災い


 さくらは時々酷く不安そうな顔をする。
 今とんでもない悪い事が起きている…とか、予感がする…とかそんな事じゃない。

 それは、過去に起こった出来事を思い出す時。

 たとえば、自分の一番が無くなりそうになった事。
 たとえば、自分以外の者達が二度と目覚める事がないと思った事。

 そして、俺と離ればなれになった事。

 彼女にとっての様々な過去の『災い』が、さくらの心に影を落とす時、小さな子供のように頼りなげな表情になる。

「不思議だな。」
 俺の言葉に、隣に座っていたさくらが顔を上げた。
「何?小狼君。」
 前を向いて何か考えていたさくらは俺の話を聞いていなかったらしく、少し困ったような顔で、俺を見上げた。
 上目使いの彼女が可愛くて、頬に登ってくる熱を必死で堪える。
「ほえ?」
 それでも、赤くなった俺を今度は不思議そうに見つめる。
 昔は同じ位の身長だったのに、いつの間にか彼女の背を超えていた。正面から彼女の顔をみるよりも、こうして見下ろす方がより一層照れると気が付いたのは、ほんの最近だ。
「お前は、昔の事を考える時にだけ不安そうな顔をするから不思議だなって思ったんだ。」
「そ、そうかな、さっき不安そうな顔してた?」
 コクリと頷くと、少しだけ俯いて手を口元にあてた。
「実際、色々な事件に向かっている時は、そんな顔しないで、いつも頑張っているから。」
俺は、様々なさくらを思い出す。そりゃあ、泣き顔の時もあったけど、彼女はいつも真っ直ぐ見つめていた。
その瞳が俺を変えてくれたから…。

「もう、変えることの出来ない過去は、やっぱり後悔とか色々あるからなのか?」
もっとああすれば良かった、こうすれば良かった。それは俺だって考える。最良の道を選んできたはずだけれど、後悔しない事なんか無い。
 さくらは、えとえとと言いながら、小さな拳を作ってその唇に押し付けた。焦っているのか、視線が定まらない。
 しかし、バッと勢いよく顔を上げた。
「あの、あのね。小狼君それは違うの。」
 見ると、さくらの顔は文字通り櫻色に染まっていた。
「え?」
 その表情に、俺は更に赤くなる。
「今。『災い』が起こっても、小狼君が側にいてくれるから頑張れるの。」
 頬は赤く染めながら、さくらの瞳は真っ直ぐだった。
「あのね。どんなに辛いよって思って俯いてても、顔を上げたら、小狼君が大丈夫って言ってくれるから、平気なの。小狼君がいてくれないのなら、過去だって、今だって凄く不安になってると思うの…。」

 そして、大好きなの…。小さく彼女が呟いた。

 俺はそっとサクラの肩に手を回す。
「あ、の、小狼君?」  抱き寄せるほどの大胆さは、まだ俺にはないしけれど、こうしなではいられなかった。
「俺はまだまだ魔力も弱いし、勉強しなくちゃいけない事も沢山あって力不足だけれど、ずっとお前の側にいる。
『災い』なんかに負けない。」
 さくらの頬は、もう櫻色じゃない。薔薇のように赤い。
「私も、絶対離れない。」
ふわりと彼女の亜麻色の髪が頬をくすぐって、とんと胸の中に収まる。
俺は、壊れ物を扱うように、その額に口付けを落とした。
「俺も…。」
後の言葉は、重なった影にかき消された。



〜fin



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