なんて無謀な恋をする人


『いらっしゃい。待っていたわ。』

 風の学校に程近い高層マンション。
 入口のセキュリティに顔を出せば、姉−空−が笑顔で出迎えてくれた。ふわふわの亜麻色の髪と翡翠の瞳はよく似ていたが、風よりも纏う空気は柔らかい。
 風の珍妙な頼み事にも驚いた様子は無かったが、女装のフェリオが般若の形相をしていても、気にしないのは流石姉だと感嘆の息を吐いた。
 バスの中では結界が張られたように誰一人降車ブザーにも近寄れず、音を出さないように息を詰めていたのだから、姉の神経は尊敬に値すると風は思った。
 どうやら殺気に似たオーラはバスから滲み出ていたらしく、目的地まで停留所に停まることなくノンストップで来れた。お陰で、追っ手を完全に振り切る事も出来たらしい。
 そして部屋に招き入れた妹に、空は紙袋を差し出した。

「彼のお洋服だったのね。私、風さんがワイルドに変身なさるのかと思ってしまったわ。でも、お着替えするのは勿体ないわねよく似合ってるのに。」

 コロコロと笑う空を剣呑そのものでフェリオが睨む。
 鬘は良い、スカートも許そう。だがしかし、ヒールは無理だ、アルシオーネの奴はあれだけ重心を取りにくいものを履いて、飛んだり跳ねたり出来るんだ。

「あら…。」
 しかし、楽しそうに笑っていた空がふと真顔に戻る。エントランスに立つフェリオの脚に目をやり眉を寄せた。
「捻挫なさったのね。早くお入りになってください。」
 リビングに招き入れると、風に救急箱を取ってくるよう頼み、フェリオをソファーに座らせた。脹ら脛から足首にゆっくりと指先を滑らせてから顔を上げる。
「この程度なら冷やしておけば直ぐに良くなるわ。あちらの部屋でお洋服を着替えてらして、その後で手当をいたしましょう。」
 困惑した表情のフェリオは、空の態度を理解しかねているのだと風はわかる。姉の優しい態度の判断が、彼には出来ないのだ。
 逢ったばかりで、相手の事など何もわからないはずなのに、どうして彼女はこんなに優しいのだろう、と。言葉には出さないが、まるで顔に書いてあるようだ。
 それは、いままでフェリオが簡単に他人を信じる事など出来ない過酷な環境で暮らしていた証し。
 恐らく簡易に空の好意を受け入れないだろうフェリオの為に、風は一計を案じる。
 クスリと笑って、揶揄する台詞を口にした。
「まぁ、着替えておしまいになるのですか?惜しいですわね。」
「うっせい!」
 思った通り、フェリオは簡単に機嫌を悪くする。そしてひったくるようにして、紙袋を受け取ると別室へと姿を消した。
 単純だけれど嫌いではないと風は思う。それは素直な気持ちを持った方だと思えるから。

 ふいに、彼が目覚めた時の(姫)と呼び掛けてきた熔けるような表情を思い出す。フェリオは(姫)という女性が好きなのだろう。
 それこそ、顔を見ただけでもわかってしまった。

「本当に、惜しいわねぇ。」 
 こちらは心底惜しがっているらしい姉の言葉に笑みを浮かべ、風は白いダイニングテーブルに置かれた彼女のデスクトップPCを指し示す。
「お姉様、お借りしてよろしいかしら?」
「ええ、風さんには物足りないかもしれませんけれど。」
 にこりと微笑む空に一礼して、風は普段愛用しているサイトをタップした。

 ◆ ◆ ◆

「貴方の目撃者は大勢いたようですわね。落下した物体としてネット上で結構な話題になっておりますわ。」
 扉が開く音にそう告げた風は、再びキーボードを叩き出す。背後を通ってフェリオがソファーに腰掛けたのは気配でわかった。
「だから、クレフ達にはすぐばれたのか…。」
 詳細はわからずとも内容はわかったらしいフェリオが呟く。ええと相槌を打ってから言葉を続けた。
「HN(炎の矢さん)と(水の龍さん)が、特別に食い付きが良いようですわね。細かく情報収集をしたログが残っていますわ。
 これがクレフさん達だと仮定するにしても、パソコンを操れるのものでしょうか?」
「そんな機械なんかセフィーロには無い。アイツ等だって扱い方なんてわかるはずがないと思う。」
「そうですか…。」
 唇に指先をあてて考えた様子の風は、くるりとフェリオの方を向く。
空に手当してもらい、靴下を履きかけている彼と目が合った。黒いタートルネックのシャツと榛色のツナギを身につけていた。
 似合っていない訳ではなかったが、何故作業着なのだろう。ちらりと送った風の視線に空がにっこりと笑った。
「だって開いている店を探したら、このお洋服がいっぱいあったんですもの。」
 ほら、と差し出された靴は安全靴。それっぽい道具とヘルメットを着用すれば、ちょっと若いが電気工事のお兄さんに早変わりだ。
「ホームセンターに行かれたんですのね。」
「派手なお色もあったのだけれど、風さんがワイルドに吼えられるのだと思ったものだから渋めにしたのよ。虹色が良かったかしら、それともパステル?」
 首を捻る姉の様子に、一体何処に買い物に伺わされたのだろうかと風は苦笑する。パステルカラーの洋服を着ずに済んだフェリオは、きっと姉に感謝すべきだろうけれど。

