目が合った、瞬間が、永遠



 優雅な足取りで向かい側の椅子に腰掛けるフウをフェリオは目で追った。テーブルの下。見える事などないはずなのに、彼女白い肌が脳裏に浮かぶ。
 彼女がまま首を傾ければ、緩いカーブを伝った雫は髪の先からポタりとテーブルに落ちる。それが珍しい様子で、ウインダムはフウの髪を嘴で食んだ。
「ウインダム、貴方の事忘れていてごめんなさいね。
 入れて頂けて良かったですわ。」
 小首を傾げて覗き込む愛鳥に、フウはふわりと笑みを浮かべた。
「俺にも謝ってくれよ。」
 苛ついた仕草でトントンと人差し指でテーブルを弾き、フェリオはむっとした声を出す。それでも顔全体が火照り、赤くなっているのを隠す事になどならない。
「俺はお前に惚れてるんだ。こんな状況、どうすりゃいいんだよ。」
「それは、フェリオがウインダムを無下にして泥だらけでお帰りになるのがいけないんですわ。」
 しれっと言い切り、(ねぇウインダム)と同意を求める。
「そうかもしれんが…、いや、そんなはずないだろ!!!
 …だいたい、夜更けに自国の王女をこんなとこに置いておくなんて、城の奴等はどうかしてるだろう!!」
「ですから、常より申し上げている通りフェリオは皆の信任が厚いので…「俺はなぁ、手を繋いだだけで満足出来るガキじゃないんだぞ!」」
 それは困りましたわね。と悠長なフウに流石のフェリオも声を荒げる。
「でしたら、これが(既成事実)というものになるのでしょうか?」

 …。

「あら、違いました?」
 フェリオはじいっとフウを凝視してから目を反らす。
 流石に怒らせてしまったかと思い様子を見ていれば、ついと視線が戻ってくる。フェリオの瞳は琥珀で、鋭さを増せば猛禽類のそれを思わせた。
 射るようにフウを見つめてから、瞼を落とす。
「…話だったな。」
「はい。」
「この時期に北方の渓谷。フウにしては、少しばかり察しが悪いな。」
 それでも浮かぶものがなくフウは小首を傾げたけれど、視線の端にいる愛鳥の姿にあっと小さな声を上げた。
「そう、ウインダムの故郷だ。
 両親がつがいで戻って来ていたようだったから、様子を見て来たんだ。」
 フェリオがウインダムに顔を向ければ、大きく広げた羽根を前後に振る。
 肩に留まらせてくれるのだと勘違いをしている愛鳥は、フェリオに拒絶され大いにしょぼくれた。鋭い爪を持つウインダムを防具なしでは乗せることなど出来ない。餌の喉笛を一瞬で引き裂く爪に人間の皮膚などたわいもない。
 それでも幼鳥だった時はまだ柔らかく、まま肩に乗せたりした。
 その頃のウインダムは幼い子供の掌に乗るほどの大きさで、ふわふわした白い産毛が可愛らしい雛だった。
「今年も二羽生まれたが、餌が豊富で問題なく巣立ちが出来そうだ。」
 良い知らせだとフウは思った。なのに、微笑むフェリオの瞳に影が堕ち、フウは眉を顰める。
 ウインダムの嘴を弄る表情は確かにすぐれないように見えた。
「どうかなさいましたか?
 ウインダムの兄弟が無事に巣立つのは喜ばしい事ですわ。貴方が彼を助けなければこの子も谷底で絶命していたはずですもの。」
 しかし、フェリオはフウに苦笑いを返した。
「その代わりに父上に、どれほどに怒鳴りつけられたか。」

 自然の掟なのだから人間が勝手な情けをかけるなと言いつけられたにも係わらず、フェリオはウインダムを見捨てらなかった。家に連れ帰れば、当然父親の逆鱗に触れる。それでも獣の餌になるだけの雛を、落ちていた場所へ戻す事が出来なかった。
 そんな彼を助けたのはフウだ。王室では鷹狩りの風習があるからと、フェリオの父親を納得させ、ウインダムを城で保護したのだ。

「でも、私はウインダムに会えて幸せですわ。彼は私の大切な家族であり、親友ですもの。」
 微笑むフウに、やはりフェリオは浮かない表情を崩さない。それどころか、更に曇っていくような気さえした。
「どうして、そんな顔をなさっていらっしゃるのでしょう? 泥だらけでお帰りになったことと関係があるのですか?
 ひょっとして、怪我でもなさっているのですか?」
 酷く不安そうな表情になったフウに、フェリオは口端を僅かに上げてみせた。違うと言うように左右に手を振る。
 
