なんて無謀な恋をする人


スレを立てる時は、よくスペックを晒せとくる。kwskとか踏まえると自己紹介はこうだろう。

10代女 フツメン オプション眼鏡 少々底意地悪し 学業成績良好

 風はキーを打つ指を止め、首を傾ける。

 (来年受験あり)とすべきか(繰り上がり)と書くべきか迷ったからだ。それはまま、風の迷いでもある。
 通っているのは、そこそこ名の知れた幼等部から大学部まで一貫校だが、風の趣味であり将来の夢でもあるプログラマーとして勉強していくには、少々もの足りない環境なのも事実。だからと言って学校が嫌いな訳ではないので、専門校と併用していく方法も考えられる。
 人生が大海原である人間に比べれば、三角波程度の些細な悩みかもしれないが、風にとっては一番の悩みでもあった。
 そして、人間とはいつも無い物ねだりなのだろう。普通という現状を踏まえて、風は常にある期待を持っていた。
 いつか、自分の元に、非日常というものが舞い降り、 wktkさせてくれるのではないか、と。
 年頃の少年少女が感じる一種の選民意識。
 (私、僕は今は普通だけれど、特別な存在なのだ)という代物だ。大人になり、自分が普通以外の何者でもなく、普通以外の何ものも起こらないと悟るまで続く、一瞬の妄想。
 自分は自分で、それ以上の存在になど成り得ないと冷静に判断出来る風でさえ、心の奥底で静かに主張している感覚だった。
 考え事を止め、ディスプレイに向かっていた顔を上げて窓越しに外を眺める。

 そこに、落ちてくる奇跡を探して。

 雪すら降っていない景色。校庭の広葉樹は全て葉を落とす寒い季節で、おまけに定期試験が今週末に迫った日程では居残って部活をする生徒はほぼ皆無。
 人のいない学校は余計に寒々とした感じを受けた。
 それに拍車を掛けていたのは、気の早い(寒がりなのかもしれない)太陽が早々に姿を消そうとしいた事だろう。冴え冴えと澄んだ空気ごと空を真っ赤に染めていた。
 
 校門が閉まるには暫く時間はあるけれど、下校いたしましょうか。

 何を見るでもなくぼんやりと眺めていた風は、有り得ないものを見つけて一瞬目を瞬かせた。思わず掛けていた眼鏡を取って、もう一度掛け直す。
 それでも、目の前の光景は変わらなかった。

 夕焼けに染まった空から何かが堕ちていた。

それは人影によく似ていて、ヒラヒラしているところなどは風に煽られたゴミ袋にも見えたけれど、やはり人の形のような気がした。
 風はガタンと大きな音を立てて椅子から身体を起こし、パソコンの電源を落としながら片手でノートを鞄に詰め込むと、コートを斜めに羽織り教室を飛び出した。
 クラスメイト達には物静かだと思われがちだが、意外に好奇心は旺盛な方だ。
見失わないように廊下の窓から外を確認しつつ、下駄箱へと走り込む。
 靴を履き替えるのももどかしいと感じるじれったさは、職員室に残った先生が掛けて来た声にも軽い会釈で通り過ぎた。
 職員室の窓からも先程の影が見えてはいるのに、先生は誰ひとり気がついた様子はない。声を掛けようかとも思ったが、影が随分下がって来ているのに気付いて止めた。忙しげに走り去る自分の姿に、先生の目も丸い。
 明日は何らかの問い掛けをなさるのだろうと思いながら、風は脚を早めた。

 ◆ ◆ ◆

 校庭の奥。大学へと続く道の先にはまるで森のような公園がある。影はそこに近付いていた。
 見る間に公園の中にある古い物置の上だけれど、明らかに落下速度がおかしい。
 長い布(尻尾?)はふわりと揺れて、慣性の法則だとか物理的なものが色々置き去りにされている。
 相変わらず夕日に照らされて、物体は黒い影としか風の目には見ることが出来ない。僅かに身体から光が見えるような気がした。

