Blue[7] 蒼空


 3月14日はwhite day
 そしてセフィーロは今日も良い天気。

「王子!」
 木の下からアスコット呼んでいた。首だけを捻ってフェリオはアスコットの方を向いた。
 お昼寝中の王子様は片目だけを少し開ける。
「何だ?」
「今日も魔法騎士達がセフィーロに来るって、王子聞いてたの?」
「ああ、ウミがそんな事を言っていたな。確か今日はホワイトデーとやらで、バレンタインに何か貰った奴がお返しをする日だそうだ。そういや、お前ウミに何か…えーとチョコだ。貰っただろう?」
 アスコットは頬を赤くして頷いた。綺麗にラッピングされ、青いリボンが結ばれていたそれは実はまだ引き出しの中にしまったまま。勿体無くて食べる事すら出来ないのだ。
「だったら、お返しとやらをしなきゃいけないんじゃないのか?だいたい、ウミがそう言い出して 日来る事になったらしいとフウに聞いたぞ。」
 フェリオの言葉に、アスコットは目を大きく見開いた。
「お返し!?何をあげればいいの!?」
「さあ…。」
「さあって、王子はフウに返さないの?」
「どうかな。」フェリオは笑う。
「もう、お付き合いをしてる相手にも返すとはフウは言ってなかった。」
「はいはい。ご馳走様。」
 ガックリと首を垂らし立ち去ろうとしたアスコットの背に、両手で口を囲むようにしてフェリオが呼び掛けた。
「だから、お付き合いをしても良いという意味でも、お返しをするそうだから頑張れよアスコット!」
「!?な…ななな…!?」
 顔だけをフェリオの方に向いた顔は耳まで赤くなっている。
フェリオはその顔にニヤリと笑いかけた。そして、脱兎のごとく走り去ったアスコットを見送った。
「…それは、本当の話か。」
 自分よりさらに上から降ってきた声にフェリオはギョッと目を剥いた。
「いたのか…お前。」
 無表情なランティスの顔が自分を見下ろしている。昼寝に最適なこの樹を剣士も愛用していたことをフェリオは思い出した。
「さっきの話は…。」
「……ああ、でもお前はその前にどちらが渡すか相談した方がいいんじゃないか。」
 無表情な剣士の顔が微かに強張る。フェリオは両手を頭の後ろで組みもう一度寝転がった。
「イーグルと光と…。三人でお付き合いも楽しそうだけどな。」
 庭の端まで走ってくると、アスコットはやっと足を止めた。
 側にある樹に手をついてあがった息を整える。いつの間にか収まった息切れとは反対に心臓の鼓動は早まっていくようだ。フェリオの台詞が頭の中で回る。

『お付き合いをしても良いという意味で』

 お付き合いはしたい。なんて正直な自分の気持ち。
 それでも…とアスコットは思った。『海の心が自分に向いてくれている』などど思う程にもう子供ではない。彼女にとって、自分は友達。これが現実だという事も。
 彼女が少なくとも心を許しているのは[導師クレフ]である事は、自分だけではなく周囲が認めるところだ。その上、自分の好きという気持ちだって、憧れの域を越えていないのではないかと問われると確かにその通りだ。
 強い心を持ったウミ。自分がずっと気づかなかった事を教えてくれたウミ。
 彼女がいなければ、自分はこの世界の片隅で同じ人の仲間など望むべくもなく暮らしていたか、 セフィーロ崩壊の中で絶命していただろう事だって容易に想像できた。
「大好き」
 口に出してみるだけで赤面した。でも、せめてその言葉ぐらいはウミに伝えたい。
 アスコットは、両手で頬を叩くと、うんと頷く。それ位頑張る事は出来るだろう。
「…何をあげればいいんだろう??」
 腕組みをしてアスコットはう〜んと考え込んだ。



