最後から二番目の願い


「これは所謂デートかな?」
 クスクスッと笑うフェリオが、風にジェラードを差し出してくる。
「からかわれても困ります…。」
 頬を赤く染めた風は彼の顔を見つめ返す事が出来ず、受け取った(本日の学食オススメデザート)を凝視した。
 黄色を基調としたジェラードだが、鏤められた濃い朱や薄桃色がミックスフルーツだと告げていた。それでも柑橘系の果実が主のようで爽やかな香りが鼻を擽る。

 デート…なのだろうか。

 風は貸切となっているカフェテラスに少しだけ視線を走らせる。
伝統ある良家の子女が集まる学校。生粋のお坊ちゃん、お嬢さんが通うせいか学校全体にのんびりとした雰囲気が漂い、放課後だからと言って部活をするものも勤勉に走る者も少ない。
 かくゆう風も習い事の類は全て屋敷に先生を呼んで教わっているので、学校でしたことなど無かった。だからこそ、放課後の残っているものは少ない。
 こうして容易くふたりきりになれるように。

 けれど、ふたりきりになったからと言っても、これがデートなのだろうか。
風が見知っているデートの知識は、本や映画、そして今は外交官として飛び回っている父と母の話だけ。
 そもそもデートの定義自体がよくわからない。

「…溶けるぞ。」
 
 物思いに耽っていた風の耳元に届く声に、ぴくんと肩を震わせる。
「あ、そうそうですわね。」
「そうそう。」
 覗き込んでくる顔に、視線をもっていかれそうで、風は強固に両掌で包んでいるジェラードを見つめ続けた。
 それでも視線は感じる。意を決して、慎重に次ぎの行動を模索する。
「いただきます。」
 丁寧にお礼を告げてから、横に添えられたスプーンで掬い口に運んだ。
 唇に触れるひんやりとした固まりは舌先ではすっと溶けていく。それでも、やはり甘みよりも感じる酸味が爽やかで後味が良い。
「美味しい。」
「風ならそれだと思ったんだ。」
 ストンと横に座るフェリオの手には、乳白色のジェラードが納まっている。
濃厚で甘い(不味いものでは有り得ないだろうけれど)は、きっと風の好みではないだろう。
「…あの、嗜好もお調べになりますの?」
「ひととおり身辺調査はする。
 でも、ジェラードの好みまで範囲外。俺の勘だ、当たって良かった。」
 指を振り、フェリオは片目を眇めた。 それが何故だか酷く眩しい気がして、直視出来ずに風は視線を逸らした。
風の不自然な様子を気にするでもなく、フェリオはぱくりっとジェラードの山に噛みつく。大きな口を広げて食べるものだから、最後は唇をすぼめるようにして喉へと落としていく。
 まるで子供の仕草に、風からクスリと笑みが零れる。
そうすれば、スッと人差し指が風の唇に宛われた。息を飲む風と引き換えに、離れていく動作は、悪戯な笑みが付随していた。
「ここでは、大人しい帰国子女って事になっているからこれでは行儀が悪いな。内緒だぞ、風。」
 変装用の眼鏡を掛けていてさえ、琥珀の瞳が弓なりになっているのが見える。

「貴方って方は…。」

 からかっていらっしゃるのですね。と抗議を告げれば、ニコニコと笑う。
掴み所がないような素振りで、けれど確かに自分よりも一枚上手でもあると思える。それなのに疎ましいと考えず、何処か憎めないのは人柄だろうか?
 生真面目だと、ただその評価だけが全面に出てしまう自分に比べて、彼は様々な表情を浮かべる。
 理由が知りたいと思った。
 大人のようで、子供のようで、それは演技なのだろうか?本当の彼は、何処にいるのだろう…。
 知りたい、

「フェリオさん。」
 
 そっと、呼び掛けてみれば、ジェラードを食べ終わり所作なく脚を揺らしていたフェリオがくるりと顔を向けた。
 警戒心のない無防備な表情。
「あ、あの…迎えが来るまでもう少しだけ一緒にいてくださいね。」
 頬を染めた風に、フェリオが目を瞬かせる。
「喜んで。」
 満面の笑顔を直視していることが出来ず、身を捩ればジェラードがぽたりと風の制服を汚した。

 ◆ ◆ ◆

 不作法者だと思われたでしょうか。

 他者に見惚れて粗相をしてしまった自分が情けなくて、風は手にしたハンカチでクシャクシャになった制服のスカート部分を何度も叩く。
 すぐに乾く事などないとわかっていながら、そうしないではいられなかった。
流石に女性用のrest roomにフェリオが立ち入る訳にはいかないので、恐らく廊下で待っているだろうけれど、染みをつけたままで出ていく自信が風にはない。
 恥ずかしくて、恥ずかしくてきっと穴があったら入りたいというのはこういう時に使う諺ではないかと思える。
 素知らぬ振りをして帰ってしまえたらと考えて、彼がガードでありそれこそ無礼な振る舞いになる事を考えて、ただ溜息をつく。
 もうすぐ迎えの車が来る時間だと気付くと、諦めるしかないと顔を上げた。