 まるで、魔法。

 風は思わず息を飲む。
 思ってもいなかった、非現実が目の前で展開されている。それだけは確かだった。

 けれど、いきなり灯りが消えるように輝きを失ったかと思うと空から振ってきたモノはそれまでの浮力を全て失ったように、引力に掴まった。
 幻想は、躊躇いもなく屋根へと落下した。
 廃屋の屋根を突き破ったのだろう嫌な轟音が響き、風は両耳を塞いで目を閉じる。
 崩れた家屋からは埃が舞い上がり周囲に散った。粉塵がコントの一場面にも似て、妙に派手だ。
 
「これは、酷いですわね。」
 ゲホゲホと咳き込むものの、何の騒ぎにもならないのは木々に覆われた場所だからだろうか。吹きすさぶ風に飛ばされて、物置が潰れている以外は何事もなかったように静まりかえっている。
「失礼致します。」
 一応ことわってから、瓦礫の中に脚を踏み入れる。天井にポッカリと空いた穴が照らすダンボールだの、掃除用具の隙間に脚らしきものが見えた。
 
「あら、あら…。」
 
 眼鏡をキラリと輝かせて、風は慎重に距離を縮める。
身体全体を投げ出しているのは、やはり人間のように見える。白い衣装は埃にまみれているが、外傷は見当たらない。手袋とかブーツとか全身を覆っている衣装のせいだろう。
 ヒラヒラして見えていたのは、背中に背負ったマント。それでも某漫画のように、グライダーになることも無く、瓦礫のなかでグシャグシャになっていた。
 それにしても屋根を踏み抜いた挙げ句に気絶とは、随分と情けないというか可哀想と言うか…。イケメン(のように見える)だけにコメントは差し控えてあげるのが心遣いだろう。
 翠色の髪、彫りの深い顔立ち。鼻の上についた傷跡がひときわ目を引く。
 先程ついたものではない証拠に、素肌に出来た擦り傷は血を滲ませているけれど、それは乾いていた。
 じっと見つめていればいるほど、風はそれ以外のものに見えてこず、少々困る。
羽根もなければ、尻尾もない。全身が毛むくじゃらでもなければ、手足が豊富にある訳でもなく。
 
(人間ですわね。)

 目を伏せて、風は息を吐いた。
 空から人が降ってくるのも、なかなかに刺激的な出来事ではあったが、折角なので普段見れないものが良かったですわ。
 失礼とも思える結論に達した風の頬に、ぺたりと冷たいものが貼り付く。じんわりと溶ける感覚に雪だと分かった。
 目の前で眠っている人間の頬にも次々と降りかかるのを見て、風は頬に指先を当てて小首を傾げた。雪の刺激で目を開けないと言うことは簡単に目覚めないという証しだろう。

「…放置しておけば間違いなく凍死なさいますわね。」
 
 仕方ないですわと呟くと、風はタクシーを呼び止めるべく立ち上がった。

 ◆ ◆ ◆

 熟睡したのは随分と久しぶりだ。
 真っ白な枕とシーツ、こんな綺麗なものを見たのは随分と前。セフィーロが平和だった頃の話だ。ザガートを腕に抱いて、泣きそうに顔を歪めたエメロードの姿が脳裏に浮かぶ。
『…フェリオ』
 姫の唇が自分の名を象る。
 沸き上がるのは従順な部下としての気持ちだけではない事が俺にはよくわかっていた。決して成就することのない想いだと知っていた。それでも、心は馬鹿正直に躍り虚しい希望を湧かせる。

