甘い一時


 おまけみたいな続き


 フェリオに連れられて向かったマンション。飛び出してしまいそうな心臓の上に両手を置き、呼び鈴を鳴らすフェリオを背中から見つめる。
 勢いで来てしまったけれど、先程までのショッピングや食事はとても楽しかったけれど、随分と大胆な事をしているのではないだろうか。急に自宅を訪れて、ひょっとしたら迷惑なのではないだろうか?
 様々な不安が風の心を占拠しつつある状況で、カチャリと鍵を開ける音が聞こえた。そうして、扉を開け、自分を迎え入れた女性を見て、いままで思っていた事とは別の要因により、風は息を飲んだ。

「いらっしゃい、待ってたわ。」

 (雛に稀なる)という形容詞がピッタリの容姿。澄んだ声。
 腰まである金髪も、潤んだ碧眼も風が初めて見ると言っても過言ではない程の綺麗な女性。フェリオとは余り似ていない気もしたが、顔の作りはどことなく重なる部分もあって、彼の姉なのだと認識出来た。
 …つまり、フェリオもなかなか端正な顔立ちだと言う事だ。行き着いた結論に、赤面する。

「あら、可愛らしいお嬢さんね、どなたなの?」
「同僚の風だ、部署は違うけどな。」
 小首を傾げる様子も優雅で、ついぼおっとその女性を見つめていた風の背中を、フェリオの手がトントンと叩いた。はっと我に返り、風は慌てて会釈をする。
 恥ずかしい。無作法者と思われたりはしないだろうか、誰にそう思われても嫌だけれど、フェリオの(お姉様)にそう思われるのは、酷く困る。
「鳳凰寺風と申します。あの、初めまして。急にお邪魔して申し訳ありません。」
「初めまして。私はフェリオの姉でエメロードと言います。よろしくお願いしますね。」
 ふふっと微笑む表情につられて、風も笑顔になった。綺麗なだけではない、とても優しい人なのだと風は思う。
「あれ、甥っ子どもは?」
 玄関から中を覗き込んでいたフェリオが振り返ると、ああとエメロードは笑った。
「ザガードが義母様のところへ連れて行っているの、もうすぐ帰ってくると思うけれど…ごめんなさいね、風さん。フェリオが強引に連れて来てしまったんでしょう?」
「…姉上。俺を人攫いみたいに言うなよ。」
 むうっと頬を膨らませて、フェリオは拗ねた表情を姉に向けた。
「だって、お邪魔って仰るのよ? 彼女の都合も聞かずにご一緒して頂いたんじゃないの?」
 姉の言葉に、フェリオは眉を潜めて顔を赤らめる。
「そりゃ…ちょっと強引に誘ったのは認めるけど…。」
「ほら、やっぱり。」
 年が離れているらしいお姉さん。フェリオは彼女に弱いのだろう。頭をガシガシと掻いて不満そうにしても反撃はしない。
「いいえ、私もご一緒したいと申し上げたんです。」
 きっとフェリオが困窮しているに違いないと、風は言葉を続けた。
「私が差し上げるはずだったお菓子を食べてしまったので、それで急に。連れて来て下さいとお願いしたのは私で…。」
「まぁ、フェリオ。そんな事で風さんにお気遣いさせては駄目じゃないの。」
「…わかってる。」
 今以上に、フェリオの旗色を悪くしてしまったのだ。風は、心底困った表情で申し訳なさそうに黙り込む。その両手をそっとエメロードは握った。
「ごめんなさいね、風さん。」
 自分を気遣うエメロードの声にも、何と言葉を返していいのかわからない。
「フェリオは、あんな様子なんだけど、女の子を家族に引き合わせてくれたのは貴方が初めてなのよ。」
 
 え…?と風は顔を上げる。

 エメロードがクスクスと笑う。
「そういう事、本当に器用じゃなくて。貴方を誘う為に必死だったの、わかってやってね。」
「姉上!!!」
 姉の爆弾発言に、フェリオは慌てて静止の為の大声を上げた。しかし、それは遅くエメロードの言葉を止める事は叶わなかった。