「え…?」

 直ぐ後ろに人の気配がして振り返れば、見知らぬ女子学生が口元をハンカチで覆い立っているのが見えた。
すと上げた手には香水が入っているのだろうか、綺麗なアトマイザーを持っている。
 シュッ…と微かに空気が震えて風の意識はそこで途切れた。

 ◆ ◆ ◆

「…平気だ。」
「…状は本物だったんだな」
 ひそひそと、声がする。
左肩が痛たんで、そこから少しずつ意識が浮上してきた。そうすると、強い力で抱着込まれているのがわかった。太く肉厚な手が、フェリオのものではないと悟ると風の意識にかかっていた靄は一気に吹き飛んだ。
 見開いた目に映ったのは、黒尽くめの大男。彼が自分を抱え込んでいるのだとわかった途端、例えようのない恐怖が風を捕らえる。

「いやっ、離してください!!」

 悲鳴を上げて身を捩ろうとした風の肩に、ふっと触れる手。
あと声を上げて、視線を向ければフェリオが笑う。
 思わず伸ばした指先が、彼の手に触れ抱き締めるように握り込まれた。
ポンと一度だけ、片方の手が叩く。
「大丈夫、コイツは俺の同僚だ。」
「フェリオさん…。」
 やっと息がつけたような安堵感から、ようやく自分の状況を冷静に考える余裕が生まれる。
 薄暗くはなっていたが、此処は学院の昇降口かた続く門の側ではないだろうか。生徒達が登下校に出来入りしている場所。
「私…どうして此処に…。」
 どうにも繋がらない記憶は怪訝に思いながら、風は改めて立ち上がろうと半身を起こす。スッと離れるフェリオの手と同時に、男は風の背を支え地面に降ろした。
 
「あ…。」

 脚が地についた途端、身体が傾ぐ。
もう一度支える腕にしがみつき、風は息を吐いた。
「申し訳ありません。何だか、頭がぼぉっとしてしまって。」
「そうだろう。」
 頷く仕草である同意に風は少しだけ疑問を感じて、彼の顔を見上げる。
フェリオよりは年上なのだろう。癖のない黒髪に碧眼。整った顔立ちは表情に乏しく体格の良さも手伝ってかなり威圧感のある風貌だ。
「ご迷惑をお掛けしました。あの、…。」
「…」
 応対も簡素。
 何か気に障るような事をしてしまったのかと言い淀む風だったが、クスクスッと笑うフェリオの声に、彼は眉を歪めた。
「そいつは単に愛想が悪いだけだ。」
「悪かったな。」
 ボソリと呟き言葉にも嫌味は感じられない。風は改めて、彼から手を離して会釈をした。
「ありがとうございます。でも、私どうしてこんな場所で…確か…。」
 記憶を手繰ろうとする風の様子に、ランティスはフェリオに目配せをする。小さく頷き、フェリオがすと二人の間に割り込んだ。
「紹介が遅くなった。こいつはランティスだ、俺の仕事のサポートをしてくれている。」
 そうでしたの、と答えて、風はお世話になっておりますと頭を下げた。ジッと視線を向けてランティスはおもむろに口を開く。
「頭は大丈夫か?」
 問い掛けに、風は小首を傾げた。
「ええ、今は…私、貧血でもおこしたのでしょうか?」
「俺は女子用のrest roomを拝見する良い機会を得た。」
 楽しくて仕方無いという口振りに、風の顔は一瞬で沸騰する。真っ赤になってしまっただろう顔を隠しようもなく、両手で抑えて俯いた。
「…あの、仰っていることの意味が、私…あの…。」
 聞きたい事柄が言葉にならない。
 それは、私がrest roomで意識を喪失して、フェリオさんのお手を患わせてしまった。決定的に恥ずかしいところをお見せしたという事なのだろうか?
「なんだ、聞きたいのか?いくらでも聞かせてやるぜ?」
 ククッと笑うフェリオに言葉が詰まった。ああ、頭の中では簡単に纏まる文章がどうして口から出てはこないのだろう。

「…迎えが来ているようだが?」

 ぼそりと降ってくるランティスの声は天啓にさえ聞こえて来て、風は慌てて制服の乱れを正して、鞄を探す。 差し出された鞄を見ることが出来ても、フェリオの顔を見る事が出来ない。
「じゃあ、風。ご機嫌よう。」
「はい、あの、今日はお世話になりました。」
 もう一度頭を下げてから、足早に迎えの車へと向かう。チラリと振り返れば、ランティスは無表情に、フェリオは笑顔で手を振っているのが見えた。
 そそくさと車に乗り込む様子を怪訝そうに見守る家人には、愛想笑いを返す。
走り去る車を見送って、ランティスはフェリオに向き直った。
「ついて行かなくてもいいのか?」
「家には連絡をしておいたから大丈夫だ。それより、後始末が残ってるだろ。」
 さてと声を出し、脚で掻き分ける垣根の間に猿轡と手錠で拘束した女。
 学院の制服は着ていても、こうして見れば年齢は随分と上だと分かった。ううと抗議の声を発しているのだろうが、ふたりは動じる事はない。
 ぐいと胸元を引き上げてから、 瞳を細めると、口角を上げてフェリオが哂う。
「俺の女に手を出した報いを身体で払って貰おうか。」
 なんてね。と付け加えるフェリオに、ランティスは呆れた表情を向ける。冗談だよと告げ、フェリオは女をランティスへと引き渡した。
「やっかいだな。」
 ランティスの呟きに、合わせるようにフェリオは大きなため息をついた。

