zero is ends and start


 動かないという事が、死であるとまだ確信出来なかった。
メイドや付き人に促され、白い花に囲まれて眠る母に触れる。陶磁器の壺に似て冷たく固いもの。指先でなぞると、そのままの形で跡が残った。
 思わず手を放した。

 目の前にあるものは何?。
母の姿はしているけれど、これは一体なんなのだろうか。

 もう一度、今度は自ら手を伸ばす。やはり冷たくて、何も動かない。

 すすり泣く声や、お可哀相にと告げる周囲の喧噪のなかに取り残され、呆然と立ち尽くしていた。悲しむとか、寂しいという感情が浮かばないほどに、状況を理解出来ないでいた。
 ふと、自分に向けられた視線に気付き、顔を向ける。
 父の−偉大なマルクト現皇帝−顔が傍らで膝を折り自分を見つめていた。しかし顔は威厳に満ちたそれではなく、母親に向けていたものと同じだと、ピオニーは直ぐに気が付いた。
 途方に暮れた弱々しいその顔を、ピオニーは小さな手でそっと包んだ。
「大丈夫だよ。とうさま。」
 そうやって、ピオニーは初めて『母はいない』のだと確信した。
 いつも父を慰めていた母は二度と戻っては来ないのだ。自分の元にも、この弱い男の元にも。

 ああ、そうなんだ。これが母の言っていた『死』と呼ばれるものだ。

 父の首に抱き付いて、母と同じように頭を預けてみる。
 トクトクという心臓の音が聞こえて、母の言葉を実感させる。骸からは感じなかったものが、確かにそこにある。

「おお…う…。」
 獣の咆哮に近い声を上げて、皇帝は幼い皇太子を抱き締めた。
ピオニーはその自分に縋り付いてくる大人の背中を反対に優しく撫でる。
「ウパラ…。」
 名を呼ばれて、ピオニーは顔を上げた。
 皇帝は、じっと自分の顔を見て何かを呟く。
 それが母の名だと気付いたのは、恐らく自分だけだったろう。  彼はその時自分の顔に何を見出したのだろうか?自分の顔は酷く母親似だと周りのものが言っていた事を思い出したのは、随分と後の話だ。


 皇帝は、幼い皇太子を自分の纏の中に抱き込むと、厳しい顔で自分が最も信頼する家臣の名を呼んだ。
 その剣幕は凄まじく、数分と経たないうちにその人物は姿を見せる。
皇帝陛下に跪き、何事ですか問う彼に、皇帝は息子を見下ろしこう宣言した。

『この子供を守れ』…と。

『どんな事をしてでも、何があってもこの子を失う事は許さん』と彼は告げ、『万が一、ウパラに何事か起こったならば、しくじったものは一族郎党すべて処刑する』と絶対の命を下した。

「…とうさま?」
 見上げた顔は、威厳に満ちた皇帝の自信ある姿に戻っていた。
「お前まで失うわけにいかん…。」
 その目は、自分を愛しているというものではない気がして、ピオニーは身体を震わせた。押し留めていた感情が、急に溢れてきたように、涙が止まらなくなった。
 皇帝は泣き続ける息子の頭を慈悲深く撫でると、名残惜しそうではあったがその場を去った。


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