危険な兄貴2


「結婚しちゃうんだ…。」

 酷く落ち込んだ様子で呟くアスコットを囲み、級友達は皆眉を下に落としている。
昼休みの教室。予鈴まで5分という倦怠感漂う空間は、どんよりとした悲壮感に包まれつつあった。
 彼等を、フェリオは鬱陶しいことを隠そうともしない表情で目を細める。
「そうだよ。」
 素っ気なく返したフェリオに、教室内男子は息絶えたかに見せていきなり反撃の狼煙を上げたのだ。

「何で止めないんだ!エメロードお姉様は俺達のアイドルだったんだぞ!!!」
「あの微笑み、あのスタイル何度俺の寂しい夜にお付き合い頂いた事か!!」
「俺は、…俺はいつかお前を弟と呼べる日が来ると信じていたのに…!!!」
  
 蜂の巣をつついたというよりも、断末魔の絶叫に近い騒ぎに、フェリオはドンと響く音で机を叩いた。一瞬静まった場で宣言する。

「…黙れ愚民ども。」

 ジロリと周囲を一瞥する様子は、元々端正な顔立ちだから怒る事で更に迫力を増すのだが、フェリオ自身は自覚は無い。
「お前らはひと様の家の姉を何だと思ってる。
 今後一切、口にすることも、汚れた脳味噌で考える事も許さん。当然だが、俺がお前らの弟に成る日など一生来ない。わかったか!!」
「そんな酷いじゃないか、これから俺に何をおかずに生きていけと言うんだ…!!」
「ああ、おねえさまぁ…!!!!エメロードさま…!!!」
「この際、似た顔のお前でいい、フェリオ俺に抱かれてくれ!」
 ノリのいい級友達が芝居がかった仕草で泣き崩れていくのを眺め、アスコットもクスリと笑う。
「フェリオも機嫌悪いんだ。やっぱシスコン…「俺を獅堂三兄弟と一緒にするなよ、アスコット」」
 獅堂の名に、教室の端で友人と話していた光が小首を傾げる。
 お下げ髪が愛らしい少女だが、彼女自身というよりももっぱら兄達が有名だ。末っ子の妹−光−に対する過保護ぶりが尋常ではないのがその理由で、光の級友となった男子は皆一度は被害を被っている。もはや都市伝説の類と呼ばれていた。
「何? 呼んだ?」
「あ〜光のお兄さん達の話よね。」
 クスクスッと海は笑い、(ねえ、風)と話しを振る。教科書を手に予習していた風がふっと顔を上げて、目を瞬かせた。そうして、光や海に視線を送りにこりと微笑む。
一連の仕草を、フェリオは興味のないふりをして横目で覗いた。

 鳳凰寺風−彼女は高校進学と同時に気になりだした少女だ。
入試の日。誰もが(勿論、俺もだ)ギスギスとした険しい表情で剣呑な雰囲気が教室中を張りつめさせていた中、彼女だけは柔らかな笑みを浮かべ、窓から初雪を眺めていたのが印象的だった。
 その横顔に、見惚れてしまった。
 尤もそれが、学年トップの余裕だったのだと気付いたのは入学した後だったけれど。偶然にも級友として過ごしているが、好意以上の感情は確かに存在していた。