『貴方だけが、頼りなのです。』

 潤んでいく翡翠が愛おしく、それは同時に背徳でしかない。俺はただの…

「…姫。」
 無意識に伸ばした指先が感じる、確かな触感。
ビクリと手を引くフェリオに、彼女によく似た翡翠と金髪の少女がニコリと微笑む。

「姫とは光栄ですわね。」
「お前…誰だ。」
 意識がはっきりしてくれば、周囲が自分の記憶と一致するものは無い。警戒心を露わにしたフェリオに対して、少女の態度は変わらなかった。ただ、(日本語ですわね)とだけ呟くのが聞こえる。
 そうして、椅子に腰掛け両手を膝の上に置いたまま、彼女はニコリと微笑んだ。
 ふわりとした淡い色の衣服がどことなくエメロードを思わせるものの、眼鏡の奥で輝く双眼は似ても似つかない。
 強い輝きを秘めた翡翠。
「人に名を聞く前に、ご自分で名乗るべきではありませんか?」
「…。」
「と言っても、混乱なさっている方には無理かも知れませんわね。私は鳳凰寺風と申します。ここは私の家ですわ。」
 そこまで聞いて、フェリオは肩を竦めて息を吐いた。小馬鹿にするような薄笑いが顔に貼り付く。
「物好きだな。
 どこの金持ちのお嬢様かは知らないが、こんな奴を拾って家人に咎められたろう。」
 いいえ、と風は笑みを崩さない。 
「ご心配には及びません。
 姉は家を出ておりますし、両親は仕事で出掛けておりますわ。通いの家政婦さんは先ほどお帰りになりましたし、暫くは来て頂かなくて大丈夫ですとお伝え致しましたので、当分家には私ひとりです。
 お気遣いありがとうございます。」
 見当違いに礼を告げられ、フェリオは声を荒くした。 
「…っ、お前、警戒心が無いにも程があるだろう!見知らぬ男とふたりきりとか…!」
「あら、屋根をぶち壊して、気絶なさっていた方など私怖くありませんわ。」
 口元に手の甲を当ててコロコロと笑う風に、フェリオはただ絶句する。
と同時に、思い出した失態に顔が茹で上がった。
「何で知って…!」
「ずっと、見ておりましたもの。
 最初はゆっくりと降りていらしたのに、どうして急に落下なさいましたの?」
 風の問いに暫く呻るような声を出してはいたが、にこにこと微笑む顔に諦めたように口を開いた。
「…魔法が使えなくなったからだ。」
「まぁ、魔法!魔法とおっしゃいましたね?
 確かに、魔法をお使いになれる方を見たことはありませんわ。
 でも、貴方はお使いになられるのですね…いえ、ここは(なれた)と過去形で申し上げるべきでしょうか?
 それで今はお使いになれるのでしょうか?」
 身を乗り出して来た風の勢いに押され、フェリオは何かを試しみようとするがふるりと首を横に振った。
「…いや…駄目みたいだ…。」
「残念ですわ。でも、魔法…素晴らしく非日常的な言葉ですね。」
 片手を頬に当てて感嘆の息を吐く風に、フェリオは顔を歪める。
「此処は、魔法を使わない世界なのか?」
「推察致しますに、貴方が急に使えなくなった事も鹹味して、使わないのではなく使えない世界だと思いますわ。
 昔々魔法を使っていたという歴史なぞ授業では習いませんでしたし、魔法がなくても…。」
 そう言うと、風はベッドサイドに置かれたテレビをリモコンで付けて見せる。
何もない板に突然映し出された映像や声に、フェリオは息を飲んだらしい様子が楽しい。
 ついでに遮光カーテンもリモコンで開けて見せた。
 急に現れた真っ白な雪に覆われた景色は朝日に照らされて輝いていた。フェリオは目を丸くする。
「機械文明が発達している世界というところでしょうか?」
「キカイ…?」
 使い古された古典SFに良く似たシチュエーションは、現代人である風には還って新鮮に映る。彼の反応のひとつひとつが楽しい。
 ベッドの上に胡座をかき、腕組みをしながら頭を捻っていたフェリオだが、何かを諦めたように大きな溜息を吐いて風を見た。
「礼を言わなければならないと思うが、空から振ってきた得体の知れない奴をよく連れて帰って面倒を見る気になったな?」
「そうですわね。
 拾ってしまった子犬は飼い主が見つかるまで責任があるようなものでしょうか?」
「俺は子犬か!?」
「ぐったりしていらした時は、哀れな子犬のようでしたけれど元気になられて良かったですわ。今はキャンキャン吼えていらっしゃるところにも見えますわ。」

 …勝てる気がしねぇ…。

 にこにこと笑顔の風に、フェリオは反論を取りやめ白旗を掲げる。
「………俺の名はフェリオだ。」
「ではフェリオさんとお呼び致します。普通に発音出来るお名前で良かった。
 朝食を準備して頂いておりますので、ご一緒に如何です?」
 スルリと椅子から立ち上がり、風は扉へとフェリオを誘う。微笑む彼女の瞳は、やはり想い人と重なって、フェリオは大きく顔を歪めた。
 

