私はいつだって 哀れな食材を愛していた ぶち


「久しぶりだね。ウミちゃん、フウちゃん。」
「ヒカルさんもお変わりなくて、何よりですわ。」
「もう、フウったら、私達がそう簡単に変わる訳ないでしょう。」

 時計の針が真上を過ぎていく深夜、相応しくない少女達の声が夜空に響いた。
いや、相応しくなかったのは既に昔の事だ。眠らない街と化してしまった場所に、若い娘達の声など溢れている。それでも、この時間に東京タワーの外壁から声が聞こえるなどと言うことは有り得ないだろう。
 しかも、彼女達は地上から250m離れた特別展望台の屋根に腰掛け、お喋りを楽しんでいた。外見から判断するのならば、まだ成人にも達していないだろう少女達。
 彼女達は、それぞれの容姿に合う格好をしているが、深夜の街を徘徊するように歩く女達よりも遙かに普通の衣服を身に纏っている。
 昼間の雑踏に紛れてしまえば、後を追う事など容易には可能としないだろう。

 しかし、どれほどに、彼女たちが普通に見えようとも、だだの人間ではない。人ならざるもの、彼女達は吸血鬼と呼ばれる種族だった。



「うわ、いいなぁ。」
 ヒカルが目をキラキラとさせながら羨ましそうにフウを見つめた。そうして、両手を前に組み、緋石の色をした瞳がうっとりと細められる。
 常に彼女の意志を反映しているような赤いお下げ髪がくるんと夜空に円を描いた。
「胸がしくしくってなったら、直ぐに食事が出来るんだ。」
「まぁ、そういう事になるのでしょうか?」
 フウは綺麗なラインを描く頬に細い指を置いて、困ったような顔を傾ぐ。薄い色をした髪がさらりと肩で揺れた。そんな友人の様子に、ヒカルは羨ましいと書いてある顔を歪めて、溜息をつく。
「食事をするたびに、相手を見つけるの面倒くさいんだもん。」
こおら。
 東京タワーの屋根に寝ころんで頬杖をついているヒカルの頭に、コツンと鉄槌が落ちた。
「いたぁい。」
 両手で頭を抑えたヒカルがぺたんと座り込む。
「一人の人間を決めて通うのは、それはそれで危険なの。実際、足が付きやすいし、密告されたら事よ? あいつら、しつこいもの。」
 ウミがそのすらりとした脚でどんと床に踏みしめて、両手を腰にあててぶるんと頭を振る。青く長い髪はさらさらと月光に揺れた。
 ウミの青く大きな瞳は、怒った表情を模したところでその可愛らしさを減するものでは無い。怒った表情が美人なのが、本物の美人だという説にも納得がいく。
「…ウミちゃん、綺麗。」
 思わず漏らしたヒカルの言葉に、ウミはぽおと頬を赤らめる。そしてコホンと咳払いをした。
「ありがと。でも聞いてる? 危険なのよ。」


「私は、受け入れて下さる方を見つけましたので、その方から頂いておりますわ。」
 彼女達が定期的に集まって情報を交換しているのは、単に仲良しだからではない。
そうすることによって、餌となる人間を上手く捕食する場所の特定したり、彼女らの存在を脅かそうとする狩人達の動向を探る為。いわば、生きていく為に必要不可欠な行為だった。
 ヒカルとウミは東京という地の理を生かして、場所を変えながら狙いやすい相手を見つけて、血を分けて貰っていると言う。
 しかし、フウは特定の人間の元に通っていると告げたのだ。

「フウもよ。油断してると、わからないわ。」
「ええ、存じております。でも、あの方は大丈夫ですわ。」
 にこと微笑むと、ウミは溜息をつく。フウがこういう顔を見せる時は、決して意見を受け容れない事を長いつき合いで知っている。そして、フウは一族きっての英知の持ち主だ。理論武装で異を唱えようともうち負かされるのは目に見えていた。
「貴方は、頭がいいからドジは踏まないとは思うけど…。」
「人を見る目はあるつもりですから。でもご心配ありがとうございます。」
 ふたりの会話を聞いていたヒカルは、そうでしょう!と声を上げた。
「わかった、フウちゃん、その人の事好きなんだ?」
 再び呆れたウミの表情が、ヒカルに注がれる。
「そんなはずないじゃない。私達と人間ではそもそも寿命が違うのよ? 同じような外見をしていても、彼等はあっという間にいなくなってしまう。全く別の生き物だわ。好きになんてなるはずないの。ただの食材みたいなものよ、ねぇ?」
 呆れた顔のウミに、フウは困ったような表情を浮かべる。納得がいかないという表情はヒカルの顔からも読みとれた。
「でも、私、トマトも好きだよ。」
「え?」
「だって、食材は好きにならないんでしょ? でも私、普通にごはん食べるもの好きだから、それって食材が好きって事でしょ?」

