危険な兄貴


 俺はシスコンではないはずだ。

 フェリオはテーブルの下でぐっと拳を握る。
 そのテーブルには、普段滅多にお目にかかる事のない(フランス料理)とやらが置かれ、白いシーツに金の縁取りがされたお皿がピカピカに輝いている。両脇には、銀メッキではないナイフやフォークが陳列されていた。持ってみると、確かに重い。
 皿の上には料理だ。
 腹の足しにもならない量の食材がソースやら何やらで飾りつけられ、澄ましていた。美味そうだが、質より量のお年頃。こんなもんじゃ全く足りないのが本音。インスタントラーメンが遥かに舌に馴染んでる。
 そして、横に置かれたワイングラス。
 正直酒を飲んだことが無いなんて嘘は言わない。嗜む程度はいくが、せいぜいビール。悪酔いするワインは少々苦手だったりする。おまけに、歴史のテストに出てきそうな年代が印刷されてやしないか?

 此処まで言えば、高校に入学したばかりの男子が通常お目にかかることのない場面だとは理解して貰えるだろうか。
 俺だって、物好きで此処にいる訳じゃない。
 歳と身分に不相応な場所に、わざわざ出向かなければならないには理由がある。それは、隣席の姉−エメロード−の存在だ。
 この(いかにも)高級そうなレストランでも違和感のない姉が俺を此処へ連れてきたのだ。
 頭脳明晰で、憚らずに告げれば金髪碧眼の断定美人。
 そして、幼い頃になくなった両親の変わりに俺の面倒を見てくれた、歳の離れた自慢の姉でもある。
 ともかく、お年頃の姉が、俺に是非逢って欲しい人がいるのだと呼び出されれば、大概の奴は検討がつくだろう。
 そう、その通り。俺の前に座っている男が姉の恋人という訳だ。
 何とかという聞き覚えのある企業の研究室にお勤めだとか、姉の話に聞いた事はあるものの、実際お目にかかるのが初めてなので、席に着く時には不躾にジロジロ見てしまった。にも係わらず、笑顔を崩さないところなど出来た人間なのかもしれない。
 ストレートの黒髪を背中で結んだ男は、姉と大学時代に知り合って一目惚れしたのだというような話を照れ笑いで告げてくる。
 
 最初の台詞に戻るが、俺はシスコンじゃあない。

 どんなに自慢の姉でも、(いっちゃやだよ、お姉ちゃん〜〜!!お姉ちゃんは僕だけのもの!!)などとは更々思ってはいなかったし、俺にかまけて婚期を逃してしまわないかと心配していたのだから、渡りに舟だ。
 幸せそうに微笑み頬を染める姉と、嬉しそうな男を見ていれば(義兄さん)と呼ぶ程度なんてこともないと思える。だから、この会食に何の不満も持ってはいなかった。

  それは、この場に来るまでの事。

 俺の斜め前、ザガード(姉の恋人だ)の横に座り無愛想な顔で食事を続ける男と逢う前のお話しだ。奴の名はランティス。ザガートの弟で肉親を亡くしてふたりで暮らしてきたらしいが、そんなのうちも同じ訳で、そこに文句があるわけじゃない。
 和やかに始まった会食の何が気に入らないのか、むっつりと黙り込んだまま一言も口を聞かないのだ。
 エメロードは気にしない風で、話しかけたりしているのだけれど返事もロクにしない上に、視線もあわさない。そのくせ、チラチラと俺を見るから腹が立つ。
 親しさがない遠縁と逢った時に、奴らが見せる視線によく似ているからだ。何処か値踏みをするように向けられる視線には不快感しか浮かばない。兄の結婚相手にとんだ瘤がついている風にでも思っているんだろう。そんな事を思っているなら、テメェこそとんだ小姑じゃねえか。
 考えれば考えるほど胸糞が悪くなってくる。だから、マナー違反は承知の上で、俺は座席を立ったのだ。
「あら、どうしたの?フェリオ。」
「ちょっとさ、慣れない雰囲気で緊張しちゃって…トイレ行ってくる。」
 後頭部を掻いて、苦笑いをひとつ。
「そうだね、私も慣れなくて、緊張している。どうせなら、こんな場所じゃなくて自宅にでもお招きすれば良かったよ。」
 照れた表情で笑い、ザガートさんも同意してくれる。やっぱり良い人だよな。
「すみません、すぐ戻りますから。」
 クルリと背中を向けて、何の反応も見せない男を視線から外す事に成功した。すかさず寄ってきたボーイが丁寧にトイレの位置を教えてくれるから、苦も無く到着。
 おお、流石トイレも贅沢な造り。
用を足して大理石の洗面台を眺めながら時間を図っていると、扉が開く。何気に視線を送り、固まった。ランティスが無愛想な顔をこちらへ向けたまま、歩いてくる。
「遅い。」
「…。」
 思わず身構えてしまって言葉が出なかった。それを一瞥し、奴は大きな息を吐いた。
「子供だな。」
「何がだよ!」
「姉を取られるような気がして、拗ねているんじゃないのか?」
 見当はずれもいいところだ。ただでさえ胸糞が悪くなっていた俺は、まま大男を睨み上げる。身長差なんざ糞喰らえだ!
「はぁ?それは、アンタの事じゃないのか?
 エメロードが話掛けても返事すらしないじゃないか、何が気に入らないんだよ!」
 俺の啖呵にも表情は変えない。どうせ、ガキの戯言と思ってだろう余裕が腹立たしい。ネクタイを掴んで挑みかかってやりたいが、それはエメロードの為にもしちゃいかんだろ。
 我慢だ、落ち着け俺。
「アンタは邪魔したいのかもしれないけど、エメロードを逃がしたらお前の兄貴だって大損だ。
 けどな、気に入らない理由が俺だっていうなら、どうせ高校からは一人暮らしをするつもりだったんだから、二人の邪魔なんかしねえよ。」
「…高校生…?」
「背はこれから伸びるんだよ!!」
 一瞬あっけにとられた表情に、俺が完全に頭に血が上る。
ごめん、エメロード。俺は姉貴の縁談をぶち壊そうとしてるのかもしれない。
「お前、馬鹿にしてんのか!?」
 思わず腕を振り上げ、しまったと思う。けど、引っ込みがつかないとはこの事だ。宙に浮いた腕の置き場がない。

