Green[5] 翡翠 「そんな大袈裟なものではありませんから。」 「何言ってるの、顔が赤いし体が怠そうだわ。熱があるにきまってるわよ。」 プレセアはそう言うと、自分の枕の下に袋に詰めた氷をいれてくれる。それを心地よいと感じて、風はやはり熱があるのだろうと自覚した。 「すみません。妙な違和感はあったのですが、今日こちらへ伺えるというので私も少し舞い上がっていたのでしょうね。」 プレセアはクスリと笑って、風の顔を見た。 「私達は隣の部屋にいるから、何かあったら遠慮無く言ってね。」 そして、思い出したようにこう続けた。 「王子もすぐに戻ってくると連絡があったから。」 「フェリオがですか?」 驚いて飛び起きた風を見て、プレセアも目を丸くした。 「え、ええ、ヒカルとウミから連絡があったわ。」 翡翠[リク] その日は、フェリオを筆頭にランティスもアスコットもおまけにクレフまで風光明媚なその場所に視察に出掛けていた。 プレセアやカルディナに、どんなに綺麗な場所かをとつとつと語られ、ならばという事で出向く事にした少女達だったのだが、風だけが少し気分が悪いというので、無理をせず、後から追いかけるという事になっていた。 しかし、結局風は熱を出し、セフィーロ城に居残りになる。その連絡をした返信が、フェリオが帰ってくるという答えだったのだ。 その話しを聞いた後、風はベッドの中で気が気ではなかった。 フェリオが帰ってきてくれるのは嬉しい。何をしにセフィーロへ訪れているのかと問われれば、彼に合いに来ているのだと言っても間違いでは無い。 本当は、熱があって行けないとわかった時には酷くがっかりしていたのだ。 『でも、自分の為に仕事を置いて帰ってきてくれるのだとしたら…?』 そんな事をするはずが無いとわかっていても、迷惑を掛けていることにかわりない。風は毛布を顔の半分まで引き上げて、溜息を付いた。 ノックひとつに緊張して、フェリオは頭を掻いてしまう。小さく彼女の名を呼びながら扉を開けた。 ベッドに横になっていた風が、目を細めながらこちらを向く。それから、慌ててサイドに手を伸ばした。 フェリオは横に立つと、彼女の手に眼鏡を渡してやる。 「ありがとうございます。」 風は眼鏡掛け、改めてフェリオを見た。少しだけ潤んだ、しかし、しっかりとした輝きを抱いた翡翠の瞳が彼を見つめる。 フェリオは心配そうに眉を顰めた。 「ご迷惑をお掛けしてしまって申し訳ありません。私の不摂生ですわね。」 「…熱が出たと聞いて驚いた。海が、動けない位だと言っていたから。」 暗い表情が戻らないフェリオに、風も困った顔になる。 「海さんたら大袈裟ですわ。少しだけ気分が悪いだけなんですよ。そんな表情をなさらないで下さい。」 「そうだな。」 フェリオは少しだけ表情を緩めて、風の頬に手を当てた。 やはり熱い。 「フウ…。」 「風邪でしたら、うつってしまいます。あまり近付かない方がよろしいですわね。」 風は微笑みながら、フェリオの手を遠ざけた。 いつも理知的な彼女に無防備に自分の手を取って欲しいと願うのは無理な事なのかもしれないが、こんな時くらい、自分に甘えて貰いたいと思うのは我が儘なのだろうか。 「あのな、フウ…。」 そう呼び掛けた途端、かなり勢いよく扉が開いた。 「どないや、フウ!」 いつもとなんら変わらない様子のカルディナに後ろでシーッとプレセアが言う。クスリと風が笑ったが、フェリオは呆れ顔。 「先程よりは、気分がいいですわ。」 「そら良かったな。けど、あないな綺麗なとこ見れへんなんてほんま、残念やな。」 「仕方ありませんわ。健康管理を怠った私が悪いのですから。」 風の顔を覗き込んで、残念残念を繰り返していたカルディナが、ふいにフェリオの方を向いた。悪戯な笑顔はくせ者だ。 「王子はんも、フウが心配で仕事さぼって帰ってきたんとちゃうか?」 一瞬曇った風の表情を見て、フェリオは溜息を付いた。 「やることはやって帰ってきた。フウも俺よりカルディナの言葉を信用するなよ。」 拗ねた口調のフェリオに、風はすみませんと微笑み、カルディナはペロリと舌を出した。プレセアも笑い問い掛ける。 「でも、観光は出来なかったでしょう?」 「それは、問題ない。」 フェリオはニヤリと笑うと、風の顔を見た。え?という表情で風はフェリオの顔を見つめた。 「フウと二人きりで行く。その方が俺としてはかなりいい。」 「もう、フェリオ。」 熱で赤いのか、照れて赤いのか風の頬は真っ赤になっていた。それを見やって、フェリオは微笑んだ。 「とりあえず、フウの顔を見れて安心したよ。