その心の導くもの

  キリリクの返礼に五十嵐様より小説を頂きました。
設定はTV版です。


俺は、また何も出来なかった…―

 固く握り締めた拳を振り上げると、フェリオは壁に向かって力任せに叩きつけた。
 じんっと熱さを伴って拳から伝わってきた痛みよりも、切り裂かれるような鋭い胸の痛みに、歯を食いしばって堪える。
 もう一度、手にした魔法具に眼を落す。さっきから何度も呼びかけているが、未だ応えはない。
 一言だけでもいい、無事であることが分かればそれでいい――祈るような気持ちで魔法具を見つめた。
「フウ……応えてくれ―」
 苦しげな声を絞り出して、フェリオは呟いた。
 しかし、フェリオの手の中で、それは鈍い輝きを宿したまま沈黙を保っている。
 顔を上げれば、城門の向こうに崩壊寸前のセフィーロが見えた。
 轟音とともに崩れ、消滅していく大地――
 絶え間なく稲妻が走り、厚い雲に覆われたままの空――
 この空の向こうに、ファーレンの龍―童夢―が、セフィーロを目指して進んでいるはずだ。
 そのファーレンに、魔法騎士が――風が囚われている。
 魔神ウィンダムがファーレンの幻術の手に落ち、連れ去られていくのを、ただ見ている事しか出来なかった。あの時、確かに聞こえた風の悲鳴が、頭から離れない。
 後悔の念が心に溢れ、やり場のない思いに翻弄されそうになる。
 フェリオは強く瞼を閉じた。
 左手の宝玉から碧の眩い光が放たれ――フェリオの背丈を越える、一振りの大刀がその姿を現した。
 伝説の鉱物エスクードで創られた武器には到底及ばないが、セフィーロでも極上の鉱物で創られている。多少重く、扱いに難はあるが、フェリオ愛用の品だ。
 その飾り気のない剣の柄に手を伸ばした。使い込まれたそれは、しっくりと手に馴染む。
 磨き上げられた曇りのない刃に、自分の顔を映してみる。
 この剣にかけて、必ずおまえを助け出す――フェリオはずっしりしたその重さを確かめながら、強く剣を握りしめた。
 しかし…― 
 魔法を使えないフェリオは、精獣を操ることは出来ない。童夢を追うどころか、この城から出ることさえ、今はままならない。

「王子っ!」
 突然、背後から声を掛けられて、フェリオは驚いて振り返った。
 琥珀色の双眸が、剣闘士ラファーガの姿を捉える。フェリオから二、三歩下がった位置まで近づくと、ラファーガは、腕を胸に当て一礼を送った。
 この城に来てようやく、『王子』と呼ばれることに慣れたが、『王子』として扱われることには未だ慣れない。
 ラファーガはその剣の腕を請われ、先代の柱エメロード姫付き親衛隊長として仕えていた。忠義心厚く、律儀で真面目な彼は、先代の柱の弟であるフェリオに対しても、礼を尽くすことを決して忘れない。  今まで自由奔放に暮らしていたフェリオにとって、それはひどく居心地の悪いもので、照れ臭さと戸惑いが綯い交ぜとなって、自然と渋い顔をしてしまう。
 ラファーガは顔を上げると、フェリオをひたと見据えた。「王子」と、重々しく口を開く。
「王子のお気持ちは察しますが、今は、耐えてください」
 ラファーガの鋭い眼差しを、真っ向から受けていたフェリオだったが、ふと視線を外し、床に眼を落とした。
「分かっている。さっき、導師クレフにも釘を刺された……」
「魔法騎士たちを心配しているのは、この城の者たちも皆…―」
「分かっている」と、フェリオは小さく繰り返した。
 顔を伏せたままのフェリオにラファーガは近づくと、彼の肩にその大きな手を置いた。フェリオが顔を上げ、ラファーガを見上げる。ラファーガは、労わるような優しい笑みを向けた。
「導師は、魔法騎士たちだけでなく、王子のことも心配されているのだ」
 フェリオが風に抱く特別な感情を、導師クレフに見抜かれていることは分かっていた。風が攫われた今、我が身を省みず、無茶をするのではと危惧していることも、容易に想像できた。
「セフィーロの誰一人、導師は、もう失いたくないと考えておいでなのだ。
 特に王子 ――貴方はエメロード姫に似ている」
「俺が? 姉上に…? どこが似――」
 呆れた声を出したフェリオを、ラファーガは手で制した。
 フェリオを見るラファーガの眼が、眩しげにすっと細くなる。
「心だ――真っ直ぐで、純粋な心がとてもよく似ている…―」
 そこで言葉を切り、一呼吸おいた。諭すように語気が強まった。
「―だが、その直向きな心が、時に、我が身を滅ぼす…」
 フェリオが、ぐっと唇を噛んだ。
「魔法騎士たちは、きっと大丈夫だ。彼女たちは、強い。
 それは、王子もよく知っているだろう。
 今は彼女たちを信じて、軽率な行動はしてはならない」
 ここで初めて、ラファーガは「王子」でなく、「フェリオ」と彼の名を呼んだ。
「機会を待て――必ず機会はある」
 肩に置かれた手から、ラファーガの体温が伝わってくる。
 荒れ狂う自分の心を鎮めてくれるかのように――その温かい波動を感じながら、フェリオは小さく頷いた。
 顔を上げ、セフィーロの暗い空を強く睨んだ後、くるりと踵を返した。
  夜更けの城内を、フェリオは当てもなく歩いていた。
「機会を待て――か」
 ラファーガに諌められて、一旦は自室に戻ったフェリオだったが、やはり落ち着かない。
 ベッドに横になってみたものの、目を閉じることはできず、何も咽喉を通りそうもないので、食事も断ってしまった。
 一度心配して覗きにきたカルディナから、自分と同じように飛び出して行こうとしたアスコットの事を聞いた。今は、彼女の幻術で眠らされているらしい。
 何も出来なかった無力な自分に、きっとアスコットも不甲斐なさで居たたまれなかったのだろう。
 アスコットの想いに薄々感づいていたから、彼の心がフェリオにはよく分かった。
 不意に――
 左肩に重みを感じて、フェリオは我に返った。耳元で、「クルルルッ――」と嬉しげに囀る声がする。
「おまえ…―」
 ふわふわの羽毛に身を包んだ、鳥の姿をした精獣が肩に止まって、彼を見ていた。
 慌てて辺りを見回す。どうやら城の奥、精獣たちが避難している居住区に入り込んでしまったらしい。
 ここは、崩壊する前の美しかったセフィーロの森が、そのまま再現されている。
 狭い空間ながらも、濃い緑が部屋を覆い、澄んだ小さなせせらぎもあった。主に精獣たちがここで暮らしているが、セフィーロの多くの人々も憩いの場として時を過ごす。
 夜も遅い今は、明かりもぼんやりと暗く、人々もいない。
 広場には、フェリオ一人っきりだった。
 肩に止まった精獣は「クルッ」と短く鳴き、フェリオの頬に小さな頭を擦りつけてくる。その柔らかい羽が頬をくすぐり、思わずフェリオは笑みを零した。
「もう怪我はいいのか?」
 フェリオの問いに、精獣はそのしなやかな翼を広げたかと思うと、フェリオの頭に飛び移り、パタパタと盛大に羽ばたきを始める。


〜To Be Continued


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