもうひとつ作り出しているんですよ。」

 糧…?

「エメロードは、ザガート王の為に大いなる力を欲した。だから、魔法を強化した…今いる世界が崩壊するとも知らずに。」
 クスクスッとイーグルが哂う。
「だって便利でしょう? 魔法っていう代物は。
 それに、魔法には法則がある、それを知る人間だけは特別で絶対的な存在になれる。
 姉は溺れてしまったのでしょう。見境がつかなくなるほどに、ザガート王に入れ込んでしまっていた。」
 だから、僕はザガートを殺そうと思ったんですよ。
「そうすれば、姉は予言にしたがって、貴方達を必ず(レイアース)へと送りこもうとするはずです。
 心優しい姉上は、魔法の無い世界へと送り出す貴方達の為に、絶対にこれを持たせるだろうと思っていました。私はね、この世界を簡単に変えられる玩具が欲しかったんですよ。」
 浮かれていた声が、徐々に低く強張る。オーブから溢れていた光もまた勢いを無くして、その輝きを途切れさせた。
 振ったり、覗き込んだりしたが、イーグルの手の中で、それは元の姿へと戻っていく。
魔法という力をふるう為の空間が、レイアースの世界を覆う事なく霧のように漂いそして消えていくのがわかる。
 
「…まだ、不十分のようですね、フェリオ。」

 苛立ちを含んだ声が頭上から落ちる。同時に、胸倉を掴まれ立ちあがることを強要される。
表情は笑顔でも、その瞳に表情は無い。
「どうやって発動させたのか、教えてくれますよね。」


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