forest story(ホワイトデーパラレル) 幾度か呼ばれたはずの名前は、そよぐ風に運ばれて何処かへ消えていたようだった。 forest公国は明確な四季は存在しない。気候としては、穏やかで温暖な場所。日が傾きかけた時間帯など、うっかりと眠り込んでしまうのに調度良い時間だった。きっと、昨日遅くまで起きていたのが原因だろう。さやさやと耳元をかすめていく葉のふれあう音は、心地良さを止めている。 「フェリオ!」 再度呼ばれ、目を開けて反射的に見回す視線に、幹に両手でしがみつきながら思案しているザガートの姿がはいり、フェリオは慌てて飛び降りる。 運動神経云々の問題ではなく、その姿があまりにも不似合いで見ていられなかったのだ。 「良かった。どうやって登ろうかと考えていたんだよ。」 温厚な笑みを浮かべる兄の姿に、フェリオは苦笑いを浮かべた。まだ夕暮れには間があり、彼は街の医院にいるはず、一体何があったのかと問いかける前に、ザガートは歩き出す。向かう先が自宅でもなく、街の医院でも無いことを知ってフェリオは首を傾げた。 「ちょっと助けて欲しい事があってね。」 「義兄上が俺に…ですか?」 ああと少し困ったように微笑むと、ザガートはヒカル姫を知っているかと尋ねてきた。フウの友人で伯爵令嬢、許嫁はランティス。フェリオの知識はこれで打ち止めだ。 「顔見知りの程度ですが…。」フェリオの答えに頷くと、ではランティスはと聞いてくる。彼とは友人の間柄だ。勿論知っているというのがフェリオの応え。フェリオの答えを聞き、ザガートは再び微笑んだ。 「医術では直せない病を緩和させる手伝いをお願いしたいんだよ。」 「姫、ザガート先生がいらっしゃいました。」 メイドの声に、最初に反応したのはレイアースだった。ベッドの横で蹲っていた犬は顔を上げ、訪問者達を観察する。そうして再び前足を織り込んで眠りについた。 「ごめんなさい、お手数をお掛けして。あ、フェリオ?」 ベッドの上で身体を起こしていたヒカルは、不思議そうな顔でふたりを見つめた。 「そこで会ったものですから、ご気分はいかがです?」 言い訳はザガートに任せて、フェリオは愛想笑いを返す。 ヒカルが病気で伏せっているとはフウから聞いていない。けれど、彼女は夜着を来てベッドの中にいる。常なる天真爛漫な笑顔は影を潜めて、心なしか元気はない。 「平気。でも、胸がつかえているような感じが消えなくて、苦しいんだ。また、発作が再発したのかな?」 「そんな事はないようです。痛むのは胸だけですか?」 「時々、ギュツと何かに捕まれたように痛むんだ。そうすると、頭までくらくらして立っているのも辛くなる。」 ヒカルがそう告げた時、ふいにレイアースが立ちあがった。ガリガリと扉を前足で掻く。出たがっているのだとフェリオは扉を僅かに開き、そうして廊下に立つ黒衣の剣士と目が合う。 「ランティ…。」 片手には花束。見舞いかと問いかける前に、フェリオの足元をするりとレイアースが抜け出て、唐突に唸り声を上げた。躊躇う事なくランティスの纏を咥え、低い唸り声と共に部屋の前から動かそうと腰を曲げ、足を踏ん張っている。 「フェリオ! これを。」 ランティスは手にした花束をフェリオに放り投げ、犬から纏を奪い返し踵を返す。階段の下へと人影が見えなくなると、レイアースも何事も無かったかのようにヒカルの側に戻っていた。 訳がわからない…。 フェリオはそう呟き頭を掻いた。所作もないのでその後を追い部屋へ戻る。適当な言葉も見つからず、手にした花束をただヒカルに手渡す。 「ランティスが…来ていた。」 取ってつけたようなフェリオの言葉に、ヒカルはこくりと頷く。そして、花束を胸元に引き寄せると、ぽおと頬を染めて瞼を伏せた。 「…苦しいですか?」 