Green[4] 天空


 何もかも上手くいくはずはないけれど、何もかも悪く廻る事はざらにある。
 その日はそんな一日だった。



「だから、もっと早く立ち去るように警告したはずだ。」
 苛々した口調のランティスを宥めるようにラファーガの声がした。
「ここまで、被害をうけたのだ。この者たちも後悔しているだろう。本当なら、こんな事になる前にくい止めたかったのだが…。」
 二人に言葉を聞きながら、フェリオもいたたまれないように視線を揺らした。
 魔物に蹂躙された村は、直視に耐えない。
 先だって、警告をしていた分だけ死人の数は両手で収まったが、それでも被害は大きすぎた。村人が警告を受け入れずに避難を怠ったなどただの言い訳に思えた。

『もう少し早く此処へ来れたら…。』
 自分の不甲斐なさに後悔だけが膨らんでいく。こうなる前の何かを必死で探す自分に、今更という思いが重なる。
 憤りが息を止めそうになり、思わず空を見上げた。

 遥かに遠くまで澄んだ青空。

 見上げた自分の顔が泣きそうに歪んだのがわかる。
『逢いたい』
 こんなこと、今考えるものじゃない…。でも。

「危ない!」
 ふいにラファーガの声と、剣を鞘から放つ音がした。はっと振り返った時には、魔物の姿は目に前。

 あらかた片づいたと思ったのは油断。自分の他に、ランティスやラファーガも側にいた安心感が、注意力を奪っていた。
 反応した時には既に遅く、しかし、ほんの数秒の事ではだったけれど、それは魔物の爪が自分を捕らえるのには充分な時間だった。
 大きく切り裂かれた傷口からは鮮血が溢れる。衣服が真っ赤になるのにさして時間はかからなかった。 再度降ってくる爪からは、片手で地面を捕らえて逃れたが、もう動くことは出来ない。
「王子!」
 ランティスの声とともに振り下ろされた剣の音が魔物の命運を知らせたが、思った以上に傷は深かったらしく意識は遠のいていった。

『こうやって…人々は死んでいったんだ…。』
 途切れる寸での意識がそう考えた事を覚えていた。



 セフィーロ城の廊下からフェリオの部屋へ走り込んだ風は、ベッドに座って本を読んでいたフェリオの顔を見ると、目を閉じて胸に手を当て深呼吸をした。
それでも、開いた聡明な翡翠の瞳は、動揺を隠せない。
「お話を伺って随分心配しましたわ。」
 風はそう言うとベッドの横に腰を降ろした。
「悪い…。心配かけたな。」  そうして、フェリオは回復の魔法は掛けてもらったものの、かなりの深手だったせいで傷は完治してはいない事。そのせいで、今は強制的に休暇療養を命じられていることを話した。
「でも、本当にたいしたことは無い。見るか?」
 悪戯な笑顔を見せながら、シャツをめくろうとしたフェリオを見て、慌てて首を横に振ってから、風もやっと笑みを浮かべた。
「ぼんやりと上を見ていらして遅れをとったのは王子にしては珍しいとランティスさんが仰っておられましたわ。」
 そう言って風は小首を傾げた。
「一体何をご覧になっていましたの?」
「何って言われても…空かな。高くて青いなって…。」
「天空って、うわのそらって言う意味もありますの、ご存じでしたか?」
 フェリオは目をぱちくりさせて、苦笑いをする。
「知らなかったよ。」
 風は困ったような笑顔を見せた。
「随分と皆様も心配していらっしゃいましたのよ。クレフさんなんか、暫くは城から出さないとご立腹で…。」
 フェリオは、話しを続けようとした彼女の肩に両手を回して抱き寄せた。
「フェリオ?」
 少しだけ驚いた様な声色だったが、風は優しく問い掛ける。
「どうかなさいましたか?」
「すまない…少しだけ…こうして、いさせてくれ。」
 風の柔らかな巻き毛に頬を埋めて、彼女を腕の中に抱き締める。

 まだ、痛い。

 怪我では無く、胸の痛みが収まらない。
 彼女をその腕に抱き込み、存在を確認すること以外その痛みを治めるすべがわからなかった。彼女から感じ取れる鼓動以外はすべてが不確かに感じられた。
逝ってしまった人々をどうすることも出来なくて。
天まで伸びる空に、お前に会いたいと願った。
あまりにも青く澄んだ空が、高くて、まるでお前の世界に繋がっているような気がしたから。

「…俺はまた…救えなかったんだ…。」

 ポツリと呟いたフェリオの言葉に風は悲しげに眉を歪めた。その言葉の意味するものは風も痛いほどわかっている。
「フェリオ…。」
風もフェリオの背中にその両手を回した。
「ずっと側にいます…。」
そう言うと、フェリオの胸元に頭を埋めた。
「どんなに遠くても…。何があっても、ずっと貴方を見つめていますから。」

 彼女の言葉が、まるであの日見上げた空のようで、フェリオは風を抱き締めた腕に力を込めた。
「ああ、わかってるよ。」



〜fin



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