「フェリオは貴方の事が大好きなのね。」


 一瞬の空白の後に、(ギャッ)というような断末魔の叫びとおぼしき声を発して、フェリオは沈黙した。
 風に至っても、エメロードが発した言葉の威力に頭が真っ白。
その後、エメロードに何を話し掛けられても、曖昧に微笑んで頷くばかりでちっとも内容は頭に入って来なかったし、何より自分の行動を覚えてなどいなかった。
 ギクシャクと操り人形よろしく(エメロードの言葉に操られていたと揶揄すれば、正にその通りだ。)動いていた二人が、正気を取り戻したのはエメロードの家を随分と離れてからの事。最寄りの駅よりも、エメロードの暮らすマンションは少しだけ離れていて、徒歩で10分程度だったが、その駅に向かう道すがら風は前を歩くフェリオの背中を見つめていた。
 ガクリと肩を落としている背中に、しかし風は何処か嬉しさを覚える。ドキドキは止まってはいない。寧ろ、高まっていくようだ。
街灯の青白い光に照らされて、意気消沈ぶりの激しいフェリオには申し訳無かったけれど、鼓動は嘘をつかない。

 自信満々に見えて、ちょっと臆病なところもある事。
歳の離れた姉ととても仲が良くそれ故に、どうも頭が上がらない事。
そして、自分の想いに真っ直ぐで、凄く正直な人である事。

 そんな彼が好きなのだと、そう実感出来る事ばかり。
 これが惚れた弱味だと言えないことはないけれど、風にとって好ましい発見ばかり。本当に好きになるのは、こういう事かもしれないと思う。
 その方の全てが、良いところも悪いところも、受け入れられる。理由なんて簡単で…「好き」なのだ。
 目の前にいる、フェリオが。

「フェリオさん。」
 怖ず怖ずと風が声が掛ければ、可哀相なほどつね情けない表情のフェリオが振り返ってくる。風の顔を見て、大きく溜息をついた。
「…呆れた、よな…。」
 呆れる? 
 風にはフェリオの言葉をそのまま受け取る事が出来ずに首を傾げてしまう。まさか、姉に振り回された事をだろうか?
微笑ましいと思ったけれど、呆れる事などありはしない。
 けれど、それは「女」である自分が思う事。フェリオの男としての自尊心というものが傾くのだろうかと懸念してみる。
 男性のプライドというものは、これはこれで侮りがたい。
「私は仲が良いのですね、と思っただけですわ。とても優しいお姉様ですし。」
 何も気にしてなどいないと告げる為、精一杯の笑顔を浮かべてみせた風に、フェリオは頬を赤らめた。
 所作なくあちこちに視線を彷徨わせた挙げ句に、小声で話しを続ける。
「まぁその、一応自慢の姉だ…じゃなくて、大事なことを俺じゃなくて姉上が言った事を、だ。」
「は、い?」
 ふいにフェリオが脚を止める。つられて、風も歩みを止めた。
 暫くの間に訪れる沈黙は、冷たい風を意識させた。両手を唇の前に持って来て、ハァと息を吹きかけてみる。その白い吐息越しに、フェリオの顔が見えた。
 今夜は例年の寒さからすれば随分と温かい気候だ。それでも、深夜となれば、底冷えがする寒さが身体を包む。
 それが気にならない程にフェリオの瞳が熱いと思えるなんて、自分はどうかしているのかもしれない。

「好きだ。」

 火が灯る。

「俺は、風が好きだ。お前に惚れている。」

 あっと思った瞬間に、身体のあちこちに飛んでくる。火照っていく身体に、きっと頬は真っ赤だ。
「本当は最初に告げなければいけないんだとわかっていたんだ。でも、同じ会社に勤めている同志だから余計に…いい加減な気持ちだった訳じゃないけれど、言えなかったんだ。」

 だからって、姉に見透かされて先を越されるのはどう考えたって拙いだろ。とボソリと呟くのが聞こえる。

「風…いや、鳳凰寺風さん、どうか俺と結婚して欲しい。」

 火照った身体と心は熱いだけではなく、身体をふわりと浮かせてしまいそうだった。繋ぎ止める為に、フェリオを見つめ返すと、奇妙に冷静な自分を感じた。
 恐らく、今日が初めてのデートと呼べる日で、だから手を繋いだのもエメロードの家に向かった時に初めてで、口付けだって交わしていない。
 でも、(結婚)を、(一生共にいる約束)を口にするフェリオに、風は違和感を感じなかった。不思議なのに、まるで、決められていた事のように思える。
 私は、この方と生きていきたいのだと素直に感じる事が出来た。交際をした覚えもないと考えると笑みが零れた。それが、本当に自分たちらしいと思える。

「はい。」

 自分の返答に、フェリオはパァと顔を輝かせる。その笑顔が風の心をより一層捕らえていく。
 
 そうして、初めての口付けを交わした。


〜Fin



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