ザガートの問いかけに、ヒカルは小さく頷いた。 「ヒカルさんの縁談が決まったのは物心ついてすぐだったそうですわ。」 フウはフェリオから話を聞くと、そう告げた。籠に入ったお菓子を手渡して、紅茶を注ぐ為にカップを手に取る。白い陶磁器からほんのりと漂う香りに誘われてフェリオは顔をフウに向けた。 丁寧な仕草でお茶を入れる彼女の姿に目を細める。 「余り身体が丈夫では無かったヒカルさんを心配して、父君がお決めになったと伺いました。それ以来、兄のようにランティスさんを慕っていらっしゃったようですわね。」 それが、一体なんの答えなんだとフェリオは首を傾げた。フウはクスクスと笑い、手にした茶器をテーブルに置くと、腕組をして窓辺に座るフェリオに近付く。鋭いようで鈍いこの幼馴染みが好ましく、そして焦れったいとフウは思う。 「好きと愛してるは違う…貴方はこの間そう言ってくださったじゃありませんか。お忘れですか?」 切羽詰まった状況化だったとはいえ、自分が発した認めるには余りにも照れくさい言葉に、フェリオは思わず赤面する。 「ヒカルさんも、きっとその事にお気づきになったんですわ。」 そして、フウは唇に指を押し当てて、少しばかり思案する。 「でも、変ですわね。そんな気持ちの変化は何か切欠がなければ鮮明になったり致しません。フェリオは何かご存じですの?」 「…いや。ん…まてよ…。」 心当たりがあるのか、僅かに目を細める。義兄が自分に助力を乞うという事は、案外とそういう事なのかもしれないと、フェリオは一人語つ。 「助けになりましたか?」 ふふと笑うフウの肩を抱き込んで、フェリオは頬に口づけを落とした。 「流石、フウだな。助かった。」 ぽおと顔を赤らめる様子は、ヒカルのそれと重なる。(恋をしている)それは確かな事実なのだろう。フェリオは、そうしてやっとこの城へと足を向けた目的を思い出す。胸元に偲ばせていた品を取り出し、フウの手に渡してやると彼女は目を丸くした。 金の指輪が彼女の掌で柔らかな光を放っている。 「これは…。」 「服を新調してくれたお礼だ。」 一体どうやってと、フウは目を瞬かせながらそれを見つめた。よくも悪くも小さな国だ。フェリオがフウに送ろうと指輪を買い求めたのなら、噂は当然のようにフウの耳にも入ってくる。 「この間の後始末にイーグル皇子が滞在しているだろ? 彼にお願いして都から取り寄せたんだ。」 (持ち合わせが乏しいんで、細工は俺だけどな。)そう告げて、フェリオは笑う。蔓草の模様が施された金細工の指輪は、フウにとってどんな高価な宝石を鏤めたものよりも輝いてみえる。 「嬉しいですわ。服は、結局役には立ちませんでしたけれど。」 そうだな。相槌をうって、フェリオは窓をするりと抜けた。 「フェリオ?」 「悪い、どうもこのまま此処に留まると、既成事実をつくらされそうだ。」 きまりが悪そうに後ろ頭を掻くと、フウの部屋から廊下に通じる扉に視線を送る。それだけで状況を察したフウはクスクスと笑った。 「父上達は後でたっぷり絞っておきますから。フェリオはご用事を済ませていらしたらいかがですか?」 「そうさせて貰うよ。」 軽い身のこなしで、地上に降りると窓辺のフウに手を振る。同じように手を振るフウの指には、先程渡した指輪が輝いていた。 「ランティスはいま出掛けていますよ。」 屋敷の客間には、ゆったりとくつろぐイーグルの姿があった。優雅な手つきで、紅茶の中のスプーンをくるくると回す仕草は、王子という職種にふさわしい。 部屋を漂うブランデーの香りに、フェリオは顔を顰めた。それに気付き、イーグルがクスリと笑う。 「ちょっと入れすぎてしまいました。」 ほらと指さされたボトルの中身は半分もないように見える。始めにどれほど入っていたものかは知らないが、これではお酒を飲んでいるのと変わりないような気がフェリオにはした。 