最後から二番目の願い 「あ、あの…。」 戸惑う心そのままに、風は視線を揺らす。 ガードを断る事について異論は無い。自らが決断した事ではあったし、ガードが必要な身の上だと思ってはいない。けれど、母はどうだろう。 学校へ行くだけでも、あれだけ心配を掛けてしまっている。今、この瞬間まで我が儘を通そうと思っていたはずなのに、フェリオの優しげな声色が風の心を揺り動かす。 「…契約違反は存じ上げております。」 躊躇いがちに言葉を紡ぐ。それこそ自分勝手な頼みを告げようとしているのだと思えば、他人に迷惑を掛ける事を人一倍嫌う風の気持ちは塞がる。なのに、どうして目の前にいる少年には我が儘を告げようとするのだろう。 「それでも、契約を続けて頂けるようお願いする訳にはいきませんか?ご迷惑をお掛けしていることは十分承知しております。」 ふっと軽く息を吐き、フェリオは肩を竦めて見せた。 「悪いが、無理だ。」 風の様子に一瞬視線を走らせ、フェリオは風の手を引き抱き寄せる。間近に見つめられれば、顔を赤らめ視線を反らした。クスリと笑う声がする。 スッと外された指先を逐うように、風はフェリオの顔を見つめる。 彼は苦笑を浮かべ、もう一度肩を竦ませた。 「…だから無理なんだよ。」 ふいに告げられた言葉の意味がわからず、風は問いかける事すら躊躇する。 「俺はお前を意識することなく接する事が可能だ。けれど、お前は違うだろう? 近付いただけ、目はあっただけ、そんな行為で万事反応されてしまっては、相手に対して俺がガードだと告げているようなものだ。」 至極ビジネスライクな話に、風もコクリと頷く。 そうなのか、とも思う。顔が売れるのは困るという意味は、そういう事実も含むのかもしれない。警備員のようにあからさまな警護ならまだしも、さり気なく守る事など不可能だろう。 「では、もう駄目なのですね。」 ご無理を申し上げてと、頭を下げようとした風の肩をフェリオの手が押し止める。 「方法が、無いわけじゃない。お前がどうしても俺のガードを望むというのなら。」 僅かに上がった唇は、彼を酷く悪戯めいた表情へと変えた。 「それは…「目が合い、触れあっただけで過剰な反応を返す事が不自然ではない状況をつくればいいのさ。」」 キョトンと見つめ返した風に、フェリオは胸元から封書を取り出した。白い封筒の宛名は、鳳凰寺風様。差出人はフェリオだ。 「これを私に…?」 「俺が言いたい事はこいつを読めばわかる。出来れば、お前の親友達の前で読むと良いぜ。」 フェリオは恭しく頭を下げると、両手で校舎へと続く渡り廊下を指し示した。気づけば、授業修了時間まで僅かしかない。 「どうぞ、お戻りくださいませ。お嬢様。」 そうして、急かされるまま風は教室へと戻って行った。 ◆ ◆ ◆ 「鳳凰寺様 突然こんなお手紙をお渡しすることをお許し下さい。 先だって、貴女と会話を交わした際に、とても強く心を惹かれてしまいました。 出来れば、ふたりきりの交際をお願いしたいのですが、深く親交もない相手からそんなことを告げられても困るだけだろうとは想像に堅くありません。 少しでも貴女と近しくなれるよう願ってこの手紙を綴りました。お心に止めて頂けるようお願いいたします。…って、風ちゃんこれラブレターだよね!」 読みかけの手紙からバッと顔を上げた光は興奮しきった表情で風を見つめた。 三カ所ある学食の内、一番大きな場所。風と向かい会い、海と光が座っていた。 風が授業を休んだ事を級友から知ったふたりが心配して風と昼食を取ろうと申し出てくれたのだ。風はフェリオに告げられた通り、封筒を差し出した。 「あの、はい…。」 消え入ってしまいそうな小さな声で返事をして、風も顔を赤くして俯く。それを見た光も頬を染めて黙り込む。光自身、恋文など貰った事も見た事も、余計な事だが書いた事もない。 張り切って読んだものの、急に恥ずかしくなっていた。 けれど、海の反応は違う。もう、と声を出した後、不機嫌そうに眉を歪める。 「固い、固いわ…フェリオ!何なの、この大正時代の恋文みたいな代物!!