最後から二番目の願い


 放課後、下駄箱の横にある長椅子に腰掛けて、三人は下校していく学生達に目を走らせる。自宅から迎えの車が来るまでの時間しかないと、風は目を凝らした。
 翠の髪、琥珀の瞳、そして顔に大きな傷を持つ少年。
 どれかに当てはまる人物を見掛けると確認してみるけれど今のところ(これ)と思う人物はいない。発見と落胆を繰り返していれば、前を横切る少年に、はっと顔を上げた。
 最初に気付いたのは翠の髪。顔は、掛けている眼鏡の度が強いようで、輪郭を歪ませ瞳の色もよくわからない。それでも、体型が似ているような気がして、風はあの、と声を掛けた。背丈も調度あっている…そんな気もする。
 けれど、振り返った顔を見た途端、風は落胆した。似ていると感じた分だけそれは濃くなり、不審な沈黙を作り出してしまう。
「何ですか?」
 抑揚の無い声が、怪訝な色を含んで問い掛ける。風は慌てて取り繕うように頭を下げた。
「いえ、ごめんなさい。なんでもありませんわ。」

 眼鏡を掛けていても、はっきりと見える鼻に印象的な傷が無い。彼は違う…。
 
「あら、フェリオ君じゃない?」
 海が風の後ろから声を掛けると、目の前の不審そうな表情が僅かに緩む。
「龍咲さんのご友人ですか?」
 海はこくりと頷いて、風とフェリオの間に入り(彼はクラスメイトなの)と告げた。
「彼女は鳳凰寺風、こっちは獅堂光。二人ともクラスは違うけれど友人よ。
 彼は先月だったかしら、海外から転校してきて、ええと、名前は…なんか凄く長い名前だったわよね? 悪いけど、私、(フェリオ)って部分しか覚えてないわ。」
 首を捻った海にクスリと笑い、フェリオは風でさえ一度では覚え切れそうもない名前をスラスラと告げた。そうして申し訳なさそうに眉を下げる。
「色々な人種が入り混じってる家系なので、全部繋げると長いんですよ。」
「凄いね、(寿下無)っていう落語みたい!」
 光の目を輝かせての感嘆に海と風は苦笑する。フェリオも海外生活が長く日本文化に馴染みがないのか、意味がわかってはいないようで曖昧な笑いを顔に浮かべたまま沈黙していた。
 けれど、ああ、と思い出したように問い掛ける。
「三人で何をなさってたんですか?」
「そうそう、私達ね、風の命の恩人を捜してるの。」
 風の両肩に手を置き、フェリオに向かって一歩押し出してから言葉を続ける。
「貴方によくにた髪の色なんですって、背格好も同じなのよね?でも、鼻の頭に凄く目立つ傷があるらしいの。そうよね、風。」
 何度かの問い掛けにも、はいを繰り返し下を向いてしまう風の様子に、フェリオも困った顔になる。話し掛けてもいいのかと迷っている様子を見かねて、光があのね、と声を掛けてきた。
「風ちゃんは大人しくて、人見知りなんだけど、本当は凄く優しくて頭がいいんだよ。」
「え、光さん…。」
 急に告げられた賛辞に、風は羞恥で顔が上げられなくなる。
「あ、ごめ…風ちゃん。だから、あの、私達が手伝ってあげてるの。フェリオも知らないかな?」
 けれど、彼はふるりと首を横に振った。
「こう言っては申し訳ありませんが、僕に似た背格好の人間なんか、此処の学校でなら大勢いるように思いますけど…。」
「そうなのよね。だから、なかなか見つからなくて。」
 腕を組み、フウと息を吐く海に風は申し訳ありませんと頭を下げる。綺麗な眉を意地悪っぽく歪めて、海は風の首にかじりついた。
 きゃっと上がった声に、にまりと笑い海は顔を擦り寄せる。
「丁寧なのはいいけど、私達は友達なんだから、遠慮なんてしなくていいんだかね。」
「そうだよ!私も風ちゃん大好きだよ!」
 光も同じように風の腰に抱きついてから、「あ、海ちゃんも大好き」と付け加えて舌を出す。
 華やかな三人の様子に、フェリオはクスリと笑った。そうして、クルリと背を向けた。振り返ると同時にヒラと手を振る。
「早く見つかるといいですね、鳳凰寺さん。」
「あ、はい。」
 ペコリとお辞儀を返して、ふと違和感を感じる。顔を上げた風に海は笑いかけた。
「彼、クラスの男の子に比べて、ちょっと大人な感じがするのよね。」
 ああそれでなのですね、と風は納得した。
 クラスメイトの女子達が騒いでいる時の反応と彼が違うのだ。五月蠅いと眉をひそめられるか、一緒に騒ぎ出すかのどちらかだ。けれど、彼はそのどちらでも無い。
 けれど、それはただの感想で、風は再び周囲に視線を戻す。そうして、一週間が過ぎても捜し人に巡り会う事は出来なかった。