「指輪は役に立ちましたか?」 クスリと綺麗な貌は悪戯な笑みを含むと、フェリオは微かに頬を赤らめた。 「…ああ、助かった。」 「いいえ。貴方にはかなりご迷惑をお掛けしてしまったのですから、こんな事で埋め合わせが出来るのならば幸いですよ。…ところで、用があるのは僕?でしょう?」 にこにこと、邪気のない笑みが繰り出されて、フェリオは大きく溜息を付いた。 弟も策士なら、兄も策士。慾が見え隠れしないだけ、こちらの方が質が悪い。 「…俺は、回りくどい言い方が出来ないから直接尋ねるが、イーグル王子は、ヒカル姫になにかしたのか?」 コップの端に唇をつけたまま、イーグルは大きく目を見開いたがそのままくくくと笑い出す。小刻みに震える手のせいで、波々と注がれた液体は、絨毯の上にぽたぽたと零れ落ちる。その様子に、フェリオは顔を顰めた。 雑巾でも持ってこようと、背中を向けた途端、イーグルはフェリオを呼び止めた。 「婚約式の時も傑作でしたが、本当に貴方は面白いですね。ああ、汚したのは僕ですから貴方が拭く必要はありませんよ。」 「ランティスに後で嫌味を言われるくらいなら、俺が拭いておくよ。」 「ああ、じゃあ手伝います。」 曲がりなりにも、他国の王子。そんなことがさせられるはずがない。フェリオはイーグルの言葉は取り合わずに、厨房へ足を向けバケツを見つけたところで、息を飲んだ。 自分の横で、イーグルが付けていた白い手袋を外して、水に濡らした雑巾を絞っている。 「イーグル王子!?ちょ、そんな…。」 「平気、平気。それに、ランティスが帰ってきたみたいなので、貴方とふたりで話しがしたかったんですよ。」 にこと笑われ、フェリオは肩に回された手そのままに、再び床に座り込む。 面白い? 貴方の方が余程…な気はするんですが。 フェリオは浮かんだ言葉を飲み込んだ。ランティスの旧友だと聞いている。類は友を呼ぶのが、世の常だ。…いや、それでは自分も同じだと言っているようなものだ。 それは御免だと、フェリオは自分の考えを否定した。 なので、イーグルの言葉は唐突にフェリオに告げられた。 「ヒカル姫に好きだと告げました。」 「は?」 にこにこと笑う。綺麗な貌。 フェリオは琥珀の瞳を真ん丸にしてイーグルを見つめた。イノーバには確かに振り回された。それは否定しない。まさか、またしても…。 「友人としてではなく、私の妻になってずっと一生私のことだけを想って下さいと申し上げてしまいました。」 一瞬の間。フェリオはひっと息を飲む。 「王子…あんた…。」 「聞いてしまいましたねぇ、フェリオ。」 再び、大国の罠に填った事を、フェリオは痛烈に感じていた。危ない橋を渡らされる予感が満々だ。ごくりと唾を飲み込む。ここまで来て、一体誰見逃してくれると言うのだろう。「…で、王子は俺に何をさせたいんですか?」 「察しが良くて助かります。実は…。」 有り得ない笑顔で告げられた言葉に、フェリオが雑巾を引きちぎるか想う程に力を込めた。びきびきと糸の解れる音が耳ざわりだが、驚きのあまり力を抜くことが出来ない。 「貴方は、私の味方をして下さるでしょう?ねえ、フェリオ。」 この天使のような悪魔な王子に、ちょっとでも借りをつくってしまった自分を、フェリオは思い切りよく悔やんだが、それこそ後の祭りというものだった。 「随分と顔色が悪いようだけれど、大丈夫ですか?」 エメロードに注意を受けるようでは世も末だと、フェリオは大きな溜息を付いた。森の中のお化け屋敷に、嫁いでいったにも係わらずエメロードはよく足を運ぶ。 「姉上は随分お元気そうだ。」 「ザガートが何かと気を使って下さるものだから、私少し太ったのかもしれませんわ。ドレスがきついの、これは由々しき問題ね。」 