forest story 背中 ジャンケンはいつも私が勝った。 そういうのは凄く得意。 だから鬼はいつも彼。 でも、鬼ごっこが始まると鬼になるのは直ぐ私。 だって、彼は私の数倍足が速かった。逃げる間もなくあっというまに交代になる。 そうなったら、後はずっと私が鬼。 だって、追いつけない。 ずっと彼の背中を追いかけていく事になる。 どんどん遠ざかっていく背中を見ていると涙が出てきた。 久しぶりに見た幼い頃の夢が気になって、フウ王女は、朝食をとっていた手を止めた。 「どうかなさいましたか?味に問題でも?」 と、困った顔で問い掛ける給仕に微笑む。 「いいえ、今朝見た夢の事を思いだしてしまって、とても美味しいですわ。」 彼女の言葉に、給仕はほっとした表情を見せ、どんな夢でしたか?と聞く。 「小さい頃の夢でしたわ。」 「姫はお小さい頃からお可愛らしいご様子でしたね。」 昔から務める給仕はそう言うと微笑んだ。フウは頬を赤くして、笑みを返した。 「ありがとうございます。」 「そうそう、あの森番の方と仲良く遊んでいらっしゃいました。」 昔話をするとき人は優しい表情になる。給仕の笑みを見つめながらフウは、それだけではない今朝の夢に胸が少しだけ切なくなった。 小さな国ではあったし、彼−フェリオ−の父親が自分の父親と親しい間柄だったこともあり、彼とは良く遊んでいた。 城の中でひとり遊ぶ事の多かった自分と違って、森の中に暮らす彼と遊ぶ事はいつも楽しく、驚きに満ちていた事を思い出す。 鳥の巣。 花々。 木の実。 どれもこれも楽しかったが、彼の背中だけは嫌いだった。 自分を置いて走っていってしまう彼が、子供心に恨めしかった。 私は王女なんだから…なんて、滅多に思わないことを思ってみたりしたこともある。 ひとりぼっちで置いていかれるような気がしたからに違いないけれど。 フウは小さく溜息を付いた。 久しぶりにこんな夢を見た理由。それに行き当たったからだ。 昨日の公務での事、それしか彼女には思い当たらなかった。 「暫くの間、森の奥の方には人が入らないようにすることは出来ないか?」 『珍しいお客様がいらっしゃいました。』と言った侍従長の言葉通り、執務室の扉の前に立っていたのはフェリオだった。 普段なら、城へなど滅多に姿を見せない彼は、真剣な表情でフウに向かう。 「どうかなさいましたか?」そう問い掛けたフウに彼は前記の言葉を告げた。 フウは眉を潜めながら、頬に手を当ててフェリオを見返す。 「それは、困りましたわね。今の季節は名物にもなっている実の収穫の時期ですわ。どう言った理由がおありでそんな事を?」 フウの問い掛けに、フェリオも顔を歪める。 「…無い。強いて言うなら(勘)だ。」 真摯な輝きを見せた琥珀の瞳は、いつものふざけている彼とは別物のように見えた。 自分を騙そうとしているわけではないと、フウは思ったが、この国の数少ない収入源となっているものだ(勘)という理由だけで、おいそれと止めるわけにはいかなかった。 「フェリオ。貴方のおっしゃる事は、わからないではありませんが、それで納得する訳にも参りません。」 「だろうな…。」 フェリオは最初からフウの答えを知っていたかのようにそう言い、彼女に背中を向けた。 「邪魔して悪かったな。」 ひらっと片手を振ると、執務室を出て行く。 何の説明をする事もなく、自分の答えを聞いただけで出ていったフェリオの行動が余りにも下せず、フウはやりかけの書類を机に放置して、彼の後を追った。 「お待ち下さい!」 そう呼び掛けると、フェリオは驚いたように振り返った。 足を止めてくれている間に、フウはフェリオに走り寄る。 フウの翡翠が困惑しているのを見ると、フェリオも表情を固くした。「どうした?」 「どうしたではありませんわ。あまりに一方的すぎますわ。詳しいお話を…。」 その言葉に、フェリオは首を横に振った。その意味が分からず、尚言葉を重ね様としたフウを遮るように、フェリオが口を開く。 「お前は、王女だ。」 キッパリと言い放つ彼の表情は、フウが初めて見るものだった。フウは驚きに息を飲む。あからさまに、自分の身分を口にする事など、今まではありはしなかった。 「細かな事を気に掛けてくれることは感謝する。だが、王女としてこの国を治めるものとしての仕事は別のところにあると俺は思う。…そこまで、お前に迷惑を掛ける訳にはいかない。」 そして、初めて表情を緩める。ふっと笑みを浮かべた。 その笑顔は見慣れたものなのに、今はまるで違って見えた。 「大丈夫だ。気にするな。」 返事をしない自分を納得したと判断したのだろう、フェリオは自分に向けていた体勢を変えて、戸口に向いた。 「フェリオ…。」 フウはそれ以上の言葉が浮かばず、歩き出そうとしたフェリオの背中に手を置いた。やはり気になる。なんとか引き留めて詳しい話を…。その時はそう思っていた。 しかし、彼の背中においた自分の手があまりにも、小さく見えて、驚いて胸元にその手を引いた。その気配に、フェリオは苦笑しているようで、もう一度口を開いた。 「フウ…大丈夫だから。」 「え…ええ…。」 何故か、触れてしまった手をもう片方の手で包むようにして俯いてしまう。いつも見ていた彼は、本当に今の彼なのだろうか? 遠ざかって行く足音だけが響く廊下で、フウは動けなかった。 ずっと近くにいたと思っていたのに、彼の背中がこんなに広くなっていたことさえ気付いていなかったなんて…胸のなかに広がる喧噪にフウは気づき、そして戸惑う。 いままで、わかってはいたのに気付かなかった二人の距離。 彼の背中は、それを改めて教えていったような気がした。 〜Fin
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