「収穫が無いわね。」
「それはそうですわよ。海さん。セフィーロにはバレンタインの習慣ですらなかったんですから、ましてホワイトデーなどどいうものは認識がないと思われないと…。」
「ホワイトデーは三倍返しが常識なのに。」
 本気か冗談かわからない台詞を言うと、海は胸の前で腕組みをする。少々ご機嫌斜めに見える表情も、彼女がすれば小悪魔のように魅力的だ。
「海さんたら…。」
 クスリと風が笑う。きょとんとした顔で光が海に問う。
「海ちゃんは、そんなにいっぱいあげたの?」
「海さんは大きなケーキを焼かれて皆さんにお配りになったんですよ。」
 しっかり者の名。その名は龍咲海。
「でも、返してくれたのは、クレフとプレセアとラファーガぐらいよね。」  唇に指をあてて、空を見上げながら真面目そうな人物の名を連ねた海の言葉に光は納得する。なるほど、彼らなら普通に返礼ぐらいしそうな相手だ。そして、一人の人物が浮かんだ。
「ランティスは…。」
「あの方ならお食べになりませんでしたわ。甘いものは苦手のようですわね。光さんは、バレンタインお渡しになられましたか?」
「ランティスとイーグルに。でも、甘いものが苦手だったら悪い事したのかも。」
 猫耳を垂らした光に、風は笑いかけた。
「いいえ、光さんがお渡しになられたものならきっと別ですわ。」
 ピコンと耳が元気良く戻る。風の笑顔につられて笑った光は、顎に手を当てて眉をしかめている海の姿に気が付いた。
「どうしたの海ちゃん?」
「おかしいわ。」
 眉を上げて目を細めた海は、顎に当てた手をそのまま風に向ける。
「あのフェリオならまだしも、真面目なアスコットがお返しをしないのはおかしいわ。」
(あの)とついたフェリオは彼女の中でどういう扱いを受けているのかと、少々困った顔になった 風の頭上から声が降ってきた。
「…じゃあ、俺からはいらないんだな。」
「フェリオ!」
 片手を枝に絡ませ、くるりと回転するとそのまま地に降り立つ。曲芸師並みの身の軽さだ。
「ほら、用意しといたぞ。」
 あっけにとられている海の手の上に、フェリオは小さな袋を置く。海は小さな花で結んでいる口を開けて、その中味を取り出した。
「飴?綺麗ね。」
 親指と人差し指でつまんで日に透かすと青空がそのまま写る。口に入れると爽やかな味が広がった。
「やだ…甘くないわ。」
 既に風の横にいるフェリオに、海は驚いた顔を向けた。甘いものを作るのが好きなわりに、彼女自身がそれを好まない事を知る者は少ない。
 伊達に王子様家業はしていないって事ねと、海は肩を竦めた。
「ありがと。風には返すだろうけど、私はあまり期待してなかったの。ねえフェリオ、アスコット知らない?。」
 ああ、と呟いてからフェリオは海の方を見た。
「アスコットなら、お返しにはお付き合いしたいという意味があるって言ったらどこかにすっ飛んでいったぞ。」
「フェリオそれは…。」
 言葉を発しようとした風の唇をフェリオの人差指が止めた。海に気づかれないように『しーっ』と小声で言う。
「ちょっとフェリオ!」
海は頬を膨らませてフェリオを睨み付けた。
「なんてこと言ってるのよ。アスコット絶対困ってるわ。それでいなかったのね。全く誰に聞いたのよそんな事。」
「え?違うのか?」
 きょとんとした顔で自分を見たフェリオに、海は溜息をついた。額に手を当てて頭を左右に振る。
「もう、違うわよ。私が訂正してくるわ。風や光はここにいて。」
「うん。わかった。」
 走り去った海を見送ってから風は上目づかいでフェリオを見る。
「アスコットさんを騙されましたわね。」
 そして、小さな声で海さんもと呟いた。
「何の事だ。俺は、お前から聞いた事を曲解していただけだろう?」
 悪戯っぽく片目を閉じてそう答えたフェリオは、事態を把握しきれていない光の方に振り向いた。
「光!」
 呼びかけると、そのままポンと袋を彼女の胸元に放り投げる。
「え?何??」
 見事な反射神経でそれを受け止めた光は、海と同じ小さな袋を見てから不思議そうな顔でフェリオを見た。
「私、フェリオには何もあげてないよ?」
「しばらく時間がかかるだろうから、そこの樹の上にいる剣士殿と食べて待ってるといい。俺も風と二人っきりで話があるから。」
 そう言うとフェリオは、にっこりと笑った。



「アスコット!!」
 人ひとり探そうとすると城の中庭はかなり広かった。
「もう、何処へいっちゃったのかしら。」
 胸の前で腕を組み、片手を頬にあてて溜息をつく。

『ウミはお付き合いしている人はいる?』

 いつだったか、アスコットに聞かれた事があったわ。と海は思い返した。続けてお付き合いしたい人は、と聞かれ、首を横に振った気もする。

「そう言えば、アスコットはどうしてあんな事を聞いたのかしら…。」
 もしも、その後、僕とお付き合いしてくださいとでも聞かれたら自分は何と答えたのだろうか。  海は自分の考えに少しばかり戸惑って、その形の良い唇を歪めた。
 どこか生真面目で、自分よりも背が高いのにいつも恥ずかしそうに下を向いている。行動も控えめで、大人しい印象をうけるのに譲れない事ははっきりと口にした。