にこにこと差し入れのスープを温める姉を、テーブルに肘をつきながら眺めていると、食欲をそそる匂いが鼻を擽る。こんがり焼けたパンを千切って口に入れ、サラダをつついたところで、それはテーブルにのせられた。 「貴方も早く好きな方とお暮らしなさいな?」 「…姉上…。」 「わかったでしょう? 貴方とフウ王女が結ばれるのを望む者こそいても、誰も止める者などいないのよ?」 いい加減、観念なさい。 最後の言葉は、姉とは思えぬほどに力が入り、拳を握りしめているのではないかと確認してしまった。しかし、姉の細い指は、今着けていたエプロンをたたんでいるだけ。小さく折りたたんだそれを籠の中に仕舞うと、フェリオの顔を覗き込むようにして見つめてくる。 フェリオは、スープを飲む為にもったスプーンを手で揺らす。 覚悟はした。そう口にする。 「覚悟はしたんだ。森番を止めて、フウの騎士になる。彼女を一生守っていく。 …でも、こうしていると、やっぱり俺はこの仕事が好きだと感じる。父上から受け継いだものに誇りもある。それに騎士ならともかく、城の椅子に座って、偉そうな顔の王様になるなんて、俺にはできっこない…。」 「それはふたりで決めればいいわ。」 エメロードは微笑んで弟の肩に手を置いた。 「フェリオ。大切なのは、好きな方と一緒にいることでしょう。ますそこから始めてみるものよ?」 姉上はそうしているんですね。…と思い、「あ」まで出た言葉は、そのまま別の「あ」にすりかわる。窓を通り過ぎていった黒マントは、玄関の扉が半分開くと、力任せに開け放った。扉の留め具が嫌な音をたて、フェリオは顔を顰めた。 彼の名を呼ぶ前に、ランティスはフェリオの胸ぐらを掴み持ち上げた。 「…話しがある。」 意外と素直な反応に、フェリオは少々驚いていた。 怒っている。普段、何事にも興味がなさそうに見えるこの友人が。恐らく、ヒカル姫の為に。そう思うと、笑いが込み上げそうになって、慌てて飲み込んだ。 乱暴に、胸元の手を払いのける。努めて声を殺し、不機嫌な態度を露わにしてみせた。 「なんだよ、乱暴だな。俺に何か用か。」 「用があるから来ている。」 そう告げると、くるりと背中を向けて歩き出す。ついてこいと言う事か…。 呆気にとられている姉を振り返ると、フェリオはランティスの後を追った。 『まぁ、後は貴方の采配にお委せします。』 微笑んだ他国の王子は、そのお綺麗な貌に似つかわしくない言葉をフェリオに囁く。きっと悪魔という生き物が居れば、こんな風に見目麗しくて、とびきり心揺らす台詞を吐いてくれるに違いない。 ふと、フェリオは思った。 その定義に当てはまるのならば、フウとて同じではないのだろうか。とびきり綺麗な笑みで惑わす少女。 「ふざけた顔をしてるな。」 一瞬にやついたフェリオに向けて、辛辣な言葉が向けられる。そんな嫌味を向けてくるなど、この男にしてはかなり珍しい事なのだが、雑言を聞かされて心地よくなるような自虐的な趣味はない。 『貴方も、たまにはランティスに復讐してみたい…でしょう?』 悪魔が耳元で囁いた。確か、今日は…。頭の中で、この間イーグル王子に会った日数を計算して好都合だという事にも気が付いた。 「…もうじき、通り雨が降るぞ…。」 ちらりと自分より高い場所から、今頭上に広がる青空と同じ碧が降ってくる。けれど、ランティスはフェリオの言葉を疑う事は無い。このフォレストの森で、フェリオ以上に熟知している人間がは居ないことをランティスも充分に知っている。 「…。」 「それでも話をしたいのなら場所を変えよう。街へ向かうなんぞと野暮な事は言わないよ。他人に聞かせたくない話しをするつもりなんだろう?」 顎をしゃくって街と反対の方を示してやると、ランティスは案の定、今進んでいる道から外れた小道に踏み入る。