束の間の約束


 雑居ビルが居並ぶ、賑やかな繁華街から隠れた通り。ざわめきを遠くに聞きながら、腰まで伸ばした長い髪をふわりと靡かせて、少女が青年に抱きついた。
 腰に回される腕を邪魔だとでもいうように、伸ばした背で彼女の唇が青年の首筋に触れる。
 恋人同志の逢瀬に似た仕草は、少女が離れた事で終わりを告げる。抱きついた時と同じ様で細い肢体を青年の両腕から取り去れば、覚束無い足取りで彼はフラフラと場を去り人混みに消えて行った。
 それを見遣る少女は髪を掻き上げ、綺麗に形づくられた唇を舌で舐める。そうして、背後に名を呼ぶ。

「どうしたの? フウ。」

 思案気に頬に当てていた指先を、丁寧に前で揃えるとフウは軽く会釈をした。
「お邪魔でしたでしょうか?」
「ううん。さほど美味しくも無かったから、いいわ。何?」
 クルリとしなやかに肢体を回転させたウミに、フウはゆっくりと近付いていく。闇に潜んでいた彼女の眼鏡が街灯りに鈍く光った。
「良くない知らせですわ。」
「ヒカルは?」
「お知らせしてきました。ヒカルさんの事が一番に頭に浮かんだものですから。
 ウミさんならば、多少の危険は切り抜けられると思いましたので。」
 ニコリと微笑む友人に、ウミも唇を軽く上げた。
「フウに言われると苦笑しちゃう、で?」
 青い瞳を眇めてウミは話しを即す。勿体ぶる事もなく、それでもフウは声を潜めた。
 ウミに近付き、密やかに告げる。それは口にするだけで、忌まわしい事が起こるかのような酷い警戒心。ウミの表情も険しいものになった。
「追っ手がこの街に姿を見せたようです。」
「そう、厄介ね。」
 吸血鬼の存在をただのお伽噺だと揶揄する現代は、宗教と政治が直結していた時代に比べれば、多少は楽に感じられる。それこそ街の住民全てが、自分達を狙う狩人になるような事は殆ど無い。
 それでも、存在を忌み嫌い淘汰しようとする人間はいる。馴れた事ではあるが、鬱陶しい事に違いはない。
 ウミは腕組みをして不機嫌そうに顎をしゃくった。
「別に血を吸って命を奪っている訳でもあるまいし、放って置いてくれればいいでしょ。だいたい、殺す為に家畜の自由を奪ってる人間の方がよほど嫌らしい生き物だと思わない?」
 私達はただ慎ましく、分けて貰っているだけだわ。
 辛辣なウミの台詞は(異形の者)として一度は追われた経験を持つ者として、当然の感想だとフウは思う。訳もわからず罵声を浴び追われた記憶は、それこそ身体に刻み込まれている。

 なのに、どうして私はあの方と契約を結ぶ気持ちになったのだろうか。
 ウミの問いかけに答えるように、浮かぶ想い。
 もう今では理由さえわからない。そうして、彼との逢瀬だけに、血が肉が鼓動が、己の中に生まれてくるような錯覚に陥った。指先から零れ落ちてしまうような儚い幸福が、己の全てにすらなってしまいそうになる。
 自分を恐怖に陥れるのも人ならば、疑いようもない仄かな温かを与えてくる、フェリオもまた人でしかない。

「ねぇ、貴方はどうするの、フウ?」
 きょとんとしたフウの様子にウミは眉を顰めた。
 話を聞いていなかった事が、あからさまにわかってしまうフウに対して、何か言いかけたが、まぁいいわと言葉を飲み込む。
 そうして、今度は顔を覗き込むようにして問いかけた。
「私は決まった相手を持たないからいいけど、フウはどうするつもり?」
「どう、とおっしゃられても…。」
 フウは少しだけ小首を傾げてから、微笑む。
「大丈夫です。大切な友人を危険に晒すような事、決して致しませんから。」
 笑みを崩す事のないフウに、ウミは柳眉を上げた。
(やっぱり、わかってないのね。)
 そう声を荒らげる。
「そんな事を言っているんじゃないの。私は貴女の心配をしてるのよ?」
 きつい口調になったウミが真剣なのはわかったが、フウはふるりと首を横に振る。
「私はそんな粗忽者ではありませんわ。居所を知らせるような真似は決してするつもりはありません。」
「此処を移るって言わないのね。」
 ズバリと告げられた言葉に、息を飲んだ。
 追跡者から逃れるには、場所を移るのは最適な方法。今までそうして逃げ延びてきたのだから、その方法を選ばない事がそもそも異常だ。
 都会が捕食しやすいとは言え、人が多く住む街など他にもいくらでもある。
「ウミさん…。」
 フウの躊躇う視線に、ウミは瑠璃色の瞳をひたと向ける。
「私、知ってるのよ。
 ヒカルは好きな時に食事が出来るなんて言っていたけれど、アナタは契約者が弱っている時は決して手を出さない。それどころか、枯渇していても他の血で補充することもしてないわ。」
 契約者に執着しすぎている。とウミはフウに告げた。
「まさか、とは思うけれど。」

 貴女は本当に人を好きになってしまったの?


〜To Be Continued



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