Blue[9] 手掌 「街に出掛けませんか?」 風の言葉にフェリオは目をぱちくりとさせた。 どれほど驚いていたのかと言えば、インク壺から取り出したペンを持ったままで固まってしまって、そこからインクを(大切な)書類にぽったりと落としてしまった位だ。 彼女からのお誘いが珍しい。 執務室にいる自分のところまで来て、誘ってくるところが珍しい。 街に出向きたいという彼女の行為も珍しい。 「あ、ああ。」 お陰で返事を返すまでにたっぷりと時間が掛かってしまった。 しかし、風はにっこり微笑むと「お待ちしておりますわ。」と言って部屋を出て行った。 少々腑に落ちない部分もあったものの、彼女からの誘いにフェリオの気持ちが高揚しないわけがない。後でたっぷりと怒られるであろう書類の事すら頭の中から消し去って、フェリオは片付けを始めた。 「…でも、こんな急な話。導師達が許してくれるんだろうか…?」 「行って下さるそうですわ。」 執務室から出てきた風は、廊下の柱の影に隠れるようにして待っていた光と海にそう伝えた。興奮した様子の二人はうんうんと大きく頷く。 「ほらね。風の誘いなら一発よね。ちょろいもんだわ。」 少しばかりお下品な言葉使いの海に、風は少々困り顔。 「でも、騙しているようで申し訳ないですわ。」 「何言ってるのよ。有り金全部巻き上げようってんじゃないんだから(結婚詐欺!?)、風は気にすることにないわよ。寧ろ良いことをしているわけだし。」 「良いことなのかな〜。」 光も困った顔で呟いた。嘘を付くこと自体彼女は出来ない性分だ。 「良いことなの!」 釘を刺すようにそう宣言した海は、拳を振り上げてこう叫んだ。 「次の作戦に移るわよ!」 門に向かう扉には、深碧のワンピースを着た風の姿。それを見たフェリオの足も止まる。 「…え…と?着替えたのか…?」 「はい。変ですか?」 やっぱり。と風は思う。不思議そうに自分を見つめるフェリオの反応は当然だ。 今まで彼と出掛けるからと言って服を着替えた事など無いのだ。 城で会っているのではないという状況を相手に認識させるには、着替えが必要と海に言われたのだが、少しばかり自分のしていることが恥ずかしくなり、両手で頬を隠すようにして俯いた。 「あ、いや、その、よく似合ってる。」 風が服装を気にしていると思ったのか、フェリオは慌てて首を横に振った。後ろ頭を掻きながら微笑んだ。 「珍しいなと思っただけだ。…まぁ。珍しいといえば、街に行くと言ったら導師やラファーガが二つ返事で了解した事が何よりも珍しい。」 風はそれを聞き、海が導師達に根回しをする様子を思い浮かべる。遠目に見ていた海とクレフは何やら言い合いをしていたようだったのだが…。 「そうですか。でも、良かったですわね。では、参りましょうか?」 「ああ、なんだか今日は不思議な日だな。」 左右に頭を振りながら、フェリオは門に向かった。もちろん、その後に二人の少女の影が続いていったのは言うまでもない。 「でも、何で街へ?」 賑やかな街の広場で歩を進めながら、フェリオは隣の風を振り返った。申し上げなかったでしょうか?と言ってから風はこう続けた。 「プレセアさんにこちらのお洋服を頂いたんです。」 「この間、女の子だけで出掛けるって言ったあれか?」 「はい。あの時はフェリオとのお約束が守れなくて申し訳ありませんでした。」 申し訳なさそうに頭を下げた風にクスクスとフェリオが笑う。 「気にするなよ…それで?」 「それにあう装飾品を買いたかったので、貴方に見て頂きたくて。」 「へ…俺の見立てでいいのか?」 目を丸くしたフェリオに、風は頬を赤らめて微笑んだ。 「折角こちらの服を着るのですから、フェリオに似合うと思っていただければ…と。」 その言葉にフェリオの頬も赤くなる。 「あ、じゃあ、馴染みの店があるから行ってみるか?ここからは少し離れているんだが。きっとフウに似合うものがあるよ。」 コクンと風が頷く。じゃあ行こう。と言いフェリオは手を差し出した。遠慮がちに、風がそれに手を重ねる。 「俺から、離れるなよ。」 