なんて無謀な恋をする人


「拙宅に何か御用でしょうか?」
 風は門の横に立つ青年に声を掛けた。
 近くで見ると本当に綺麗な顔立ちをしている。くっきりとした瞳に長い睫毛。何処か少女のような美しさだ。白いコートの釦は全て絞められ、ベルトも腰に回されている。完全防寒という感じだ。
「…この家は貴女の御自宅ですか?」
 特に表情を変える事なく、青年−クレフ−は風を見つめ返した。にこにこと微笑み風は頷く。
「はい。生憎と両親は出掛けておりますが、取次をした方がよろしいですか?
それとも先に参りました姉の知り合いでしたら呼び戻して参りますが?
 あ、失礼致しました。お前を伺うべきでしたわね。」
 けれど風の言葉を聞き流し、クレフは、制服の上にコートを羽織った頭から脚の先まで視線を流してから首を横に振った。
「貴女をお引き留めしては学校に遅れてしまうでしょう。姉上もお急ぎのご様子ではあった事ですので、改めてお伺い致します。」
 強硬な姿勢に出るでもなく、あくまで紳士的な様子でクレフは頭を下げた。丁寧な言葉使いといい、上流階級の育ちだという感じだ。
「ああ、バスの時刻が差し迫っておりますので申し訳ありません。ではご機嫌よう。」
 風は丁寧に頭を下げ、そしてバス停へと先に向かっていた女性の後を追う。
「お姉さま、お待ち下さい。」
 しかし、長身の女性は聞こえなかったのか脚を止める事はない。スタスタと、少しばかり大股で先を行く。風は(もう)と言葉を漏らしてから足を早めた。
 追いつくと、親しげに彼女のロングコートを背中から掴んだ。風と良く似た背中まである金髪がふわりと揺れる。
「足が速すぎですわ。」
「…無茶言うな。」
 ウィッグの下。頬を羞恥に染めたフェリオの顔が覗き込んできた風を睨んだ。それでも、背後から見れば、じゃれ合う仲良し姉妹にしか写らない。
「そんなにお気になさらないでも、よくお似合いですのに。
 でもプリーツスカートは臀部が小さい程綺麗に着こなせるというのは本当ですわね。思った以上に脚も筋肉質ではないようですし、ミニスカートでも良かったかも…。」
「ふざけるな。」
「ただ、私と同じウエストだった事だけが解せません。男の方って細く見えてもそれなりに厚みがあるものですのに。」
「知るか!」
「でも、気付かれていないようですわ。」
「どうだろうな…。」
 フェリオはそう言葉にしてから口を紡ぐ。
 彼が魔法を使えるとすれば、こんなちゃちな変装など一目で見破られるはずだ。それを考えれば、やはり彼も魔法は使えないのだ。
「クレフはどうしてる?」
「家の方を見ていらっしゃるようですわ。私達はこのままバス停へ急ぎましょう。」
 風の言葉に頷き掛けたフェリオは、バス停に立つ男を見て再び息を飲む。そして、風の手を強引に引いて、別の方向へと脚を早めた。
「どうなさいました?」
「駄目だ、あっちにはランティスがいる。」
 ランティスさん?
 風はフェリオに腕を引かれながら、バス停を鑑みる。
 クレフとは違い長身の見慣れない男が立っていた。黒髪で黒服。ロングコートも真っ黒という、随分威圧的な佇まい。背中しか見えなかったけれど、友好関係を結びたいと思える人物には感じられない。
「クレフさんはお気付きにならなかったのですから、大丈夫では?」
「…いや、アイツには絶対ばれる。」
「でも魔法は…「魔法じゃない、本能だアイツの場合。」」
 忌々しげに吐き捨てるフェリオに、風は(仕方ありませんわ)と別の道を示す。
「一駅分歩きましょう。それでしたら、大丈夫なはずですわ。」

◆ ◆ ◆

 家人が立ち去ったのを見計らい、クレフはコートの中から杖を取り出す。そもそも長いコートを着用しているのは、この世界では不自然な杖を隠し持つ為。
 魔法が簡易に使用可能ならば感じない不自由も、使えなければ諦めるしかない。
 それでも、杖の届く範囲ならば魔法が使える事に幸運を見出すべきなのだろう。同様にコートに剣を隠し持ちながら、魔法を使えないランティスの事をちらり思う。
 こちらの世界に来てからの様々な不自由を思い出しそうになり、クレフは頭を振って気を取り直すと、瞼を落とし門の防御に雷鳴系の魔法を注いだ。
 バチという鈍い音と確かな手応えに、門を素早く開ける。沈黙したままの警備をやり過ごし玄関へと向かった。
 学校だの仕事だのに出掛けて仕舞えば、この世界の住人は直ぐに帰って来ない事は協力者からの情報で聞いている。ただ、フェリオを発見しても、彼が大人しく此方の説得に応じないだろうとクレフは考えていた。
 元来彼は直情的な性格をしている上に、エメロード姫に心酔している。自分がいくら話そうとも理性と真逆な部分で判断するに違い無かった。
 力づくで説得するしかあるまい…。決意にような独り言を呟く。
 外から窺っていた際も大きな屋敷だとは思っていたが、人の気配が無いのにも驚いた。セフィーロに住まう高位者の屋敷など召使いを多く召し抱えているものだ。
 ただ、己の行動を見咎められる事もないのは有り難い。幾つかの部屋を探索した後、クレフは見慣れた服を発見した。
「…間違いない、フェリオの礼服か…。」
 情報通りに、この屋敷に潜んでいたらしいが、着替えているとすれば此処にはいないのか…。
 そこまで考えて、ハッと顔を上げた。