「泥だらけになったのは、アイツらに追われて沢へ逃げ込んだからだ。」
 自嘲の笑みは、どうやらフウには話したくない出来事らしい。目を合わす事もなく淡々と語る口調は若干拗ねているようでもあった。 
 フウは口を挟むことはせずに、フェリオの話に耳を傾けた。
「巣を覗き込んだ事で、雛泥棒だと思われて追い回されたんだ。
 子育てをしてる時のアイツらは特に警戒心が強い。…ウインダムが俺を追わずに城へ戻ったのは、両親の領域に入れなかったからだ。
 俺だって、アイツらに首でもかっ斬られれば命がない。」
 首筋に手を当てて、斬る真似をしてみせたフェリオに、フウは眉を顰めた。
「フェリオは雛泥棒なんてなさらないでしょうに。」
 フウの何気ない呟きにフェリオはが息を飲むのが見える。そのせいなのか、問いには答えずフェリオは別の事柄を口にした。
 けれど、それは聞いたフウも息を飲むことになる。

「…ウインダムも放鳥する歳だ。」

 放鳥とは、繁殖力のあるうちに鷹狩りに使っている鳥を野生に戻す事。指し示す事実は(別れ)だ。
 そうですわね、と呟く声が妙に掠れて聞こえてフウは自嘲の笑みを浮かべた。
「私達もいつまでも子供ではいられないように、アナタも大人になってしまうのですね。」
 小首を傾げるウインダムの仕草に微笑んでから、フウはやっと納得がいったと告げた。クスクスッと笑えば、仏頂面だったフェリオの頬が赤く染まっているのがわかる。

 嗚呼、本当に彼は優しくて、それ故に残酷な男だ。
 
「ウインダムが森に帰ってしまうのは、本当に寂しい事ですけれど、貴方は私の側にいて下さるのでしょう、フェリオ?」
 
 ずっと。

 続けた言葉に答えはない。
 小さく溜息をつき、フウは笑みをつくる。それは何度も感じた想いだ。こんな格好で殿方の前に出るのはそれなりの覚悟の上だなどと、悟られるのは酌でもある。
 それでも大胆に晒された太股が視線に入れば、当然のように気恥ずかしい。俯いたまま言葉を続けた。
 
「ですから、ウインダムの替わりなど必要ありませんわ。でも、またご縁があればウインダム以外の鷹とも過ごす機会を持てればと思います。
 それもきっと幸せな時間になるでしょうし…。」
 ふわりと背中から腕が回されフウはハッと顔を上げる。椅子に座ったままのフウを抱き締めているフェリオの身体は前に大きく傾いでいて、耳元に唇を埋めるようにして、彼はその腕に力を込めた。
「…すまない。」
「貴方が謝る必要などありませんわ。私の為に雛を連れてきて下さるおつもりだったのでしょう?」
「そう、だな。」
 吐息が、熱くてフウはふいに高鳴る動悸に戸惑った。
「ただ俺は言い訳を探していたにすぎない。」
 己を抱き締める腕に手を当てれば、流れる血潮を感じるのではないかと思える位に熱い。全ては目眩がするほどに熱かった。
「…お前を欲しいと望むのは間違っていると、許される事じゃないとずっと思っていた…でも、俺は、「フェリオ、勘違いをなさっては困りますわ」」
 自分でも驚くほどに冷静な声が出て、フウは内心苦笑した。
覚悟していたはずなのに、心の何処かではいつも怯えていたに違いないのだ。
「私はフォレストの王女です。たとえ、貴方の腕に抱かれる事があったとしても、全てを差し上げる事など最初から出来はしません。
 私はこの国のものなのです。」
 顔を上げれば、真っ直ぐに己を見つめるフェリオの琥珀と合うのだろう。
 精悍な瞳を綺麗だとフウは思う。ウインダムを天空に戻さなければならないように、彼を(王族)の定めに縛り付け、重責を課してしまうことなど本当は許されないのかもしれない。
 そう、正しい答えなど自分は知らない。知っているのは、この腕を振り払う事など出来はしないという事実だけ。
 
「それなのに、私はフェリオの全てが欲しい。…強欲だとおっしゃいますか?」

 言えずにいた想いを伝え、フウは審判を待った。
 ふと緩んだ腕に顔を上げれば、柔らかく細められたフェリオの瞳と目が合う。頬から顎にゆっくりと伝う指先が、フウの顔を上げさせる。
 
「俺はお前のものだ、フウ。」





お題配布:確かに恋だった


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