フェリオはその後を追った。 「この先に、雨宿りが出来る場所があるんだ。降るまでには辿りつけるだろう。」 「そうか。」 返事もそっけなく、もくもくと歩き続ける。 人を襲う類の野獣も出る場所だが、今のランティスなら問題ないだろう。とにかく殺気が半端無い。お陰で、普段なら寄ってくる小鳥もぴともさえずる事なく森はただ静かだ。 「…何故お前があそこにいた。」 フェリオが示す場所へ行き着くまでに、ランティスの忍耐力は切れたらしい。ざくざくと草と落ち葉を踏みしめる音だけが聞こえる森に、ランティスの声が響く。 「偶然さ。なんだよ、そんな事を聞きにきたのか? 迷惑な男だな。」 はんと挑発するように、あしらうと殺気が増す。ヒカル姫に会えないのがそんなに堪えているのか、随分可愛いところがあったもんだとフェリオの内心は、捩れそうな状態だ。 「煩い…。」 吐き捨てる言葉にも余裕がない。そうして、山懐に入り込んだ事を確認しフェリオはぐるりと辺りを見回した。空も葉が覆い初めて、太陽の光を遮っている。 今、ランティスは己の位置を確認することは出来ない。その事を確信して、フェリオは悪戯じみた表情を浮かべた。 「レイアースから完全に嫌われたようだったが、ランティスお前何かしたのか?」 「…何もしてはいない。」 「じゃあ、なんであれだけ好かれてた犬に嫌われるんだ? あいつは、お前をヒカル姫に会わせないようにしているように見えたが?」 「…。」 「ああ、ヒカル姫がお前に会いたくないって言ったのかな?」 フェリオの一言に、ランティスの碧が揺れた。 溜飲が下がる…というよりは、確かに驚きの方が大きく、フェリオは一瞬目的を忘れた。剣呑に変わったランティスの眼孔にとりあえず思考を取り戻す。と、同時になんとか悪戯めいた表情に戻す事にも成功した。 普段なら即座に見破るだろうランティスは、ただ怒った様子のまま背中を向けただけで。 んだよ、こいつ唯の恋する男じゃねぇか。 胸元にすとんと落ちてきた答えに、フェリオはクスリと笑みを浮かべた。 葉を掻き分けたランティスは、なんのつもりだと、フェリオを睨む。 フェリオの告げた通り空は鉛色の雲が覆い始めていたので、黙って従っていたのだが、辿り着いた場所がヒカルの屋敷だと気付き、動きを止めた。 「俺は雨宿りの場所に心当たりがあると言っただけだ。ヒカルの屋敷の側にある小屋では、何か不自由でもあるのか?」 「…俺は…。」 彼らしくない言い訳を、恐らく告げるつもりだったランティスに、フェリオはしっと口を閉じさせ、耳をそばだてる。 「話し声がする…。」 三文芝居もいいところだったが、そうやって葉越しで、ランティスの視線を屋敷の裏庭に向けさせた。 視線が定まり、ランティスが息を飲むのがわかる。 庭園には、頬を薔薇色に染めたヒカルと、彼女にとびきりの笑みを浮かべるイーグルの姿が見えた。 「へぇ〜こうして見ると、イーグル王子とヒカル姫もお似合いだな。王子が姫に婚姻を申し込んだなんて噂もまんざら嘘じゃあないかもな。」 「なんだと…!?」 鬼の形相が振り返る。「本当か!?」 詰め寄る男を交わして、フェリオはちらと意味深に視線を送る。 「知らないよ、兄上に聞いた噂だ。 んだ、お前にも相談なしか?こりゃあ、本当かもしれないな。」 フェリオの台詞に息を飲み、ランティスはもう一度顔をヒカルに向けた。話し声が、湿った空気にのって聞こえてくる。 「ずっと、ランティスが許嫁なんだと知ってはいたけど、兄のようだと、そう思っていた。兄のように大好きだと思っていたんだ。でも…。」 両手を胸元で組み合わせ、ヒカルは必死で言葉を続けた。 「ならば、いいのではありませんか。」 イーグルの細くて長い指が、ヒカルの指を解き、自分の胸元に引き寄せる。 