最後から二番目の願い


 カチャカチャと金属を分解する音が響く。
モニターを斜めに見つつ、アスコットの視線はフェリオの手に注がれた。器用な手つきで形を無くしていく様子はもの珍しいのだ。
 白いワイシャツと黒いズボン姿のフェリオが、ソファーに座り作業を始めてから3分と経ってはいなかったが完全に分解されているだろう。
「そこまでするの?」
「持ち物検査があると面倒だからな。」
 無表情なフェリオの様子に、彼の機嫌が斜めだと悟りアスコットはクスクスと笑った。
「不満なんだ。」
 別に…と呟き、フェリオはアスコットの顔を覗き込むように上げた。
 瞳を覆うほど長い前髪に隠されたアスコットの顔は幼い。それもそのはず優秀なシステムエンジニアである彼は、まだティーンエイジャーなのだ。
 フェリオも彼とそう歳の差は無いように見える。だが、本当の所はアスコットより年上だ。童顔と小柄がもたらす影響だと自覚もある。それでも、高校生に混じって違和感が無いのはどうなんだよと複雑な気分は否めない。
「適材適所。流石にランティスが現役高校生になれるなんて、俺も思ってねぇよ。」
「だよね。ぜいぜい、先生役かな?」
 クスリと笑って、アスコットも椅子に座り直してモニターに視線を走らせる。
 都内某所に設えられた監視カメラの映像をちょっと拝借したそれは、四角い枠が幾つも並び、様々な風景が映し出されている。
 その中のひとつをのぞき込み、アスコットはフェリオを手招きした。
 作業を止め、モニターを覗き込んだフェリオの眉間に皺が寄る。
 画面には黒髪長身で黒尽くめの男が無表情のまま立ち尽くしている不自然な様子が映し出されていた。通り縋りにチラチラと彼に視線を送る学生達の様子も、はっきりと見て取れる。
 適材適所…自分で告げておきながら、彼を行かせた自分が情けなく思えた。まだまだ采配が甘い。秘書を伴って本国へにいるクレフの帰国が待ち遠しくなった。
「…俺が出るからアイツはこっちへ戻せ。別の意味で目立ってる…。」
 はぁと溜息を吐き、フェリオはバラした部品を、筆記用具を入れる筒状の容器に詰め込んでから学生鞄に放り込む。キチンと並べられた教科書とノート代わりのルーズリーフの間に挟み込むと、ネクタイを締めて上着を羽織った。
 そして、バスルームへ向かい、シャワードレッサーに付いた鏡を覗き込み、確認してから横に置いていた眼鏡を掛ける。変装というほどのものではないが、印象を変えておくのも仕事の内。
 そこにいるのは、真面目な高校生の姿だ。普段つけているピアスも外して穴も完璧に隠れている。少し長めで結んでいた髪もこの為に切った。
 日本の校則とやらの細かさには、ほとほと呆れる、が入り込むには、右へ倣うのが原則だ。

 まぁ、いいか…。

 クスリと笑ってもう一度鏡を覗き込んだ。
髪を伸ばしていたのは、願掛けのつもりだった。でも、もうその必要性はない。
 バスルームから玄関に向かう途中、カチャカチャとキーを打ち込む音が止まり、アスコットが再び顔を覗かせた。
「行ってらっしゃい。ターゲットが替わっただけだから、そのまま継続という形でいいんだよね?」
 一応と念を押して聞かれたが、フェリオはふるりと首を横に振った。
「経費は別扱いだ。
 クライアントが違うからな。今度の請求書は、(鳳凰寺財閥)宛になる、頼んだぜ。」
「ええ〜〜!ちょっと待ってよ、それ経理で…なんで僕の仕事なの!?」
 アスコットの叫び声に、玄関で擦れ違ったランティスが不審な表情になるが、フェリオは(お疲れ様)と笑いながら扉を閉じた。
 ぶすくれた様子のアスコットを一瞥し、ランティスは先程までフェリオが座っていたリビングのソファーに腰を下ろす。