それでもイマドキの若者なのあの男!」 「海ちゃん、つっこむ所はそこなの!?」 にゃはは〜と苦笑する光は俯いたままの風を気遣うように首を傾げた。 「大丈夫?風ちゃん?」 「え、はい。少し驚いてしまって、それだけですから。」 ドキドキと酷い動機をする心臓を洋服の上から押さえるように掌を置いて、風はふたりに悟られないように息を吸った。 落ち着いて、と心の中で何度も言い聞かせる。−これはフェリオさんのお芝居なのだ。 私が彼を意識していたとしても不自然ではない状況を作り出すと言っていたばず。確かに、これで意識するなと言われる方が困ってしまう。それが、ただの芝居だとしても。 「まあ、難攻不落の風に声を掛けただけでも立派とは言えるわね。」 「…私そんなつもりではないのですが。」 戸惑うように海を見返せば、彼女は目を眇めてみせた。 「自覚ないのは困るわね。 学園一の高嶺の花なんて呼ばれているのはどうしてだと思っているのよ。」 相手に付け入る隙すら与えず、申し出を速攻で断る風の様子を揶揄られているのは風自身も周知の事実だ。 「そういう事は、転入生だし知らないんだと思うけど…。」 困ったように付けくわえた光は、もう一度手紙を読んで(大丈夫だよ風ちゃん)と告げる。 「フェリオは返事が欲しいとかって書いてないし、気持ちだけ伝えさせて下さい。って。」 「そうですか。」 フェリオの知略に舌を巻きつつも、風はコクリと頷いた。 これで妙な結論を出す必要もなく、風の態度を問題視されることも起こらない。 そもそも、あの時既に封筒を用意していたという事は、彼は風が自分を呼び出し、なのに警護を続けて欲しいと頼む事も想定内だったのだろう。 ならば、風が時折級友に交際を申し込まれる事も知っていたはずだ。 その証拠に、フェリオが手紙を送った事に対して、海も光も何の疑問ももっていないようだ。それに彼女達が知った事で学友達にも自然な形で噂は広がるだろう。身近な人々が知ることになれば、それは公然の事実になる。 一体彼は何者だろうか。 風の思考は、別へと繋がる。 ボディガートを生業にしているとは言え、此処まで知に長けているものだろうか?それも、自分とさほど変わらぬ年齢でありながら…。 異性というよりも、人間に対して深い興味を抱く事の少ない風ですら、好奇心をそそられる。警戒心が先立つよりも、知りたいという欲求が先にくる自分に、風は戸惑う。 一通りの話が終わった頃、まるで見計らったようにフェリオが通りかかる。クラスメイトらしき数人の男子と会話を交わし、ふっと気付いた様子で風に会釈をした。酷く自然な様子は、反対に風の心を乱した。 そうして、俯いてしまう風の様子に困った表情で後頭部を掻く。 風の様子からフェリオの存在に気付いた海は、あっと声を上げて立ち上がった。フェリオの肩に手を置くと、ニヤリと笑う。 「ちょっと見たわよ、フェリオ。」 「海ちゃんそんなダイレクトに言わなくても。」 「言うわよ、ドンドン言っちゃうわよ。 大人しそうな顔して、風にちょっかい出すなんて、一応やるわねって言ってあげるわよ。でも、風は手強いわよ〜。」 からかう様子に、フェリオは苦笑を返した。 「気持ちは伝えないと伝わらない、と思いましたので。ご迷惑を掛けてしまうのは申し訳ありません。」 ことりと首を傾げるフェリオに、風は顔を赤くして唇を噛みしめた。 「私は、そんな…。」 「あら…?」 海は風の様子が、普段と違う事に気付き目を見開いた。 大人しそうにしながら、風の意志は揺るがない。恫喝(というほどでもないが)も、同情を引こうとも否を譲らなかった風が、フェリオの言葉には戸惑っているのがわかった。 …これは、面白いかも。 「あんた達つき合っちゃえば?」 腕組みをしてしたり顔をされれば、風は真っ赤になって声を張った。 「う、海さん…!」 ククッと笑い声がしたかと思えば、低い声が風の耳元を掠める。それは、風の頬を茹で蛸にするのに十分名威力があった。 「折角だから、つき合うか?」 content/ next |