フェリオは、それをギュっと握り返して頬を染めた。 二人があちこちの出店を回って、少しばかりの買い物をするともうお昼の食事をする時間は大きく過ぎていた。 当然のように、風とフェリオは食事の出来る店に向かった。勿論その間ずっと、二つの影は付いてきていた。 「ひゃ〜なんか、もうらぶらぶだわ。あの二人。」 「私、なんか、切なくなってきちゃった。」 人差し指を唇にあてながら、悲しそうな顔をした光に海が慌てる。 「そうね。私もお腹すいちゃった。でも、もう少ししたら、作戦終了するからね。そうしたらお菓子食べましょう。」 コクンと頷く光。海も二人に背を向けるように座りこむとお腹をさすった。 「あ〜お腹すいた。」 二人の会話がふいに途切れた。 あいつら…。そう呟くフェリオの視線が向いている方向を見て、風はあっと声を上げた。そうすると、フェリオの視線が自分の顔に戻る。 片目だけ細めてみせる悪戯じみた表情で風を見つめてから、フェリオは席を立とうとする。 「あ、フェリオ…。」 それを留めようとする風の手が彼の腕を掴んだ。困った表情の風にフェリオは、笑った。 「わかってる。怒ってるわけじゃない。」 そっと、風の手をテーブルに置いて立ち上がる。足音を立てずに近づいてくるフェリオに少女達は気づかない。 フェリオは、街路樹の陰に隠れている少女達を覗き込むようにして声を掛けた。 「覗いているのは良い趣味とは言えないんじゃないか?俺はお前らの手掌で踊らされてるわけじゃないんだからな。」 はっと、海と光が振り返る。両手を胸元で組んだフェリオが見下ろしていた。 「気付いてたの?」 口元に手を当てて海が問う。 「当たり前じゃないか。フウが気にしないようにしているみたいだから、敢えてわからないふりをしてたんだ。」 「あの、あのね。フェリオ…。」 光が一生懸命訳を話し出す。 「この間、皆でプレセアのとこに行った時、ほんとは風ちゃんフェリオと約束していたんでしょ?。」 「ああ、さっき風もそんな事を言っていたな。」 「あの時フェリオ凄く寂しそうな顔してたし、今日出掛けようって誘った時に、フェリオが行かないって言ったでしょう?海ちゃんが怒ってるんじゃないかって言い出してそれで…。」 「風と出掛ける事をお膳立てしてくれたって事か、道理で導師達の許可がすぐ下りたはずだ。」 「フェリオが怒ってて、喧嘩になっちゃいけないからって海ちゃんと付いてきたんだ。でもめんなさい。」 ぺこりと光が頭を下げる。海も謝罪の言葉を口する。 二人を見やってフェリオは呆れたような表情になる。 「…そのことなら、最初から怒ってなんかいない。今日だって、本当に忙しかったんだ。フウが誘いに来た時は、あらかた仕事が片付いていただけだ。」 驚きそして戸惑う表情の二人を眺めていたフェリオが笑う。 「ったく…困った奴らだな、お前らは。こっちに来て一緒に食事をしよう。」 「え?いいの?」 「ずっと付いてきてたんだから、お腹が空いているんだろう?いいから来いよ。フウだって心配している。」 「あ、ありがと。」 海と光が風の隣に座る間に、フェリオは二人分の追加をしてから席に戻ってきた。 ほどなく注文の料理がテーブルに並ぶ。 「申し訳ありません。」 美味しそうに料理をたいらげる光と海を見ながら笑っているフェリオに風が謝る。フェリオは驚いた顔で、風を見つめた。 「お前と出掛けられたのに何で謝る必要があるんだ?俺は充分感謝しているぞ。」 それに…と続けた。 「お前の手掌の上でなら、踊るのも構わない。」 フェリオはそう言うと、悪戯な笑顔を見せて風の手に口付けを落とした。風の頬が真っ赤に染まる。 「も〜放って置いても、結局はらぶらぶって事よね。」 海の溜息が、今日の出来事を締めくくる。そう、これを骨折り損…と世間では言う。 「だから、止めておけといったのだ。」 どこかから、クレフの声が聞こえたような気がした海だった。 〜fin
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