forest story 健康的


コンコンと咳をする声が続いている。
(この天気でもあるし、しばらくは家から離れられない。)
フェリオは、窓辺にもたれ掛かって外を眺めていた。

今にも降りそうな黒い雲は、空一面を覆っている。
元々、この国の天気は変わりやすいが、銀色にかがやく雲がその天井を覆うときはかなりの水量をその中に溜め込むまで落ちては来ない。落ちて来た時は大雨になるし、そんな時に森にいるのは命取りになる。
そしてと彼は思う。こんな天気の時は必ず姉の調子が悪くなるのだ。
「大丈夫ですか?姉上。」
窓から視線を戻して、ベッドの上に座っている姉を見る。
「平気です。」
姉−エメロードは、フェリオの方を見ると少しだけ微笑んでみせた。

透けるような白い肌。絹のような金色の髪。そして長い睫毛に彩られた翡翠の瞳。
エメロードは、この国で一番とも二番とも噂されてる美人であることをフェリオは知っていた。勿論、彼にとっても彼女は自慢の姉であり唯一の家族。その評価に不満があるわけではない。
しかし、透けるように肌が白いのは病弱で家から滅多に外出しないせい。
娘が病にかかる度に、父が彼女が幸せな結婚が出来るのだろうか…と心配するのをよく耳にしていたフェリオにとって、父が亡くなった今は、父の心配事は自分の心配事になっていた。
じっと自分の顔を見ていた弟にエメロードはクスリと笑う。
「私は、貴方が結婚するまで嫁には参りませんわ。それにこんな病持ちの女を嫁にしたがる者などいませんもの。」
思っていた事をズバリと当てられ、フェリオは息を飲む。
しかし、嫁に行かないのは彼女が病弱だからではない。断っているからだ。
フェリオはその事実も、断り文句すらも知っていた。

(弟を一人前にすることを亡き両親に誓ったんのです。)

「俺は、まだそんな歳じゃない。そもそも好きな女もいない。」
憮然とした顔で言ったフェリオに、あらという顔をしてエメロードは問い掛けた。
「フウ王女様は?」
「は!?」
思いもかけない姉の言葉に、フェリオは間抜けな声を出す。そして、呆れたように言葉を続けた。
「あの方はこの国の第一王女様だ。」
「フェリオはフウ王女が嫌いですか?」
冗談なのかと言いたげな弟の顔を見つめて、エメロードはそう問いただす。意外にも真面目な表情にフェリオのとまどいは一層増した。
「そんな事を言ってるのでは…彼女は幼なじみとして普通に好きですが…。その…。」
あくまでも不満そうな姉の顔を見て、どう答えたら満足がいくのかとフェリオも困った顔になる。そして彼は話題を変えた。
「姉上、俺は薬をもらいに行ってこうかと思います。」
「…わかりました。」
やっぱり不満そうにエメロードは返事をする。
世間で言われるよりもずっと、彼女は意志が強い。
外見から連想されているようなか弱い女性…ではないのだ。思えば、フウ王女もそうかもしれない。
逃げるように外へ出て、街へと歩を進めながらフェリオは大きく溜息をついた。


病院の扉を開けたフェリオは、思いもかけない人物と目が合ってそのまま固まった。
「どうなさったですか?」
不思議そうな表情で自分を見つめ返したフウに愛想笑いを返しながら、奥を覗く。「先生は?」
「応接室ですわ。こちらに新しい助手の方をご紹介に参ったところです。」
「…あれもいい加減爺だからな。手元が危ないか?」
ぼそりと呟いたフェリオの言葉は生憎と本人の耳に届いていた。
「なんじゃと、フェリオ?」
「げっ、先生。いやその…申し訳ありません。」
その様子を見ながら、フウはクスクスと笑う。
「お話はもうよろしいのですか?」
「大変素晴らしい医術です。やはり学問だけでは遠く及びませんね。是非こちらで勉強させていただきたいと思っています。」
年寄り先生の後から出てきたのは、長い黒髪で端正な顔立ちの青年だった。もの静かな印象を受ける青年は、フウの顔を見るとそう言って頭を下げる。そして、フェリオの顔を見てこちらの方は?と問い掛けた。
「こちらは、森番をしていただいているフェリオですわ。」
「はじめまして、フェリオと言います。」
そう言って差し出したフェリオの右手を青年は握り返して微笑んだ。優しい笑顔は、さぞこの国の女性を惹きつけるのだろうとフェリオは思う。
「私はザガートと言います。貴方が森番の方でしたか、お若いのに優秀な方だと私の国でも評判ですよ。」
「優秀とは、こんな若輩者には身に余る褒め言葉です。」
「ザガートさんは、列強国の医学生の方だろうですわ。わざわざこんな弱小国にいらして医術を学ばれるそうです。」
コロコロと笑うフウに困ったようにザガートは笑った。

彼を病院に置いて、城へ帰るというフウを、老医師は慌てたように引き留めた。
「姫様一人で帰らせるわけには参りません。」
「大丈夫ですわ。一本道ですもの私は走ってでも帰れますわ。」
姫君らしからぬ闊達な意見とともに、お辞儀だけは優雅にこなして外へ出る。彼女なら本気で走って帰りかねない。フェリオは老医師の方を振り返った。
「姉上の薬を取りに来たんだが、後は頼めるか?」
「まかしておけ、今日は良い助手も手に入った。」
胸をどんと叩いて請負う老医師に苦笑しながら、フェリオはフウの後を追った。彼女は流石に走ってはいなかったが、城への道を足早に歩いている。そして、フェリオの姿を見ると振り返った。
「フェリオ?。走ってでも帰れると申しましたのに。」
「その靴とドレスでは、走るのは無理だろう?」
「そんな事はありませんわ。」
そう言うとフウ王女は軽やかに走り出した。
「フウ!」
慌てて後を追う。ドレスの裾を手で摘んで、軽やかに走る風を見つめてフェリオの目は丸くなった。

城門に着いたときフウは軽く息を弾ませていたが、後ろから走ってくるフェリオは息をひとつ乱してはいない。目を丸くして見つめている。それを見つめてフウは笑う。
「まるで小さい頃に戻ったみたいで少し楽しかったですわ。こんなに走ったのも久しぶり。随分…そう、健康的に見えませんか?」
「まったくだ。」
やっぱりか弱くはない…フェリオは心の中でそう呟く。『人は見かけによらないものだ』
〜Fin



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