「悪かった。」 
 
 けど、ランティスはぼそりと言葉を口にする。
 
「そんなつもりはない。俺もエメロードは素晴らしい女性だと思っている。ザガートも幸せになるだろう。」
 いきなりの呼び捨ては気になったが、褒められれば悪い気はしない。取り敢えず、振り上げた手の居所をランティスの背中に決めて、バンバンと叩きつけた。
「アンタの兄貴だって良い人そうだ。」
「ザガートは優しい良い男だ。」  
 こんな男でも身内を褒められると嬉しいのか、顔を綻ばせる。へぇ、こんな顔も出来るんだ、コイツ。
「アンタそうやって笑ってた方が良いと思うぜ。」
 マジマジと顔を見上げて告げた。ランティスは(そうか)と呟くと、顔に手を当てて洗面台を凝視する。角度を変えてみてる当たり、結構面白い男なのかもしれない、と思う。

 トイレから戻ってくれば、心配顔のエメロードと目が合う。一体なんだと、席に座って耳打ちをしてみた。
『ランティスがアナタがつまらなそうにしていたって言うので、心配していたのよ。』
…それは、誤解だ。ジロリと上目使いでランティスを見れば、涼しい顔。俺は諦めの溜息を吐くと、だから緊張していただけだよ、と返した。
 そうこうしているうちに、料理はなくなりソフトドリンクが置かれる。
「フェリオ君。」
 満を持して名を呼ばれる。
 少々上擦った、緊張を持った声に俺は、あ、そろそろかと思う。妙に父親として見守る感覚になっているのはなんでだ。
 はいと返事をしてやると、テーブルの上に置かれた手をぎゅっと握りこむ。
「エメロードとは結婚を前提にお付き合いをしていきたい。」
 …反対する理由もないが、勿体をつける場面なんだろうと(妙に親父になってるよな)、二つ返事はやめておく。
「こんな外見ですが、じゃじゃ馬の姉です。どうそよろしくお願いします。」
「フェリオ…!」 
 顔を真っ赤にしたエメロードを優しく見つめてから、ザガードは片目を眇めてみせる。嬉しそうに微笑むと口から出てくるのは(惚気)だ。
「実はわかっていたんだが、そこも魅力的なんだよ。」
「ザガート!酷いわ、もう。」
 本気で怒ってはいないらしいが、エメロードは頬を膨らませた。慌ててザガートが宥めるのを見てランティスが苦笑を漏らし、俺も笑った。
 絵に描いたような幸せな風景とはこんなものじゃないだろうか、俺は頭の隅で呑気な事を考えていた。
「フェリオ君、エメロードの弟である君は僕の弟みたいなものだ。これからは遠慮なく付き合って欲しいよ。本当の兄だと思ってもらってかまわない。」
 どうやら本気で言っているらしい相手に、一応愛想笑いはしておく。凄く良い人みたいだけど、急には無理な話だし、そんな迷惑もかけられない。
「そうだろう、ランティス。」
 
 …そっちもか!?

 俺は思わず目を剥いた。
 座席の向こう側から、不敵な笑みが俺を見ていた。さっきの妙な思い込みと言い、ロクでもない予感しかしないのは、果たして気のせいか…?
「そうだな、俺も弟が欲しいと思っていた。」
 嘘をつけ!お前の目が思い切り笑っているぞ。とは言っても、ザガートとエメロードの手前もある。俺は引き攣った笑みを顔に貼り付けたまま、頷いた。
 反抗出来ないのを良いことに、あいつは追い打ちをかけてきた。
「お兄ちゃんと呼んでもかまわない。」

 誰が呼ぶか…!!!!!!!

  にやにやと笑うランティスと、期待に満ちた目で俺を見るエメロードとザガートに挟まれて羞恥プレイを強要された日、こうして俺には二人の兄が出来たのだ。



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