 吹き抜けとなっている食堂へと降りる階段。途中に設けられたエントランスには、風の身長の2倍はある縦長窓が設えられている。
 豪華な装飾が施されている分重く、滅多なことで開閉はしない。
けれど、後をついてきたフェリオが外を見つめて固まった。
「どうなさいまして?」
 声を掛けて覗き込めば、シッと唇を尖らせて風の腕を掴み窓枠へと姿を落とす。
 風はそのまま彼の視線の先を追った。屋敷の周りを囲む庭園よりも先、門の影に隠れるように人影がこちらを伺っているのが見える。
 勿論、風の見知った顔ではない。
 庭園は高い塀に囲まれている上にセキュリティは万全なので、玄関へと続く門を潜らない限り入ることは出来ない。門には呼び鈴が設えてあるので、普通の客ならば鳴らすはずだろう。
「…クレフだ。どうして、此処が…。」
 フェリオの呟きと舌打ちは、彼の心情そのものだろう。
 薄紫の髪。身長はさほど高い方ではないようだが、遠目でもわかる綺麗な顔立ちをしてる。ブルーグレイのロングコートを着込んでいても、随分と細身のようだ。
「どなたですの?」
「…裏切り者さ…。」
「姫、という方に謀反なさったということですか?
 では、フェリオさんを追っていらっしゃたという事ですわね。私のタクシーをつけていらっしゃたのかも知れません。」
 風の余りにも適切な切り返しに、フェリオは返事に窮する。けれど、風は気にした様子もなく、それどころか酷く嬉しそうにニコリと微笑んだ。
「では、見つかってしまってはいけませんわ。
 私まだフェリオさんが空からいらっしゃった目的も伺ってはおりませんから、せめてそこまでの設定は伺いたいですし…。あ、でも貴方がお使いになられないと言うことは、クレフさんも魔法をお使いになる事は出来ないのでしょうか?」
「アイツは力の強い魔導師だからな、わからない。」
「魔導師。RPGを彷彿とさせる響きですわ。それでは、剣士とか…「おい、フウ。」」
 うきうきと話し続ける風の声を留めて、フェリオは苛ついた表情で睨む。
「お前、楽しんでるだろう?」
「あら心外ですわ。私、一応フェリオさんの事も考えて差し上げておりますのよ?」
  
 一応!?

 声にならない叫びがフェリオの唇を象っても、風の笑みは崩れない。
神妙に眉を顰めて、声を沈めた。
 殊更重大な事を告げているような彼女の様子に、フェリオはついつい耳を貸してしまう。
「居所がわかってしまった以上、此処に留まるのはよくありませんわ。
 フェリオさんがお探しになっていらっしゃる物の情報が収集出来る場所へ移動すべきだと思います。場所に関しては心当たりがございますからお任せください。
 ここまで異論はございませんわね?」 
 なんで捜し物をしているのがわかったのかと疑問符を浮かべつつ頷くフェリオは、既にフウの話術にはまっている。
「ですので、安全かつ迅速に屋敷を出る必要がありますわ。そこで私は…。」
 こそこそ…耳打ちされた内容にフェリオが仰天するのと、風がにっこりと微笑むのは同時だった。
「私、とても良い考えだと思いますの。」
「待て、だがそれは…!」
 顔色を青くして首をぶんぶん横に振るフェリオに、お待ちなさいと、纏を掴み風は眼鏡をキラリと光らせる。
「こんなヒラヒラ、ピラピラした格好では目立って仕方ありませんわ。クレフさんの目の前に(見つけてください)と看板を下げて歩いているようなものですわ。」
「…ヒラヒラって、これは、セフィーロの正式な式服だ!」
「セフィーロとは国のお名前でしょうか? それとも儀礼?
 でも、こちらの世界でこんな格好でいらっしゃる方は、とてもコアな方かディープな方くらいですのよ? 郷に入っては郷に従えという格言もございます。怖くありませんから、私にお任せ下さい。
 それとも、他に何か良い考えがありますか?」
 人差し指を顔面に突き立てられ、フェリオは頬をカリカリと掻きつつ思案してはみたものの、何も浮かんでは来なかった。だからと言って風の言いなりになるのは御免だと、ああだこうだと告げてはみるが彼女の理論を覆すには到底及ばない。
「ちょ、俺の話を聞け!!!……すいません、聞いてください!!」
 お願いしますの語尾さえも置き去りに、ふたりの姿は禁断の扉(大袈裟な)へと消えて行った。


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