断片2 五十嵐あゆみ


「なあ、頼むよ。フェリオ。助けると思ってさ─」
 フェリオの眼の前で、彼はパンッと手を打った。
「お前を絶対連れて来いって、あちらさんのご指名なんだ。お前が来なかったら、俺、立場ないんだ」
 締め切りギリギリまで粘って書き上げた課題のレポートを指導教官に渡し、そのまま部屋へ帰ってベットにばったり倒れ込みたい気分だったのだが。
 鞄を片手に、フェリオは困ったように髪に手をやった。
 彼は、悪友ともいえる気のいい大学のゼミ仲間だ。
「お前に拝まれてもなぁ−」
「フェリオぉ−−」
 情けない顔をする彼を見て、くすりっと笑う。
 このままいくと、その場で土下座でもされかれない。
 まあ、長く係りっきりだったレポートからようやく解放され、ホッとした気分も手伝って、
「いいぜ、付き合うよ」
 フェリオは承知した。

 場所は大学近くの小洒落た居酒屋だった。
 相手は同じ大学ながら、滅多に顔を合わせることも少ない文藝部。
 可愛い女の子が多いと、評判は前からフェリオも聞いていた。
『コンパの約束取り付けるの、結構大変なんだぜ』
 フェリオを誘った幹事の彼は、道すがら得意気に鼻をうごめかせながら、その苦労話を披露してくれた。
─確かにそうだな
 相手方のテーブルを見て、フェリオはぼんやりと思う。
 取り立てて会話に加わる事なく、適当に話しを合わせて相槌を打つ。
─やっぱり疲れてるな
 酒には結構強いはずだったけれど、どうも今日は回りが速い。その上、貧血気味だ。
「そろそろ次に行くか─」
 その声に店を出て、ぞろぞろと移動を始めた。
 フェリオも皆の後ろについて一次会の店を出たが、途中で足を止めた。
「俺は此処で帰るよ」


 二人の足音だけがする。
 寝静まった夜の住宅街を歩く。酔って火照った身体に、夜風が心地良い。
 フェリオはちらりっと隣を歩く彼女に視線を廻らせた。
 仲間たちに別れを告げて、歩き出そうとしたフェリオに彼女が声を掛けてきた。
「一緒してもいい?」
「次、行かないの?」
 彼女はこくりっと頷いた。
『送り狼になるなよ』
 別れ際にフェリオに囁かれた仲間の声が甦り、フェリオはふと苦笑した。
 確かに─
 今日の参加していた女の子の中では、一番眼を惹いた。
 艶やかな長い髪が揺れる。時折、細い指で顔にかかる髪を掻きあげる。そんな何気ない仕草が、ひどく女の子らしく見せた。
 華奢でほっそりとした身体。薄く化粧はしていたが、元々色白なほうだろう。
 黒目がちの大きな眸が印象的だ。口元を淡く綻ばせ、はにかんだ笑みを浮かべる。
 可愛い子だな─と素直に思う。
 大概の男ならば、こんな女の子と連れ立って歩けるなんて、羨ましく思うものなんだろうなとも感じた。
 事実、仲間たちと別れた時、フェリオたちを見送る彼らの視線には、微かに嫉妬が混じっていた。

 けれど。
 フェリオの心は別にある。
 その脳裏に浮かぶのは。
 色素の薄い金色の髪。ふっくらとした白い頬、ほんのりと紅を差したような薔薇色をした唇。
 澄んだ翠の眸を細めて、柔らかく微笑む一人の少女の姿だ。
─フウ
 その名は、フェリオの胸をじんと熱くする。
 だが、彼女は人間ではない。
 初めて出会った時から、ずっとフェリオの心を捉えて放さない、美しき吸血鬼。

 彼女が普段何処にいて、どんな暮らしをしているのか、フェリオは知らない。
 自らの血をフウに渡す、その時にだけ彼女は彼の元を訪れる。
 それが彼女と交わした、血の契約。
 ただそれだけの関係であったはずなのに。
 いつの間にか、フェリオの心に生まれた気持ちが大きくなっていく。
 ふと、気付けば。
 普段の生活の中にフウの姿を、その面影を追っている自分がいる。

 突然。
 足をもつれさせ、彼女が躓いた。咄嗟にフェリオが彼女を抱き留める。
「大丈夫?」
 間近に彼女の顔を覗きこむ形になった。
「大丈夫─あの、ありがとう」
 仄かに顔を赤らめ、彼女が小声で礼を言った。フェリオに見せたその笑顔が、どことなくフウに似ていてフェリオはどきりっとする。
 慌てて、彼女を離した。
「私、誰かと似ている?」
 黒い眸でじっとフェリオを見つめて、彼女が言った。
「なんかずっと私のこと、見てたから」
 フェリオは眼を何度か瞬かせる。
「あっ、ごめん─」
 知らず知らずのうちに。そんなに不躾な視線を彼女に向けていたのかと思うと、冷や汗が出た。
「その人、フェリオさんの好きな人?」
「えと、どうして?」
「凄く切なそうな顔をしていたから─今もその人のこと思っていたんでしょう?」
 くすっと彼女が笑った。


『片想い?』
 彼女を家まで送り、フェリオは一人家路をゆっくりと歩く。
─うん、そうだな。多分、俺の片想いだ

 フウは一体自分のことをどう思っているのだろうか…?

 今までそんなことを、気にしたこともなかったのに。
─俺は、ただの契約者…ただの獲物
 そんな事がちらりと頭を過ぎる。切なさがフェリオを襲い、胸が微かに痛んだ。
 そっと首すじに手を遣った。傷跡一つない、滑らかな肌がそこにある。
 昨夜遅く、フウの訪問を受け、フェリオは彼女に血を渡した。
 夢か現か─。フェリオの記憶はぼんやりとして、あやふやだ。
 でも、彼女は確かにいた。
─今度いつ会える?フウ…
 会いたい気持ちが高まって、フェリオは夜空を仰いだ。
 今度会った時は、この胸の中に閉じ込めて放さない。

─フウ

 この想いを伝えたい─
 俺にとって、君は大切で特別な存在だから

 金色の眸が、瞬く星の光を受けて強く輝いた。


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