模造雪国幼馴染み[1]


 囚人の毎日なんて単調なものだ。
 もっとも、研究に明け暮れて、缶詰状態でいた時とさして行動パターンは変化ないような気もする。人と会うのは億劫だし、馴れてくれば案外快適な生活だと言えない事もない。

 ディストが午前中に行われる尋問を終えて昼食を済ませ、さて本でも読もうかと設えられたベッドの上に横になっていると、騒がしい足音が近付いてきた。
 実のところ、これも日常茶飯時になりつつある。
 毎日ではないのだが、この国の皇帝である幼なじみは、昼になるとやってきて、何が楽しいのか、やれ話を聞けだの、遊べだのと一人で騒ぎ、一人で満足して帰っていく。
 この間はぶうさぎを三匹も連れてきて、牢屋の前にある廊下を糞だらけにして逃走してくれたお陰で、こっちの方が看守にこってりと絞られた。
 だが、今日は彼は身一つのようで、あのサンダル履きでよくぞこんなに早く走れるモノだと思えるスピードで階段を駆け下りてきた。
 いや…実のところ、今日はこの男は絶対にやって来ると確信していたのだが…。

「サフィール!」

 そのままの勢いで、鉄格子にしがみつく。
「サフィール!サフィール!サフィール!」
 格子を両手で掴んで揺すりながら、叫び続ける。
これでは一体どっちが牢の中に入っているのか疑ってしまいそうな光景だった。
「…なんですか…ピオニー?」
「こっち来い!早く!」
 片方の手を格子から放すと、隙間から腕を入れて手招きをする。
彼の薄い金髪が、薄暗い牢屋の中から見ると、光をはらんでやけに輝いて見えた。

 一瞬、初めて出会った時の彼を思い出させた。
 薄暗い故郷の沈殿したモノトーンの風景に、鮮やかすぎるほどの色彩だった。
ケテルブルグでは滅多に見ることの出来ない太陽が、そこに姿を見せたように鮮やかな黄金と碧瞳のコントラスト。あの日を境に、自分の日常は大きく動き初めていたのかもしれないと、今は思う。

 もっさりと立ち上がり面倒くさそうな様子で近付いて来るサフィールを、ピオニーはじれったそうに見ていたが、手の届く範囲に近付くと、腕をひっばり格子越しに抱き締めた。
「イダダダ!?何するんですかっ、痛いですよ!!」
 腕と格子に挟まれて、ディストが悲鳴を上げる。しかし、ピオニーは腕を緩めなかった。
「三国のエネルギー問題の研究に協力してくれるんだって!?今、開発部門から連絡を受けたんだ。」
「ジェイドに、脅されただけです。いでででで〜〜。」
「あ、すまん。」
 初めて気が付いた用に、腕を放すとディストが涙目で訴える。
「何するですか〜格子に押しつけられる私の痛さを…。」
「お、顔に格子の後が付いてる。」
 そういうと馬鹿笑いをする。「誰がやったと思ってるんですか、貴方は〜〜!!!」
 悪びれる様子も無く、後ろ頭を掻きながらすまんすまんと笑う。
了解の返事をした時から、彼が来ると思っていた。きっと、満面の笑顔で喜んでくれるのだろうともわかっていた。寧ろそれを…。
 ディストの頬が微かに染まる。それを隠すように、ぷいっと後ろを向く。
「どうせ、行くとこなんてありませんし、この司法取引で軽減されると聞いてますから…。」
「何言ってるんだ。お前とジェイドが協力すれば、出来ないものなんてないさ。いつも、そうだったじゃないか。」
「そんな事ありません。ネビリム先生は…。」
「あれは、不幸な事故だ。」
 ピオニーは、ディストの背中にきっぱりと言い切った。
「不相応な力を持ったとはいえ幼い子供がしでかした不始末は、大人がとるべきだ。今ならば、現皇帝である俺がとればいい。そうだろ?サフィール。」
 彼の言葉にディストは振り返る。静かな瞳で自分を見返す男は、いつもの気安い幼馴染みの顔はしていない。
「どうして…、貴方がそれをする必要もないでしょう…。」
 蒼い瞳を細めて、柔らかく笑う。
「それが、俺の仕事だ。」 
「わた、私がその技術を盗み出すかもしれないんですよ?」
「…ここから出られないって言ってたくせに、盗み出してどうするんだ?」
「そ、そんな事、幾らだって…。」
 研究に罪人を参加させるのだ。保証人としてマルクト皇帝が名を記しているであろう事も容易に想像出来た。ピオニーは小首を傾げて、少しだけ困った表情を浮かべてから笑う。
「月並みで悪いんだが、信じてるからな。」

 ジェイドの後をついて歩いていたと思っていた。
 けれど、思い出してみれば、ジェイドはいつもピオニーの後を歩いていた。両手を上着のポケットに入れてつまらなそうな顔をしながら、にこにこと笑い、強引に腕を引く少年の後を追っていた。
 もしかすると、ジェイドと自分の違いは、彼の手を放すか、放さないかの差だったのかもしれない。友達だと、立派なひとつの人格だと認めてくれたこの男の手を放しさえしなければ…。

 鉄格子を掴んだままのピオニーの手に触れる。思っていたよりも細いと感じる指先に慌てて手を放し、顔を上げた。そうすると、彼の顔は子供の頃ほどの差は感じなかった。
「どうした?。」
 目の前の男が問いかけて来た言葉は、右から左に消えていた。
 ケテルブルグを去ってからも何度もピオニーとは会っていたはずなのに、初めて気付いた事実に驚きが隠せない。いつの間にか、こんなに差が縮んでいたんでしょうか。

 いままで、私は彼を見ていたんでしょうか?

 驚きの表情のまま見つめていたディストに向けて、その場が氷結するような声が響く。
「サフィール〜。大事な陛下に鼻水を付けないでくださいね。」
 恐る恐る顔を向けると満面の笑顔を浮かべたジェイドが自分を見ていた。
 ピオニーと仲良くしていた後、彼がこんな目で自分をみていた事を思い出し、 そして、思い出してしまったことを後悔した。
  「陛下、執務官が貴方をお捜しでした。謁見のお時間だそうです。」
「もうそんな時間か、じゃあな、サフィール。」
 手を振り階段を上がっていくピオニーと入れ替わりにジェイドが降りてくる。
張り付けられていた笑顔が、ディストの目の前で剥がれた。
  「くれぐれも、陛下にご迷惑をお掛けするような事をしでかさないで下さいね。これからまた、長いお付き合いになりそうですから…。」

 喜びと恐怖が入り交じった表情で、ディストはこくこくと頷く。
その脳裏には、幼い頃から今までのジェイドとの思い出が走馬燈のように浮かんでは消えていた。


〜fin



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