「ヒカル。どうか、私を見ていただけませんか?」 ヒカルは頬を真っ赤に染めて、イーグルの胸元に連れ去られた自分の手を見つめていたが、はっと顔を上げる。 「違うんだ、イーグル。私…。」 口ごもったヒカルに微笑みかけたイーグルは、そのままゆっくりと膝を折る。左手に口付けを落として跪く。正式なプロポーズの申込。 本来許嫁のある身だが、相手が他国の王子では不足はないだろう。此処でヒカルが頷けば、それはそれで丸く収まるだろう。けれど…。 「おい…。」 フェリオの声に、完全に石像にでもなっていたかと思う男が、びくりと動いた。 真横で拳を握りしめていた手を解くと、纏を揺らした。そうして、背中を向けたランティスに、フェリオは溜息をつく。誰にも譲りたくはないくせに、親友のイーグルになら、なんぞと思ってしまったのだろう。 人の事など言えないではないか、不器用な男め。そう思い、フェリオは大きく息を吸い込んだ。 「おお〜〜い、ランティス! 何見てるんだよ!」 さも、気付いた様に声を張る。びくりと動きを止めたヒカルの様子から聞こえている事は確認済みだ。彼女の側にいたレイアースが、途端に走って来てランティスに威嚇する。 お膳立てはした、危ない橋も渡った。これ以上のトラブルはごめんだと、フェリオは真っ直ぐにランティスの横を通り抜ける。勿論恐ろしい殺気の追尾付きだが、レイアースに牽制されて動けない。フェリオはそのまま庭園に抜けた。 ヒカルから距離を置き、イーグルがにこりと特上の笑みを浮かべていた。フェリオはそれに向かって片目を閉じて見せる。 『ごくろうさまです。』 彼の口が動き終わった頃には、ヒカルはランティスの腕の中に飛び込んでいた。 「駄目だ、レイアース。私の一番好きな人に吠えちゃ駄目だ!」 二言、三言言葉を交わすと、ランティスはヒカルを抱き締める。 ヒカルとランティスが正式に婚約をしたと、フェリオが耳にしたのは、それから直ぐの事だった。 「俺は、王様になんぞなれそうもない。」 躊躇いがちに告げられた言葉に、フウは翡翠の瞳を大きく見開いた。それから口元をおさてクスクスと笑い出す。 綺麗な横顔に見惚れ、しかし、フェリオはむと顔を歪めて視線だけは城下を見下ろすものへと移す。二人の姿は、城の側にある大きな樹の上にあった。 フェリオが続けた悪態も全てを吐き出す前に遮られる。 「確かに、私の伴侶は望む、望まざるに係わらずそういう身分がついてまいります。それは間違いありません。」 そう告げて、フウは微笑んだ。 「でも、私は私が選んだ方の腕を胸を張って組んで参ります。それだけは、誰にも譲れませんわ。」 「強いな、フウは。」 「フェリオ。天下無敵は乙女の特権なんですよ。」 「なるほどね。」 あのランティスや、イーグルでさえ振り回すのだから、確かに無敵なのはヒカルだろう。フウの言葉に妙に納得していると、下からレイアースの声がした。 見ると、ランティスがこちらを睨み上げている。 「フェリオ、この間の礼をしに来た。つき合ってもらおうか。」 にやりと笑う横で、嬉しそうに鳴き声を上げるレイアースが憎らしい。てめぇ、この裏切りもの、俺の居場所を教えやがったな。お前の主人の恋路を手助けしてやったのに、と腹の中で捲し立ててもどうにもならない。 畜生どうしたものかと、正直途方にくれていると助け舟はやってくる。 「人の恋路を邪魔するものは、馬に蹴られてしまいますわよ?」 クスリと微笑んだフウに、ランティスもくくと笑った。 「その通りだ、邪魔したな。」 天下無敵は乙女の特権 彼女になら、一生付いていってもいいかもと、不覚にも思ってしまったフェリオだった。 〜Fin
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