「そうですわね。光さんはお可愛らしいから、お兄さま方も御心配なんですわ。」
「あれを心配で片づけちゃうのはどうかと思うわよ?」
 海が苦笑いをすれば、光はやはり不思議そうに小首を傾げる。
「え〜何、どういう事?教えてよ、海ちゃん、風ちゃん。そりゃ、兄様達は優しいけど…。」
 幾度となく(シスコン)については教鞭についたふたりだったが、光は猫耳を出して首を傾げるのみ。風・海両者も(自覚出来るまで待つ)と宣言していた。
 なので、風は話題を別に振ることにしたようだ。
「それはともかく、最初はフェリオさんのお姉さんが結婚するというお話しだったようですわ。」
 途端、光は目をきらきらと輝かせ、子猫のようにフェリオの机に走り寄った。
「うわぁ、おめでとう!
 私、一度だけ見掛けた事あるんだけど、すっごく綺麗な人だよね!」
 褒められれば、照れはしても悪い気がしないのが弟だろう。フェリオは(そうでもないけど)と呟き、頬を赤くした。
「…今日は、衣装の打ち合わせに行くとか言ってたな。」
 ドレスね!と海も両手を胸元で重ねて瞳を輝かせた。
「あ〜、私も憧れるわ。真っ白なウエディングドレス。厳かなチャペルに、誓いのキス。」
「…き、ス。」
 歌う様な海の声に、アスコットの頬は見る間に赤くなる。
「なぁなぁ、海のキスする相手って誰だろうな?」
 揶揄するフェリオの声に、アスコットはからかわないでよ!と小声で反論する。傍目でみていても、アスコットが彼女に恋心を抱いているのはバレバレだ。
「何だよ、お前は気にならないのか?」
 しれっと返すフェリオに、アスコットはう〜と呻って更に顔を赤くする。

「フェリオの意地悪!」

 純情少年の反駁の言葉は、しかし唐突に空いた扉で遮られた。
「フェリオ!」
「はい!?」
 いきなり呼ばれた名前に、反射的に返事をして立ち上がる。見れば、担任の教師が手招きをしていた。
「家の方が迎えにいらしてるぞ、さっさと支度しろ。」
「へ…?」
 
 ◆ ◆ ◆

 職員室の入口に突っ立っていたのはランティスだった。
女教師の熱い視線を浴びているのは、奴がいい男のせいだろう。腹立たしいが、事実は事実だ。

「フェリオ。」

 低い声が響けば黄色い悲鳴が上がったのが耳障りだった。ええい、何でこんな男がモテるんだ。無愛想の上に、根性は曲がってる奴なのに。  
 それでも、家族を名乗って俺の学校まで現れたのだから悪戯をしにきた訳ではないのだろう。
「何かあったのか?」
「ザガートに頼まれた。お前の授業に支障がないなら来て欲しいと。エメロードがどうとか言っていた。」
「エメロードがなんだって!?」
 しかし、問いにランティスは首を横に振る。無表情なだけに、顔から状況が読みとれない。
「よくわからん。俺も頼まれただけだ。」
「じゃあ、さっさと行こうぜ!」
 野次馬状態の職員室をランティスの腕をひっつかんで抜けて行く。
アスコットの言う様に、シスコンのつもりはないが、エメロードの事となると人一倍心配だったりするのは本当だ。
 しっかりしているようで天然なんだ、あの姉貴は。
 怪我でもしたんじゃないかと思うと気が気じゃない。
 
 車で来ているというから、来客用の駐車場に行くと旧型の赤いミニクーパがちょこんと停まっている。

「…アンタの車ってこれ?」

 思わず聞いてしまったのは、揶揄じゃない。小さな車(今時の軽自動車の方が遥に広い)とランティスが余りにも不釣り合いだったからだ。
 むすっとした表情で(これはザガートの趣味だ)と告げる。

…いや、それでも小さいでしょ。

 俺の心のツッコミをどう思ったのか、ぼそりと声を漏らした。
「俺は免許はあるが、車は持っていない。まだ学生だからな。」
 そう言われて、ランティスが大学生だか院生だったと思い出した。それがまた、俺の希望大学なのがムカツク。
 けれど、大きな体を折り曲げるようにして乗る大男には笑えた。くの字じゃなくてZになっている。窮屈そうな感じが半端ない。
 気の毒にと感じる程度だが、本人は気に留めているようすはない。(動くぞ)と言われて慌てて飛び乗った。
 意外と安全運転。
 無表情で運転しているのは普段と変わりない。ハンドルを持つと豹変するタイプの人間でもないようだ。
 気になると言えば、ワイパーが完全に振り切ったまま戻らないんだけど、大丈夫なんだろうか、この車…。心なしか計測器に赤ランプが点灯したままのような…。

