(パラレルです。我ながら凄まじい捏造なので注意です。)

優しい世界と冷たいヒト


 道具を身体の一部とする。
 そんな文章を何処かの一説に読んだ気がするけれど、実際(これ)と思うのは初めてだった。フェリオは見慣れぬはずの剣が手に馴染む事に感嘆する。
 わかるのだ。
剣が持つ間合いも、反動も、その威力も。
 (本気になって下さいましたわね。)と微笑む風も攻撃の手を緩める事は無かったが、フェリオの攻撃も確実に風を捕らえるようになっていた。
 幾度となく、刃を交える重苦しい音が周囲に響いた。
 殺し合いに手加減など必要はない。
 けれど、彼女の綺麗な頬に刃傷が残り、服から鮮血が飛べば、一瞬でフェリオの手は緩んだ。その後に容赦ない反撃が我が身に降りかかろうとも、それは止められない。
 彼女の頬には赤い線が伝う。切り裂かれた布から覗く柔肌の裂傷に、フェリオは顔を歪めた。
 
 脳裏に浮かぶのは、穏やかに佇む電車の彼女。

 己の心を捕らえた彼女と、今此処に存在する彼女がはたして同じ人物なのだろうか。嬉々として自分を殺そうとする人物が本物の彼女だったのか。
 鈍い思考に囚われそうになる心に頭を振った。横に薙ぐ剣から身を捩り、風の懐に飛び込み彼女の剣を蹴り上げる。
 剣の長さがある分だけ梃子の原理が働く。加えた力以上の反動が風の手に係り、彼女は剣を手放し、尻餅をついた。
「きゃ…!」
 カランカランという、いかにも軽い音を立てて剣は道路を転がってくのを横目に、フェリオは手首を胸元に引き寄せ座り込む風に、剣先を突きつけた。
「…形勢逆転だな…。」
「そのようですわね。」
 冷静に、風はフェリオを見上げた。乱れた服装と、荒い息を紡ぐ様子にも相手を圧した喜びは浮かばなかった。心に沸き上がるのは罪悪感に似た苦さだけだ。
 その苦さが顔を歪める。
 
「何故、お前はこんな事をする…、目的は何だ。」

 本当は理由が聞きたかった訳ではない。認めたくない眼前の現実を否定する何かが欲しかった。

「わたくし…私の望みは消してしまうこと。」
 ふふっと風は微笑んだ。
「辛い想い出も胸をしめつける気持ちでさえも、本当は全て人生を生きていく為には必要な記憶ですわ。失敗を知らなければ過ちを正せはしませんし、悲しみを乗り越えなければ強くなどなれない。……でも私はいらない。」

「貴方を、消してしまいたい。」

 風の言葉に、フェリオは息を飲む。
 恍惚とした表情を浮かべて微笑む風の姿が、排他的なこの世界に合っている事。そして、己が生き残るには彼女を殺すしかないと悟った事が、フェリオの動揺を誘う。
「優しい方。」
 ゆらりと風の身体が動く。膝をついたまま身体を起こすと、彼が持つ剣など無いもののように無視し、フェリオの身体を抱くように腕を伸ばしてきた。
 フェリオは身じろぐ事もなく、風を見つめ返す。
「私を消してください。貴方が消えても私が消えても所詮は同じ事ですわ。さあ、私を…。」
 しかし、背に回されるべき両腕をフェリオは掴む。彼を貫こうとしていた矢尻もまた、彼女の手から地面に落とされた。
「あら、意外に侮れない方でしたのね。」
 長剣を押さえ込むつもりで両腕を回したのにと、風は嗤った。
「お前は本当にあの…。」
「私は私ですわ。」 
 莫迦にした様で言い切り、そして微笑む。
「私が貴方を消してしまいたいと、心からそう願っているのです。」

 沈黙が支配する僅かな時間。
 全てを振り切りたいと願う様に、フェリオは横に首を振り切った。斜めに睨む視線のままで、口を開く。
「…消えたいんだな…。」
 吐き捨てる言葉に風は、翡翠を眇めた。否定でもない、肯定でもない。そして、そのどちらでもあるのだろう。
 フェリオは陥りそうな思考に蓋をする。
 もうこれ以上何も考えたくない。何も無かった事にしてしまいたい。
 それは、きっと風の言葉に同意しているのだ。正しいのか間違っているのか、そんな事は、もういい。
「わかったよ。」
 乱暴に掴んでいた手を、柔らかく細い指先を突き放して、両手を高々と掲げた。呼応するように、剣がその手に現れる。
 切っ先を風に向け、振り下ろす仕草で吐き出す。

「望み通り、殺してやるよ!」

 その時、風は微笑んだのか、それとも眉を歪ませたのか、それすらフェリオは見ていなかった。見ていられる自信がなく、目を閉じて勢いだけで剣を振り下ろした。
 ガチッといっそ小気味よい音が響く。
 だが、剣が深く刺さる音は、明らかに柔らかな肉を引き裂くものではない。
 アスファルトの地面に深々と突き刺さる剣の切れ味は相当のものだったが、爆ぜそうな心臓の音が、酷い耳鳴りを起こしていた。
 ひび割れしそうなほどの頭痛が、フェリオの動きを戒めた。 
 道路に座り込んだ風は、特別に嘲る様子は無かった。ただじっとフェリオを見つめて、己の左胸を指さす。
「…ここですわよ?」
 容易い風の仕草に、フェリオの憤りが叫びになった。

「…莫迦かっ!、出来るわけないだろ!!!」

 恫喝し睨み付ければ、彼女の顔がじわりと滲んだ。痛みが、心が締め付けられそうな痛みと、緊張が身体の筋肉を縛る痛みが押し寄せる。
「出来る…くらいなら…。」
 最初から車輌で彼女を避けたりしなかった。
 彼女の存在を無かった事で片づけられるほどに容易い存在ならば、苛ついた心を抱えたままで、ランティスに揶揄されることもなかった。
 
 答など、最初から決まっていたはずだ。

 フェリオは道路から剣を引き抜くと、切っ先を再び風へと向けた。


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