zero is ends and start


 スタスタと勝手知ったるように、歩を進める廊下。
 眺める街並はまだしも、後宮にいたっては、この歳になるまでに数回しか訪れたことの無い場所だった。
 しかし、この宮殿が自分の最後の居場所になるのだろう。
安らかなものか、暴虐なものか想像もつかない死が自分に訪れるまでの。
 ピオニーは浮かんだ考えに、笑った。
 幾重にも巻かれた重い腕輪を持ち上げるのが面倒で、隠さなかったその笑みはジェイドに見咎められる。
 もうチョット真面目な顔を方がいいですよ。などと告げられ、今度は苦笑いが浮かんだ。

 怖いのだろうかと己に問うた時に、父と母を思いだしたのだ。
『恐ろしくてならん。』
 そう呟いた偉大なる皇帝を。

 妃など…とその男は呟くのが聞こえた。
「あれは、私の肉親を殺した女だ。恐ろしくてならん。」
 皇帝は震える声でそう告げる。母は父の頬を両手で挟んで柔らかな笑みを浮かべる母の腕を掴んでいる男の手は小刻みに震えていた。
「私がお守り致します。皇帝陛下。」
「皆、私を損なうことしか…。お前、お前だけだ…。」
 父の手が母を抱き締め、彼女のさらりとした髪が皇帝の背中に長く垂れた。柔らかな手が、愛おしむように父の背中を何度も上下する。
 幼子のように母に甘える父の姿は、皇帝として対面するそれとは全く違っていた。
 
 非道な処罰を嘆くメイド達の話を聞いた事があった。
 敵国に対しての情け容赦ない行為は、両国の争いを尚も激化させていると(ピオニーが子供であると侮って)声高に叫ぶ輩もいた。
 
 けれど、強く恐ろしい専制君主など何処にいるのだろう?
 彼女の前でだけ見せるその姿がピオニーには不思議で、問いかけずにはいられない。母は生身の父は、唯の人間だとそう答えた。
「お父様は預言も、周囲の人間も、全てに脅えていらっしゃるの。
 だから、私はあの人を愛したのかもしれないわね。守って差し上げたいとそう思ったのかもしれないわ。」
「僕もそうした方がいいの?」
「ウパラ。」
 母は、息子の横顔に口付けを落とした。
「貴方は、貴方が大切だと思う人を守りなさい。」
 そう行って言葉を止めて、母は笑みを浮かべた。
「でも、何かを守ろうと思えば、貴方自身が強くならなければいけないわ。」
「お勉強しなくちゃいけないって事?」
 少しだけ顔を顰めた子供に、母はクスリと笑う。
「そうね。学ぶべき事は沢山ある。お勉強もそのひとつだけれど…。でも一番知らなければならないものは、死という事実よ。
 お父様はそれを知らない。だから、いつか自分にもたらされるそれがただ怖い。」

『死を知って、人は初めて生きる事を、強さを知るのよ。』

 それは、傭兵を生業としていた彼女らしい言葉だったとピオニーは思う。彼女はその言葉通り父を守って逝ったのだから。



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