「戻りました。」
 玄関で声を掛け、風は違和感に眉を顰めた。
奥の方が騒がしい上に、いつもで迎えてくれる母親の姿が無い。慌てて居間へと向かうと、一人掛けのソファーにぐったりと身体を横たえた母の姿がある。
「お、母様…!」
 風の声で付き添っていた姉−空−が顔を上げたことで、母親も気付いたようだった。

「ああ、風さんお帰りになったのね、良かったわ。」 
 
 青ざめた顔色で、弱々しく微笑む母に風は慌てて走り寄った。使用人のひとりに鞄を渡し、母に寄り添う。
「どうなさったのですか、お母様。」
「ええ、心配を掛けてごめんなさい。少し体調を崩してしまって、お医者様にも来て頂いたのだから、大丈夫よ、風さん。」
 お倒れになったのよ、と付け加えられた空の言葉に息を飲む。
「お医者様は、お体の具合ではなく、精神的なものだとおっしゃっていましたわ。」
 眉を顰める姉の様子に、母はやはり弱々しい笑みを浮かべたまま風の頬に指先を当てる。
「風さんがお勉強をお好きなのはわかっているのだけれど、あんな事があった後ですもの心配で仕方がないのよ。貴女は一度危険な事件に巻き込まれた過去もおありですし…私。」
 ホウと深い息を吐き、母は瞼を落として眉間に手の甲を置いた。寄り添う風の表情も歪む。しかし憔悴した表情で告げられた母の言葉に、風は目を丸くした。 
「ボディガードの方を頼んだと言っても、私心配で心配で…。」
「お母様…ボディガードって…。」
 姉の手が母の肩に置かれ、空は声を潜めて話し掛けた。
「お母様、それは風さんには内緒にしていただくよう仰られて承諾した事ではありませんか。」
「ええ、そうだったかしら…。ああ、そうかもしれないわね。」
 医者に処方された薬の影響か、それとも風の姿を見て気が抜けたのか、母の言動はおぼつかない。同様に事情を知っている様子の姉に、風はどういう事かと問い掛けた。
「この間貴女を助けてくださった方、お母様の顔見知りの方がお願いなさっていたボディガードをなさる方だったのよ。調度そちらでの契約期限が終わった事で、お母様が貴女のガードをお願いになって…。」
 そして、困った表情で風を見遣る。
「でも、ガードをしていることを貴女に知らせない事。勿論顔を出さない事が条件だったの。ご商売をなさるのに、顔が売れてしまうのはよくないと仰って。」
「そう、でしたの。」
 あれから数日過ぎてはいるが、自分の身辺が普段と違うなどと感じた事は一度もない。だから、ボディーガードが付いていたなどと、風は夢にも思ってはいなかった。
 あれだけ、海や光にお願いして探していた相手が自分のガードとして側についていた挙げ句に、自分には全く気付かせる事もなかった。
 それはあの時救ってくださった手際といい、優秀なボディーガードだという事実なのだと風に認識させた。

 ならば…、彼に会いたいとするのなら、もう一度姿を見せて欲しいと願うのなら、自分の身になんらかの危険行為が及べばいいはず。

 風はそこまで考え、心配そうに覗き込んで来る姉の視線に気付いた。
「空お姉さま…?」
「お願い風さん。お母様の為にも聞かなかった事にして頂戴。
 貴女が事実を知った事は契約違反。契約を破棄されても仕方ないわ。でも、今貴女のガードもいなくなったら、お母様が…。」

 憔悴した母の様子を見遣り、しかし風はごめんなさいと胸の中で謝った。
 
「わかりました。
 元々私が我が侭を申し上げて学校をお休みしなかったのが原因ですから…。」
 言葉と裏腹な心中はままに留め、風は笑みを浮かべて姉に言葉を返す。
「ガードの方が側にいてくださるのなら私も安心ですから。」
 ちくりと痛んだ胸は、しかし自分が狙われるはずがないだろうという確信で否定する。母は二度の事実で過剰に心配しているだけ。
 きっと大丈夫だと、風は自分自身に言い聞かせていた。


 次の日、風は意を決して授業への出席を拒否して普段立入禁止になっている屋上へと脚を運んだ。
 フェンスのギリギリまで脚を運び下を覗き込む。古い校舎は3階建てだったけれどこうして見るとそれなりに高い。ゴクリと喉を鳴らして、風はフェンスの上に両腕を置いて、乗り上げる体勢で脚を持ち上げた。
 大きくはためくスカートに緊張感が増す。