 まさか、さっきの…。

 服を握りしめたまま、クレフは踵を返した。
転がる様に門から走り出たクレフは、バス停に佇む大男に呼び掛けた。
「バスは通り過ぎたか、ランティス!」
 美丈夫な顔を上げ視線を流して、彼は首を縦に振る。クレフは続け様に問い掛ける。
「御婦人が二人お通りになったか!?」
 屋敷から走り詰めだったせいか、少々息が上がり聞こえ辛い声ではあったがランティスは首を横に振ることで事実を伝えた。
「…やはり…。」
 クレフの呟きに眉を潜めたものの、両膝に手を当てて息を吐く人物の次の行動を待つ。
「それが、どうかしたのか?」
 何とか整えた息に顔を上げたクレフは、追えと声を張った。
「フェリオの礼服はあったが、姿は無い。夜半過ぎから屋敷を見張っていたにも係わらずそれらしき人物が外出した形跡は無かった。
だが、三人の女性が外に出ている。顔を見たのはふたりだけだ、そう思えば背格好がフェリオに似ていたかもしれない。」
「女に化けたか、」
 嘲るような笑いを浮かべ、行動と共にするには体力的に差があるクレフを置き捨てる。こちらでの協力者
に借りた携帯があるのだから、連絡はとれるだろう。振り返る事なく、ランティスは歩道を走り出した。

 ◆ ◆ ◆

 二人の横をきっちり3台バスが通り過ぎた後、風が(あれですわ)と声を掛けた。
距離にして4kmにも満たない長さではあったが、慣れないヒールを履かされたフェリオは既に瀕死の状態だった。
 恨めしそうな視線を送る瞳はわずかに潤んでいないだろうか。
「運がよければ座ることが出来ますから。」
 不憫な気分で宥め賺すよう付け加えてみたものの、バス停に停止した途端次ぎ々と乗り込んでいく乗客がが見えた。あの人数では、座ることなど不可能だろう。だいたい朝の通勤時間に空席などあるはずもない。
 目的地まで彼の苦行は続くのだとわかっていても、風はニコニコと微笑んでみせた。
「…胡散臭い。」
 風の心情を透かしたような言葉に、ばれましたわねと舌を出す。
「まあ、いい。取り敢えずあれに乗ればいいん…「フェリオ…!!!」」

 聞き慣れた吶喊にフェリオがぎょっと振り返れば、背後から威圧的な大男が凄まじい勢いで走り寄って来るのが見えた。上背があるにも係わらず脚も早く、グングンと近付いて来る。
「あれは、ランティスさんではありませんか?」
 呑気に問い掛けてくる風の腕を掴み、バスへ急ごうととしたフェリオの右脚がぐきりと折れる。
「…痛っ…!」
「足首を捻ったのですか?」
 思わずしゃがみ込んだフェリオにつられ、風も視線を落とす。けれど、背後からは異様なさっきを背負ったランティスが一気に近付いてくる。
 陸上の選手のようなフォームなのに、顔は無表情なのが恐怖心を煽った。
「フェリオさん…!」
 息を飲む風の声に、フェリオは靴を脱ぎ捨て風を横抱きにして立ち上がった。今まさに扉を閉じようとしていたバスへと走り寄った。
「フウ、開けろ!」
「はい!」
 切羽詰まった声に、風は閉じかけている扉に腕を差し込み、横にある棒を掴んだ。安全装置の働いた扉が一瞬開くと同時に、フェリオは風と一緒にバスの中に身体をい押し込める。
 ざわめく乗客達を睨んだフェリオは、危険行為を注意しようと振り返った運転手をも一喝する。

「さっさと出せ!!」

 は、はい。
迫力におされた運転手は慌ててアクセルペダルを踏み込んだ。急発進に乗客がよろめくのはそのまま、バスはグングンとスピードを上げて行く。
 後部座席からは引き離されていくランティスの姿が見えた。

「大丈夫でしょうか?」
「魔法は使えないんだ、この速度なら追っては来れない。」
 ハァと一息つき見回した乗客は皆怯えた表情でチラチラとこちらを伺っている。
「んだよ、あぁ?見てんじゃねえよ。」
 不機嫌な声で威嚇するフェリオに、風は苦笑するしかない。
金髪美女が靴を脱ぎ捨て、女の子を横抱きにしてバスに乗り込んだと思えば、声は男だ。女装マニアか、はたまたオカマさんか…関わり合いになりたい物好きなどどこの世界にいるものだろう。 
 フェリオと運悪く視線があってしまった男子学生が震え上がって席を立ち、車両前方へと避難する。それに伴って他の乗客も同じ行動を取り、フェリオと風の周囲はがら空きの席が出来上がった。
「調度良いですわ、すわりましょう。」
 風にしたところで色々と思うところはあったが、此処での最善はそれしかないだろう。
大股を広げて腕組みをしたフェリオと風の周囲は、彼女達が降車するまで誰一人として近付いてこようとはしなかった。


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