repeat love song


 深夜の校舎が薄気味悪いと感じるのは、日中にあれだけ人間がいる場所から誰ひとりいなくなってしまうからだという説がある。確かに、普段賑わっている場所が静まり返っているのなら、通常と違う何事かを感じ取って不安定な気分になるものだろう。
 そうなると、此処深夜のオフィス街などもその例えにあてはまる。
日中は人々で溢れている街が、薄ら寒い色の街灯を纏い静まり返っている。地下鉄へと向かう入口など、地底に人々を吸い寄せる地獄の穴にも見えるから不思議なものだ。
 此処で何人もの人間が大怪我を負った場所だと思えば、尚の事か。
 空に突き出るビルに灯りも疎らで、遠景である繁華街の輝きが鮮やかであればあるほど、此処は都心にポカリと空いた底知れぬ穴のように沈んだ場所を見回して、少年は琥珀の瞳を細めた。
 塾の帰りである彼は高校の制服のまま。紺のブレザーに同系色ズボン。近くで見れば細かなチェック模様になっているのがわかる。白いソフトシャツの衿にはエンジ色のネクタイ。この街でよく見かけるありふれた制服が、深夜のオフィス街では浮いていた。
 しかし、彼は気にした様子もなく片手で下げていた学生鞄を肩に乗せ、周囲を見回した。胸についたネームカードには『フェリオ』の名が記されていた。
 後ろでひと括りにした緑の髪を夜風に揺らしながら、流行の歌を口ずさみ歩く。

「…此処か?」

 ふいに何もない空間に向かいそう話し掛けると、間を置いて頷いた。
よく見ると少年の肩に金色の羽根を持った小鳥が乗っている。そうして、フェリオはその『鳥』に話し掛けているようだった。 
「わかった。」
 口角を上げた、挑戦的な笑みを浮かべる。肩に乗る鳥は翡翠の瞳をキョロキョロと落ち着き無く揺らしていたが、ふいにキュッと爪を立てた。
「!?」
 はっとそちらへ視線を向けたフェリオの目に写ったのは、ビルの隙間に設けられた広葉樹で整えられた植え込みから飛び出してくる男の姿だった。
 自分よりも遙かに体格の良い相手に、しかしフェリオは怯む様子はない。素早く肩の鳥を逃がした後、その場にしゃがみ込んで、男が繰り出した最初の一撃は交わす。
 チッ。
 舌打ちをした男が、先程繰り出した脚を軸にして、くるりとフェリオに向き直った。見れば、ご立派なスーツに身を包んだ青年。衿につけられたバッチといい、身なりといい、業績の良い会社へお勤めなのだろう。
 しかし、普段なら愛想の良い好青年である顔は異常な殺気に歪んでいた。
 素早く体勢を立て直すあたり武道の心得があるに違いなく、健全な肉体に必ずしも健全な精神が宿るとは限らないのだとフェリオはムッとした表情で相手を睨み上げた。同じく武道を心得ている人間としてどうにも腹立たしく思え、挑発するように言葉を吐いた。
「アンタ。随分と弱い者虐めが好きなんだな、そんなだから憑かれるんだよ。」
「俺は人一倍努力してるし、才能もある。他の奴らとは違うんだよ。…憑かれるって、何の事だ?」
「夜な夜な、通り魔なんてしてる奴の事だよ、決まってるだろ!」
 トントンと片足を軽く揺する男に、次の攻撃を警戒し立ち上がる瞬間、フェリオの頭がクラリと揺れた。しまったと思った時は既に遅く、男の蹴りが顎にヒットする。
 勢いよく吹っ飛ばされて、道路に叩きつけられ、脳裏に端整な少女の顔が浮かんだ。

あぁ、また彼女の教育的指導が入る…。

「…ってぇ…。」
 受身をとれば、ダメージは最低限。フェリオは素早く身を起こし、口に広がる鉄の味に眉を歪めた。
「顔、見られたから逃がさないよ。」
 にやりと嗤う男の顔は禍々しい。自分を包む闇が色を濃くした気がしてフェリオの顔から余裕が消える。闇は常に隣にあるものだが、こちらが怯む隙を狙ってその牙を剥く。
その瞬間から『悪霊』と呼ばれるモノへ闇達は変わっていくのだ。
 ぶるりと身震いをしたフェリオに、羽ばたきが聞こえる。

 私を呼んで下さい。

 涼やかな声に、フェリオは背後に飛んだ鞄を後ろ手に引き寄せ、今まさに頭部を狙って繰り出された脚を防ぐ。ドサリと地に落ちた鞄。フェリオの手には小刀が握られていた。
 そのまま、横に振りぬき鞘を抜く。怪しく美しい刀身を持った刃が乏しい光を集めた。刻印された名は『鳳凰』名に相応しい伝説の鳥の姿が鞘に描かれている。
 刃物を向けられ、男は僅かに顔を歪ませた。
 だが、身丈も自分より遙かに大きな相手と立ち回りにするには余りにも心細い大きさだ。男もそれがわかるのだろう、フェリオを見下し、改めて下卑た笑いを浮かべた。