「私のボディーガードをしていらっしゃるのはわかっております。」
 自分が昇ってきた階段へ続く扉はギイとも音を立ててはいないし、人の気配など無い。それでも、彼はいるのだろうと風は確信していた。
「ずっと貴方を捜していた事、貴方もご存知だったのでしょう?」
 恐怖に負けないように声を張る。授業中なのだから、絶対に他の人間が来る事はないはずだ。
 普段では考えられない大胆な行動は、風自身も信じられない事だったが、彼と話しをすること。それは何よりも大切な事に思えていた。

「姿を見せて頂けないのでしたら、私このまま飛び降りますわ。」

 それでも、聞こえてくるのは寒々しい風の音だけ。唇を噛みしめ、風は身体を前に、校舎の外に傾けた。

「本気です…!」

 言葉と共に腕を突っ張る。けれど、風の思っていた以上に屋上での突風は強かった。細い、風の腕がぐらりと揺れる。支えられずに傾いた身体はフェンスから外へ投げ出されそうになった。
「きゃ…!!」
 両手が空を掴んだ時点で、風は固く目を閉じる。地面に叩きつけられれば、よくて重症、それ以外は間違いなく死亡だ。
 両親と姉の名を心で叫んだ時、ふわりと身体は浮いた。
横抱きにされて、校舎に沿って植えられた大樹に乗っているのだと気付いたのは恐る恐る目を開けた後、落下して随分と時間が経った後だったのだろう。
 
 片手で枝を持ち、自分を支えている少年。
翠の髪、琥珀の瞳、そして鼻には大きな傷。間違いなく、あの時の彼だった。

「困った奴だな。」
 さも呆れたと言うような声で、彼は後頭部をガリガリと掻く。
「そんなに俺に逢いたかったか?」
 ニヤニヤと嗤う表情に、風は彼の意図を知り顔を赤く染め上げた。
「そういう意味ではありません!私は…。」
 声を張り、しかし羞恥に言葉を顰める。
「私は貴方にお伺いしたい事があるだけです。」
「つれない奴だな。」
 くくっと笑い。けれど、上げた顔にどこか見覚えがあり風は目を瞬かせる。そして、ひとつひとつの特徴と声を照らし合わせてみる。

「…貴方、…フェリオさん?」

 うん?と一瞬惚けてみせてから、彼はニカッ笑った。
「なんだ、今気付いたのか。俺ってそんなに印象の薄い男なのか〜。」
 茶化した様子で両手を上げ、肩を竦めてみせる。
「ですが、傷もありませんでしたし、態度だって…ひょっとして名前も…。」
「偽名さ。」
 目の前の少年は事もなげに告げて笑う。
「記憶に残りにくいようにするのも仕事のうちだからな。ああ、でもフェリオは本名だ。完全な偽名はそれはそれで不自然になるからな。」
 そうして、フェリオはキョロキョロと視線を走らせてから、風の身体を抱き直すと幹から地面に飛び降りた。
 ふわりと降ろす仕草は、前と同じだ。
 悪戯な表情でも、琥珀の瞳は真剣だった。ふっと視線を逸らすタイミングで声を掛けてくる。
「賢いお嬢さん、これが重大な契約違反だとわかってやっているのかい?」
「ぞ、存じ上げております。それでも私は…」
「俺に逢いたかった。」
 瞳を細めて告げられる事実に、ままの意味のはずなのに風の頬が紅潮する。
「はい。」
「何故? お礼を告げるとかではないんだろう?
 お前はそんな事に命を掛けたりはしないはずだ。」
 当たり前の問い掛けだったが、風はゴクリと唾を飲んだ。
トラウマの様に長年抱え込んできた事実。そのことに対して始めて得られる答えなのかもしれないと思うと、緊張に声が震えた。
 過去の出来事を話し、そしてこの間助けてもらった際にその状況が良く似ていた事を告げる。
 フェリオは言葉を挟む事なくじっと耳を傾けてくれてはいたが、全ての話しを聞き終わった時には首を横に振った。
「残念ながら、それは俺じゃない。」
 年令から考えても、当たり前だろう。幼い記憶ではあったが、彼は成人男子だっただろうし、同い年であるだろうフェリオが同一人物のはずなど無い。
 何故そこに答えがあると信じたのか、風自身もわからなかった。けれど、これはとても奇妙な事だとは思うのだけれど、心の中でストンとなにかが収まる気がしたのだ。
 納得した訳ではなく、でも何かが腑に落ちる。
 けれど、(どうする?)と再び投げかけられた問い掛けが、契約違反なのだと気付いて、風は再び言葉を失った。



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