「珈琲…。」

 ぽつりと呟くランティスに、え〜それも僕の仕事!?とアスコットは心の中で叫んだ。

 ◆ ◆ ◆

 いつもは密やかな校内が騒がしい。

 当事者である風は、時折溜息を付いて好奇な視線を削いではいたけれど、今日は本当に一日が長く感じられた。(やっと終わったかと)授業を感じた事など、これまでの人生で始めての事だ。
 直接聞きにいらっしゃるのなら説明もするのだけれど、遠巻きに噂話をされてしまうと倍疲れるような気もした。
 ホゥと何度目かの溜息をついたのと同時に、教室の入口が勢い良く開かれた。
「風!」
「風ちゃん!」
 顔色を悪くして駆け込んで来た親友に、風は穏やかな笑みを返した。
「光さん、海さん。ご機嫌よう。」
 その様子を見た途端、海は令嬢に相応しくない鼻息で風の顔面に詰め寄った。
「風、何悠長な事を言っているのよ!
 私が放課後まで我慢するのがどれほど大変だったかわかる?
 てっきり今日はお休みだと思っていたら、うちの生徒達が貴方を見掛けたっていうから本当に心配してたんだからね、大丈夫なの!?」
 必死の形相で捲し立てられて、きょとんとした表情になっていた風がクスクスと笑い出す。
「何笑ってるのよ、笑い事じゃないでしょ!?」
「ええ、そうですわね。とても怖かったですわ。ただ…」
 風は笑いすぎて目尻に溜まった涙を眼鏡の端から拭いて、頬を膨らませている海に向き直る。ちらりと周囲に視線を送ってから、クスリと微笑んだ。
「ただ、こうしてストレートに聞きにいらっしゃったのが海さんが始めてでしたので、余りにも海さんらしくて可笑しかっただけですわ。心配を掛けて申し訳ありません。」
 (ふうん、そう。)海は勝ち気な碧眼を細めると、教室を見回した。
「どうせ、うちは成金でお上品さには欠けてるでしょうからね。」
 腰に腕を当てたポーズは挑発的だったが、彼女の気性は学校でも有名だ。敢えて挑もうという勇者はひとりとしていない。その海に隠れるようにしていた光がやっと、という様子で風に話し掛ける。俯いたままで覇気の無い彼女はこれはこれで珍しい。
「昨日って、私と話しをした後だよね?怖かったよね。うちの車に一緒にって誘えば良かったって…私。風ちゃんごめんなさい。」
 顔色を悪くしたまま俯いた光の手に、風は自分のものを重ねる。
「光さんのせいではありませんわ。
 悪いの犯人の皆さん方です。貴方が責任をお感じになる事ありませんのよ?」
「そうかもしれないけど、何かあったら私お手伝いでも何でもするから絶対言ってね。お願いだよ、風ちゃん。」
 手を握られ、風が曖昧に笑ったのは母親が卒倒したせいだった。
 二度も娘が標的なったのだから、彼女の心労も頂点に達するというものだろう。親友達が案じてくれたように、今日は学校に行くことすら反対されたが、風はそれを押して通学した。

 理由はふたつある。

 一つは、既に誘拐犯達が逮捕されている事。比較的裕福な家が連なるあの場所で身代金目的に家の子供を狙っていた常習犯だったらしい。お金さえ払えば人質の無事は保障されていた事から被害届は出ていなかったものの、噂を聞いた親達はこぞってガードを付けていた事も後からわかった。
 そしてもう一つの理由は、どうしても確かめたい事があったからだ。
 あの時自分を救ってくれた少年。彼を捜し出して、過去の出来事をはっきりと思い出したいという気持ちが風を動かしていた。
 十年以上も前の話だ。助けてくれた人物が彼だと考えるのは理屈に合わない。 それでも風の中に引っかかるモノが生じたのも確かだ。だからこそ、彼に逢いたいと思った。長い間自分を縛り付けているものの正体を知りたい、知らなければという気持ちが風の背中を押していた。
 そして、目の前には真摯な表情の親友。風はコクリと頷くと、光と海に告げる。

「確かにお願いしたい事がありますわ。協力して頂けますか?」


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