雨の午後

五万打記念に五十嵐様より頂きました。

 かさりッ―
 微かに聞こえた乾いた音に。
 ふと、顔を上げた。
 天井にまで届く、大きな執務室の窓から、雨に滲むセフィーロが見える。
 朝からしとしとと降り続く雨は、午後になっても一向に止む気配をみせない。
 雨粒に洗われ、鮮やかさを増す緑の大地に、暫し眼を遣ってから、フェリオは執務室へと眸を廻らした。

 
雨の午後

 いつもなら―  城の近くに散策へ出掛けたり、中庭でお茶会を開いたりと、外で過ごすことが多いはずだったが。
 今日は、生憎の、この天気だ。
 セフィーロを訪れた魔法騎士の少女たちは、城の中で思い思いに、時を過ごしていた。
 執務室に籠りっきりのフェリオの元へ、風が訪れたのは、お昼過ぎの事だった。
「ちゃんと、お仕事なさってるんですね」
 柔らかい笑みを浮かべて、部屋へと足を踏み入れた風に、フェリオはうんざりした顔を見せた。
 うず高く積まれた机の上の紙の束は、朝からちっとも減っていないように感じる。
 セフィーロの復興状況、城から遠く離れた辺境の様子、人々の生活、暮らし向きが綴られた報告書。
 隣国オートザムの大気浄化に関する研究報告。
 柱制度に替わる新たな制度構築の為の立案、近隣三国の統治制度の視察報告、等々。
「しっかり、眼を通していただくように」と、フェリオの執務室へ届けられてくる。
 王子としての重要な仕事の一つ―
 とは思うのだが。
 部屋に籠るよりも、むしろ外で身体動かしている方が性分にあっているフェリオとすれば、毎日毎日、机にかじり付いているなど、苦痛以外何ものでもない。
 ついつい、後回しにしているうちに。
 今日は、クレフに捕まった。
 虫も殺さぬような、優しい笑みを浮かべて、
「今日は、折角の天気ですから」と、幼い姿をしたセフィーロの最高魔導師は言った。
「王子には、ご自分の机の上を片付けられるのと、私のお相手をなさるのと、どちらをお選びになりますか?」
 そう凄まれて、フェリオは躊躇うことなく、前者を選んだ。導師の長い小言は、もう十分過ぎるほど聞かされている。

「毎日少しずつでも、お読みになっていればよろしいのに。
 溜めていらっしゃるから、いけないのですわ」
 整然とも乱雑とも言える、大量の紙の束に埋まった机の状態に驚いた顔をしながら、半ば呆れたように風は言った。
「分かっている」
 顔を顰めて答えると、「そんなことより」とフェリオは風を見つめた。
「何か用があって、来たんじゃないのか?」
「はい」
 にっこりと風は笑う。
「貴方がちゃんとお仕事をなさっているか、見張ってほしいと、頼まれて来ました」
「―はい?」
「お部屋にいると思ったら、何時の間にか抜け出されて姿を消されていると、嘆いておられましたわ。
 私が見張り役でいれば、王子もそうそう、抜け出されるような事はないかと、クレフさんとプレセアさんに頼まれました」
 口を開きかけたフェリオを、風は笑顔で止めた。
「お邪魔はしませんわ。
 フェリオは、お仕事をなさっててくださいな。
 私は―」
 風は、執務室の中央に、こじんまりと置かれたソファーを指差す。
「今日は、本を持って来ましたので、あちらで読書をしてますから」
「どうぞ、御自由に……」
 軽い足取りで、ソファーへと向かう風の後ろ姿に、フェリオは力なく声をかけた。
 スカートを翻し、風がくるりと振り返る。
「後で、お茶を煎れて差し上げますわね」
 その綺麗な微笑みを見て、フェリオは、一つ、大きく息を吐いた。



 執務机から離れると、そっと、ソファーに近付いた。
 身体を少し屈めて、覗き込む。
「フウ」
 小声で名前を呼んでみたが、返事は返って来ない。
「寝ちまったら、見張りも何もないんじゃないのか?」
 呆れたように言ったが、その声は風を気遣って、あくまでも小さい。
 ソファーに身を預けるように、風は安らかな寝息を立てている。
 眼鏡も掛けたまま―
 起こさないように、眼鏡を外してやる。
 膝から滑り落ちたのだろう、風の足元の本に気付いて、拾い上げた。
 パラパラと頁を繰る。
 そこには―
 フェリオの知らない、細かな文字がびっしりと並んでいる。

―フウの住む、異世界の文字。

 暫く眺めた後、本を閉じ、眼鏡と一緒に、ソファーの風の隣にそれを置く。
 風の寝顔を、改めて見つめた。
 優しくも真っ直ぐで真摯な光を宿した、綺麗な碧の眸は閉じられ、薄い色をした巻き毛が、白くふっくらとした頬にかかっている。
 手を伸ばして、その柔らかな髪に触れた。
 指に絡めるようにそっと持ち上げて、払ってやる。
 拍子に、風の頬を掠めるように指が触れた。
 その温かさに。
 どきりとして、フェリオの動きが止まった。
 伺うように、風の顔を覗き込む。
 緩く結んだ風の唇が、何かを呟くように小さく動いた。
 ゆっくり―
 そっと、そっと―
 顔を近付けた。



   雨は、まだ止まない。
 風もまた、目覚める気配はない。
 その眠りを妨げたくはないと思った。
 風の足元に腰を下ろし、ソファーに背もたれながら、フェリオは窓の外を見ている。
 雨の午後は、静かで、降りしきる雨の音しか聞こえない。

―久しぶりだな

   ぼんやりと思う。
 今まで、ずっと―
 自分なりに必死に突っ走ってきたから。
 柱であった姉を助ける為に。
 崩壊の縁にあった、この国を立て直す為に。
 何かに追われるように、立ち止まることもなかった。
 こうやって誰かの傍に座って、雨の音を聞くのも―
 ずっと昔―まだ小さくて、幼かった頃。

―あれは。
 姉上と…だったのだろうか―?

 否―
 心の奥に温かなものが、ひたひたと押し寄せてくる。
 ぼんやりと脳裏に浮かぶ、懐かしい光景を思い出しながら。
 身を預けるように、風に寄り添うと、フェリオもまた、瞼を閉じた。



〜fin



五万撃のご褒美にこんなステキな小説を頂いてしまいました。 嬉しくて嬉しくて、スキップを踏みながら会社に行ってしまったほどでございます。五十嵐様本当にありがとうございました。 いつまでも、私は貴方のファンでございます。 back