 フェリオの目一杯の不安感を乗せたまま、たどり着いたのはレンタルウエディングドレスショップだった。写真スタジオも兼ねた建物は、かなり立派なものだ。
 入口で待っていたらしい店員に案内されて奥へ進む。
 左右のウインドウに飾られたドレスに気後れしながら歩いていると、長ソファーにドレス姿のエメロードが横になって休んでいるのが見えた。
 白いタキシード姿のザガートが付き添っていて、俺達に気付いて、ああと微笑む。

「どうしたんだ、エメロード!」
 慌てて駆け寄ると、彼女は青ざめた顔色でふっと息を吐く。
結婚を目前にした花嫁が重病だとか、映画の見すぎだと思いつつも、不安が過ぎる。
「調子に乗ってコルセットを締めすぎちゃったみたい。意識がふっと遠くなっちゃったわ。」
 
 お前は某海賊映画の総督の娘かっ!!!

 安心した途端、激しいつっこみが湧いた。背後のランティスも、驚いた表情で目を見開いたまま突っ立っていた。

「…調子に乗りすぎだろ、姉貴。」
 完全に呆れた声色に、エメロードは拗ねた表情で見上げてきた。
「だって、折角の前写しなんだから少しでもスタイル良く写りたいでしょ?
 ほら、もうちょっと細くしたほうが、ドレスのシルエットが良くなると思ったのよ。」
  目くじらを立てて申し分なく括れた腰を示すエメロードの言ってくる意味がわからない。今だって十分綺麗だと思うのは、弟の贔屓目なのだろうか。
 けれど、ザガートの困った表情には眉を下げた。心配したと、言外に伝えてくるからエメロードの態度もしおらしいものになった。
「でも手加減て必要だって改めて認識したわ。ごめんなさい心配させてしまって。フェリオもランティスも。」
「平気かい?」
 温厚な笑みを浮かべて差し出されたザガートの手を取って、エメロードも立ち上がる。
「大丈夫よ、ザガート。」
 らぶらぶの雰囲気を周囲に垂れ流すふたりに、言葉を失っていれば、店員のひとりが声を掛けて来た。
「前撮りはいかがなさいますか?」
「遅くなってしまったので、今日は無理なのではないですか?」
 ザガートの言葉に、店員は笑顔で(大丈夫だ)と返事をする。今日最後のお客様なので、少し位時間がずれてもいいのだそうだ。
 
「そうだわ!」
 エメロードが唐突に声を上げて、俺達を振り返る。
「せっかく、フェリオやランティスも来てくれたんだもの、一緒に撮りましょう!!」  

 はぁあ!?唐突な提案に俺は目をひん剥いた。
 
「そうしましょう!こんな風に家族で写真を撮るなんて、七五三以来だわ。」
 とひとりではしゃぎ回るエメロードの斜め前、店員が期待に胸膨らませた様子でこっちに熱い視線を送るのが見える。
 いや、違う。
 熱い視線は、ランティスに対してだ。職員室の視線と同じ。
ザガートとランティス。此奴らは、並べて写真のひとつやふたつ撮ってみたくもなるだろう。長身の良い男なんだから。
 問題は俺だ。ふたりの良い男の間に挟まって、ちんまりと写真に残るなんて絶対御免こうむるぞ…と後ずさった俺の襟首を掴んで逃走を阻止したのはランティスだった。
 切迫した恐ろしいほどの気が全身を包んでいた。

「お前だけ逃げるな…。」

 そんなこんなで、着せ替え人形よろしくタキシードの試着をさせられた挙句、カメラの前でひきつった笑みを浮かべ、恥ずかしい恰好をしなければならない羽目に陥った。
 後日送られてきた前写し写真の、七五三のような出来映えに、思わず涙しそうになったのは内緒である。



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