少しだけ後始末があるからまた後で顔を出す。」 そう言うと、カルディナとプレセアに後を頼んで、部屋を出て行こうとする。 「あの…。」 風が体を起こして、フェリオの背中に呼びかける。 「何だ?」 振りかえった自分を見る風の翡翠が微かに揺れていた。さっきと違う輝きにフェリオは彼女の瞳を見つめる。 「私の事はお気になさらずに、仕事を終わらせてくださいね。」 彼女に言葉に、フェリオは再度表情を曇らせた。 「お前の事が気にならないわけないだろう?早目に済ませる。」 風の横になっている部屋から引き上げて、お茶を飲んでいたカルディナとプレセアの部屋にノックの音がして、フェリオが顔を出した。 「王子どうしたのですか?」 「今仕事が終わったんで、フウの部屋を覗こうと思ったんだが、何か言ってなかったかと思って。」 プレセアは少しの間考えていた風だったが、いいえと答えた。 「特に何も…。あ、でもそろそろ冷やしていた氷が解けているかもしれないわ。」 「そうか、じゃあ貰っていこうかな。」 「じゃあ、用意しますね。」 プレセアは、そう言うと部屋の奥へ向かう。カルディナは、戸口に立っているフェリオに話し掛けた。 「うちらが側にいるとどうしても、気つかってしまうみたいやから早目にこっち戻ってきたんや。」 それを聞くと、フェリオも苦笑いをみせた。 「あいつらしいが…もっと甘えてもいいと思うんだがな。」 「きっと自分を甘やかしたくないのね。頑張りやのフウらしいわ。」 奥から氷を持って出てきたプレセアは、そう言うとフェリオに氷の入った桶を手渡した。 「…それでも、調子の悪い時くらいもっと気を緩られないものかなと思うよ。」 クスリとプレセアが笑う。 「フウだっていつも気を張っているわけじゃないわ。」 そう言われてフェリオはしばらく納得がいかないような表情で黙っていたが、ポツリと呟く。 「…なら俺は、頼りにならない男だな…。」 その言葉はカルディナには聞こえたらしく、呆れ顔でフェリオを見た。それに気づきフェリオも慌てて笑顔を作る。 「すまない。邪魔したな、貰っていくよ。」 そうして、氷の入った手桶と布を手にそそくさと部屋から出て行った。 フェリオが部屋へ戻ると風は眠っていた。それも眼鏡を掛けたまま。 几帳面な彼女にしては珍しく、それほど具合が悪いのだろうと思えた。先程を話しをしていた時も辛そうだった事を思い出すといたたまれない気持ちになる。 フェリオは、眼鏡に手をかけてそれを外してやりながら、風の唇に自分のものを重ねてそっと離れた。 ふと、風の目が開く。 先程よりも潤んだ瞳が自分を見つた。 「フェリオ?」 「いや…その…俺にうつったらフウが治るんじゃないかなんて…。」 小さな子供が言うような台詞に、風は一瞬言葉を失う。しかも、彼はどうやら大まじめのようなのだ。 驚き目を反らせずにいる風の顔を見つめながらフェリオは悲しそうに眉を歪めた。 「…辛そうなお前を見ていると、何かしてやりたいと思う…けれど、俺では力不足だな…。」 「あなたって方は…。」 眩しいものを見るように、風の瞳が細められた。 そうすると、彼女の翡翠はいっそう輝いてみえる。 そして彼女の手が自分の眼鏡を持ったままのフェリオの手に重ねられた。 「ありがとうございます。」 「何アホぅな事言うてるんかなぁ。王子はん。」 カルディナは、行儀悪くテーブルに膝を付き顎を乗せながらそう呟いた。プレセアは、クスリと笑い彼女のティーカップにお茶を注ぐ。 「そんなん、フウの目みりゃ直ぐにわかるっちゅうねん。」 カルディナはそう言うと先程の光景を思い浮かべた。 王子と二人でいた時の風の瞳と、王子が出ていこうとした時の彼女の瞳は、同じ翡翠なのであるにもかかわらず、全く違う輝きを見せていたのに。 「わからないものよ、そういう類は。」 それを聞くと、カルディナは呆れた顔で言う。 「うちはラファーガがどんなにむっつりしていたかて、気持ちがわかる思てるけどな。」 「あら、じゃあカルディナの惚れ込み方が足りないってことかしら?」 からかうように言ったプレセアに、カルディナは指を振って見せた。 「そこは、人生経験の差っちゅうもんや。王子はんはまだまだ修業が足らんちゅう事やな。」 そうして、お姉さま方二人の噂話はつきない。 奇しくも風の横に座っていたフェリオがクシャミをして、本当に『うつしてしまった』と心配顔になった風を必死で説得する事になってしまうのも…また人生経験と呼べるものなのだろう。 〜fin
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