Blue[2] 細波 姉に名前を呼ばれた気がして、フェリオはふと顔を上げた。 この世界を形づくり、それを支える姉とは随分と会ってはいなかった。 強い心の持ち主である彼女は、きっと今も別れた時と同じ姿でいるに違いない。柔らかな金髪と大きな翡翠の瞳の少女。 フェリオは、側にあった水鏡に写し出された自分の姿を見た。 姿は似ても似つかない。碧の髪。琥珀の瞳。しかし、彼女には遠く及ばないまでも、そこそこ心が強いらしい自分の姿もまた多少の成長を見せながらも変わってはいなかった。 「おお、やっぱりあんたに頼んで良かったよ。」 隠れていた村人が数人出てくると、フェリオの周りの切り捨てられた魔物達の姿を見て感嘆の声を上げた。 「……これで、最後だと思う。」 フェリオは短くそう言うと剣を降ろした。 (この辺りで…だけどな…。)しかし、それは心に留めた。いらない不安などない方が良い。 何度か頷き、感謝の言葉を繰り返していた人々は、フェリオに対する報酬を取りに村に引き返していく。何人かは、残骸を見ながら話をしていた。 近寄る者はいない。人の負が形を為したと言われているそれは後始末はいらない。放っておいてもそのうち消滅する。 人の心には常に負が存在し得た。ならば、姉は…? 彼女が人である限り、負の感情が消滅しているはずがない。 ならば…。 『姉上を守るんだ。』 そう言った自分は何から彼女を守りたかったのだろうか? 幼かった自分にも、彼女がいつも寂しそうな笑顔を見せていた理由がわかっていたのではないだろうか。 図らずも、血を分けてしまった姉弟として。 彼女が人であることから決して逃れる事が出来ない事を知っていたのではないだろうか…。 「姉上…。」 呟き空を見上げたフェリオの頬に、降り始めた雨が落ちる。 まるで涙のように、それは頬を伝い流れ落ちた。 静かな空間に水音が響く。 エメロードは祈るように胸の前に両手を強く握った。 ふいに弟の事を思いだしたのは何故だろう。 最初に守りたいと強く願ったのは弟だった…だからだろうか。 幼かった自分よりもなお小さな手。 それなのに、差し入れた指をギュッと握った。 「フェリオはエメロードが好きなのね。」 母上の言葉が胸の中に広がった。 生まれたばかりの弟は自分の事が大好き。 それは、魔法のように私の心の中に広がっていった。 私も、そうきっと大好きよ。 「ほら、ずっとエメロードの事を見ているでしょう?」 母上の手が、私の前髪を優しく撫でた。 「そうだな。お前から目を放さない。」 そう言って私の背中に手をやり父上も笑う。 しっかりとして優しい母の手に比べて、 大きくて強い父の手に比べて、 弟の手のなんて頼りない感覚。 軟らかくて小さくて。でも、しっかりとした力で握っている。 そうして握った指を離さずに、大きな琥珀の瞳でじっと自分を見つめている弟。 誰よりも大切に感じて、誰よりも守ってやりたいと思った。 何故こんな事になってしまったのだろうか。 覆った両手から涙が溢れる。 亡くなってしまった両親に託された弟を、ただ守りたいと強く願っていた頃。 自分を取り巻く世界全てが大切だと思えていた頃。 『俺が姉上を守るから』そう言って屈託なく笑った弟。 この世界を支える柱という自分の立場の人間に向かって告げられた言葉。 他の人々では、苦笑いをしてしまいそうになる心のなかで、唯一素直に頷けたのは弟の言葉だけだった。 しかし、この厄災は容赦なく弟ですら奪い去っていくのだろう。 ザガートに出会って生まれた細波は、今大きな波となり、セフィーロ中を飲み込んでいこうとしている。 そして、彼女達が舞い降りるまで、 もう誰にも止める事は出来ない。 〜fin
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