 ◆ ◆ ◆

ああ、夢を見ている。風は冷静にそう思う。

 此処はどこだろうか。大きな樅木にオーナメントが散りばめられて天井で輝くシャンデリアの光を反射していて目に眩しい。
 パチと火に煽られ弾けた木の音が、不規則に、けれど断続的に聞こえていた。
タキシードを着た様々な動物、パンダやトナカイが手に何か持ってずらりと並んでいるのをゆっくりと眺めながら、自分が床に座っていることに気が付いた。
 何てお行儀が悪いのだろうと思い、周囲を見回せば皆そうやって座っていた。此処ではこうして座るのが礼儀なのだろうかと風は思う。
 畳の部屋では正座しなさいとお母さまに諭された事を思い出し、それならばお行儀よくしていなければと、座り直す。
 身じろいだ時に横にいた人の手を踏んでしまいそうになって、その手が酷く震えているのが見えた。
 どうしたのだろう、と風は思う。
 寒いのだろうか? お友達の家にいた子犬は母犬が側にいないと震えていた。
可哀想に。風はそっと自分の手をその手に重ねる。自分よりも少しだけ大きな手だ。
 風の仕草に驚いたのか、一瞬ビクと大きく震えて風を見返す瞳はとても綺麗な色をしていた。
『大丈夫だよ。』
 風は小声で呟いた。
『きっと、きっと大丈夫。』
 
 呟いた声に、ふっと風の意識が浮上する。
ベッドでうつ伏せになっていた身体を僅かに傾け、此処が自室である事を確認してから再びベッドに体重を預ける。
「…これ、」
 忘れてしまいそうな、まだ夢の中を彷徨っているようで意識の在りどころがふわりとしている思考を留める為に、もう一度夢をなぞった。
 間違いない、この夢はあの時の状況だ。
 何が切欠で浮き上がって来たのか理由は定かでは無いけれど。
 資料では某国の大使館で行われていたクリスマスパーティに賊が押し入り、銃撃戦が行われたと記述されていた。
 残念なことに数人の犠牲者が出て、犯人は全員その場で射殺されたと有った。
 目的は参加していた子息を誘拐し巨額の身代金を要求する事。捜索が進んだ犯人達の塒で見つかった資料で判明した。
 警備が厳重な大使館へ容易に押し入った賊に関しては、各国の要人や標的になった企業のライバル会社等の名前も挙がったようだったが、風が読む事が出来た資料では詳しい事は載ってはいなかった。
 
 
 けれど、夢の内容が事実だとすれば、自分は怖がってなどいなかった事になる。これは推測になるけれど、幼かった自分は、場の判断をするだけの能力を持ち合わせていなかったのではないだろうか。
 そう、私はあの時命を落としていたかもしれないのだから。隣で震えていた子供の反応が普通に決まっている。

けれど、重要なのは其処ではない。

「…なら、どうして…。」
 風は、うつ伏せの身体をゆっくりと起こした。
「私は何をこんなに(怖がって)いるのでしょうか?」
 思い出した記憶はただ新しい疑問を生んだだけで、やはり答えには辿りつかない。
 風はふっと息を吐いた。眼鏡の無いぼんやりとした景色の中で、テーブルサイドに置いた眼鏡へと手を伸ばす。
 カサリと触れた紙の手触りに、ぼんやりとしていた意識が一気に覚醒した。

 それは、フェリオが風へと送った(偽装用)のラブレターだった。昨夜、帰宅してからも騒めく気持ちをどうしようもなくて、部屋の片づけを思い付いた。
 けれど未整理の品をそのまま放置する性格では無く、思い付いたはいいものの手持無沙汰になった。そうして偶々開けた引き出しに閉まっていた手紙に気が付いた。
 ふっと手に取り、封筒から取り出した手紙を眺めながら、今日のあれこれを思い出しながら眠りについた。
 だから、だろうか。
 想い出の方によく似た容姿であるフェリオの事を考え眠った事により、閉ざされていた記憶が蘇ったのかもしれない。

 ベッドに腰を降ろし、眼鏡を掛けてから右手で持ち上げた手紙を片方の手でそっと撫でる。
 物心がついた頃から理由もわからず束縛されていた心は、さながら軋みながらも動きだした古い時計の様に何か刻み始めている。全て(フェリオ)が現れてから。
 
 まるで、そう、私が彼を待っていたかのよう。

「貴方も一体何者なのですか?」

 手紙を滑らせる指先は答えを見つけられず、ただ彷徨った。



〜To Be Continued



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