Green[2] 微風


 純白のマントが左右に揺れる。
 彼が、右に左にと歩を進める度に、長いそれが後をついてくる。


「…であることに対して私達の技術は…。は…。」
 二、三度躓いて、彼は原稿を読むのを止めた。
「覚えきれてないなぁ…。」
 片手で拳を作って何度か頭を叩きながら、首を傾げる。
「大変ですわね。」
 フェリオの前で、椅子に座っていた風はクスリと笑った。他国の要人を前に挨拶をしなければならないフェリオに付き合って、風は観客を演じている。
「でも、先程から同じところで途切れるご様子ですが?」
「そうなんだ。俺が理解しきれていないのかもしれないな。」
 フェリオは、困った顔をして素案を再び見直す。口の中で復唱しながら読んでいる彼を見ると、試験勉強をしているクラスメイトを見るようで、知らない間に笑みを浮かべていたらしい。
 拗ねたような顔のフェリオがこちらを向いた。
「笑うなよ。」
 風はごめんなさいと笑い掛けた。
「もう直ぐ会議は始まってしまうのでしょう?もう少しお付き合いいたしますから練習いたしましょう。」 「ああ、早く終わらせてフウと遊びたいからな。」
 そこまでは、いつもの見慣れた彼だったのだ。



「であることに対して私達の技術は、今までのものをそのまま踏襲するわけではなく…。」  滑らかな口調でフェリオの挨拶は続いていく。

 会議室の中を覗き見て風は、息を飲んだ。
 端整な顔立ちに合う深い声。堂々とした立ち居振る舞い。  他国の要人に対して一歩も引く事ない態度。目を伏せる、指を動かす、そんな些細な行動すら注目を集める。

 彼が、仕事をしているところはいつも見ていると思っていた。
 机の上の書類を処理しているところとか、術者たちと相談をしているところとかをだ。しかし、こんな彼を見たのは初めてで、心がざわめく。

 素敵だと思った。なんて彼は王子らしいとも思った。
 けれど、自分の見知った彼ではない事が風の心を揺らした。



 会議が終わり、立食形式のパーティへと移った頃も、風は壁に背中をあずけたままで、ただ彼を見つめていた。
 何人もの客人に囲まれて談笑している彼は、やはりいつもとは違う。正装用の白い手袋は外し、左肩の留め具に掛け、片手にはグラスを持って、時々それを口に運びながら微笑んでいる。
 心のざわめきは消えない。…例えるなら、このざわめきは微風。
 衝撃を受ける程のものではないのに、心は僅かに揺れているだけなのに…。
「どうした?フウ。」  急に声を掛けられ、顔を上げるといつもの人懐っこい笑顔が目の前にある。なのに…声が出なかった。
『お上手でしたね。』とか『ご苦労様でした。』という言葉は頭の中に浮かんだだけだった。
「フウ?」
 自分が返事をしなかったせいか、フェリオは再度呼びかけてきた。彼の戸惑うような表情にふいに思う。
『ひょっとすると泣きそうな顔をしているのかもしれない。』
 風は眼鏡も少し曇っているような気がして目尻を指でおさえた。そこには、なんの感覚も無く少しだけ安心する。
「少々気分が悪いだけですわ。外の空気を吸って参ります。」
 そう言い残して、風はフェリオの顔を見ないように気をつけながら部屋を出た。



 どの位の時間がすぎたのか自覚が無いまま、風は庭に据えられた椅子に座り込んでいた。
 一人で落ち着いて考えてみると、自分を動揺させたのは、彼との距離感である事は自覚出来た。なんとなく感じていた『王子』としての彼を突然見せられ、二人の間がひどく遠くに思えたのだ。

 ふと視線を感じて、顔を上げるとフェリオがこちらを見つめている。そして風が顔を上げ視線が合うと、彼女の側に近づいた。
 そうして、目の前まで来るとフェリオは跪いた。
 そっと風の手を取ると口付けを落とす。
「ご気分はよくなられましたか?」
 流れるような仕草に、つい見とれてしまい、風は慌てて手を胸元に引っ込めた。頬は既に赤く染まっている。
「もう、からかわないで下さい。フェリオ。」
「からかってなんかいない。心配していた。戻ってこないし、顔色も悪いようだったから倒れでもしていたらと思ってた。」
 フェリオは立ち上がって、服についた草を払う。
 本当に心配していたらしいフェリオの表情に風は若干の罪悪感を感じる。
「すみません。ご心配をお掛けしました。大丈夫ですわ。」
「そうか。」
 フェリオは短くそう言うと、大きく伸びをした。そのままの状態で左右に首を振ってから手を下ろす。そして、溜息と共に言う。
「あ〜窮屈だった。」
「まあ。」
 笑顔になった風を見て、フェリオも微笑む。
「やっと笑ったな。具合が悪かっただけじゃないんだろう?」
 フェリオの問い掛けに、一瞬風は驚いた表情を見せたが『いいえ』と返事を返した。
「ならいい、じゃあ戻ろう。」
 そう言って自分に背中を見せたフェリオに風は小さく呟く。
「何か言ったか?」
怪訝な顔で振り返ったフェリオに風は微笑んで見せた。
「いいえ、何でもありません。」

『心をざわめかした微風の理由は貴方が素敵だったから…なんて。悔しいから教えて差し上げませんわ。』



〜fin



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