xing fate 別荘地の奥にある屋敷が、久しぶりに騒然としていた。 多々ある屋敷の中で、其処は特に目立った建物ではなかったが、煌びやかに着飾る貴族達が出入りする他のものと違って、何処かひっそりとしていた。 華やかなパーティが行われるわけでもなく、客もまた少ない。 ただ、良く医者が呼ばれる事で、名のある貴族が療養に来ているのだろうと噂にはなっていた。今日もご多分に漏れず、慌てた様子で医者が玄関に向かっている。 メイドが、氷の入った桶を両手に持って、部屋と厨房を何度も出入りしている。その度に、部屋の前に立っていた警備の男性が(尤も、傍目には、召使いにしか見えないが)身体をずらした。 「どうだい?ウパラ様の御様子は?」 彼女は眉を潜めて、難しい表情をつくる。 「熱がなかなか下がらないの。近頃、体調が良いようで食も進んでいらしたのに…どうなさったのかしら…。」 「今日はお部屋から出てもいらっしゃらなかったから、朝から具合が宜しくなかったのかもしれないな。」 ひそひそと話しをしていた二人にも聞こえる、重厚な扉が閉まる音でメイドは慌てて玄関へ向かった。 「調子がお悪いのでしたら、もっと早く言って頂ければよろしかったですのに。」 メイド頭の女性は、桶にひたして、固く絞った布をベッドで横になっていたピオニーの額に置く。氷がもたらす冷たさは心地良い。 「いつも通りに眠っていれば治るかと思ってたんだ。」 初めての脱走は、彼が想像していた以上に上手く行き、誰にも気付かれる事なく私室へ戻る事が出来た。 達成感は、少年の心に自信を生む。 ただ急な、そして暫くぶりの外出は、結局ピオニーの体調を崩す要因となり、夕餉を告げに来たメイドが、熱を出してベッドで横になっている少年を見つけて慌てる事になった。 「また、雪が降ってるの?」 真っ暗で、何も見えない窓に視線を移す。 「いいえ。」 彼女もまた窓を見る。 「もうすぐ、春が来る証拠ですね。雪ではなく雨がふっておりますよ。」 …と、ノックの音と、医者が来たという旨の伝言が伝えられた。 「用意をして直ぐに参ります。」 彼女はそういうと、ピオニーの横に置いていた桶を持って部屋を出て行った。 ほぅと熱い息が洩れる。 思っていたよりも、熱は上がっているらしい。横になっていても、部屋の家具達は廻って見えた。しかし、視線は、自然と窓際に置かれた机へ。 そこには水の入ったコップが置かれ、ネビリムが創ってくれた氷は既に溶けてしまっていたが、歌うような彼女の詠唱が思い出された。 そして、引き出しの中。ひっそりと隠された私塾の住所は、ピオニーにとって宝の地図そのもの。こうやって机を見るだけで、胸がどきどきする。 早く、其処へ行ってみたい。 でも…。 ピオニーは、顔の半分を、上質な素材で出来た掛け布団の中に隠した。こんな事でいちいち熱を出しているようでは、とても出歩きなんて無理だ。 身体を鍛えたいと医者に相談してみよう。自分の身を守る為だと言えば、父も側近達も反対はしないはずだ。 そう、それに『春』。春になると、その時だけ街から雪が消えるとメイドが言っていた。あの、白い世界が変わってしまうのを見てみたくもある。 そして、思う。 春が来たら、あの雪の化身は、何処かへ行ってしまうのだろうか…? 確か名前は 『ジェイド…。』 熱でかさついた唇でその言葉を呟くと、浮かされた頭にその名だけが響いた。 ああ、これも、宝を手に入れる合い言葉のようだな。ピオニーはそう思い、瞼を閉じた。 content/ next |