「俺を刺すのか? 殺ってみろよ。」
「殺らねえよ。」
 殴られたせいで切れた口腔に溜まった血を溝に吐き出ながら、フェリオは言葉を返す。
「アンタを再起不能にする事くらい簡単だけど、そんな事したらアイツに怒られる。」
「さっきから…頭、おかしんじゃないか?」
 掌で自分の頭をコンコンと叩いて笑う男を、フェリオは睨みつけた。しかし、その力をすぐに抜く。俯き加減でボソボソと呟くとにまりと口端を上げて、フェリオは手にした刀を相手に翳した。
「……お前の相手は俺じゃないそうだ。」
 そのまま瞼を落として、片手で印を結び男が耳慣れない言葉を口にした。意味を理解することが出来たのは、最後の言葉のみ。
「…………古よりの契約に従い汝の真名を持って封印を解く。真の姿を示し、我の命を聞け。」

 フ、ウ。

 フェリオがその言葉を口にした刹那、刀は刀としての姿を保っては居なかった。溢れる光に包まれたのか、光そのものが変化したのか、いままでいなかった少女の姿が其処にある。
 ほっそりとした身体は白と緑を基調としたシンプルなワンピースに包まれ、静かに男を見つめていた。
 街中ですれ違っても目を惹くだろう、端麗な様子。緩やかな線を描く金色の髪。眼鏡に包まれた翡翠の瞳。美しく整った目鼻立ちに加えて、肌が透けるように白い。
 しかし、男は拍子抜けをしただけだ。
「…アンタが俺の相手をしてくれるってのか?」
 掌を額に当てて、ただゲラゲラと笑った。しかし、フェリオも少女もその態度に動ずる事はない。
「はい、私は貴方のような方を相手にするよう出来ておりますから。」
 両手を前で重ねて、風は微笑みながら男に近付いた。躊躇いなく伸ばされた腕に、ヒッと怯んだのは男の方だった。
「な、なんで、こんな小娘を怖がってるんだ、俺っ!?」
 自問自答の言葉に、フェリオが笑う。
「アンタが怖がっている訳じゃないぜ。中にいるモノが彼女を怖がっているのさ。」
「それでも誑かされた貴方にも責任はあるのですから、人間の掟に従って罪は償って下さいね。モノに八つ当たれば壊れますし、人は殴られれば傷を負います。」
 風の指が軽く男の額に触れた。ただそれだけなのに、弾かれた様に男は背を仰け反らせる。そして、心臓の発作でも起こしたように、身体中をブルブルと痙攣させた。酸素を求める金魚に似た仕草で、口をパクパクと開ける。
 えづいて喉をひくつかせれば、嘔吐物の代わりに黒い靄が唇から漏れ出す。そのまま闇に四散するかと思われた靄を風のたおやかな指先が絡めとっていく。
 優美に手繰られていく靄はあれよあれよという間に男の体内から取り出され、風の指先に絡まりながら漂った。
 脅えて逃げようとするように、風もないのに上下左右に揺れる。
「お前は私の大切な方を傷つけましたわ。」

 許して差し上げません。

 ニコリと美しく微笑んで指を握り込んだ瞬間に、靄は全て消し飛んでいた。
 

「もう少し修行をしていただかないと、この程度の具現化が支えられない霊力では困りますわ。」
 頬にハンカチを当ててコロコロと笑う少女に、ちぇっと舌を打つ。
 風を具現化維持出来るようになったけれど、彼女に言わせると自分の力の僅かしか出してはいないらしい。確かに鳥に姿を変え僅かな時間であるにも係わらず、自分の身体には結構な負荷がかかった。だから頭がふらついたのだ。
 それでも、こうしてふたり並んで歩く事が出来るのは嬉しい。見上げていた彼女の横顔が視線の斜め下にあることにも、ドキドキする。盗み見る横顔と記憶の中にある彼女の姿はどんなに時間を重ねても変化はない。

 彼女と会ったのは随分と幼い頃。
 小さかったにも係わらず、フェリオは風に一目惚れをした。ませたガキだったのだと自分でも想う。刀の封印を解いてしまった経緯もあり、彼女の主に相応しくなれるよう修行を重ねて今がある。
 涙ぐましい努力の原動力は、どれもこれも本気の恋の力だ。けれど、彼女は神にも匹敵する力を持った存在。人間である自分と何処か意識がずれている。

「ずっと、好きだって言ってるのにな。」

 あ〜あと溜息をつき、風を見つめた。
「私もフェリオの事好きですわよ。」
 あら、心外ですわと風が返した。(ああ、そうじゃなくって)と頭を掻きむしりながらフェリオは言葉を続けた。
「それは、俺が封印を解いたからだろ、違うんだって…。」
 恋愛感情だと、何回告げればわかってくれるのだろうか。隣で微笑む少女を見つめながら、フェリオはもう一度溜息をついた。

「………俺は風の事が大好きなんだ。」
「はい。」
 しかし、どんな言葉を連ねても風は微笑むだけ。
 己の気持ちが通じているとは到底思えない。それでも、諦めるものかと唇を噛み締めるフェリオの横顔を見つめて、風はクスリと笑った。

 小さな男の子が私の声に答えて下さった時…初めてお会いした時から、私の気持ちは変わってはいない。その琥珀の瞳に魂に、魅せられてしまった。
 繰り返し告げられる睦言が、フェリオの声が、どうしようもなく心を揺さぶる。どんな誓言よりも、風を繋ぎ止める。

「なあ、風…。」
「はい、何でしょうか?」

「俺はお前が好きなんだぞ?」
 
 困った表情で自分の様子を伺うフェリオが愛しくて、風は零れ落ちそうな想いを込めて、柔らかな笑みを浮かべた。



〜Fin
術師フェリオと使い魔(聖獣?)風ちゃんでした。





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