「セフィーロに来ると、自分の側にいるのは彼が一番多いのは事実よね。」
 うむうむと首を傾げながら海は思う。お茶を入れる時も、街に遊びに行く時も隣にいるのはアスコットだ。
『手のかかる弟のような存在。』
 弟なんていないのに、どうしてそう思うのかしら。
「…不思議ね。」
 クスリと海が笑う。
 こんなに近くにいる人を意識した事が無いなんて。身近すぎるから、側にいすぎるから、彼は特別にならなかったのかもしれない。
 でも気がついてしまった。
「もう、何処いっちゃったのかしら…。」
 海がそう呟いた直後、突風が吹く。慌ててスカートを抑えて、見上げた海は見慣れた魔獣の姿を見つけた。真っ直ぐに飛んでいく先に、探し人はいるに違いない。
 海はヨシと掛け声をかけ走り出した。



 城からそう遠くはない森の小さな泉にその姿はあった。長い袖を片手で抑えて、アスコットは泉の中に手を入れ探る。澄んだ水は、その綺麗さと冷たさゆえか、魚影一つ見つけることも出来ず、空の蒼を映す水面は静かで、時折聞こえる水音以外は何の音もない。
 フェリオ達と別れてから、彼はずっとそこにいた。
 しかしお目当ての『もの』はいまだに手に入らない。
 湧き水は冷たく、ジンとなった腕を何度目か引き上げ、アスコットはフゥと溜息をついた。
もうすぐ、友達が彼女がくれたリボンを持って帰ってくる頃なのに、肝心のものが見つからないのだ。
 バサリと言う羽音が聞こえて、アスコットは内心舌打ちをした。
「ありがとう。まだ見つからないんだ。ちょっとそこで待っててよ。」
 振り向きもせず、そう話しかけたアスコットの背中にあり得ない問い掛けの声がした。

「何がみつからないの?」

 ぎょっと振り返ったアスコットを、不思議そうな顔をした海が見つめていた。軽く膝を折り、澄んだ蒼い瞳を真っ直ぐに向けられて、アスコットの頬は赤く染まる。それを見てとった海は、柳眉をさかだてた。
「やっぱり…。」
「ウミ?なにがやっぱり…?」
「フェリオの言った事を真面目に受け取ったのね。全くもう!!。確かに複数の人から貰った時は、一人に返して交際スタートになるっていう事実もあるけど、今は別よ−!!バレンタインのお返しごときでいちいちカップル宣言してたら、デートスポットなんて、バーゲン会場と変わらなくなっちゃうわ!!」
「ま、待ってよ。ウミ、僕スタートとかカップルとか、分からないよ。」
 海に圧倒されながら、アスコットはなんとか言葉を返した。海は「あら」と口元を手で隠す。
「なんだか、興奮しちゃった。ごめんなさい。でもアスコットは何を探してるの?」
 益々紅くなり、俯きながらアスコットは返事を返す。しかし海には聞こえない。
「え?何?」
 海は、頭を傾け耳をアスコットの顔に近づけた。さらりとした蒼い髪がアスコットの頬を撫でる。
「あ、あの…、想いの宿る石を探してた…。」
 消え入りそうなアスコットの声も、今度は海の耳に届く。
「想いの宿る石?」
「こういう、綺麗な水の中にある石で自分の想いを入れると初めて輝きを宿すっていわれている石があるんだ。凄く綺麗だし、お返しにウミにあげようと思って…。でも…。」
 その続きは聞かなくてもわかる。海は、座り込んでいたアスコットの手を引っ張るつもりで、その手に触れる。
「冷たい…。」
 腕が冷え切っているのは、ずっと水の中に入れていたから。自分が探しにこなければ、アスコットはずっと探していたのだろう。
 フッと海は息を吐いた。だから、放っておけないのよね。不器用だと感じさせるほど、真面目で、優しい。
「お返しなんてもういいわよ。」
「でも、僕…。ウミからせっかくもらったからお返しぐらいしたかったんだ。…でも、ごめん。」  俯いて、海の顔を見ようとしないアスコットの顔を、海は両手で掴んで強引に上を向かせた。 「こっちを向きなさいアスコット。貴方は一生懸命やったんでしょう?だったら、恥じることないわ。」
「ウミ…。」
「困った事に、嬉しいと思っているのよ。私。」
 海はそう言うと微笑んだ。
「何も貰ってなくたって、こんなに頑張ってくれるアスコットの事大好きって思えちゃうの。甘いわね。私も。」
 あっけにとられ、言葉が出ないアスコットに、海はこう続けた。綺麗な笑顔はそのままで。
「だから、来年のホワイトデーは三倍返しで許すわよ。」

 全くウミには敵わない。
 アスコットは溜息をついて空を見上げた。その澄んだ青空は彼女のように青く高い。手はまだ届きそうにない。
 とりあえず今は見つめていよう。
 それは、今日からの彼の決意。それでも彼女の笑顔は、すぐ側にあるのだから。


〜fin



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