「…ねえ、フェリオさん。そろそろ事情をお話頂けませんか?」

 風の申し出に、フェリオはピクリと肩を揺らした。
「微力ではありますがこうしてお力になれると思いますし、貴方だけでは色々と不自由なのではありませんか?。」
 否も是も無く、フェリオは黙って腰にあるポケットを探る。コトリと硬質な音をたてて置かれたものを見て風と空はパチパチっと目を瞬かせた。
 掌の乗るほどの小さな緋色の置物がふたつ。宝石が幾つか散りばめられた綺麗なものだ。
「これは…?」
 手に触れていいものかと躊躇う風を見やり、フェリオはひとつを手に取り手の上に置いた。さしたる重さも感じないが、何に使うものかもよくわからない。
「オーブと言い、姫に頂いた物だ。
 俺はこいつを賜りセフィーロという国から来た、俺の世界を救う大いなる力を手に入れる為に。」
 沈黙の後、風はポツリと呟いた。
   
「壮大ですが、非常に具体性に欠ける指令ですわ。」 
 
 ね。と首を傾げて微笑んだ風に、フェリオはムッと顔を歪める。
反論の言葉は思った通り、姫君を庇うものだ。
「しょうがないだろ!
 姫巫女が行うのは予言で、政をこなすのが王だ。ザガート王は逆賊の刃にお倒れになったんだ…姫の命を遂行するのが俺達の役目だ。」
「巫女、shaman、原始宗教の一形態、巫女を仲立ちとして神と心を通わせる手法、魔法をお使いになる世界では寧ろ相応しいかもしれません。」
 何をブツブツ言っているんだと、不服そうな表情のフェリオに風はにこりと微笑んだ。
「貴方は、その姫巫女という方がお好きなんですね。」
「ばっ…馬鹿言うな!巫女は王の伴侶だ。
 俺はただの従者にすぎない…そりゃ、姫はお優しいし綺麗な方だから慕っている者達は多いが、俺は違う!」
 勢いよく反論はしても耳まで真っ赤になっているので、言い訳にもなっていない。
必死になればなるほど、姫が好きだと告白しているようなものだ。
 
 頬に指先を当てて溜息をつき、最初に彼を見た時に感じた想いが甦る。
(やっぱり放っておけないタイプの方ですわね…。)

「何だよ!文句でもあるのか!?」
「いえ、文句はありませんわ。」
 風はもう一度深い溜息をついてから、フェリオを見遣る。
「私が申し上げたいのは、これからどうなさるおつもりなのですか?という事ですわ。」
 うぐぐと言葉に詰まったフェリオと、ニコニコ微笑む風の両方を眺めていた空が、思い出したように声を掛けてきた。
「皆さんで宝探しをなさるのね、楽しそうだわ。もしも宝物が見つかったら私にも見せて頂けないかしら?」
「そうですわね。お洋服まで買って頂いたのですから、お礼は必要ですわ。ね、フェリオさん。」

 お、礼…?

 再びカチンと固まるフェリオに、風が迫った。
無一文で空から降って来た人間がお礼など返せる訳もない。世話になっている事は事実なだけに冷や汗が流れた。
 口ごもる相手に、風はニコリと笑う。
「では、私達が協力するという事でよろしいですわね。お礼は宝物を拝見するだけいいですわよ。」 
 うふふと笑う風に、フェリオはチェッと舌打ちをして(勝手にしろ)とそっぽを向いた。
 言ってくる事は辛辣で、それでも的確。性格も底意地が悪いくせに、妙にお節介をだ。本質的には優しい性格なのだろうとも思う。
 それに…

(笑うと可愛い…って異世界の女に何考えているんだ、俺はっ!?)

 思わず浮かんだ不埒な考えに、フェリオは顔を赤くして盛大に首を横に振った。そうして頭を振ったついでに、異世界ではない女の事を思い出す。

 アルシオーネ、そしてアスコット。

 ぶるぶると頭を震わせていたかと思えば、ふいに動きをとめたフェリオに風は小首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「今まで忘れてたんだが…此方の世界に来た時に連れの者達とはぐれたんだ。
 あいつらも俺を捜しているかもしれない。俺が最初に落ちてきた場所を教えてくれないか?」
 
 ◆ ◆ ◆

 学校の授業とやらへ出掛けていった風を見送り、教わった場所へと赴いてみたが潰れた小屋と黄色いテープがぐるぐる巻きになっている以外、何もなく、誰もいない。
 見上げても、鉛色の雲が覆う空が広がっているだけだった。
落下する際に下界を見下ろした時もゴミゴミとした薄暗い世界は、好きになれそうもなかったが、改めてひとりになった事で、心細さも胸に迫った。
 いままでフウがいて、彼女がずっと助けてくれていたのだと改めて実感する。吐いた息も、眼に痛い白だった。