「ちょっと…違います、わね。」
 暫く考えて、しかし、フウは困った顔でそう告げた。


 気候が良ければ、その窓は開け放たれている。
フウは、常と変わらず、夢のように彼の部屋へ降り立った。灯りは消えていたが、ベッドの中にいたフェリオは眠ってはいなかったようだった。
 フウの気配に身体を起こす。

「起こしてしまいましたか?」

 ふるりと頭を横に振る。フェリオは、陽光の色をした瞳を細めた。
「お前の事、考えていた。」
「私、ですか?」
 ベッドに腰掛けると、二人分の重みにベッドが軋む。
「私の、何を?」
 覗き込んでくるフウの腕と腰を捕らえて、フェリオは彼女を抱き込み身体の上に乗せたまま仰向けになった。
「フウの事、全部かな。」
 彼女の眼鏡を指先で摘み、顔から引き剥がす。
「フェリオ…。」
「眼鏡をとったら、どんな顔かな…とか。綺麗だな、やっぱり。」
「からかうのは止めて下さい。」
 ぽおと頬を赤らめ、少しだけ眉を潜めて、フウはフェリオを見下ろした。フェリオの指が、頬にかかる巻き毛を絡めていく。

「いや、綺麗だよ。」

 後頭部に置かれた手に抗う事なく、フウはフェリオと唇を重ねる。軽く触れあう体温は、お互いの熱を求め合う。息が上がる程に続いた行為は、フウが身体を起こした事で終わりを告げた。
 絡めた指先はそのままで、フウはフェリオの頬にキスを落としてから、首筋に顔を埋めた。舌で触れる温かな体温に、ただ食欲だけをそそられる事がなくなってしまったのはいつからだろうか。
 
 皮膚に牙を食い込ませると、じわりと赤が浮いてくる。
口腔の中に流れ込んでくるのは、先程感じた体温。喉に触れる温度は、指先から鼓動と共に感じているものと同じ。
 けれど、そう。
 彼も私を置き去りにして逝ってしまう。温かな身体は、あっという間に朽ち果てて、何も残りはしない。

 わかりきった事実に心が疼いた。

 何故こんな思いをするのだろう。食事をする度に人間達が罪悪感を抱いている事などありはしないのに。
 どうして私だけが。
 憤りは理不尽な力となり、たてた牙は必要以上に体内に食い込んだ。

「…っ。」
 苦痛に身じろいだフェリオに、フウはハッと身体を起こす。
小さな傷であるはずのそれは、僅かではあったが裂傷と呼べる大きさになっていた。溢れる赤が、首筋を伝ってシーツを染めていく。フェリオの掌が傷を抑えてが、指の隙間から滲んだ血が皮膚の上を伝った。
「ごめ…ごめんなさい。」
 ひょっとしたら、頸動脈を噛み切っていたかもしれない。
気付いた途端、フウは震えが止まらなくなる。両手で頬を覆って、声にならない悲鳴を噛み殺した。

「…俺を殺したいのか?」

 ゆっくりと身体を起こし、いててと顔を顰めたフェリオはそう告げた。
 首を抑えていた掌を一旦外し、べっとりと付いた血糊に顔を顰めてから、フウに視線を移す。悪戯じみた表情を浮かべていたが、フェリオと目があった途端、びくんと大きく震えた風の姿に、慌てて冗談だとつけ加えた。
 真っ青な顔になっているフウに、大丈夫だと告げて止血の為の何かを探す。ティッシュでいいかと手を伸ばそうとした時に、首に柔らかなものが宛われた。
「これを使って下さい。」
「ああ、ありがと。」
 風が持っていたハンカチを彼女の手も一緒に、傷口へ重ねる。そのまま、風を見上げた。彼女が震えていることは、フェリオも感じているに違いない。
 罵られるのかも知れないと、脅えるフウの名をフェリオは優しく呼んだ。恐る恐る顔を上げると、フェリオも顔を持ち上げたところだった。

 先程と違う綺麗な笑みが、彼の端正な顔を形どるのを、風はとてつもなく恐ろしいもの見る表情で眺めた。
 彼の言葉を聞いてはいけない。
 彼の顔を見てはいけない。

 そんな事をしてしまえば、もう取り返しがつかない。なのに、憔悴感は風を容易く掴まえてしまう。

「そんな顔するな。もし、そうだとしても、俺はかまわない…フウの為なら。」

ああ、私はいつだって 哀れな食材を愛していた。
 だから、私が貴方に望むのは、死ではなく生なのだ。絶対に叶わない願いであるのにも係わらず。


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