「探したわよ、フェリオ。」

 ふいに呼ばれて振り返れば、見慣れた人影がフェリオを見つめていた。
 薄紅色の衣装。生脚にロングブーツを履いたアルシオーネを見遣り、そのヒールの高さにあらためて辟易する。
 顔を顰めたフェリオの様子に彼女も不機嫌そうに眉を歪めた。
「何よ。」
「いや、なんでもない。アスコットも無事か?」
「当たり前じゃないか!」
 苛々と甲高い声を上げて、アスコットも姿を見せる。小さな腕を目一杯振り回して抗議する姿も見慣れたモノ。
 安堵に似たモノが胸中に浮かび、フェリオは唇を緩ませた。
 誰も知らない異世界で、必ずにも仲が良かったとは言えないが、同じ感覚を持つ相手と逢うことにほっとさせられる。 
「子供だと思って僕を馬鹿にしないでよ、だいたいフェリオの方が迷子じゃないか!まったく何やってるのさ!」
 アスコットの叫び声と共に瞬く光があった。子供の癇癪に似た点滅をする街灯にフェリオは悪寒を感じた。
 
 …悪寒?何故、

 先程感じていた安堵感ではなく、沸き上がる違和感で彼等を見遣ればアスコットもアルシオーネもセフィーロでの式服のまま。
 この世界でそんな格好をしていれば目立つ事この上ないだろう。(フウ曰く、コスプレというらしい)
 クレフやランティスですら着替えていたのだから、平然としているふたりは結界を張っている事になる。

 まさか、…と沸き上がる違和感は不信感へと姿を変えていた。

「お前等…どうして、魔法が…。」 
 ゴクリと唾を飲むフェリオに、アスコットは嗤った。
「ホント、最初は使えなくて不自由したよね。面倒くさい世界ったらないよ。」
 そうね、と同意してアルシオーネはフェリオに微笑みかけた。
「でも大丈夫よ、完璧ではないけれどイーグル様が使えるようにしてくださったの。」
「さ、フェリオも行こうよ。」
 遊びに誘うように、アスコットが嗤いフェリオの手をぎゅっと掴む。
「フェリオも使えるようにしてくれるよ。そうしたら、姫の言う大いなる力をさっさと見つけてセフィーロに帰ろう。僕、この世界大嫌いなんだ。」
 異形のモノを見る心情でフェリオはアスコットの手をはね除けた。
パアンと肌を弾く音は、大きく周囲に響いた。
「ふざけるな…!イーグルは…、」 

 姫の金に相対するように、彼女の弟は銀髪だった。
端正な顔立ちをした男は優しげに微笑みながら、主であり姉の伴侶である男を殺害しょうと企み、セフィーロを裏切った。
 彼等もそれを見ていたはずなのに、どうして…。


「痛ったいなぁ、酷いやフェリオ。」
 にやりと口角を上げ、アスコットは嗤う。
「…イーグル、は…?」

 では、彼は今どこにいるのだ…?

 大きな胸を両腕ですくいあげるように、腕を回しアルシオーネはも妖艶に微笑んだ。

「イーグル様も此方の世界にいらっしゃっているわ。
 勿論、貴方を待っていらっしゃるのよ、さあ、一緒に行きましょう。」
 
 ◆ ◆ ◆

(うっかりしてしまいしたわね。) 
 小走りに校庭の奥へと進む風の片手は、ポケットに入れたまま。その手には、先程フェリオが渡してくれたオーブが握られていた。
 江戸時代の印籠に似ているというのが風の感想だが、小物入れではないらしく、何に使うモノかはさっぱりわからない。
 ただ、話しの流れ的にそのまま学校へと赴いてしまい、フェリオに返し忘れてしまったのだ。
 学校が終わって合流してからでも問題ないかとは思ったが、一刻も早く返して差し上げるべきだと考え直した。
 愛しい姫君に頂いた代物。きっとフェリオにとって酷く大切なものだ。それを自分が持っているのが躊躇われた。
 無下に扱うつもりはない。それでも、オーブというただのモノではなく、フェリオの想いが形になっているようで、風は居心地が悪くなるのだ。

 とにかく、早くお返しした方が良いですわ。

 木々の間を抜け、公園にいた人影に呼び掛けようとして風は息を飲んだ。
 フィギュアスケートの大会から抜け出してきたような場違いの衣装を着た女と、何処かの民俗衣装を纏った子供が腰を屈めていた。
 そして、その話し掛けている先、地面に転がったまま腕だけで上半身を起こす人物に思わず声を張った。

「フェリオさん…!?」

 ハッと顔を向ける表情に余裕はなく、幾つもの血の筋が顔と衣服を染めていた。
思わず駆け寄ろうとした風に、フェリオは身を乗り出す。
「馬鹿…!、来るなっ…!」
 途端、背中を踏みつけられ声は地面に消えた。


content/ next